家庭における霊の戦い

2022年4月5日

米国 Ruth

2018年8月、友人から主イエスが再来し真理を表し、神の家から裁きの働きを始めていると聞き、全能神の御言葉を読みました。それが真理で、神の声だとわかった私は全能神は主イエスの再来だと確信し、終わりの日の働きを受け入れ、オンラインの集会に参加するようになりました。主を迎えられることがうれしくてたまらなかった時、家庭での霊をめぐる争いが始まったんです。

2018年10月のある日、夫からメールが来て、「最近教会に行ってないようだが、いつも読んでいるあの本は何だ? 集会では一体何を話してるんだ?」と聞かれました。終わりの日の働きを受け入れたばかりで、うまく説明する自信がなかったけど、夫も幼いころから信心者だし、教会では一緒に仕事もしてる。だから主の再来について話そうと思いました。夫にはこう話しました。「終わりの日が来て、主の再来の預言が本当になったのよ。受肉した再来した主は、全能神といって、人類を清めるために御言葉を通して裁きの働きをしてる。あの本には全能神の御言葉が書かれているの。聖書の謎がたくさん暴かれているわ。今やっと神の新たな働きに追いついて、全能神教会の兄弟姉妹と集会をしているのよ。だからもう前の教会にはいきません。あなたも全能神の御言葉をよんでみて」と。そして、教会のウェブサイトのリンクも送りました。驚いたことに、夫から間もなく返信が来て、そこには、中共が全能神教会を貶めるために広めた噂や嘘がたくさん書かれていました。中共が仕組んだ偽の山東の件も含まれていた。私は、夫がフィリピン人なので、中国にどれほど偽の報道があふれているか知らずに、惑わされたのだと思った。だからこう返しました。「山東の事件は中共の法廷で審理されたものです。中共の法廷はすべて、政府が独裁政治を維持するための道具なの。だからその審理も判決もでたらめよ。中共はこれまで、たくさんの偽の事件を不正にでっちあげた。世界を震かんさせた天安門事件だって、チベットの抵抗運動の取締りだってそう。最初に嘘をつき、事実をゆがめ、偽の罪をでっちあげ、暴力で鎮圧する。いつもそうやって反対意見をもみ消してきたの。それに、中共は無神論者の政党よ。政権をとってからずっと、宗教信仰を厳しく迫害してきた。そんな中共が教会を非難しても信ぴょう性がないわ。それに、中共の嘘は西洋の学者たちの研究でも暴かれているわ」そう書いて、イタリア人の宗教学者のイントロヴィーネ教授が学会で発表する動画を夫に送りました。そして「この動画見れば真実がわかるはず。被告は法廷でこう言っています。『全能神教会と接触したことはありません』と。教会の関係者じゃないと自分で言っています。教会も彼らが信者だと認めていません。明らかに、全能神教会とは何の関わりもないのに、法廷が、関係があると主張していたのです。事実を故意にゆがめて、教会を貶めようとしたの。この事からもわかるように、山東の事件はクリスチャン迫害の口実を作るため、中共がでっちあげたもの。宗教信仰を迫害するための常套手段です」でも夫は中共の嘘を信じ込み、まったく聞く耳をもちません。

その後、夫は私の信仰を邪魔するために、家に6台のカメラをつけて私を徹底的に監視しました。ある夜、集会に参加している私を見た夫は、いきなり部屋に入ってきて、なんでまだ集会に参加してるんだと怒鳴ったの。私は「ここはアメリカよ。信仰の自由は、憲法で保障されているわ。神を信じることは正当なことです。どうして邪魔をするの? 終わりの日の全能神の福音は、多数の西洋諸国にも広まっていて、アリゾナから来たシュミット夫妻のような人もいて、終わりの日の全能神の働きを受け入れた経験についてティナとチャーリーがインタビューを受けた。カナダ、キューバ、日本、フランス、ロシア、タイ、他にもたくさんの国で、証しを立てている人がいる。主の再来を待ち望む世界中の人が、全能神の前に立ち、その働きを受け入れている。どうして、その働きの成果や、本当に神の声なのか自分で調べようとしないで、無神論者の中共の嘘を信じるの?」と言いました。でも夫は聞く耳をもたず、電話を奪い取ろうとしたので、それを止めるために、夫の腕を叩いてしまった。恐ろしいことに夫はそれを口実に警察を呼びました。夫は冷たく言いました。「神がいるんだろ? 神に電話して助けてもらえ。警察が来た時に、お前を救えるのは一体誰だ」と言いました。怒りがこみ上げ、少し恐くもありました。中国の兄弟姉妹のように、警察に連行されたらどうしようと。その時、この御言葉を思い出したんです。「人の心と霊は神の手中に握られており、人の生活の一部始終が神の目に見られている。あなたがこのことを信じているかどうかにかかわらず、生きているものであれ死んでいるものであれ、万物は神の思いによって移ろい、変転し、新しくされ、消滅する。これこそが神が全てのものを統治する方法である(『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」〔『言葉』第1巻〕)。すべては神の手中にあり、すべては神が決めること。警察に連れていかれるかどうかは、神次第。神がそれを許すなら、神の旨として従うまで。祈りを捧げると少し気持ちが落ち着きました。5分後警察が到着して、状況を理解すると、警察は私に理解を示してくれた。警官の1人は白人の方でしたが、中国に居たことがあるので、中国政府の宗教迫害については理解してると言いました。話をした後、その警官は夫に警告しました。「アメリカでは信教は自由です。奥さんの信仰に干渉することはできません」と。それに対して夫が、「信仰はいいが、家から集会に参加はできないだろう」と言うと、警官がまた、「この人はあなたの奥さんで、家族の一員です、家から集会に参加する権利は法律で守られています。集会の邪魔をすることは、この国では法律違反になりますよ」と警告したんです。警察が帰った後、自分の身に起きたことが、信じられませんでした。長年苦楽をともにしてきた夫が、全能神への信仰を理由に警察に通報するなんて。私の知っている夫じゃない、人でなしだわ。そして神は、こんな大変な事態の中でも、静かにそばにいて、私を守ってくれました。神に感謝するとともに、神に従う気持ちが強くなりました。

私が全能神を信じ続けると決めたので、夫は共同口座のカードや、車のキー、お店の鍵、そして現金を私から奪いました。結婚以来ずっと、家計やお店を管理してきたのは私なのに、すべてとられてしまったんです。そして私が集会に参加できないようにインターネットも解約し、主寝室のドアには鍵をかけ、私が入れないようにしました。夫の態度は日増しに冷たくなり、どこに行っていたのかと聞いても、冷たい声でこう言い放ちます。「俺に干渉するな。お前に聞く権利なんかない。全能神を信じると言うなら、この家から出て、自分で暮らせ。店で働くことも許さない。店に少しでも近づいたら、通報するからな」と。周りの友人たちにもネット上の嘘を広めたので、信仰を捨てるよう私を説得しようとする人が家にきたりして、平穏な暮らしはめちゃくちゃになりました。その時考えたんです。これまでの生活で、私は自分のキャリアを捨てて夫と事業を始め、今ではこの街にお店をもつことができた。でも信仰と家族の間で選択を迫られて、どうしたらいいか、答えをみつけることができず、無力さを感じました。わからなかった。信心者は皆、主の再来を待ち望んでいるはず。主を迎え、信仰の正しい道を歩き出したのに、なぜ誰もわかってくれないの? そう考えると、涙があふれてとまりませんでした。そして神の御言葉を思い出したんです。「今日あなたがたが受け継いだものは、各時代の使徒や預言者が受け継いだものを超えており、モーセやペテロが受け継いだものよりも大きい。一日二日で祝福を得ることはできない。祝福は、多大な犠牲を通じて獲得されなければならない。つまりあなたがたは、精錬を経た愛、大きな信仰、そして神があなたがたに獲得することを求めている、数多くの真理を自分のものにしなければならない。さらには、怯えることも逃げることもなく、正義に真正面から向き合い、神に対して死ぬまで不変の愛をもたなければならない。あなたがたは不屈の意志をもたなければならない(『神の出現と働き』「人が想像するほど神の働きは簡単なものか」〔『言葉』第1巻〕)。この御言葉が力をくれました。神が求めるのは人の純粋な信仰と愛です。どんな困難に直面しても決して神から離れてはいけない。神の声を聴き、終わりの日の主の再来を迎えるという幸運は、神の愛でした。キリストに従うための苦しみには、価値も意義も大義もあります。主イエスに従った使徒たちは、ローマ人に厳しく迫害され、宗教指導者に非難され、殉教した者もいました。多くの苦しみを味わった彼らのことを、主は覚えていた。真の神に従うことを邪魔されたからといって腹を立てるのではなく、歴代の聖人から学び、困難の中でも神を信じ続けるべきだと思いました。

その後に私が読んだ別の御言葉を「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたはどのように神を満足させるべきか、どのように固く証しに立つべきであろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。真の道を受け入れ、神の新たな働きに従った後、夫が私に干渉し、抑えつけようとしたように見えました。でも実際は、霊界の争いだったんです。サタンが夫を使って私に干渉し、夫への情や個人的な利益を利用して私を脅し、真の道を捨ててサタンに屈服させ、最後には神に背かせる。それがサタンの策略でした。同時に、神はこの状況を使って神に抵抗する夫の邪悪な一面を私に示しました。教会で説教する時は、寛容さを説き、主の再来を待つように教えているのに、再来した主の働きを調べようともせずに、私を敵のように扱った。夫が憎んだのは私ではなく神。神を憎み、神に抵抗した。根本では不信者だったのです。夫の行動を考えると、傷つくよりも、怒りを覚えました。夫婦だったのに、違う道を歩んでいたのです。これ以上夫の言うなりになりたくない、夫が束縛を強めるほどに、神に従い証を立て、サタンを憎む気持ちが強まりました。自分が神に従うだけじゃなく、終わりの日の神の福音を、真理を愛する真の信心者に広めたいと思いました。この思いが、状況を打破する力をくれました。それからすぐに、家の近くの市場で仕事を見つけた私は、働きながら福音を広めました。厳しい仕事でしたが、神の御言葉が導いてくれたので、心はとても穏やかでした。

でも夫は干渉をやめません。信仰を阻止するため、私が通勤に使っていた自転車を盗み、仕事に行けないようにしたり、客を職場によこして信仰を捨てるよう説得させようとしたり、さらには、私が信仰のために家族を捨てようとしていると教会で吹聴しました。それを耳にした雇い主は私への態度を変え、私はクビになりました。そんな時、フィリピンにいる義理の母が突然亡くなり、夫は仕方なく、電話と店の鍵を置いてフィリピンに帰国しました。そして戻ってきた時には、夫の態度はかなり軟化していました。集会に参加することも強く止められなくなり、夫は変わったのかもと思いました。

でもある日、私が終わりの日の神の働きの福音を、夫の教会の姉妹に広めたと知った夫は、私に隠れて牧師を通して彼女に連絡を取って、ありとあらゆる嘘を吹き込んだ。彼女は夫を信じて私との関わりを断ちました。そして夫からは、「お前の全能神への信仰は、誰にも干渉できない。でも私の教会の人に福音を広めるのはダメだ。今後は、教会に足を踏み入れるな。店に電話を持ち込むことも許さない。今度あいつらをメールや電話をしているのをみたら、追い出すからな」と言われた。その行動にショックを受けるとともに、腹がたちました。数か月もの間、辛抱強く夫に接した。生き方に感動してもらおうと努力した。それが夫の心に響いて、私や神の働きに対する態度を改めてくれるはずだった夫がここまで頑固で邪悪だとは思わなかった。世間にはいい顔をみせながら、全能神を信じず、私が福音を広めることを禁止し、厚かましくも兄弟姉妹は自分の所有物だと言い張る。神の羊を独占してるようなものだわ。神の羊が神の声を聞いて神の家に戻るのは正しく自然な事。そして、信仰は自由なはず。でも夫は牧師と結託して兄弟姉妹を惑わせ、嘘を広めて人々を誤解させて、終わりの日の神の福音を聞かせまいとしている。信徒をしめつけ、水を奪い、人々から救いの機会をうばっているのです! そして主イエスのパリサイ人への反駁を思い出しました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。全能神は言われます。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか(『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」〔『言葉』第1巻〕)。夫の言動を自分の目で見ることがなければ、とても信じられなかったでしょう。慈善活動を計画して実行し、敬虔で、周りからの人望も厚い夫のような人が、再来した主の働きを自分で調べることを頑なに拒否するどころか、教会中に嘘を広めて、皆を騙し、神のもとへ向かわせないようにしているなんて。2000年前に主イエスを十字架に貼り付けたパリサイ人とどう違うというのでしょう。真の反キリストであり、人々の魂を喰らう悪魔です。自分の夫の本質が救いようのない悪魔だとわかりました。信心者と不信心者は相容れず、これ以上夫に縛られたくない。そう思うと、これからさらに信仰に時間を費やし、真理を追い、夫からどのように扱われても、全能神に従う決意が固まりました。

ある日、離婚手続きのために離婚弁護士を雇った夫から、ひと月以内に家を出るよう求められました。本当に無力さを感じました。家を出たら、どこに住めばいいの? 浮浪者になるの? そして同時に、私が兄弟姉妹を連絡がとれないよう、自宅のインターネット契約も解約されたので、私は外に出て、公共のWiFiを使って集会に参加しなければいけませんでした。私の生活は大きな危機に直面しました。収入がなければ、食べ物も家も確保できない。今まで生きてきた中でこれほど辛い状況に居たことがなく、どうすればいいか見当もつかなくて、大きな迷いと苦しみの中に取り残されました。それを知った1人の姉妹が、この御言葉を送ってくれたので、「人が試練を受けている際に弱くなったり、自分の中で消極性が生じたり、神の旨や自分の実践の道が明らかでなくなったりするのは普通のことである。だがいずれにせよ、あなたはヨブのように神の働きを信じなければならず、神を否定してはならない。……あなたが自分の経験の中で、神の言葉を通じてどのような精錬を受けようとも、神が人類に求めるのは、要するに神への信仰と愛である。神がこのようにして働きを行なうことで完全にするのは、人々の信仰と愛、そして志である(『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」〔『言葉』第1巻〕)。これを読んで気づきました。夫が離婚をたてに私を脅しているのは、神がさせたこと。ヨブが試練を受けた時、強盗にすべての財産を奪われ、子供たちを殺され、全身をできもので覆われ、灰の上に座っていた。妻はヨブを拒絶し、信仰を捨て、死ねと言った。友人からは非難され、からかわれた。でもこんな試練と苦しみに直面してもヨブは神を称えました。「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記 1:21)。これこそが真の信仰です。私は神の前に出て、たとえどんなことがあっても、神に従い続けると誓いを立てました。でも夫の脅しで自分の生活が危うくなると、消極的になり、苦しみを嘆いた。神への真の信仰をもっていなかったのです。夫は離婚を使って私を脅し、神を裏切り、神に背かせようとした。サタンの手に落ちるわけにはいきませんでした。どんな試練に直面しようとも、神に従い、証を立て、サタンを憎まなければなりません。

数日後、新しい仕事が見つかったので、プリペイドカードを買って、集会や本分に戻ることができましたとてもいい気分でした。それから、私は心穏やかに離婚の書類に署名し、夫の支配を逃れ、自由に信仰を実践できるようになりました。それからも、私は本分を尽くし、福音を広め、以前より生活は厳しくなりましたが、何の不安もなく本分を尽くすことができました。喜びと平穏を感じ、神に従い正しい道を歩むことは、人生で最も有意義なことだと感じています! 家庭での霊的な戦いにも負けず神の証を立てられたこと、神に感謝します。

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