家族に軟禁された日々

2023年9月26日

わたしは2019年に終わりの日の神の働きを受け入れた。神の御言葉を読んで、人類を救う神の三段階の働きの内幕、神の受肉の奥義、裁きの働きの意義、サタンは人をどう堕落させ、神は人をどう救うか、人はどう清められて美しい終着点を得られるか、全能神が明かしてることがわかった。これらの御言葉には権威があり、どれも初耳。新鮮で実践的だし、糧を得て、霊の乾きが癒やされた。全能神こそ主イエスの再来だと確信して、胸が躍ったわ。生きてるうちに主イエスの再臨を迎えられるなんて思いもよらなかったし、本当に幸運。その後はよく集会に出て福音を伝え、毎日が楽しく充実してた。でも二ヵ月後、弟とその奥さんが、わたしの信仰を知ったの。弟の奥さんは中国の政府職員で、弟も中国で暮らしてたけど、電話でこう叱った。「中国政府は全能神の信者を迫害してる。主イエスへの信仰はいいが、全能神はだめだ。神でなく人を信じてるんだぞ」。聞いたとたん、デマを繰り返してるとわかったわ。探求して調べる中で、共産党に迫害される全能神教会の信者の動画をたくさん見て、真の道は昔から迫害されることを知ってたから。働きに来られた神は、きっとサタンの勢力に迫害される。主イエスが働きに来られたときも、宗教指導者とローマ政権は主に激しく逆らい、迫害した。弟に言ったわ。「わたしは人でなく神を信じてる。働きをして人類を救うべく地に来られた神は、わたしたちが近づけるよう、人の子として受肉しなければならない。人となった以上、生まれた家族があり、正常な人間生活を送るはず。全能神は普通の人に見えるけど、内には神の霊があり、その本質は神。全能神は多くの真理を表わし、人類を清めて救うために働かれる。他の誰にもできないわ。主イエスも普通の人に見えたけど、その本質は神だったし、真理を表わし人類を贖えた。そんなの普通の人には無理。主イエスへの信仰が、人への信仰だと言える?わからないのに憶測しないで。聖霊の冒瀆は決して赦されない。パリサイ人は、ベルゼブブの助けを借りて悪霊を追い出してると言って、主イエスを冒瀆した。結局神の懲罰と呪いを受けたわ。あなたに信じろとは言わないから、わたしの信仰を邪魔しないで!」わたしの言うことに耳を貸さず、反論すればするほど激しく罵った。共産党のデマに騙され、神を冒瀆するのを聞いて、がっかりしたわ。次の日、奥さんも信仰を止めさせようと電話してきて、こう脅したの。「全能神の信仰は中国では違法よ。殺されてもおかしくない。中国で神を信じてたら、ずっと以前に捕まったはず。中国政府は教会を見つけるたび、信者全員を逮捕してる。誰も逃げられないわ」。彼女の言葉で、共産党が神に逆らい、クリスチャンを迫害してる真相がわかった。神を信じる中国の兄弟姉妹の苦境を理解できたわ。同時に、おかしいと思ったの。主を信じて八年経つけど、家族に邪魔されたことはない。全能神を信じたとたん、みんなわたしを迫害し、冷淡になったのはなぜ?そのとき、兄弟姉妹の交わりを思い出した。古代から真の道は迫害され、神がどこで働こうと、サタンが邪魔すると。家族による迫害はサタンの妨害だとわかった。だから迫害されればされるほど、全能神に従いサタンの罠から逃れようと思ったわ。

その後、兄弟姉妹がこの御言葉を伝えてくれた。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んでわかったわ。これは霊の戦いだと。神が誰かを救うとき、サタンは全力でそれを乱して邪魔し、自分もろとも地獄に引きずり込もうとする。その日の出来事は、表向きは弟夫婦の妨害だけど、実際にはサタンの妨害。以前は仲がよく、弟もわたしの言うことを聞いてくれたのに、共産党のデマを聞いてまるで別人になってしまった。あの手この手でわたしを神から離れさせようとしたし、二人の話に心が寒くなった。タイで神を信じるわたしを支配しようとしたの。中国にいたら刑務所送りにしてたはず。サタンはまさに邪悪で、わたしは二人と違う道を歩んでる。表向きは家族だけど、霊はまったく相容れない。言葉も違うし、別の種類の人。以前の親密さはなくなった。その夜、共産党に苦しめられる兄弟姉妹の証しの動画を観たの。肉体がどれだけ苦しんでも、断固神に従った。神への祈りと御言葉の導きで、肉体の弱さを乗り越え、中には命を捨ててしっかり証しに立つ人もいた。その経験に刺激されたわ。こんなつらい状況の中でも神への信仰を保ち、サタンに妥協しない。わたしが受けた迫害なんて何てことないし、おかげで今後に向き合う信仰が強くなったわ。

説得できないと知った二人は、わたしの夫を煽って信仰を止めさせようとした。神を信じるわたしは、子供も家族もいらないんだって。牧師も中傷のデマを広めて夫を騙し、わたしは人を信じてるって言うの。それを聞いた夫も、一緒になってわたしに反対した。オンライン集会に出たり、全能神教会のサイトを見ようとすると、家のネット回線を引き抜いてドアに鍵をかけて部屋に入らせない。あの手この手で邪魔し、集会に出たり御言葉を読むのをとめた。これはサタンの干渉だとわかってたから、屈することはできない。わたしが動揺しないのを見て、夫は言った。「全能神を信じ続けるなら離婚だ!家から出て行ってもらう。今日中に決めろ!」わたしは言った。「神を信じてなければ、ずっと前に離婚してたわ。あなたは前に浮気したけど、信仰のおかげで我慢できた。神を信じるのは間違ってないのに、どうしてとめようとするの?離婚して追い出したいなら、仕方ないわ。家を出ても神を信じるから!」それで服を持って友達の家に行ったの。そのときは、今後どうすればいいかわからなかった。幼い子供のことを思うと、離れるのは嫌だった。そこで兄弟姉妹に連絡して、わたしの状況を伝えたら、姉妹が御言葉を送ってくれたの。「始まりから現在に至るまでの神の働きの過程を通して、神は各人(つまり、神に付き従う一人ひとりと言うことができますが)に試練を定めており、それらの試練の大きさは様々です。自分の家族から拒否される試練を経験した人もいれば、逆境の試練を経験した人、逮捕されて拷問される試練を経験した人、選択を迫られる試練を経験した人、金銭や地位の試練を直面した人もいます。概して、あなたがたそれぞれが、様々な試練を受けたことがあります。神はなぜこのように働くのですか。神はなぜ各人をこのように扱うのですか。神はどのような結果を望んでいるのですか。わたしの話の要点はこれです。すなわち、神はある人が神を畏れ、悪を避けるような人間であるか否かを知りたいのです。これは、神があなたに試練を与え、ある状況にあなたを直面させているとき、神の意図はあなたが神を畏れ、悪を避ける人間であるか否かを試すことだということを意味します(『神を知ることについて』「神の性質と神の働きが達成する成果をいかにして知るか」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉を読んでわかった。家族による迫害はわたしへの試験。神を満足させるかサタンを満足させるかの。選択を迫られてるって気づいた。でもまだ一縷の望みを抱いてたの。夫が心変わりしてくれないかって。だけど夫と妹に居場所が見つかり、代わる代わる言われた。「全能神の信仰なんかやめろ。子供と家族を捨てるのか!」腹が立って夫に言ったわ。「子供と家族を捨てる?わたしを迫害して信仰をやめさせ、離婚を突きつけたのはあなたじゃない。信仰の自由も許してくれないの?」父も電話でこう言ったわ。「神はどこだ?そんなの信じるな。旦那と一緒に大人しく暮らせ!」腹が立って言い返したわ。「神への信仰は間違ってない。どうしてわたしを操ろうとするの?」その断固とした口調に、父は夫に電話をかけ、あいつを縛って殴れと言った。死んだら責任をとるからって。殴りはしなかったけどキャッシュカードを取り上げ、電話とコンピュータを壊したわ。それから妹も一緒になってわたしを車に乗せ、家に連れ戻したの。その途中、二人とももの凄い顔でわたしの横に座ってた。それで、警察に捕まった中国の兄弟姉妹の気持ちがわかったわ。家族とはまったく思えなかったし、望みも潰えたわ。次にどんな迫害を加えるんだろうと思って、心の中で神に祈り、正しい選択をできるよう導きを求めた。その夜はとても悲しかった。いつもはこの時間に福音を説いてたけど、今は何もできない。全能神への信仰を知った家族は、揃ってわたしを迫害した。弟の奥さんは政府職員でお金があるから、わたしの家族を従わせ、あらゆる手段でわたしを迫害するよう焚きつけてる。あくまで信仰するなら殴り殺そうとするほど。そのとき、神への抵抗の真相がはっきりわかった。悪魔、神の敵に他ならない。それで思い出したのが、ヨブもこうしたつらい試練に遭ったけど、神への不満を言わなかったこと。その代わりに御前で静かに祈り、神の御旨を求めた。わたしも神にすがってしっかり立たないと。どんな状況でも、サタンに屈してはだめ。

翌日、夫と父に実家へ連れ戻された。母と兄の妻はわたしが逃げないよう、会ったとたんに身体を調べ、身分証を出せと言うの。決して一人にはしなかった。お風呂やトイレに行くときも、母が外で見張っていて、姪を一緒に寝かせたほど。夜に明かりを点けると、とたんに母がノックして様子を確かめ、明かりを消して寝なさいって言う。それ以上につらかったのは、朝の三時か四時に母が音を立てたり、叫んだり、ドアをノックすること。本当にストレスだった。日中は監視がより厳しく、隣人の女性とさえ話をさせてもらえない。近所の人もまるで他人のようにわたしを見てた。毎日、家族から言われたとおりにするより他なかったの。囚人扱いで、四六時中見張られてる。監獄にいるようだった。家族がこんな扱いをするのは、共産党のデマと弟の奥さんの話を鵜呑みにしてるから。兄弟姉妹と縁を切らせ、徐々に信仰を失わせようとしたの。毎日悲しく、兄弟姉妹との集会が恋しかった。神の働きが終わろうとしてるのに、集会に出られず、御言葉を読めず、本分を尽くせない。追放されてしまうの?とても不安になって、ただこの環境から逃れて自由に神を信じられるようになりたかった。トイレに隠れて神に祈り、道を開いてくださいと願ったわ。その後、兄夫婦のみかん園で働くよう両親に言われたの。わたしを監視できるように。でも兄嫁はそれほど厳しくなくて、日中働きながら、携帯電話で御言葉を聞けたの。道を開いた神に感謝したわ。

ひときわ感動した御言葉の一節があるの。「二つの試練を経たことで、ヨブの中にさらなる経験が生まれ、この経験によってヨブはさらに成熟して鍛えられ、それまで以上に強くなり、さらに強い信念をもち、自身が固く保つ高潔さの正しさと価値をさらに確信しました。ヤーウェ神によるヨブへの試練は、神が人間に対して抱く配慮を彼に深く理解させ、また実感させ、神の愛の尊さを感じ取れるようにしました。そしてそこから、神への思いやりと愛が、神に対するヨブの畏れに加わりました。ヤーウェ神による試練は、ヨブをヤーウェ神から遠ざけなかったばかりか、ヨブの心を神に近づけました。自分の肉の苦痛が頂点に達したとき、ヨブはヤーウェ神から感じ取っていた懸念のために、自分の生まれた日を呪うしかありませんでした。このような行ないは前もって計画されていたものではなく、神への思いやりと愛の自然な表現、神への思いやりと愛から生じた自然な表現なのです。つまり、ヨブは自身を忌み嫌い、神を苦しめることを望まず、またそうすることに耐えられなかったので、ヨブの思いやりと愛は無私のレベルに達したのです。このとき、長年にわたる神への敬慕と切望、そして神に対する強い愛着が、思いやりと愛というレベルに引き上げられたのです。それと同時に、神に対するヨブの信仰と従順、そして神への畏れもまた、思いやりと愛というレベルに引き上げられました。神に痛みを与え得ること、神を傷つける行ない、そして神に悲しみや嘆き、さらには不幸をもたらすことを、ヨブは一切自分に許しませんでした。神の目から見て、ヨブは以前と同じヨブのままでしたが、ヨブの信仰、従順、神への畏れは神に完全なる満足と喜びをもたらしたのです。このとき、神がヨブに期待した完全さをヨブは獲得しており、神の目から見て『完全で正しい』と呼ばれるに値する人となっていました(『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」〔『言葉』第2巻〕)。ヨブはサタンの試みと攻撃に遭い、子供と財産を残らず奪われ、全身が腫れ物に覆われその苦痛は耐えがたかったけど、神を畏れていたから軽率な言動をしなかった。むしろ、まず神の御前に出て祈り、御旨を求めたの。苦痛の中でも神の心が共にあると気づき、人に対する神の気遣いを感じた。神が苦しむのはヨブには耐えられず、神を恨むくらいなら自分が生まれた日を呪った。最後は揺るぎなく立ち、サタンを辱める言葉を発したの。「ヤーウェが与え、ヤーウェが取られたのだ。ヤーウェのみ名はほむべきかな」(ヨブ記 1:21)。友人や妻にどう笑われようと、ヨブは神への真の信仰を保ち、サタンは彼の証しに辱められ、もう責めることができなくなった。自分はこの経験の中、神にすがってサタンの企みを見抜かず、この環境での神の善意を求めてないと気づいたわ。むしろ逆らって恨み、サタンの笑いものになってた。御言葉を熟考しながら神に祈ると、信仰が膨らんだ。今後どんな環境に置かれてもヨブを見習い、神のためにしっかり証しに立ち、サタンを辱めよう。

毎日兄夫婦と農園で働いたけど、二人の愛情や、一緒に出かけて帰るのを見て、羨ましくて仕方なかった。どうしてわたしは普通の家庭生活を送れないの?そう考えて妥協しようかと思った。特に夕食の時、幸せそうな一家団欒を見ると、孤独なわたしは心が弱り、涙をこぼさずにはいられなかった。肉体の心配をしていると気づいて、人類を清めて救うため、終わりの日に肉となり、真理を表わす神を思った。今こそ真理を求める大事なとき。でも夫のせいで信仰できない。共通点なんかないし、しぶしぶ一緒にいても幸せじゃなかった。そう考えるとつらさが軽くなった。そこで兄嫁の電話を借り、静かに賛美歌を聴いたの。『あなたは真理のために全てを捨てるべきだ』という歌。

1 あなたは真理のために苦難を受け、真理に自分を捧げ、真理のために恥辱を忍ばねばならず、またより多くの真理を得るために、さらに多くの苦難を受けなければならない。これこそがあなたのなすべきことである。あなたは平穏な家庭生活のために真理を投げ捨ててはならず、一時的な享楽のために、自分の一生の尊厳や人格を失ってはならない。

2 あなたは、美しく素晴らしいすべてのこと、またいっそう有意義な人生の道を追求すべきである。このような俗悪な生活を送り、何の目的も追い求めないのであれば、あなたは人生を無駄にしているのではないか。そのような人生から何が得られるのか。あなたは、真理のために肉の享楽をすべて捨て去るべきであり、わずかばかりの享楽のためにすべての真理を投げ捨ててはならない。このような人には品位も尊厳もなく、その存在には何の意味もない。

小羊に従って新しい歌を歌おう

当時この歌を聴かせてくれた神に感謝!ささいな肉体の享楽のために、真理の追求を諦めてはだめ。今、神は終わりの日の裁きの働きで、この時代を完全に終わらせようとしてる。真理を得なければ救いの機会を失い、最後はみな災害に陥って破滅する。幸せな家庭生活が何?一時的なものじゃない?真理を得られないほどつらい損失はない。そう考えると、神に向かい合ってるみたいにとても安心して、心の中で落ち着きと喜びを覚え、孤独を感じなくなった。

3週間実家で暮らしたある日、家族が油断してるすきに逃げ出し、ホテルに泊まったの。でも姪と兄にすぐ見つかり、連れ戻された。その後、両親が村人全員を夕食に招き、監視の手伝いを頼んだの。逃げ出したら捕まえてほしいって。夫も五歳の息子を連れて来て、信仰をやめて家に戻れと言った。息子が近寄ろうとしないから、どうしてって訊くと、「ママは精神病だから殺されるぞって、パパが言うんだ」。それを聞いて心底腹が立った。小さな子にこんなことを教えるなんて。その後は息子との関係も悪くなって、飴を買ってあげてようやく、口をきいてくれた。とても悲しくなって、家族が圧迫するのをやめてほしいと思ったけど、それは違うって気づいたの。彼らはみな神を憎み、変わろうとしない。夫は今も説得しようとするし、両親も信仰をやめろって言い続けてる。だから「信仰をやめるなんてできない」と言ったわ。わたしの決意を見た夫は息子を連れて家に帰った。

一週間後のある朝、兄が町から帰ってきたんだけど、わたしの服を持ってたの。「今朝、お前を清めてもらおうと除霊師のところに行った」って。すると父も部屋から出てきて、今すぐその服を着ろって言った。「それを着れば治る」って。わたしは言った。「着ないわ。取り憑かれてなんかないし、病気でもない。唯一の真の神を信じてる」。「治療」を受けようとしないわたしを、父は椅子に座らせ、腕ほども太い棒を持って、しかめ面でこう言った。「そんなに頑固なら、今日こそ言うことを聞かせてやる!今までお前を殴ったことはないが、殴ったらどうなるか思い知らせてやる。死ぬか信仰をやめるまで殴ってやるぞ!」父がこんなに怒りを見せたのはこれが初めて。怖かったわ。こんな棒で殴られたら、骨が砕かれてしまう。父に着替えろって言われてすぐ、無言で神に祈り、何があろうとサタンに屈することはできませんって言った。サタンは何度もヨブを試み、攻撃したけど、ヨブは高潔さを保ち、しっかり証しに立った。結局サタンは辱められて失敗し、完全に諦めた。わたしはヨブにずっと劣るけど、サタンはわたしに迫り、神への信仰を少しずつ壊してくじけさせ、神に失望させて、最後は神を裏切らせようとしてる。サタンの罠にはまってはだめ。そこで神に祈り、こう誓った。「神よ、たとえ死ぬまで殴られても、決してサタンに屈しません。信仰を諦めず、あなたのためしっかり証しに立ちます」祈ると恐怖が消えて、全力で立ち向かう気になった。すると賛美歌の一節が頭にはっきり浮かんだの。「自分の願望と決意を捨てるわけにはいけない。諦めることはサタンと妥協すること、自滅すること、神を裏切ることと同じだ(『小羊に従って新しい歌を歌おう』「真理の追求に必要な決意」)。この一節に勇気と力が湧いた。サタンに屈するものですか。すると父が棒を手に近寄り、殴ろうとした。悪魔のように見えたけど、全然怖くなかった。その瞬間、夫と母が畑から戻ってきて、母がわたしの前に出て父から守ったの。そして信仰をやめてって説得した。わたしは答えた。「神への信仰は泥棒行為なんかじゃないし、他人の家族を壊してもいない。ただ集会に出てるだけなのに、どうして死ぬまで殴られなきゃいけないの?それでも家族?」甥が軽蔑するように言った。「おばさん、車や金がある人を見ろ。神を信じてるのに、神から何をもらえた?」わたしは言った。「そんなものが何なの?災難が来たとき、それが人を救ってくれるの?人を救えるのは神だけよ。そうしたものを追い求めるなら、好きにすればいい。わたしは神を信じてる。どうして邪魔するの?」甥はそれに腹を立てた。「信仰をやめないのか。なら冷たくするのは僕らのせいじゃない。三日三晩吊るしてやる。それでも神を信じるかな?」すると家族全員がわたしを吊るし、信仰を捨てるまで下ろさないことに賛成した。もう腹が立ったわ。どうしてこれが家族なの?ただの悪魔じゃない。それでも少し怖かったから、神に祈って導きを求めた。すると夫が説得を試みたの。「俺が主イエスを信じるのはただの信仰だ。どうして深刻になる?信仰をやめるんだ」。わたしは言った。「主イエスがあなたを救うために戻ったことを受け入れないなら、それでいい。だからわたしのこともほっといて。全能神に従うわ!」家族にはっきり宣言したら、みな黙り込んだ。サタンが屈したってわかったわ。心の中でこれまでにない甘美さを感じ、ただ神への感謝しかなかった!

その後も家族はわたしを軟禁し続けた。でももう恨まなかったし、この環境で進んで従い、教訓を学ぼうとしたの。普段は家族の目を盗んで、兄嫁の電話を使い、『日々の神の御言葉』をネットで聴いた。そして頻繁に祈り、神の采配に進んで従った。いつ出られるかは神次第。だから喜んで待ったわ。すると家族の監視が徐々に緩み、ある村人が結婚式をすることになって、家族全員が出かけたの。おかげで脱出できて、その後、兄弟姉妹に連絡をとって故郷を離れた。今はやっと自由に神を信じ、本分を尽くしてる。この間、家族の迫害を経験して、多少苦しんだけど、多くのものを得た。共産党の邪悪さと、家族による神への抵抗の本質をはっきり見て、神がそばにいて支えてくださったことを実際に経験したの。わたしが消極的になって弱るたび、神は御言葉を使ってわたしを啓き、導き、勇気と知恵を授けてくださる。しっかり立つ自信を持てるように。全能神に感謝!

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