私の「霊の親」の正体

2022年7月15日

全能神による終わりの日の働きを受け入れてすぐに、私は全能神教会のウェブサイトで福音映画『敬虔の奥義:続編』観ました。劇中の牧師と長老の一部は、全能神の働きを受け入れず、信者が真の道を求めるのを止めようと躍起でした。牧師や長老は主に仕える敬虔な方達のはずなので、私は混乱しました。主の訪れを見逃さないよう目を覚まして待ちなさいと、私たちに常に説く立場の方達です。主イエスのお戻りを悟れば、喜んで受け入れるはずが、なぜやめろと? 前の教会にいた金牧師は、信者にとても愛情をかけ、いつも主のお戻りを切望していました。主のお戻りに気づけば、真っ先に受け入れて大喜びしたはず。私は彼と福音を分かち合うため、真理を得ようと決意しました。ですが私の思いとは違い、すぐにこの映画の内容と同じ体験をするはめになりました。

ある日、私たちの果物屋台に金牧師が来て、私に単刀直入に聞いてきました。「全能神教会へ行ったことは?」そして全能神教会を中傷する発言をし、「あの教会は神が肉において現れると説いているが、あり得ない話です!」と。その言葉に私は驚き少し腹を立て、こう思いました。「主は他人を裁くなとおっしゃる。金牧師は全能神教会について何も知らず、全能神による終わりの日の働きを調べたこともない。どうして批判できるの?」と。でも同時に、「牧師は全能神の御言葉をご存知ないから真の道を知らないのだ。全能神が戻られた主イエスで、人類を清めて救うすべての真理を表しているお方だと知れば、受け入れるはず」とも。そこで金牧師に言いました。「牧師様、主が肉において再び現れるはずがないとおっしゃいますが、根拠は主の御言葉ですか? 主がそのような発言を?」

すると牧師は断言しました。「マタイによる福音書ですよ。『そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう(マタイによる福音書 24:30)。主は大いなる栄光と共に、公然と雲に乗り、皆が見守る中、戻られる。宗教界全体が知る事実です。クリスチャンは皆、主が雲に乗って来られるのを待っている。なのに肉において現れるですって?」と。私は彼の言葉に反論しました。「牧師様、主のお戻りについては、聖書にも多くの預言があります。その一節に固執するのは偏った考えです。主が雲に乗って現れるという預言もありますが、主が密かに現れるという預言も多いです。『もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない(ヨハネの黙示録 3:3)、『見よ、わたしは盗人のように来る(ヨハネの黙示録 16:15)、『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした(マタイによる福音書 25:6)。主は真夜中に盗人のように、人知れず戻られると預言した聖句です。もし主が公然と雲に乗って来られたら、誰もが気づくでしょう? 呼び掛けも伝道も証しも不要ですよねと。信じてたとおり、主が公然と雲に乗って来るのが唯一の手段なら、密かに来るという預言は? 主は誠実であられ、御言葉に齟齬はなく、いつだって実現します。ですから、主の再臨も2段階で行われるはずです。まず密かに戻られ、次に人の前に公然と。神は昔、受肉して、人々の間で密かに働きをされました。それこそ全能神、終わりの日のキリストなのです。全能神による裁きの働きは、神の家から始まり、人類を清め救うというすべての真理を表し、災難の前に勝利者の集団を作ります。神の密かな働きが終わると、大災害をもたらし、善人に報い、悪人を懲罰します。やがて神は雲に乗って来られ、全人類の前に公然と現れます。その際、全能神に抵抗して非難した全員を災害で一掃し、彼らを泣いて歯ぎしりさせます。ヨハネの黙示録第1章7節にもこうあります。『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう』。全能神の御言葉を神の声と認識し、神と向かい合い、その裁きを受け入れ清められた者は、神の御加護のもと災いを生き延び、神の国に入れます。神の密かな働きは人々を救う働きです。神が公然と現れてから神を受け入れるのでは遅く、懲罰に値するタイミングです。私はこれをすべて全能神の御言葉を読んで理解しました。真理を表して奥義を解き明かせるのは神だけであり、全能神こそ主イエスの再臨です」と。そして私は金牧師に、全能神による終わりの日の働きを慎重に見定めてと言いました。

私を見下して言いました。「聖書をあまりわかりもしないくせに、私に説教をする気ですか? 教えたのはこの私ですぞ」と。牧師の話ぶりに、私はとてもがっかりしました。私の知る金牧師でしょうか? 金牧師はいつも謙虚な方でした。彼はいつも私たちに、賢いおとめとなり、主をお迎えできるよう降臨を目を覚まして待てとおっしゃった。しかし、もはや主の降臨を求めるどころか、さげすむあり様です。私は理解に苦しみ、牧師を救いたくて言いました。「聖書については私より詳しいでしょうが、謙虚な心で主が来られるのを求め、調べるべきです! パリサイ人は聖書を暗記しており、聖書を知ることが神を知ることだと考えました。主イエスが現れ働きを行っても、求めることも調べることもなかった。聖書の言葉ばかりに捕われ、『メシア』こそ唯一の神であり、ローマ帝国の支配から自分たちを解放できる者だけが神だと考えた。また自らの観念を基に主イエスの働きを非難し、最後は主イエスを磔刑にした。パリサイ人は神の性質を侵し、神の懲罰を受けたのですと。聖書の多くを理解するとはすなわち、神を知り主に抵抗しないことだとお考えですか? パリサイ人の過ちから学び、軽々しく終わりの日の全能神の働きを非難してはいけません。心を開き、神の御声に耳を傾け続けること。それが――主を迎える唯一の方法です」と。私が聞き入れない様子を見た牧師は、苦々しそうに、「信仰に入って以来、熱心な信者である君のために祈ります。全能神教会から脱会したまえ!」と言い大股で立ち去りました。

私は思いました。「なぜ主の降臨をもっと真剣に考えないの? 謙虚に求めろといつも言っていたのは彼なのに、別人のような態度だわ」と。金牧師はいつも私の霊の親でした。どんな質問をしても、辛抱強く聖書の節を引用し、答えてくれた。私の家族までも気遣ってくれ、家族に問題があれば祈って下さった。長い間、主を信じ、常に働き、自らを費やしていたのは、主の降臨を望んでいたからでは? 私は終わりの日の神の働きについて、再度彼と話す機会を待つことにしました。

2、3日後、金牧師が私たちの屋台に現れました。「彼は聖書を調べ、いかに主が戻られ――働かれたかを理解したにちがいない」と思った。ところが、牧師はこう言ったのです。「リ執事、聖書にこうある。『ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう』(使徒行伝 1:11)。とてもはっきりとある。主イエスが白い雲に乗り、ユダヤ人の姿で天に昇られた。だからお戻りになるときも同じ姿のはず。君は騙されていた。引き返すべきだ」と。牧師は主が雲に乗り戻られると決めつけ、全能神の働きを論断し、非難したのです。私は理解できず考えました。「主のお戻りについては、聖書の預言が多くあるのに、なぜ彼は全然追求しないの?」と。そのとき、ふと全能神の御言葉が浮かび、それを金牧師に読みました。「わたしはあなたがたに言う。しるし故に神を信じる者は、滅ぼされる部類であることは確かである。肉に戻ったイエスの言葉を受け取ることができない者は、地獄の子孫であり、天使長の末裔であり、永遠の破滅を逃れることのできない部類である。多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることを知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりの時であり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。『白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ』という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し、真の道といのちを解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか(『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」〔『言葉』第1巻〕)。彼は激怒してこう言ったわ。「主が来られる方法は、聖書にはっきり書かれています。ほかに何を読む必要が? 全能神が真の神ならば、なぜ宗教の指導者がこぞって彼を非難するんです? すぐに引き返すべきだ! 夫君である朴執事に君を説得するよう頼んだのだが、君は頑固な人だ」と。私も聞き返したわ。「『言葉は肉において現れる』を読まれました? 神の国の時代における全能神の御発言が書かれています。それらはすべて真理ですから、ぜひ読んでお調べください。否定ばかりせず……」私が言い終わる前に牧師は、「とっくの昔に読んでいます。いずれも神の御言葉ではないから、もう君も読むべきでない」と。私は牧師の発言と人を見下す態度に嫌気がさしました。愚かな人! 全能神の御言葉は真理です。御言葉には権威があり強力です。頑なに拒む牧師は、神の羊ではありません。そして私に言ったわ。「君がこの信仰にこだわるなら、事が厄介になっても自業自得ですよ。教会に君が異端者だと報告して追放します。爪弾きになりますよ!」と。

私は驚きましたが、彼に対しこんな考えが浮かびました。「事実を曲げるつもりだわ! 私は全能神を信じたから、主を迎え、子羊の足跡について行くと決めた。それを異端信仰ですって?神の働きを追求しないうえ、私を中傷し、追放する気ね。長年の信者にあるまじき行為だわ」と。その数日前、私の夫が険しい表情で言ってた。「全能神を信じる者はみな教会から追放されると金牧師が言っている。君は心配じゃないのか? 兄弟姉妹に拒絶されたらどうする? すでに君の信仰を知っており、うちの店を素通りする人もいる。もう全能神教会には行くな!」と。金牧師が夫を操って私を止めようとしていたのです。信者が真の道を探究するのを阻止しようと、牧師が追放をほのめかすとは意外でした。あまりに卑怯で悪意に満ちています! 彼が主に仕えていた間、彼を謙虚で愛情のある人だといつも思っていたのに、すべて人を騙すための虚像でした。映画に登場した、信者に対して謙虚で敬虔なフリをした牧師たちは、信者を脅して真の道の追求をやめさせるために、裏でいろんな手段を使っていました。金牧師の行いは、映画の中の牧師とまったく同じです。私は牧師にひどく嫌悪感を抱き、抱いていた彼のイメージが一瞬で崩れました。彼は私に無視され、落胆し去りました。

それから2週間、ときおり私に会いに屋台へ来ては真の道の追求をやめ、全能神を裏切るよう説得してきました。ある日、彼が怒って屋台に押しかけて来て、かつてのように私を執事として扱う様子もなく、いきなり言ったわ。「全能神の信仰はやめて、2人の子供も巻き込むな! 夫側の家族もみな敬虔な信者だろう。子供たちの祖父母も信心深かった。その家族まで破滅したらどうする!」と。彼の言いがかりに、私は激怒しました。私の全能神への信仰は、私が神の御座の前に携挙されたという、ありがたいことです。なのにひどい言われようでは? さらに頭に来たのが、私の信仰を禁止するだけでなく、子供たちの信仰の自由まで奪おうとしたことです。彼に真の道の追求を止める権利はありません。私は正々堂々と言い返しました。「神の羊は神の御声を聞きます。誰も神への信仰心を阻むことはできません。私の子供たちは全能神の御言葉を読み、神の御声を理解しています。それこそ神のお導きです! 以前、ほかの宗派を調べたときは行きたがらなかった子供たちが、今は全能神の信仰を望んでいる。信仰は自由ですから止められません。なぜ自由を奪おうとするのですか?」と。彼は少し黙っていましたが、怒って私を汚くののしり、立ち去りました。金牧師の行動にはショックでした。以前は私の家族のために、いつも祈ってくれてた。なのに、なぜそんな意地悪に? 私を嫌い脅迫し、呪いさえする理由が、単に私が神の終わりの日の働きを受け入れたから? 私は戸惑いました。

しばらくして、前の教会の姉妹2人に、全能神の福音を説教したとき、喜んで聞いてくれ、定期的に連絡を取り出しました。すぐにこの事が、金牧師の耳に入ったのです。彼がどうやって2人を脅したかはわからないけれど、2人から連絡がなくなり、私を避けるように。私は苦痛と怒りでいっぱいでした。主イエスがパリサイ人に語った言葉が浮かんだわ。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする(マタイによる福音書 23:15)。金牧師は神の終わりの日の働きを受け入れず、どんな手を使ってでも信者に探究させないようにした。兄弟姉妹をあらゆる方法で脅したんです。彼の行為は、大昔のパリサイ人とまったく同じでは? 自らが神の国に入ろうとせず、ほかの人をも阻止し、兄弟姉妹を地獄へ道連れにした。神が懲罰する悪魔的行為だわ!

その後の集まりで、事の顛末を兄弟姉妹に語りました。そのとき、李姉妹が紹介した全能神の御言葉の数節を読みます。「あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根源を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の実質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を追い求めなかった。だから今日になっても未だに彼らはメシアを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからである。あなたがたに訊くが、これほど愚かで頑固で無知な人々が神の祝福を得るなど、どうしてあり得ようか。彼らがメシアを見るなど、どうしてあり得ようか。彼らは聖霊の働きの方向を知らなかったために、イエスの語った真理の道を知らなかったために、さらにはメシアを理解しなかったためにイエスに敵対した。彼らはメシアに会ったことがなく、メシアとともに過ごしたこともないために、彼らはみな、ただメシアの名前に固執しながら、できる限りのことをしてメシアの実質に逆らうという過ちを犯した。これらのパリサイ人の実質は頑固で、傲慢で、真理に従うものではなかった。彼らの神への信仰の原則は、『どれほど説教が奥深く、どれほど権威が高かろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない』というものだった。この信仰は不合理でばかばかしくないであろうか(『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」〔『言葉』第1巻〕)。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか(『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」〔『言葉』第1巻〕)

李姉妹は続けました。「神の御言葉は、パリサイ人と牧師が神に抵抗する本質と根源を解明しています。主な原因は、彼らの頑固さと傲慢さです。彼らは神を全く畏れもせず、何より真理を嫌います。ユダヤ教のパリサイ人は、いつもシナゴーグで聖書の教えを説き、とても信心深そうに見えました。でも、主が来られ働きを行うと、主の御言葉に権威と力があると知り、探究を拒んだのです。彼らの信者が主イエスに付き従うのを恐れ、自らの地位や生活を失うのが怖くて、噂をでっち上げ、偽の証人を立て、主イエスを徹底的に批判した。あらゆる手立てで人々の主イエスへの信仰を止め、最後には主イエスを磔刑送りにするという凶悪な罪を犯したのです。パリサイ人の主イエスと真理に対する態度や、人々を支配すべく神と戦った姿から、彼らが神に仕えなかったのは明らか。真理を嫌い、神を否定する反キリストだったのです。今日の宗教界における牧師や長老たちは、聖書を熟知しており、聖書や神学理論を説くことができ、謙虚で信心深そうに見えます。しかし神が受肉され働きをされている今、もう何年も全能神教会が主のお戻りを証しし、主が真理を表し、裁きの働きをされていることは、とっくにご存知なはず。なのに彼らは調べもせず、全能神にひどく抵抗し非難してる。聖書の言葉や自らの観念と想像に固執しているのです。主は雲に乗ってのみ来られると信じ、あらゆる異端を口にしたり、あらゆる手段を使ったりして信者を欺き騙し、真の道から遠ざける。神の羊を堅く自分たちの支配下に置いて神と戦うだなんて、まさにパリサイ人の愚行です。彼らは真理も神の働きも疎み、終わりの日のキリストを否定する、神の働きによって暴露された悪しきしもべであり、反キリストなのです」と。

彼女の交わりで、私の心に光が差しました。神の働きは聡明ね! 終わりの日の神の働きが、こうした偽善的なパリサイ人を暴くのです。牧師や長老たちは、自らを「主のしもべ」といいながら、実際は神に抵抗する悪しきしもべ。キリストを否定し抵抗する反キリストで、私たちの魂をむさぼり食う悪魔です! 私は金牧師の偽りの信心深さに騙され、以前は見破れませんでした。彼は主に仕える忠実な僕だと疑わず、私の霊の親だと思っていた。映画の中の牧師と長老が、どんな手を使っても人々を真の道から遠ざけるのを見ても、私はまだ自分の観念と想像に従い、金牧師は彼らとは違うと信じました。でも全能神の働きを受け入れたとたん、金牧師に何度も信仰の道を阻まれ、ついに偽善的な彼の正体を見たのです。彼は根本的に真理を嫌い、神に反抗する反キリストでした。私はやっと、宗教界のパリサイ人と反キリストの欺瞞としがらみから解放されました。神の御前に戻り、子羊の婚礼の宴に参加したのです。

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