日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 139
肉となった神は永遠に人に留まることはできないが、それは神にはすべきことが他にもたくさん存在するからである。神が肉に縛られることはない。神は自身がなすべき働きを肉のイメージで行うが、肉を捨ててそれをしなければならない。神は、この世に来る時、普通の人が死んで地上を離れるまでに達す…
神は人に神の肉体を知らしめたり、受肉した神の肉体と人の肉体の違いを区別させたりする目的で受肉するのではない。また、人の識別力を鍛えるために受肉するのでもなければ、ましてや人が受肉した神の肉体を礼拝し、そこから神が偉大な栄光を受けるようにする目的で受肉するのでもない。それらはどれも、神が肉となる本来の意図ではない。また、神は人を断罪するため、意図的に人を暴くため、あるいは人に困難をもたらすために肉となるのでもない。それらはどれも神の本来の意図ではない。神が肉となるたび、それは避けることのできない働きの形なのである。神がそのように振る舞うのは、さらに偉大な神の働きと経営(救い)のためであり、人が想像するような理由のためではない。神は自身の働きが求める時だけ、必要な時だけ地上に来る。神はただ見回す目的で地上に来るのではなく、自身がすべき働きを実行するために来る。そうでなければ、どうしてこの働きを行なうほどの重荷を背負い、それほど大きな危険を冒すだろうか。神はそうしなければならない時にだけ、また常に独自の意義をもって肉となる。もしそれが人々に神を見させ、彼らの視野を広げるためだけだったなら、神は絶対にそれほど軽々しく人々の間には来ないだろう。神が地上に来るのは、自身の経営とより偉大な働きのためであり、さらに多くの人類を得るためである。神は時代を表わし、サタンを打ち負かすために来るのであり、サタンを敗北させるために肉をまとう。さらに、神は全人類の生活を導くために来る。これらはすべて神の経営に関係しており、全宇宙の働きにも関係している。もし神が、人に神の肉体を知らしめ、人々の目を開かせるためだけに受肉したのなら、なぜ神は各国を旅しないのだろうか。それは極めてたやすいことではないだろうか。しかし、神はそのようなことをせず代わりに自分が暮らし、すべき働きを始めるのに適した場所を選んだ。この肉体だけでも大いに意義がある。それは一時代の全体を表わし、同時に一時代全体の働きを行なう。それは前の時代を終わらせ、新しい時代を始める。これらはすべて神の経営に関する重要な事柄であり、神が地上に来て実行する働きの一段階の意義である。
『神の出現と働き』「受肉の奥義(3)」(『言葉』第1巻)より
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