反キリストの性質についてのささやかな認識

2023年9月26日

2021年、教会指導者に選ばれたけど、それからしばらく、潤しの働きで問題を抱えてたの。集会にちゃんと出て来ない潤し役がいて、来てもほとんど交わらない。どうしていいかわからず、指導者のルーシー姉妹にこの問題を話したの。ある日、彼女はマシュー兄弟という伝道師を私たちの集会グループに加えた。私よりも真理の理解に優れ、働きを助けてくれることもあったけど、私たちのグループに入るのが気に入らなくて、私の働きを監視しに来たんじゃないかってまず考えた。問題が見つかって暴かれたら、面子が丸つぶれだし、みんなに指導者失格だと思われる。だから働きを監督されるのが嫌だった。その後、ルーシー姉妹はマシュー兄弟を教会の他の主要グループにも加えたんだけど、みんな歓迎のメッセージを送ったの。ますます動揺した。私の立場を奪いに来たんだわって。

その夜、新人向けの集会にマシュー兄弟が参加した。みんな熱心に彼の交わりを聞き、積極的に会話してたけど、私の交わりには無関心。マシューが妬ましく、話すのが嫌になった。彼がいるなら私なんか要らないんだわ、って。マシューの交わりを聞いたみんなは大喜びで、何度も神に感謝してた。中には、集会でここまで啓かれるのを感じたのは初めてだ、あなたの交わりで大いに収穫を得られた、と言う人も。みんながそう言うのを聞いて、とても腹が立った。私が交わりをしなかったみたいに、みんな私のことを無視してる。屈辱だったし、みんなへの恨みがますます募った。どうせ私の交わりなんか忘れたんでしょ、って。集会の最後、マシューがまとめをしたけど、私は話す気になれず、みんなが彼を褒めるのも聞きたくなかった。さっさと済ませて帰りたいと思った。そのとき、集会についてどう思うってマシューに訊かれたの。でも話し合いに加わるのが嫌で、おざなりに返事した。すると彼は問題点を話し始めて、私の交わりはまとまりがなく、わかりづらくて誰も反応しなかったし、そんな交わりは効果的じゃない、って。それを聞いて反感を覚えた。どうして問題をあげつらうの?私を標的にしてるのね。解任するなら直接言えばいいじゃない!マシューへの偏見が膨らんだわ。

その後、今後の集会に向けて新信者の問題にふさわしい御言葉を探そうって言うの。もっと柔軟に交われるし、例やエピソードを使って御言葉の理解を助けよう、って。それじゃ細かくなりすぎると思って、心の中で反対したけど、みんなは彼の意見に賛成した。その夜、共同で集会を開くことになったけど、またマシューに何か言われるんじゃないかと思った。彼の交わりの問題点をメモして、まとめに入ったら指摘してやろう。でも新信者はそうした集会を喜び、例を使った交わりで御言葉をよりよく理解できた。集会は大成功。何の欠点も見つからなかった。でもマシューが質問をしたとき、答えられない人がいて、気まずくなったの。ほくそ笑んだわ。やっと問題が見つかった。この欠点をメモして、こっちも指摘してやろう。私の番になって、自分が理解している大事な点をしっかり伝え、マシューの鼻を明かしてみんなの尊敬を集めようとしたけれど、いつの間にか交わりが別の話題に逸れてたの。でもこれは重要だし、理解すべきことだと思って、そのまま続けた。集会のあと、マシューがまた私の問題を暴き出して、交わりで話題から外れたせいで、今日の集会の主題がわかりにくくなったと言った。集会の話題をきちんと考えるように、って。ある姉妹にも、交わりが長すぎて要点がわからなかったって言われた。それを聞いて落ち込み、思わず泣いてしまった。こう思ったの。なぜ私の間違いばかり話すの?これからみんなにどう思われる?尊敬してもらえる?そのとき、マシューが憎くてたまらなかった。わざと私を困らせ、みんなに欠点を見せつけてる。どこかに行って、集会に出てこないで、って思ったわ。でも意識はあったの。そんな風に考えちゃ駄目って。神にこう祈った。「全能神よ、ここに学ぶべき教訓があることはわかってますが、マシュー兄弟が憎くてたまりません。意見を受け入れられないのです。この状況をどう理解すべきでしょう?神よ、冷静さを保てるようお助けください。自己認識して、あなたに背くことをしないよう、お導きを」。

次の日、私の問題に関係する御言葉を探したら、二節みつかった。「中には、他人のほうが自分よりも優秀かつ立派で、自分が無視される横で他人が評価されることをいつも恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です。自分の利益しか考えず、自分の欲望しか満足させず、他の人や神の家の利益に配慮を示さないような人は悪しき性質をしており、神はそのような人を愛しません(『終わりの日のキリスト講話集』「自由と解放は、堕落した性質を捨てなければ得られない」〔『言葉』第3巻〕)。「例えば、神の家が各種の人材を養う計画であると聞いたときなど、評判や地位に関わること、人前で目立てることとなると必ず、誰もが期待に胸を躍らせ、名を上げて認められたがります。誰もが評判や地位のために戦いたがります。このことを恥じてはいても、そうしなければ落ち着きません。誰かが目立つのを見ると嫉妬と憎しみを感じ、憤慨し、不公平に思い、こう考えます。『なぜわたしが目立てないのか。なぜいつも他の人が栄光を手にするのか。自分の番が回ってこないのはなぜだろう』。そして一種の憤りを感じ、その後はそれを抑えようとしても抑えられません。神に祈り、しばらく気分が楽になるものの、そのような状況に再び直面しても、やはりそれを克服できません。それは未熟な霊的背丈を示すものではありませんか。人がこうした状態に陥るとき、その人はサタンの罠にはまったのではないですか。これらは人を束縛する、サタンの堕落した本性の足かせなのです。これらの堕落した性質を捨て去ったなら、その人は自由で解放されているのではないですか。考えてみなさい。目立って得をするために競うような状態に陥るのを避け、そうした堕落した状態から自由になり、地位や評判のストレスや足かせから自己を解放するには、どの真理を理解しなければなりませんか。自由と解放を得るには、どの真理の現実を自分のものにしなければなりませんか。まず、サタンは人を堕落させて罠にかけ、虐待し、退廃させて罪の中に陥れるために地位と評判を利用するということを理解しなければなりません。さらに、真理を受け入れることでのみ、人は評判や地位を捨て、脇にのけることができます。……あなたは、そうした物事を捨て去って脇にのけ、他人を推薦し、他人が傑出するのを認められるようにならなければなりません。傑出したり栄誉を得られたりする機会が到来した瞬間、それを利用しようと争ったり、焦ったりしてはいけません。そうしたことを脇にのけることができるようになって、本分を尽くすことを遅らせてはなりません。人知れず静かに本分を尽くす人、忠実に本分を尽くしつつ他人に自己顕示しない人になりなさい。自分の体面と地位を捨てれば捨てるほど、また自分の利益を捨てれば捨てるほど、心は一層安らかになり、心の中にますます光が生まれ、自分の状態も改善されます。葛藤して競えば競うほど、自分の状態は暗くなります。それが信じられなければ試してみればいいでしょう。こうした堕落した状態を解決したいと望み、そうした物事に支配されたくないのであれば、真理を求め、そうしたことの本質をはっきり理解してから、それらを脇にのけ、捨て去らなければなりません。さもないと、葛藤すればするほど闇に包まれ、嫉妬や憎しみを感じ、欲望が強くなるだけです。欲望が強くなればなるほどそれを得られなくなり、得ることができないと憎しみが増します。憎しみが増すにつれ、あなたの内面は一層暗くなります。内面が暗くなればなるほど本分を立派に尽くさないようになり、本分を立派に尽くさないほどあなたは神の家にとって無益になります。これは相互に関連する悪循環です。こうした状態では本分を立派に尽くすことなど決してできず、やがてあなたは次第に追放されます(『終わりの日のキリスト講話集』「自由と解放は、堕落した性質を捨てなければ得られない」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉は嫉妬による振る舞いをはっきり説明してる。人は自分より優れた人に嫉妬し、拒んで競い合う。それはサタンの性質。私もまさにそう。嫉妬が強すぎた。みんながいつもマシュー兄弟の交わりや意見を褒めてるのを見て、張り合おうとした。そのせいで状態が悪くなり、苦痛と闇に陥ったの。マシュー兄弟が来る前、集会は私が主催してた。潤し役は問題があると私のところに来て、みんな私に敬意を払った。集会で交わる内容についていつも意見を求め、私の交わりで問題を解決するのを期待してた。でもそのうち、私の交わりで問題が解決せず、新人の潤しを改善できなくなった。みんな消極的になり、集会でも話そうとしない。マシュー兄弟が来て、実際的な潤しの指導をして実践の道を示すと、みんな助かり、恩恵を受け、彼の交わりを望んだ。それは喜ぶべきこと。それを使って自分の問題と欠点を反省すべきだったのに、私は反省しないだけでなく、名誉と地位を競うばかり。欠点が多くて実際の働きをできないのに、人の潤しや支えを受けたくなかった。教会でただ一人の指導者になって、みんなに尊敬され、私にだけ従うようにさせたかった。自分の名誉と地位に集中し、教会の働きは考えない。この状況で、地位への欲と堕落が暴かれたの。神に祈り、自分をしっかり反省できるよう啓きを求めた。

でも三ヵ月後、同じようなことが起きたの。ある日の打ち合わせで、新人たちの状況をマシュー兄弟に訊かれたんだけど、少し腹が立った。あなたは伝道師なんだから、各教会の状況はよく知ってるはず。なんで私に訊くの?それに大勢の前で話せだなんて、わざと私を貶め、潤せないことを認めさせようとしてるの?それで詳しいことは言わず、早口で短く答えたけど、難問をいくつか挙げて処理する方法を訊くのは忘れなかった。でも言い終えた瞬間後悔した。自分はわざとマシュー兄弟を困らせようとしてる。恥ずかしいことだわ。そして思ったの。みんなの前で欠点を暴かれたときに自分を抑えられず、彼を恨み、交わりの問題点をメモしてみんなの前で暴き、報復しようとしたのはなぜ?自分が危険な状態なのはわかってたけど、マシュー兄弟にどうしてあそこまで腹を立てるのかがわからなかった。ある日の夜、『指摘を受けて自分が露わになった』という証しのエッセイを読んだんだけど、引用されている御言葉でよりよく理解できたの。全能神は言われます。「反キリストが反対者を攻撃して排除するおもな目的は何ですか。自分と対立する意見がないという状況を教会の中に作り出そうとしているのです。そこでは自分の権力、指導者としての地位、自分の言葉が絶対です。全員が反キリストの言うことに耳を傾けなければならず、たとえ違う意見があったとしても、それを発表せず、心の中で腐っていくがままにしなければなりません。公然と異論を口にするような大胆な人は反キリストの敵となり、反キリストはその人を困らせるために知恵を振り絞り、その人が姿を消すのを今や遅しと待っています。これが、反キリストが自分の地位を強化し、権力を守るために反対者を攻撃して排除する方法の一つです。彼らはこのように考えます。『あなたに違う意見があっても、それで結構。ただし、好き勝手に言い広めてはならないし、ましてやわたしの権力と地位を脅かすなどもってのほか。言いたいことがあるなら、わたしにこっそり言うがいい。みんなの前で話してわたしの面子を傷つけるなら、罰せられることを自ら求めているのであり、わたしはそのように対処する』。これはどのような性質ですか。反キリストは他の人たちが自由に話すのを許しません。反キリストについてであろうと、他の何かについてであろうと、意見があっても心の中にしまい込み、反キリストの体面を考慮しなければなりません。さもないと、反キリストはそのような人に敵の烙印を押し、攻撃して排除します。これはどのような本性ですか。これは反キリストの本性です。彼らはなぜそのようなことをするのですか。教会に別の意見があること、教会に反対者がいること、神の選民が公然と真理について交わり、人を識別することを反キリストは許しません。彼らが何より恐れているのは、人に暴かれ、識別されることです。反キリストは自分の権力や、人の心の中で自分が占めている地位を絶えず固めようとしています。それらが揺らぐことがあっては絶対にならないと、彼らは考えているのです。彼らは自分の自尊心、評判、指導者としての地位と価値を脅かしたり、影響を及ぼしたりすることを決して許容しません。これは反キリストの悪意に満ちた本性の現われではありませんか。彼らはすでに有している権力に飽き足らず、それを強化、固定し、永遠の支配を狙っています。他の人の振る舞いだけでなく、心をも操りたいのです。反キリストのやり口は、ひとえに自分の権力と地位を守るためであり、権力を手放したくないという欲望の結果に他なりません(『反キリストを暴く』第2条〔『言葉』第4巻〕)。私の状態はまさに神が暴くとおり。マシュー兄弟に欠点を暴かれると、反論と復讐を考えた。それは反キリストの振るまい。自分は地位を愛して傲慢だと気づいていたのに、真の自己認識がまるでなかった。心の奥で、自分は教会指導者なんだから、能力と素質があるはずだし本分で欠点を見せても、教会の働きを行なえるし、解任されないと思い込んでた。マシュー兄弟があちこちの集会に出てるのを知ると、自分の立場が危ないと思った。ライバルが急に現われ、取って代わられるんじゃないかと。だから憎んで拒絶した。兄弟姉妹が必要とすることや、教会の働きは一切考えず、自分の地位を守ろうと、密かにマシュー兄弟と張り合うだけ。それは邪悪な性質。彼に問題を指摘されても受け入れられず、対抗した。復讐して面子を潰そうとしたほど。過ちを指摘されると屈辱を感じ、腹が立って彼を排除したいとすら思った。でも実は、彼は真理を実践してたの。私の働きにはたくさん見逃しがあるし、把握してない原則も多い。だからよりよい働き方を教えていた。でも私は歓迎せず、みんなの前で指摘しようとあら探しばかりしてた。働きについて聞かれても詳細を教えず、困らせようとわざと質問した。前は、嫉妬してるだけだと思ってたけど、御言葉の暴きで、反キリストの性質を見せてると気づいたの。名誉と地位を守るため、打撃を与えて復讐しようとした。機会があればもっとひどいことをしてたはず。自分の反キリストの性質に気づいて、ショックと恐怖を感じた。このままなら、神はきっと私を淘汰なさる。神は反キリストを救わないから。悔い改めようと神に祈った。「全能神よ、指導者の仕事をちゃんとしませんでした。名誉と地位を奪い取ることに夢中で、打撃を与えて復讐するといった悪事を犯すなど、サタンの役を演じてました。神よ、悔い改めたいです」。

その後、この御言葉を読んで、堕落した性質がもう少しはっきりわかったわ。「反キリストは普通の人以上に、自分の地位と名誉を大事にしており、それは彼らの性質と本質に根ざしています。それは束の間の関心でも、環境からの一時的な影響でもなく、彼らのいのち、骨の中にあるもの、ゆえに彼らの本質です。つまり、反キリストが何をしようと、最初に考えることは自分の地位と名誉であり、他の何物でもありません。反キリストにとって、地位と名誉は自分の生命であり、生涯の目標です。何をするにしても、彼らはまずこう考えます。『わたしの地位はどうなるのか。わたしの名誉はどうなるのか。これをすれば名誉がもたらされるのか。人の心の中でのわたしの地位は高まるのか』。これが、彼らが最初に考えることであり、彼らには反キリストの性質と本質があることを十分に証明しています。彼らはこうした問題をそのようにしか考えません。反キリストにとって、地位と名誉は追加の要件ではなく、ましてやそれがなくてもやっていける無関係なものなどでは決してないと言うことができます。それは反キリストの本性の一部であり、骨の中に、血の中にあるもの、彼らに内在しているものなのです。自分に地位と名誉があるかどうかについて、反キリストが無関心でいることはありません。彼らの態度はそうではないのです。では、彼らの態度は何ですか。地位と名誉は彼らの日常生活、日々の状態、日々追い求めることと密接に結びついています。ゆえに反キリストにとっては、地位と名誉が彼らのいのちなのです。どのように生きようと、どのような環境の中で暮らそうと、どのような働きを行なおうと、何のために努力しようと、目標が何であろうと、人生の方向がどのようなものであろうと、それらはすべてよい評判と高い地位を有することを中心に回っています。そしてこの目標が変わることはなく、彼らはそういったものを脇へやることができません。これが反キリストの本当の顔であり、彼らの本質です(『反キリストを暴く』第9条(3)〔『言葉』第4巻〕)。この御言葉は、私がずっと追求していたこと、私の本性と本質を暴いてる。私が何より大事にしてたのは、自分の名誉と地位。人と交流したり何かをするたび、いい印象を残して尊敬されることを考えてた。小さいころからそう教えられ、いつも一番を目指し、高校ではみんなと競い合い、クラスで一番優秀な生徒になってみんなに尊敬されようと頑張った。教会に入っても頭の中は名誉と地位のことばかりで、いつも仰ぎ見られようとした。教会が私に本分を割り当てたのは、特別な能力があるから、物事を素早くきちんとできると思ってた。その後指導者になると、ますます傲慢さと尊大さが膨らみ、交わりのたびに自分の能力を見せつけようとして、本分での欠点を知って補うことはどうでもよかった。マシュー兄弟に欠点を指摘されると、面子が傷つき、兄弟姉妹の敬意を失ったように感じたし、受け入れることができず、打撃を与えて復讐しようと思った。御言葉を飲み食いして、私の行ないはすべて自分の名誉と地位を守るためだとわかったの。そんなの神に憎まれる。その堕落した性質から救ってほしいと、神に願った。

その後、兄弟姉妹がこの御言葉を送ってくれた。「傲慢さは人間の堕落した性質の根源です。傲慢になればなるほど、人はそれだけ理智に欠け、理智に欠ければ欠けるほど、神に抵抗しがちになります。この問題はどれほど深刻でしょうか。傲慢な性質の持ち主は他のあらゆる人を見下すだけでなく、最悪なことに、神に対して威張りさえして、心の中には神への畏れがありません。神を信じて神に従っているように見えるものの、まったく神を神として扱っていない人がいます。そのような人は真理を自分のものにしていると絶えず感じ、自分を高く評価しています。これが傲慢な性質の本質と根源であり、それはサタンに由来します。ゆえに、傲慢さの問題は解決されなければなりません。誰も眼中にないと思うのは些細な問題で、傲慢な性質のせいで神、神の支配、神の采配に従わないことが重要な問題なのです。このような人は他人の支配を巡って絶えず神と競い合います。この種の人は神を少しも畏れず、神を愛することや神に従うことについては言うまでもありません(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。「自分は完璧である、際立っていて高貴である、あるいは他人よりも優れているなどと、誰一人思わないように。これはいずれも人間の傲慢な性質と無知によって引き起こされるものです。自分は際立っていると常に考えることは、傲慢な性質によって引き起こされることです。自分の欠点を受け入れ、自分の間違いや失敗に向き合うことができないのは、傲慢な性質によって引き起こされることです。他人が自分の上に立つことや、自分より優れていることを許せないのも、傲慢な性質によって引き起こされることです。他人が自分よりも優れていたり、強かったりすることを許せないのも、傲慢な性質によって引き起こされることです。他人が自分より優れた考えや意見や見方をもつのを許さず、またそうしたものが他人にあると、否定的になって口が重くなり、苦痛を感じて意気消沈し、動揺してしまうのは、いずれも傲慢な性質によって引き起こされることです。あなたは傲慢な性質のせいで自分の評判を守り、他の人の導きを受け入れることも、自分の欠点に向き合うことも、自分の失敗や過ちを受け入れることもできなくなります。それ以上に、誰かが自分よりも優れていると、傲慢な性質のせいで心の中に憎しみと嫉妬が生じ、抑え込まれたように感じてしまい、その結果本分を尽くしたいと思わず、だらしなく本分を尽くすまでになってしまいます。傲慢な性質は、そのような振る舞いや行動をあなたに引き起こすことができるのです。このような事柄について少しずつ掘り下げ、突破口を開き、それらを理解することができるなら、またこのような考えや、これらの間違った観念、見方、さらには振る舞いをも徐々に捨て、それらに束縛されないでいられるなら、また本分を尽くす中で自分の正しい立場を見つけ、原則にしたがって行動し、自分が尽くせる本分、尽くすべき本分を尽くせるなら、あなたがたは時間とともにより良く自分の本分を尽くせるようになります。これが真理の現実への入りなのです。真理の現実に入ることができるなら、あなたは他の人から見て人間らしさを有しており、人々はこう言います。『この人は自分の立場に応じて行動し、地に足をつけて本分を尽くしている。本分を尽くすにあたって生来の気質や血気に頼ることも、堕落したサタン的性質に頼ることもない。自制して行動し、神を畏れる心をもち、真理への愛があり、その振る舞いと表現は、自分の肉や好みを捨てたことを示している』。そのように行動するのは、何と素晴らしいことでしょう。他の人があなたの欠点を取り上げても、あなたはそれを受け入れられるだけでなく、楽観的になり、落ち着いて自分の欠点や弱点に向き合うのです。あなたの精神状態は正常そのもので、極端なところも血気もありません。これが人間らしさをもつということではないですか。そのような人だけが優れた理知を有しているのです(『終わりの日のキリスト講話集』「人の行動を導くべき原則」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉は問題の根源を暴いてる。私たちの堕落の多くは、傲慢な本性が原因。マシュー兄弟を妬んで反抗し、意見を受け入れなかったのは、傲慢な性質が理由なの。傲慢さの中で生き、自分の間違いが見えなかった。彼の意見が有益でも、それを受け入れようとしない。名誉と地位を守ろうと、彼の助けや指導を拒んだ。本分をしっかり尽くすために何をすべきか、まったく考えてなかったの。働きで明らかに困難があり、仕事ぶりが悪くても、やはり傲慢で反抗的。まるで自分のことがわかってない。マシュー兄弟が指摘したたくさんの問題は、どれも私の本分における欠点。それを受け入れることも反省することもなく、彼のあら探しをした。でも彼の交わりは本当に実践的で、新人が真理を理解するのに有益だし、私が主催した集会よりも恩恵をもたらせた。事実を突きつけられても、マシュー兄弟のほうが有能なのを認められず、恨んで嫉妬した。本当に傲慢で尊大だし、理知がない。自分を買いかぶってた。一番になって人に褒められることをいつも望んでたけど、それは大天使の性質で、神に敵対すること。心の中で神に祈り、真理を求めて堕落した性質を変え、理知的な人になりますと誓った。

その後のデボーションで、この御言葉を読んだの。「教会内には必ず、皆が真理に焦点を当て、真理を得ようと努めているという雰囲気がなければなりません。年齢は関係なく、経験豊富な信者かどうかも関係ありません。素質の高低も関係ありません。これらのことは関係ないのです。真理の前では誰もが平等です。目を向けなければならないのは、真理に沿って正しく語っているのは誰か、神の家の利益を考えているのは誰か、神の家の働きにおいて最大の負担を抱えているのは誰か、真理を他の人より明瞭に理解しているのは誰か、義の感覚を共有しているのは誰か、代償を払うことをいとわないのは誰かということです。そうした人こそ兄弟姉妹に支えられ、称賛されるべきなのです。教会内には、真理を追求することから生じるこの正しさの雰囲気が広がっていなければなりません。それによって聖霊の働きを受けられるようになり、神が祝福と導きを授けてくれるのです。教会内に広がっている雰囲気が、ただ作り話を語り、互いのことで騒ぎ立て、互いに恨みを抱き、嫉妬し合い、口論してばかりいるようなものなら、聖霊は決してあなたがたの中で働きません。互いに闘って密かに争い、欺き、だまし、陰謀を企て合っているようなら、それは邪悪な雰囲気というものです。教会内にそのような雰囲気が広がっているなら、聖霊は間違いなく働きを行いません(『終わりの日のキリスト講話集』「心と思いと魂を残らず捧げて本分を尽くす人だけが、神を愛する人である」〔『言葉』第3巻〕)。「現在、神による吟味を受け入れられない者は、誰も神の承認を受けることができず、受肉した神を知らない者は完全にされることができない。自分が行なうすべてのことに目を向け、それを神の前に示せるかどうかを確かめなさい。自分が行なうすべてのことを神の前に示せなければ、それはあなたが悪を行なう者であることを示している。悪を行なう者が完全にされ得るだろうか。あなたが行なうすべてのこと、一つひとつの行ない、一つひとつの意図、一つひとつの反応を神の前に示さなければならない。あなたの日々の霊的生活、つまり、あなたの祈り、神との親密さ、神の言葉を飲み食いする仕方、兄弟姉妹との交わり、教会における生活、そしてあなたが共同で行なう奉仕さえも、神の前に示して吟味され得る。あなたがいのちの成長を遂げるにあたり、それを助けるのはこのような実践である(『神の出現と働き』「神は自身の心にかなう者を完全にする」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉は、慰めと実践の道を授けてくれた。教会では妬んだり競ったりせず、真理の追求に専念するよう、神は求めてらっしゃる。真理と合致する話には耳を傾けるべき。マシュー兄弟が私の欠点を暴いたのは、新人を潤す働きをしっかりできるようにするため。人間関係を守ってたんじゃないの。問題があれば交わり、自己認識できるよう指導する。堕落を見せたときはそれを隠さず、人に尊敬されることなんか考えない。真理を追い求めて教会の働きを守れる彼から学び、自分の欠点を補うべき。嫉妬して反抗し、復讐しようとあら探ししては駄目なの。それにわかった。指摘を受けるのは、私に対する神の加護と救い。それで自分の堕落を認識して、過ちを正せる。神は私たちを見守りながら、原則に沿って物事をするよう望んでる。神の吟味を受け入れ、堕落を検証してすぐに変え、原則に沿って行動しようと決意した。

今はマシュー兄弟に嫉妬してないし、彼の交わりと指摘を受け入れられる。集会で質問するときは、兄弟姉妹がわかりやすいように言いたいことをまとめ、黙り込んで積極的に参加してなければ、会話を引き出すことに集中する。集会をもっと効果的にするため、事前にみんなと話し合い、実際の問題を突き止め、御言葉の交わりで解決する。それに普段は、御言葉をもっと読んで真理を備え、みんなの問題を解決できるよう頑張ってるわ。このささやかな変化は神の救いね。全能神に感謝!

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