堕落の束縛

2022年4月5日

中国 务实

2020年3月、わたしが担当する教会で選挙があり、チェン姉妹が教会指導者に選ばれました。優れた素質の持ち主だと思ったのですが、教会指導者の本分を尽くし始めたばかりで教会の仕事に慣れていないので、わたしがそこにとどまり、しばらく教育することにしました。できるだけすぐ教会の働きに慣れ、習熟できるよう、グループの集まりには毎回出て、教会の働きの原則について話をしました。彼女はすぐ仕事に慣れ、問題があれば真理を求めることに集中し、御言葉に関する交わりにも光がありました。集会で兄弟姉妹から質問が出ると、わたしがじっくり考える間もなく、チェン姉妹がすぐに反応し、解決に役立つ御言葉を見つけることもありました。仕事を話し合う際も、問題をまとめ上げ、それに関連する原則を見つけて解決できます。チェン姉妹がとても立派に仕事をこなし、急速に進化しているのを見て、わたしは突然プレッシャーを感じました。彼女の仕事に責任を負っている以上、より優れた交わりをして問題を解決しなければ。でも、彼女ほどじっくり考えたことがない問題もある。選ばれたばかりのリーダーがわたしより有能だと、みんな思うだろうか。そのときこう考えました。「いいえ、自分の能力を証明しなきゃ。兄弟姉妹に見下されるわけにはいかない」それ以来、その姉妹と集会に出るときは、他の兄弟姉妹の交わりにとりわけ集中し、彼らの状態にいったいどんな問題があるのか、何が原因かを突き止めようとして、チェン姉妹より先に問題を解決しようと必死になりました。だけど、解決しようと焦れば焦るほど緊張してしまい、考えをまとめることができません。そのため兄弟姉妹の状態もはっきり掴めず、結局チェン姉妹の交わりで問題は解決しました。兄弟姉妹がチェン姉妹の明快な交わりを褒めるのを聞き、問題があれば彼女に頼るのを見て、わたしはますます不安になりました。自分を憎みつつ、わたしはどうしてこんな馬鹿なのか、チェン姉妹にかなわないのかと思ったんです。消極的になるのを漠然と感じました。このまま行けば後塵を拝する。

ある日、チェン姉妹、そして最近選ばれた数名の執事と会議を開いたのですが、人を選ぶ原則をまだ把握していないことがわかりました。そのせいで、教会のグループリーダーにふさわしくない人が選ばれたのです。わたしはそういった問題を見て不安を覚えました。自分のほうがチェン姉妹よりも長く指導者を務め、人を選ぶ原則に通じていることを考えると、自分はその問題を明確に説明できる。真理を理解して問題をはっきり把握し、チェン姉妹より優れていることを兄弟姉妹にわからせるチャンスだと思いました。そこで関連する原則をいくつか見つけ、みんなで話し合いました。するとチェン姉妹がそれらの原則をまとめ、どのような人をグループリーダーとして選ぶべきかを話しました。彼女が実例を引かずに交わるのを聞いて、わたしは密かにほくそ笑みました。チェン姉妹は指導者になって日が浅いし、経験もそれほど多くない。次にわたしが実例を引けば、兄弟姉妹は例や詳細をたくさん聞いて、この人こそ働きの責任者にふさわしい、交わりも綿密で大局的だと思うはず。そう考えて自分に満足しました。そして咳払いをして笑みを浮かべ、他の教会の選挙であった様々な問題や過ちを話しました。そればかり話し、話が済むと兄弟姉妹の称賛の声を待ちました。するとチェン姉妹がこう言ったのです。今、教会の主な問題は、グループリーダーを選ぶ原則をこの兄弟姉妹がわかっていないことで、それについての真理をはっきり交わる必要があると。わたしの示した実例は、実際の問題にそぐわないと言うんです。チェン姉妹の話が済むと別の執事が賛成したので、わたしは気分が悪くなりました。二人の言うことに叩きのめされ、すっかり混乱したんです。執事の目がわたしに集まり、恥ずかしくなりました。面子を保てると思っていたのに、悪い方に転がってしまった。面子を守れず、さらに恥をかいている。みんなも、この人はこんなに長く指導者を務めてるのに、選ばれたばかりの指導者にも劣り、これでは駄目だと思うかしら? そう考えた瞬間、みんなの目を見ることができず、気まずい思いをするばかりでした。その直後、執事がチェン姉妹に質問したところ、彼女はとても明快に答えました。まったくしてやられた気分で、緊張の糸が突然切れました。すっかり負かされたと思い、顔を上げることもできません。チェン姉妹の優れた素質と急速な進歩が再び脳裏に浮かびました。多くの点でわたしより優れてる。そう思うとますます落ち込み、お株を奪われたような気がしました。彼女への偏見が膨らみ始め、一緒に本分を尽くしたいとさえ思えません。集会のあと、数日後のグループ集会に一緒に出ましょうとチェン姉妹に言われましたが、わたしは目も合わさずぶっきらぼうに、「その日はチョウ姉妹と別のグループを訪れるの」と言いました。すると彼女の顔が赤くなり、気まずい様子を見せ、わたしに無視されたことがわかって立ち去りました。

帰り道、チェン姉妹が一人で出る集会のことを考えました。彼女はそのグループの人たちをよく知りません。話し合って解決すべき問題が出てきたらどうなるだろう? わたしが出席せず、どう対処すべきかわからないことが出てきたら、働きが遅れてしまわない? 引き返して彼女に会おうと思いましたが、あの集会で恥をかいたことが頭に浮かび、腹が立ってきて、心の中で彼女と張り合いました。「あなたの素質は優れてるし、何事もうまくこなす。だから自分でできるでしょ?」こうして堕落した性質が、良心の呵責に打ち勝ったのです。私は何のためらいもなくバイクに乗り、まっすぐ家に帰りました。でもその夜、どうしても眠れず、ベッドで寝返りを打ちながら、チェン姉妹があれほど早く進歩したこと、兄弟姉妹がみんな彼女を仰ぎ見ていることを考えずにはいられませんでした。この教会に留まれば、わたしはただの引き立て役じゃない? そこで、この教会を去ろうと思いましたが、心の中に不安が残りました。チェン姉妹は本当によくやっているけど、彼女と一部の執事はまだ経験不足。十分理解していない原則も多数あるし、きっと間違いを犯すこともある。神の家の働きに悪影響が出る。もう少しここに留まり、手助けすべきことはわかっていました。突然手を引くなんて無責任です。自分の状態がよくないと気づいていたので、神の御前に出て祈り、御旨を理解して自己認識できるよう、お導きを求めました。

そして翌日、「人の行動を導くべき原則」の五段目にある御言葉の一節が目に入ったんです。「自分は完璧である、際立っていて高貴である、あるいは他人よりも優れているなどと、誰一人思わないように。これはいずれも人間の傲慢な性質と無知によって引き起こされるものです。自分は際立っていると常に考えることは、傲慢な性質です。自分の欠点を受け入れ、自分の間違いや失敗に向き合うことができないのは、傲慢な性質によって引き起こされることです。他人が自分の上に立つことや、自分より優れていることを許せないのも、傲慢な性質によって引き起こされることです。他人が自分よりも優れていたり、強かったりすることを許せないのも、傲慢な性質によって引き起こされることです。ある問題について、他人が自分より優れた考えや意見や見方をもつのを許さず、またそうしたものが他人にあると、否定的になって口が重くなり、苦痛を感じて意気消沈し、動揺してしまうのは、いずれも傲慢な性質によって引き起こされることです。あなたは傲慢な性質のせいで自分の評判を大事にし、他の人の導きを受け入れることも、自分の欠点に向き合うことも、自分の失敗や過ちを受け入れることもできなくなります。それ以上に、誰かが自分よりも優れていると、傲慢な性質のせいで心の中に憎しみと嫉妬が生じ、抑え込まれたように感じてしまい、その結果本分を尽くしたいと思わず、だらしなく本分を尽くすまでになってしまいます。傲慢な性質は、そのような振る舞いや行動をあなたに引き起こすことができるのです(『終わりの日のキリスト講話集』)。神の御言葉は極めて明確です。傲慢さの中で生きていると、事あるごとに頂点に立ち、他の人より優れていたいと思う。そのような人は自分の評判と地位を何より大事にする。他者に勝てなかったり、認めてもらえなかったりすると、否定的になって絶望し、本分を尽くすのも嫌になる。わたしも、神が暴くこういった人間だとわかったんです。本当に傲慢な性質の持ち主で、名声と地位を欲しがりました。チェン姉妹と知り合ったとき、自分のほうが有能で、真理の交わりで問題解決するのも優れていると思い、喜んで彼女を支え、一緒に交わった。でも後になって、彼女の素質が優れ、学ぶのも早く、みんなに高く評価されているのを見ると、自分の地位が脅かされているように感じた。密かに彼女と自分を比べ、張り合い、あの手この手で自分のほうが有能だと見せかけた。自分の能力を証明したかったんです。チームリーダーを選ぶ問題では特に、原則に関する交わりで自分を誇示し、仰ぎ見られようとして、でも結果的に話は的外れで、チェン姉妹に注意された。自己反省せず、そのうえけんか腰になり、一緒に働きたくないと思った。自分の委託を捨て、あの教会を去ろうとさえ思ったんです。反省を通じてわかりました。自分は評判と地位にすっかり夢中になって、本分をしっかり尽くしてなかった。本分に対してまったくいい加減だったんです。このように暴かれたのは、私に対する神の裁きと刑罰でした。私が反省し、間違った動機と見方を正せるように。神の御旨がわかると、心がずっと落ち着きました。

その後、反キリストの性質を暴く神の御言葉をさらに読みました。「反キリストが集団の中で本分を尽くしているとき、彼らがまず考えるのは、自身の本分に伴う原則を求めることではなく、神の要求は何か、神の家の規則は何かを考えることもありません。むしろ、本分を尽くすことでさらに多くの人が自分を仰ぎ見るようになるかどうか、上層部がそのことを知るかどうか、グループの中で一番業務に優れているのは誰か、監督者は誰かを尋ねます。そのような人がひとたび本分を尽くすべき環境に入ると、彼らが考えること、彼らが知って理解したいと思うことは、主として真理に関係したものではなく、自身の本分をどう尽くすべきか、妨害や混乱を引き起こさないようにするにはどうすべきか、または本分をしっかり尽くして神の旨を満たすにはどうすればいいかといった問題を解決するものでもありません。そうではなく、彼らが最初に考えるのは、その集団の中で足がかりを築き、強固な立場を得て自身の地位を守り、尊敬を勝ち取り、集団の中で傑出することです。どうすれば他者の上に立ち、集団の指導者になれるかを考えるのです。そうする中で、彼らは自身の本分を尽くしていますか。(尽くしていません。)彼らはどういったことをするようになったのですか。(官職に就きました。)このような人はこう言います。わたしは世俗の世界で他の全員を出し抜きたい。どの集団にいても、自分がいつもボスであり、二番手に甘んじることはしない。わたしを追随者になどしないほうがいい。どの集団に入っても自分がトップになるし、決定権を手にしたい。わたしの言うことに耳を貸さないなら、全員を納得させる方法を見つけ、わたしを選ばせよう。ひとたび選ばれれば、わたしの言うことが通り、わたしは好きなことをするのだ。どの集団においても、反キリストは本分を尽くすとき、しがない追随者でいることに満足しません。彼らが一番情熱を燃やすことは何ですか。指示を出し、自分の望み通りに他者を動かすことです。このような人は、自分自身の本分を尽くし、より懸命に働き、より大きな代価を支払い、より多くの時間と活力を費やし、自分の責任を果たすことに情熱を燃やしません。むしろ、人事や職業の面で他者を率いる人になるにはどうすればいいかを研究します。彼らは他者に率いられることを喜びません。追随者になることや、目立たない本分を静かに尽くすことを喜びません。その人の本分が何であっても、先頭や中心に立つことができず、指導者になれないのであれば、本分を尽くす目的を見出せないのです。自分の思うように事が運ばなければ、それに対する関心がますます少なくなり、本分を尽くしたいと思う気持ちさえも薄くなります。しかし、本分を尽くす中で先頭や中心に立って決定権を得られれば、他の誰よりも精力的に自身の務めを果たします。彼らは心の中で、他者より抜きん出ていること、他者を超える必要性を満たすこと、そして自身の欲望と野心を満たすことこそ、自分の本分だと理解しているのです(『反キリストの本性と実質を暴く』の「彼らが本分を尽くすのは、自分たちを目立たせ、自己の利益と野心を満たすためだけで、神の家の利益は決して考えず、個人の栄誉と引き換えに神の家の利益を売りさえする(7)」)。人が誰かの下に立ちたがらず、評判と地位を求める理由を、神の御言葉は分析しています。崇拝され仰ぎ見られたいという願望がその原動力で、それは反キリストの道です。反キリストにとっては地位が何より重要です。本分を尽くして真理を理解したり、原則を当てはめたりすることは決してなく、神に満足いただくなど気にも留めません。他人を支配し、自分を崇拝して従うようにさせ、神から人を奪うという野望を成し遂げるために策を巡らせます。反キリストに関する御言葉に照らせば、わたしはまだそこまで深刻ではありませんが、反キリスト的な性質の兆しを示してました。チェン姉妹が大きく進歩し、兄弟姉妹に褒められているのを見ると、彼女を嫌って排斥しようとした。彼女のせいで輝けず、お株を奪われたと感じたんです。「他人にまさろうとする」や「一つの山に二匹の虎は容れない」といったサタンの毒で生きてました。絶えず地位を争い、一番になろうとした。頂点に立つ人が権力と決定権を持ち、権力と地位が何より大事だと思ってた。しかも神の教会を、地位を巡って争い、野心を満たす場にしてた。私は反キリストの道を歩み、神に逆らい、神の性質にひどく背いていたんです。自分の歩む道がいかに危険か、神がそれをどれほど憎まれるかがわかりました。それに、チェン姉妹が本分に不慣れだという事実。彼女が束縛され、働きに消極的になり、それで本分が損なわれたとしたら、わたしが悪事を犯したということ。心から罪の意識を感じ、自分がサタンの性質で生き、地位を競っていることに気づきました。みんなを傷つけ邪魔しただけでなく、悪事を犯し、教会の働きを妨げたせいで淘汰されることもあり得ます。地位の追求は悪しき道だと実感して心から怖くなり、堕落した性質の中で生きるのはもう嫌だと思いました。神に悔い改めたい。

それから実践の道を求めて神の御言葉を読みました。神の御言葉にこうあります。「神があなたを愚かな者にしたなら、あなたの愚かさには意味があります。神があなたを賢い者にしたなら、あなたの賢さには意味があります。神があなたにどのような技能を与えようと、あなたの長所が何であろうと、あなたの知能指数がどれほど高かろうと、そのすべてに神の目的があります。そうしたことはすべて予め定められているのです。あなたが果たす役割や、あなたが尽くす本分も、はるか昔に神が定めたものです。中には納得していない人もいます。そうした人はさらに多くのことを学んで目にし、より勤勉になることで、それらのことを変えようとします。しかし超越することはできません。時が経つにつれ、彼らはこのことを経験から学びます。つまり誰と戦っても、神が定めた運命とは戦えないのです。どのようなことに優れていようと、あなたはそこに努力を傾けるべきです。能力の枠外にある分野に自分を無理矢理当てはめようとしたり、他人を妬んだりしてはいけません。各人にはそれぞれの効用があります。何でも自分でできる、自分は完全である、自分は他人よりも優れていると考え、他者の働きをいつも引き受けようとしたり、自分だけが目立とうとしたりしてはいけません。それは堕落した性質です。例えば、拍子を合わせて踊るのがとても得意だとすれば、あなたはその分野で権威となり、進歩を成し遂げ、原則に習熟し、自分の本分をしっかり尽くすべきです。衣服のデザインが好きで、それに比較的優れている人もいます。そうであれば、あなたはそこに努力を傾け、さらに研究すべきです。自分は何一つ立派にできないと考えている人もいます。そうであれば、他者の指示にしっかり耳を傾ける人になりなさい。自分にできることを全力でしっかり行ないなさい。それで十分であり、神の旨は満たされます(『終わりの日のキリスト講話集』の「人の行動を導くべき原則」)。御言葉を読んでわかりました。素質がどれほど優れているか、どんな賜物があるかはすべて神が予定され、そこには神の知恵がある。神がわたしたちに求めるのは、すべてを理解し、あらゆることができ、誰より優れていることではなく、自分の役目をしっかり果たすこと。自分の力と長所を発揮できれば、神は喜ばれるんです。傲慢で自信に満ち、いつも自分のために競おうとすれば、物笑いの種になってみじめな人生を送ることになる。また御言葉の中に実践の道も見つけました。勇気を出して自分の欠点を認めること。自分にはチェン姉妹の素質も能力もない。それは事実で、神がお決めになったこと。理性的になって神の支配と采配に従い、慎み深い人になって本分に心を捧げ、チームとして教会の働きをこなせるよう、チェン姉妹と手に手を取って働くことを考えなければ。それがまさに神の御旨。また御言葉は、神の家の働きを一人に任せてはいけないとも言っています。一緒に働く必要があるんです。みんなの見方は違うので、互いの弱点を補えば、より幅広い観点から物事を考えられます。一体となって始めて、聖霊に導かれ、本分で成果を挙げられるんです。それに気づいた私はチェン姉妹に会い、この期間の自分の状態を打ち明け、謝罪しました。それからは一緒に集会に出ても、彼女より優れた交わりをしようとするのでなく、彼女の話に耳を傾け、じっくり考えました。足りない点があれば自分の交わりで補い、理解していることだけを伝えました。そのように協力すると交わりがますます効果的になり、チェン姉妹ともいっそう緊密になりました。

二ヵ月後、チェン姉妹が昇進して一緒に働くことになり、教会の働きを共同で担当しました。ある日、働きの一つがとてもうまく行ったと、指導者からメッセージがあったんですが、わたしは少し落ち込みました。それはチェン姉妹のおかげだと指導者が知れば、彼女をさらに評価するのでは? 夜、その働きをもっと効果的にするにはどうすればよいかと、チェン姉妹に相談されました。私は思った。「この働きはもう成果を挙げてる。話し合っても、もっとよくなるだけ。そうなれば、彼女がますます立派に映らない?」そう考えて話し合うのが嫌になりましたが、名声と利益を求める状態にまた落ちかけていることに気づき、神に祈って肉を捨てようとしました。するとこの御言葉が頭に浮かんだんです。「いつも自分のために物事を行なったり、絶えず自身の利益を考えたりしてはいけません。自分の地位、体面、評判を考えないこと。また、人の利益を考慮してはいけません。まずは神の家の利益を考慮し、それを最優先にしなければなりません。神の旨を想い、自分が本分を尽くす中で不純だったかどうか、全力で忠誠を尽くし、全力で自分の責任を果たし、自分のすべてを捧げたかどうか、そして自分の本分と神の家の働きを心から考えてきたかどうかを熟慮することから始めなさい。あなたはこれらのことを考えなければなりません。これらのことを頻繁に考えなさい。そうすれば、立派に本分を尽くすのがより簡単になります(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。自分の利益だけを考えていては駄目だと、神は言われます。神の家の益と働きを最優先にする必要があるんです。みんなのいのちの入りに益をもたらす。本分に忠実であることを示すには、それしかありません。神の求められることをしなければならないとわかり、その仕事をどうするか、現在の問題は何か、それをどう解決するかを、チェン姉妹と話し合いました。翌日の集会では自分の最近の状態と、そこから理解したことについて交わり、話せば話すほど、名声と地位の追求は悪しき道だと感じました。心から自分を憎んで嫌悪し、自分のサタン的性質に支配されるのはもう嫌だと思い、神の裁きと刑罰を受け入れ、着実に本分を尽くすことに喜びを覚えました。それからは問題に見舞われるたび神に祈り、神の家の益をしっかり考えました。また互いの弱点を補えるよう、チェン姉妹の強みを吸収できるようになりました。そうすることで心の安らぎと落ち着きを感じ、本分もますます効果的になった。私のこのささやかな変化は、ひとえに神の裁きと刑罰のおかげです。神に感謝!

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