天国に入るのを邪魔するのは誰?

2022年4月12日

インドネシア Michael

以前わたしはカトリックだったの。子供の頃はカトリックの学校に通い、いつも積極的に教会の活動に参加した。祈祷や交わりにも毎週参加した。だけどこの二、三年は、神父の説教から何も得られず、解決しない疑問もまだたくさんあったので、オンラインで答えを探したの。

2018年の8月に、オンラインで全能神教会のサイトを見ていたら、福音の動画がたくさんあったの。例えば、『滅びゆく都』、『戻ってきたその方は誰だろう』、『敬虔の奥義』、『聖書の奥義を解く』、『神様の名前は変わった?!』、『「網」を突き破る』、『危うく引き上げられる』など他にもたくさんあったわ。動画のタイトルに心ひかれた。そして思ったわ。「わたしの教会は今や荒涼として、神父もお決まりの説教しかしない。霊的に得るところがないけど、わたしたち皆が主イエスの再来を待ち望んでいる。この動画が、主を歓迎する助けになるかもしれない」動画を全部見てしまってから、主人公の交わりの大事な点をすべて書きとめた。動画から学んだのは、主イエスが終わりの日のキリストである全能神としてすでに再来していて、真理を表し、人間を裁き清めるために働いていることよ。神の御名の奥義、神の受肉の奥義、聖書の裏話、真のキリストや真偽を見分ける方法、神が誰を救い誰を淘汰するか、誰が天国に入れるかなど、多くを学んだわ。こういった真理や奥義は今まで聞いたことがなかった。疑問の多くは答えが見つかったし、霊的にとても高揚したわ。オンラインで半年間考察した後に、それが神の御声であり全能神は主の再来だと確信した。そして終わりの日の全能神の働きを喜んで受け入れたわ。

2019年3月のある日、全能神教会の動画と讃美歌をフェイスブックに投稿したら、それを見たいとこが、わたしが今は全能神を信じていると知ったの。そして父に話し、二人でやって来たわ。父といとこはクリスチャンの長老と牧師で、終わりの日の全能神の働きをいつも強固に否定していたことを思い、神の新しい働きを受け入れたばかりのわたしにその証ができるか心配だった。全能神を信じるのをやめさせようとされるのが怖かった。だから心の中で神に黙とうを捧げ、信仰と力と、言うべき言葉を与えてくれるよう願った。そうすれば、終わりの日の神の働きの証ができる。

父が険しい顔で尋ねたわ。「なぜ急に主ではなく全能神を信仰し始めたのだ?」わたしは父に、主イエスは終わりの日のキリストである全能神として再来し、多くの真理を表して働きの新たな段階を実行し、黙示録で予言された小さな巻物を開いたのだと話した。父にもっと学んでほしかったわ。なのに父は怒ってこう言った。「新たな働き? 新たな言葉? 神の働きと御言葉はすべて聖書に書かれている。それ以外に新たな働きや言葉などない。聖書以外はすべて異端だ。それがわからないのか?」いとこも父と同じことをくり返した。

激怒する父を見ながら、わたしは冷静に言った。「お父さん、神の御言葉と働きはすべて聖書に書かれていて、それ以外には神の御言葉と働きはなく、聖書以外はすべて異端だと言ったけど、それは事実とあっているの? 主イエスが公式に三年半働いたことは知られている。行く先々で伝道し働き、かなり多くのことを言い、多くのことをしたはず。でも4つの福音書に記されている主の御言葉は、わずか数時間で言える程度よ。それなのに、新約聖書に主の御言葉がすべて記されていると言えるの?」父といとこは返す言葉がなかった。わたしは続けた。「聖書にはこうあるわ。『イエスがなしたことは他にも多くあり、一つ一つ記せば、世界もそれを記した書を収めきれないと思う』(ヨハネによる福音書 21:25)。この節から、主の御言葉の多くは聖書に記されていないとわかる。だから、神の働きと御言葉はすべて聖書の中にあり、それ以外にはないと言うのはあまり理屈にあわないわ。それに、主が働いていた恵みの時代には、新約聖書は存在すらしていない。主は人々に懺悔し悔い改めよと教え、数々の奇跡を行なった。すべては新たな御言葉と働きだった。それはいずれも旧約聖書には記されていなかった。すべて旧約聖書の域を超えていたの。聖書以外のすべてを異端だと言うのは、主イエスの働きと御言葉を咎めることではないの?」

次に、動画を見ながら書きとめた全能神の御言葉を開いて、二人に読み聞かせたの。全能神は言われます。「イエスの時代において、イエスは当時、ユダヤ人と自分に従う全員を、自身における聖霊の働きにしたがって導いた。イエスは聖書を自身の行為の基礎とせず、自分の働きにしたがって語った。イエスは聖書の記述を気に留めることも、自分に付き従う人々を導く道を聖書に求めることもしなかった。イエスは働きを始めた当初から悔い改めの道を広めたが、その言葉は旧約の預言の中で一切触れられていないものだった。イエスは聖書にしたがって行動しなかっただけでなく、新たな道を導き、新たな働きを行なった。イエスは教えを説く際に、一度も聖書を参照していない。律法の時代、イエスのように奇跡を行ない、病を癒し、悪霊を祓える者は一人もいなかった。イエスの働き、教え、そしてイエスの言葉の権威と力も、律法の時代の誰よりも勝っていた。イエスはひたすら自分の新たな働きを行ない、多くの人が聖書を用いてイエスを断罪しても、さらには旧約を用いてイエスを十字架にかけても、イエスの働きは旧約を超えていた。そうでなければ、なぜ人々はイエスを十字架にかけたのか。それは、イエスの教え、あるいは病を癒して悪霊を祓うイエスの能力について、旧約に何の記述もなかったからではないのか。イエスの働きは新たな道を導くためになされたのであり、わざと聖書に戦いを挑んだり、意図的に旧約を放棄したりするものではなかった。イエスはただ自分の職分を果たすため、また自分を切望して探し求める人々に新たな働きをもたらすために来たのであって、旧約を説明したり、その働きを支えたりするために来たのではない。イエスの働きは、律法の時代が発展し続けるようにするためのものではなかった。なぜならイエスの働きは、それが聖書に基づくものかどうかを問題にしなかったからである。イエスは単に、なすべき働きを行なうために来たのである。ゆえに、イエスは旧約の預言を説明せず、旧約の律法の時代の言葉にしたがって働きを行なうこともしなかった。イエスは旧約の記述を無視し、それが自分の働きに合致しているかどうかを気にしなかった。また、他の人々が自分の働きを理解しているかどうか、彼らがそれをどう断罪しているかも気にしなかった。多くの人が旧約の預言者の預言を使ってイエスを断罪したが、イエスはひたすら自分のなすべき働きを続けたのである。人々にとって、イエスの働きには根拠がなく、旧約の記述に反することが数多くあるかのように思われた。これは人の過ちではなかったか。神の働きに教義を当てはめる必要があるのか。また、神の働きは預言者たちの預言に合致しなければならないのか。結局のところ、神と聖書のどちらが偉大なのか。なぜ神が聖書にしたがって働きを行なわなければならないのか。神には聖書を超える権利がないということか。神は聖書から離れて別の働きを行なうことができないのか。なぜイエスと弟子たちは安息日を守らなかったのか。仮にイエスが安息日を踏まえ、旧約の戒めにしたがって実践するつもりだったなら、なぜ到来後に安息日を守らず、その代わりに足を洗い、頭を覆い、パンを裂き、ぶどう酒を飲んだのか。これらはみな、旧約の戒めにないのではないか。イエスが旧約を尊重していたのなら、なぜそれらの教義を破ったのか。神と聖書のどちらが先に来たか、あなたは知るべきだ。彼は安息日の主であると同時に、聖書の主でもあるのではないか(『神の出現と働き』「聖書について〔1〕」〔『言葉』第1巻〕)。これを読んだ後、父に言ったわ。「神は聖書にそって働くのではない。実際は、神の働きが先にあって、それが聖書に記される。神ははじめに万物を創造した。アダムとイブを創り、その後に洪水で世界を滅ぼした。イスラエルの民をエジプトから脱出させ、律法と戒めを発布し、他にも色々行なったけど、聖書にそって行われたわけではない。当時は旧約聖書が存在しなかったわ。主イエスは、恵みの時代に働きに来た時、主を心から愛し、他の人々を自分自身と同じように愛し、人々を7回の70倍赦せと教えた。病人を癒し悪霊を退散させ、多くの奇跡を行なうなどした。主の御言葉や働きのいずれも旧約聖書には記されておらず、旧約聖書の範囲を超えていた。でもパリサイ人は主イエスの働きを理解しなかった。主の働きが聖書の粋を超えるのを見て、聖書の文面通りの言葉で、主の新たな働きを咎めた。主が安息日を守らず、少年は割礼の必要がないと人々に話した、などと言った。悪霊どものかしらによって悪霊を追い出したと、冒瀆すらした。ついには主を十字架にかけ、神に抗うという大罪を犯した。お父さん、わたしたちはこの歴史的な悲劇から教訓を得なくてはならないわ! 今は世の終わりで、主はこう予言している。『あなたがたに言うべきことはまだ数多くあるが、あなたがたはいまそれに耐えられない。しかしその方、つまり真理の霊が来ると、あなたがたにすべての真理を教える。自ら語るのではなく、その方が聞くことを語り、これから起きることを示すからである(ヨハネによる福音書 16:12-13)」。「聖書にはこんな予言もある。『耳ある者は、霊が各教会に語ることを聞くがよい(黙示録2、3章)。『時が来て、神の家で裁きが始まるからである(ペテロの第一の手紙 4:17)。黙示録は何度も、終わりの日に霊が教会に話すと述べ、わたしたちに聖霊の御言葉を聞かせようとしている。主は終わりの日にさらなる真理を表して神の家にはじまる裁きの働きを行なう必要がある。神の終わりの日の働きと御言葉が、前もって聖書に書かれるのは不可能よね? 神の終わりの日の働きが聖書の粋を超えなかったら、主イエスが再来した時に言うことや行なうことに関する予言はどうやって実現するの? 神は全能で賢い。安息日と聖書の主よ。聖書の記述を超えた新たな働きをする力が確実にあるわ。神の働きと御言葉はすべて聖書にあり、聖書のみにあるのだからそれ以外はすべて異端だと言うのは、単なる観念で、神の働きの現実とまったく相いれない! お父さん、こんな間違った考えにしがみついていたら、神に抗って神の性質に背くことになってしまう」父といとこは、これには返事をしなかったけど、神の御言葉と働きはすべて聖書にあるとまだ言い張って、全能神の終わりの日の働きを考察することを拒んだわ。全能神を非難して逆らうことまで言った。

神を冒とくしないように頼んだら、父が突然激怒して叫んだ。「全能神への信仰をやめないなら、もうおまえは娘ではない!」父にこんなことを言われてショックだった。教会の長老で、主の再来をいつも楽しみにしていたのに。いざ主が再来したと聞いたら、観念にしがみついて、それ以上少しも探求しようとしない。ましてわたしを勘当しようとするなんて。その晩、床についても眠れなかった。父があんなに反対して、親子の縁を切ろうとまでするとは思いもしなかった。本当にみじめで、心底父に失望した。頭が混乱して、誰かに話したかったので、全能神教会の兄弟姉妹にメッセージを送って、父といとこが信仰を邪魔しようとしていると話した。そしたらある姉妹が、全能神の御言葉から一節送ってくれたの。「神は働きを行い、人を慈しみ、その人を見守るが、その間ずっと、サタンは神の後をつけている。神が誰を大事にしようと、サタンもその人に目をつけ、後をつけ回す。神がその人を求めると、サタンはあの手この手で神の邪魔をし、様々な邪悪な企みで神の業を試し、妨害し、挫折させようとするが、それはすべて自身の密かな目的を達成するためである。その目的とは何か。神が誰かを得ることを、サタンは欲していない。神が望むすべての人をサタンも求め、彼らを占有し、支配し、掌握することで、彼らにサタンを崇拝させ、自身と共に邪悪なことを行わせたいのである。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないのか(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 IV.」〔『言葉』第2巻〕)。姉妹はわたしとこう交わった。「家族の反対にあうときには、陰に霊的なすさまじい争いがある。神は終わりの日に、本当に神を信じ真理を愛するすべての者を神の前へ連れてきたい。そうすれば彼らは神の御言葉の裁きと刑罰を受け入れ、清められて救われ、神の国へ入れる。ひきかえサタンは、永遠に人々を所有して支配したい。あらゆる人々や物事を利用してわたしたちを邪魔し、神の救済を失わせると同時に滅びさせたい」。姉妹の話を聞いて、ついに理解したわ。父といとこが全能神への信仰をやめさせようとして、父が親子の縁を切ろうとまでしたのは、すべてサタンの悪だくみだった。サタンは父の脅しを利用して真の道を諦めさせ、終わりの日の神の救済を失わせようとした。サタンは信じられないほど邪悪ね! でも思い通りにはさせなかった。どんなに辛くても、断固として真の道に従う必要があったの!

父は教会の二人の牧師と三人のカトリックの神父を連れて、全員で嫌がらせをしに来たの。以前に父といとこが来た時、神のお導きで頑張れたのを思い出して、牧師と神父に対面しても気後れもせず怖くもなかった。神に頼って自分が理解できた神の御言葉を説けば、真理でサタンも打ち負かせる。彼らなんか怖くないわ。神に黙とうを捧げ、この霊的な争いで証を立てることができるようにわたしを助けて知恵を与えてくださいと願ったわ。まずリュウ牧師がこう言った。「主イエスは我らの罪を贖うために十字架にかけられた。我らは主の贖いを得て、主の豊富な恩寵と祝福を享受した。主を離れて全能神を信仰するのは、主への裏切りだ!」わたしは答えた。「リュウ牧師さま、わたしは半年にわたって全能神の働きを考察し、全能神の御言葉をたくさん読みました。御言葉には権威と力があり、真理だとわかりました。それらの御言葉は神の御声で、全能神は主イエスの再来だと確信しています! 全能神を信じれば、神を歓迎したことになる。全能神への信仰が主への裏切りのわけがないでしょう? ヤーウェ、主イエス、そして全能神は、実はすべて同一の神です。異なる時代に異なる働きをする際に、御名が変わるだけなのです。律法の時代に人々はヤーウェ神を信仰した。彼を崇拝し、偉大な存在として崇めていました。恵みの時代に主イエスが贖いの働きをするために来た。律法を捨てて主イエスに従った人々はヤーウェ神を裏切ったわけではなく、主の足跡を辿っていたので、主の贖いを得ました。主イエスの働きを受け入れるのを拒んだパリサイ人こそが、ヤーウェ神を裏切ったのです」その時、『神様の名前は変わった?!』という動画と、『救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た』という神の御言葉の朗読動画を思い出した。これらの動画で、神の三段階の働きに関する真理を話していたの。わたしは言った。「サタンが人間を堕落させたので、神は人間を救うために三段階の働きを行なった。第一段階は律法の時代の働きで、ヤーウェ神が律法と戒めを発布し地上の人間を導き、神を崇拝する方法を教えた。そして罪とは何かを教えました。第二段階は恵みの時代。主イエスは人間を贖う働きをして、悔い改めの道をもたらした。懺悔と悔い改めの方法を教えました。第三段階は、世の終わりの神の国の時代。主イエスの働きに基づいて全能神がより新たな高い働きを行なう。真理を表し、人間の堕落を裁き清めて、罪の足かせから永遠に救ってくださる。すべての罪を消し去るのでわたしたちは堕落を清められて神の国へ入れるようになる。神の働きは前進し続ける。三つの段階はすべて重要で、段階が進むごとに高く深くなる。終わりの日の神の働きは神の御名と共に変わるけれど、それでも一人の神の働きです。だから終わりの日の全能神の働きを受け入れることは、神の歩みについていくことです。主への裏切りではありません。もし恵みの時代にとどまって、神の国の時代の働きを受け入れるのを拒んだら、それこそ主への裏切りなので、パリサイ人のように断罪を受け淘汰されてしまう」。

そう言った後、動画を観ながら書きとめた全能神の御言葉を読んだわ。「三段階の働きは一つの神によってなされた。これは最も偉大なビジョンであり、神を認識する唯一の道である。三段階の働きは、神自身によってしかなされ得なかったことであり、神に代わってそのような働きを行えた人はいない。要するに、初めから今日まで、神の働きは神自身にしかできなかったのである。……三段階の働きにおいて、それらが違う時代に、違う場所で、違う人々に対して、神に自身によってなされたことだと見きわめることができ、またたとえ働きが違っていても、それらはすべて一つの神によってなされたことであり、一つの神によってなされる働きである以上、正しく、間違いがあるはずはなく、またそれが人の観念にそぐわなくても、一つの神の働きなのは否定できないということを理解できれば――もしも人が、それは一つの神の働きであると確信をもって言えるならば、人の観念はほんの些細なこととなり果て、言及する価値もなくなるだろう(『神の出現と働き』「神の三段階の働きを認識することは、神を認識する道である」〔『言葉』第1巻〕)。読み終える前に、牧師が割って入ったわ。険しい顔でこう言った。「我らは主イエスのみが主と信じる。全能神など信じない!」父も怒って言った。「主への信仰は支持するが、全能神への信仰は絶対に反対だ。考え直したほうがいいぞ!」父がまだ全能神への信仰を反対するのを見て思ったわ。「全能神は主イエスの再来よ。父が何を言おうが信仰は揺らがない」。わたしは断固として言った。「お父さん、全能神の御言葉は真理であり、神の御声よ。全能神に従う決意は変わらない。わたしは大人だし、信仰を選ぶ権利がある。お父さんも不用意に結論を下す前に、もっと全能神の御言葉と働きを学んで考察すべきよ」。これを聞いて、牧師たちは互いに顔を見あわせた。説得は無理だと知って、帰っていったわ。

彼らが帰った後、荒涼とした教会のことを考えた。あまりに多くの人が信仰を失い、否定的で弱くなっていたのに、牧師や神父はおかまいなしだった。まったく愛がなく、信者を導いて聖霊の働きと共にある教会を探求させようとしなかった。でもわたしが終わりの日の全能神の働きを受け入れたと知ると、皆で一団となって止めに来た。自分の観念で聖書を曲解して、間違った考えでわたしを惑わして邪魔した。彼らの行動を見て、ひどく失望したわ。特に父にね……。普段は主イエスにはとても敬虔で、わたしにもいつもやさしかった。主の教えに従うよう励ましてくれて、主が再来したら一緒に歓迎しようと言っていた。それなのに、わたしが再来した主の働きの証をしたら、父がまったく興味を示さないどころか、全力で邪魔して攻撃し、終わりの日の全能神の働きを非難してわたしと縁を切ると脅すなんて。まるで人が違ったようだった。いったいどうしてしまったの? 父は今や、天国への途上にある障害物なの? 偽善的なパリサイ人、反キリストになってしまったわ! この牧師、長老と神父に従って主を信仰していたら、信者が主を歓迎して天国に入るチャンスが台なしでしょう? 主イエスがパリサイ人を叱責した言葉を思い出したわ。「律法学者とパリサイ人、汝ら偽善者は災いだ。人々の前で天国の門を閉ざし、自分たちも入らず、入ろうとする人をも入らせない(マタイによる福音書 23:13)。また、全能神の御言葉にこうあります。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか(『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」〔『言葉』第1巻〕)。この対決を通して、あの牧師や神父に反キリスト的本質があることがわかり始め、人々が天国へ入るのを邪魔する障害なのだと気づいた。神は常にお守りくださって、信仰と力と言うべき言葉と、牧師と神父を退ける自信を与えてくださる。神がサタンの誘惑に打ち勝つようお導きくださったから、真の道を守れたのだわ。最後まで全能神に従おうという信仰が、さらに強まったわ!

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