わたしは真のキリストと偽キリストを見分けられる

2022年12月15日

受肉した神はキリストと呼ばれるので、人に真理を与えられるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、そのキリストは神の実質を有し、神の性質を有し、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからである。キリストを自称しながら神の働きを行なえない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、人の間で働きを行ない、それを完成させるにあたって神が宿った特有の肉体でもある。この肉体は誰でも取って代われるものではなく、地上における神の働きを適切に引き受け、神の性質を表わし、神を十分に象徴し、人にいのちを与えられる肉体である(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は、受肉とは何か、真のキリストと偽キリストをどう見分けるべきかを示してる。主を信じてるのに、この真理がわからなかった。牧師や長老の話に耳を傾け、惑わされるのを恐れて、偽キリストに警戒したの。わざわざ自分の損になることをして、神の働きを求めようとせず、神の救いを逃すところだった。まさに危機一髪。

わたしは子どものころから教会で聖書を読み、成長すると青少年グループに加わった。わたしたちの牧師は神学博士だったけど、牧師は大変だとか、君らは聖霊の感動を受けねばならないといつも言ってた。みんな尊敬して、牧師は聖霊の感動を受け、主を喜ばせたんだと思ってた。よくこの聖句を引用してたわ。「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書 24:23-24)。終わりの日には偽キリストが現われてわたしたちを惑わす、だから気をつけるように。特に背丈が低くて聖書の知識がない人は、他の教派の教えを聞いたり、読んだり、調べたりしてはいけない、って。牧師たちは東方閃電について否定的なことを色々言い、近づいては駄目だと告げた。聖書を読んで毎日悔い改め、主の再来時に天国へ行く準備をしなさいって。わたしはそれを信じて、他の教会に行かなかったし、牧師に言われたら何でもした。そうすれば主の再来を安全に待てると思って。

ある日、教会のフー兄弟から、わたしの母と姉が東方閃電に入ったと言われた。それを聞いてショックだった。「東方閃電には近づくなって、牧師は言ってなかった? どうして母が?」するとフー兄弟が、東方閃電にまつわる恐ろしい噂を話したの。怖くなってパニックに陥った。そして、母との会話を録音し、それは本当かと質問して、僕に聞かせろと言われた。

帰宅後、やっぱり母が言うの。主イエスは全能神として戻られ、神の家から始まる裁きの働きを行ない、人を清めて変え、罪から救うって。そして、全能神の御言葉を読んでその働きを調べなさいって言うの。それを聞いて、東方閃電の恐ろしい噂を思い出した。抵抗を感じたけど、録音してるから自制して、母の話を聞いたわ。

次の日、全能神の働きを調べてって母が勧めるの。そのとき、牧師から聞いた恐るべき話がまた頭に浮かんで、母の言うことを聞かず、こうアドバイスした。「東方閃電に耳を傾けるなって、牧師さんはいつも言ってる。近づかないで!」母は辛抱強く言った。「終わりの日の神の働きを調べるのをどうして邪魔するの? 主はそれを望まれてる? 主イエスはこうおっしゃった。『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである(マタイによる福音書 5:3)。『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした(マタイによる福音書 25:6)。神は謙虚に求めるよう望まれてる。東方閃電が主の再臨を証ししてるんだから、それを調べるべき。でも牧師は、主のお迎えを邪魔してる。それって主の教えに反してない? 無闇に牧師に従わず、主の話を聞かなくちゃ。主の時代、ユダヤ教徒は主の声を聞かず、祭司や律法学者やパリサイ人に従い、主を断罪して抵抗した。主イエスを十字架にかけて神に懲罰されたわ。そこから教訓を学ばなきゃ! 黙示録にこうある。『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい(ヨハネの黙示録 2章、3章)。戻られた主は言葉を語られる。主をお迎えするには、神の声を聞き分けなきゃ。全能神の御言葉は神の声か、主イエスの再来なのかを確かめるの」。そして母は、『終わりの日のキリストが語る言葉』という本を手に取ったけど、それを見て嫌な気持ちになって、部屋に戻った。でも冷静になって、母の言葉を振り返ってみたの。神の声を聞き分けられるようになって、謙虚に探求することは、主の教えと一致してる。東方閃電が主の再臨を証ししてるんだから、全能神の御言葉を読まず、無闇に牧師に従うのは、早まってるかも。全能神が主イエスの再来なのに、それを受け入れなければ、主をお迎えする機会を失わない? すると、終わりの日に偽キリストが現われるという牧師の言葉を思い出した。迷ってしまえば、信仰が無駄になる。すっかり当惑したわ。誰の言うことを聞けばいいの? そこで主の前に出て、お導きを求めたわ。

すると母が、全能神教会の交わりを聞きなさいとアドバイスしてくれた。ためらったけど、そうすると言ったわ。最初は聞いてもわからなかったけど、人を救う神の経営計画の奥義や、三段階の働きの話になると、すぐに引き込まれて新鮮だと感じた。何度も聖書研究会に入ったけど、こんなことは初耳。集会のあと、考えがすっかり変わって、終わりの日の神の働きを調べて録音は消すことにした。次の集会で、チャンという兄弟が賢い乙女と愚かな乙女の話をしたの。「賢い乙女が賢いのは、主の出現を渇望し、神の声に耳を澄ますから。主が来られたと聞くと、積極的に探求する。何にも縛られず、自分の観念に固執しない。神の声だと判断すれば、神を迎えて付き従う。そうした人は偽キリストに騙されない。愚かな乙女は分別も真理への愛もない。主の声を聞いてお迎えしようとせず、地位と権力を崇拝し、牧師や長老の話を聞く。主が扉を叩いても、耳を塞いで扉を閉じる。これは無知な人。神の声だとわかっても、他人や教会に拒まれるのを恐れ、付き従わない人もいる。真理を求めない彼らが、どうして主の再来を迎えられるのか?」これを聞いて目が覚め、気づいたわ。自分は牧師や長老の話に耳を傾け、全能神の働きを求めてなかった。全能神が主イエスの再来なのに、受け入れなければ、わたしは愚かな乙女じゃない? 主イエスは言われた。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう(マタイによる福音書 7:7)。主をお迎えしたい。東方閃電が再来を証ししてるんだから、賢い乙女になって調べるべき。それが神の御旨なの! そこで、自分の困惑をみんなに伝えた。「主イエスは言われました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書 24:23-24)。牧師と長老はこの聖句を引いて、終わりの日には偽キリストと、主の到来の知らせに気をつけろと言ってます。だから惑わされるのを恐れて主の到来を調べようとしませんが、正しい実践じゃないようですね。では、主の御言葉をどう理解すべきでしょう? 偽キリストに惑わされず、主をお迎えするにはどうすればいいでしょう?」

チャン兄弟はこう答えた。「聖書を読めばわかりますが、主の再来時には、人を惑わす偽キリストや預言者が現われます。牧師たちがこの聖句を使い、偽キリストや預言者に気をつけろと言うので、それが信仰で重要なんだと、大半の人が思っています。主の到来の知らせは偽りだと考えているんです。でもそれは、主イエスの御言葉の真意と一致してますか? 主イエスは言われました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう』。ここで主イエスは、終わりの日に偽キリストと預言者に気をつけよとおっしゃっています。彼らは大いなるしるしと奇跡を見せて人を惑わす、だから見抜けなければならない。主の再来の知らせがみんな嘘とはおっしゃってないのです。再び来ると言う主イエスの御言葉を忘れてはいけません。主の再来の知らせはどれも嘘だと言う牧師たちは、主の再来を拒み、厚かましくも主の御言葉、出現、働きを拒否して断罪してるのでは? 人を惑わし、主に逆らわせているのでは? この聖句を文脈から切り離し、主のおっしゃる意味を誤解して、そうした知らせは嘘だと信じれば、神の出現と働きを断罪してることになりませんか? 主の再来をどうしてお迎えできるでしょう?」彼の交わりを聞いてわかったわ。あの聖句は、偽キリストは終わりの日にしるしと奇跡を見せ、人を惑わすと言ってる。聖書に精通してる牧師が、偽キリストを見分けることについて知らないのはなぜ? するとチャン兄弟は、全能神の御言葉を読んでくれた。「この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を行える人が現れて、またその人が自分は再来したイエスであると主張したなら、それはイエスのまねをしている邪霊による偽物である。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。……もし終わりの日に神がいまだにしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら、神がイエスとまったく同じようにしたならば、神はイエスと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は時代ごとにひとつの段階の働きをするのである。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを邪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろをついてくるようになれば、神は方法を変更する。ひとたび神が一つの段階の働きを完了すると、邪霊がまねをする。このことをよく理解しなければならない(『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」〔『言葉』第1巻〕)。「病人を癒やし、悪霊を追い払い、人間のために十字架にかけられたイエスと同じ『神』が終わりの日に現れたなら、その『神』は聖書における神の記述と同じで、人間には受け入れやすいかもしれないが、それは本質的に、神の霊ではなく悪霊が人間の肉をまとったものだろう。すでに完成させたことは二度と繰り返さないのが神の働きの原則だからである(『神の出現と働き』「神が宿る肉の本質」〔『言葉』第1巻〕)。これを読んだあと、こんな交わりをしてくれた。「神は常に新しく、決して古くないので、働きを繰り返しません。新しい段階の働きのたび、人を新たな実践の道へと導くんです。例えば、主イエスが来られたとき、律法と戒律を再び発することはせず、それらを基に贖いの働きをなさりました。悔い改めを教え、懺悔して悔い改め、赦し、愛するよう、人に教えたんです。そして人の罪の捧げ物として十字架にかけられた。終わりの日、全能神はしるしや奇跡を見せません。贖いの働きを基に裁きと清めの働きをなさり、真理を表わして人の堕落と本性を暴き、人の不義を裁きます。人の清めと救いに必要なすべての真理を授け、サタンの勢力と自身の堕落から完全に救い、神のものにします。こうして人類を救う神の働きは完結します。神の働きは段階ごとに高まり、決して繰り返されません。再来した主が奇跡としるしを見せ、病人を癒やすなら、神の働きは重複し、無意味になるでしょう。神はしるしと奇跡を見せ、病人を癒やすことしかできないと主張する人がいます。彼らは神を規定し、その働きは前進しないと考えている。だから神の働きは繰り返されず、そんなことをする人は間違いなく偽キリストです。大半の偽キリストは悪霊に取り憑かれています。真理を表わし、新たな時代を始め、古い時代を終わらせるなどは無理。主イエスをまね、単純な奇跡で人を騙すだけ。しかし、復活や、5枚のパンで5,000人を満腹させるといった主イエスの業はまねできない。そうした力を持つのは神だけで、偽キリストにはありません。真理を表わさず、多少のしるしや奇跡を見せてキリストを自称する人は、間違いなく本物じゃない。この原則で、偽キリストと真のキリストを見分けられます」。チャン兄弟の交わりでわかった。神の働きは新しくて古くなく、決して繰り返されない。偽キリストに神の働きは無理。古い働きをまね、奇跡を見せて人を騙すだけ。この原則で偽キリストを見分けられる。本物そっくりに作られた模倣品と同じ。でも結局は、偽キリストも偽物なの。目からうろこだったわ。

するとチャン兄弟が交わりを続けた。「偽キリストを見分ける一番大事な原則は、キリストの本質を知ること。それが何より不可欠です」。そして全能神の御言葉を2節読んでくれた。「受肉した神は神の実質を有し、受肉した神は神の表現を有する。神は肉となるので、なそうと意図している働きを打ち出し、また神は肉となるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを授け、人に道を指し示すことができる。神の実質を含んでいない肉体は決して受肉した神ではなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうかを人が考察しようとするならば、その者が表す性質や話す言葉からそれを裏付けなければならない。つまり、神の受肉した肉体かどうか、それが真の道かどうかを裏付けるには、その者の実質を基に判別しなければならないのである。そこで、受肉した神の肉体かどうかを決定するとき、鍵となるのは、外見よりもむしろその者の実質(働き、発する言葉、性質、およびその他多数の側面)である。外見だけをじっくり見て、結果として実質を見落とすならば、その人が暗愚で無知であることを示している(『神の出現と働き』「序文」〔『言葉』第1巻〕)。「受肉した神はキリストと呼ばれるので、人に真理を与えられるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、そのキリストは神の実質を有し、神の性質を有し、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからである。キリストを自称しながら神の働きを行なえない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、人の間で働きを行ない、それを完成させるにあたって神が宿った特有の肉体でもある。この肉体は誰でも取って代われるものではなく、地上における神の働きを適切に引き受け、神の性質を表わし、神を十分に象徴し、人にいのちを与えられる肉体である。遅かれ早かれ、キリストになりすましている者たちはみな倒れる。彼らはキリストを自称しながら、キリストの実質を何ひとつ有していないからである。ゆえにわたしは、キリストの真偽は人が定められるものではなく、神自身が答えて決めるものだと言う(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)

読んだ後、こう交わってくれた。「キリストは受肉した神。肉をまとった神の霊で、普通の人間性と完全な神性を持っています。キリストの外見は普通そのものですが、実質は神性なので、真理と神の義なる性質を表わします。新たな時代を始めて古い時代を終わらせ、人類を贖って救い、真理を表わし、人に糧を施し牧養できます。誰も取って代わることはできません。主イエスはキリストにして受肉した神。外見は普通の人でも、恵みの時代を始めて律法の時代を終わらせ、人に悔い改めの道を授けた。罪を赦し、磔刑に処されて人の罪を贖った。嵐を静め、5枚のパンと2匹の魚で大勢を満腹させ、死者を蘇らせるなど、多くのしるしと奇跡を見せた。神の権威を示したんです。また各地で教えを宣べ、真理を表わし、人の必要に応じて施し、牧養した。主イエスの働きと御言葉からわかります。主こそ道、真理、いのちだと。その働きと御言葉によって、受肉した神、人類の贖い主だと完全に証明されました。全能神は終わりの日に来られ、神の国の時代を始めて恵みの時代を終わらせ、人を裁いて清める働きをなさりつつ、背きを許さない義なる性質を表わします。御言葉は6,000年にわたる経営計画の奥義を明かし、人の罪と神への抵抗の根源、そして人の堕落した性質を暴き、人の清めと完全な救いに必要な真理をすべて明らかにします。そこには、神は人をどう裁いて清めるのか、人はどう神を信じ、従うべきなのか、神を喜ばせるのは誰か、神に憎まれ淘汰されるのは誰か、清められ、完全にされることの追求、人類の結末などが含まれます。神の裁きと刑罰を通じ、サタンによる堕落の真相がわかり、神の義にして聖い性質を知ったのです。神の前で悔い改め、神に従うようになり、いのちの性質が変わり始めました。全能神の御言葉と働きは、全能神こそ受肉した神、終わりの日のキリストだと証明しています。偽キリストは悪霊です。真理を表わせず、まして人類を救うなど不可能。嘘や誤謬をまき散らし、人を惑わせ傷つけます。偽キリストに従う人はいのちの糧も、聖霊の働きも得られません。どんなに長く信じていても、神や真理を理解せず、性質が変わることもありません。偽キリストに従うのは悪魔に従うこと。神やキリストを自称しても、真理を表わせなければ、間違いなく偽キリスト、悪魔です。偽キリストは真理を表わせず、神の働きもできない。いくらキリストを名乗ろうと、それは嘘。本物と偽物はまったく違い、キリストを名乗ったところでそうはならない。それは本質と、行なう働きで決まります。キリストだけが真理、いのち、道です。キリストは真理と神の義を表わし、神の働きをします。それは本質で決まります。神に由来するものはみな栄え、人が神の働きにどう逆らい、断罪し、拒んでも、誰も止められません。キリストの本質を否定することは誰にもできない。キリストはいつまでもキリストです。主イエスが働きをなさったとき、ユダヤの指導者とローマ政府はキリストを断罪し、抵抗して、十字架にかけました。その時代に拒まれましたが、2,000年後の今、その福音が世の隅々に広まり、宗教界全体がキリストだと認めています。終わりの日の今、全能神は共産党と宗教界に断罪されていますが、真理は決して揺るがず、それは誰にも否定できません! 全能神の御言葉は早くからネットにアップされ、世界に証しをしています。人は全能神の御言葉を神の声と認め、主イエスの再来だと判断して、立ち返っています。偽キリストには真理がなく、人を征服できない。その言動が明かされることはなく、ネットで調べることもできない。暗く邪悪で、光に耐えられないからです。些細なしるしと奇跡を見せ、嘘をまき散らし、無知で愚かな人を影から惑わします。偽キリストや悪霊に由来するものはどれも長続きせず、いずれ泡と消えます」。

この交わりで、偽キリストと真のキリストの見分け方がわかった。興奮したわ。キリストだけが真理、道、いのち。真理を表わし神の働きをできるのはキリストだけ。キリストを名乗りながら、真理を表わせず人類を救えないなら、それは偽キリスト。これがわかって本当によかった! わたしは牧師を無闇に崇め、言うことを鵜呑みにしてた。惑わされるのを恐れ、終わりの日の全能神の働きを調べようとしなかった。教会と牧師を信じていれば大丈夫で、天国に入れると思ってた。牧師は、主の再来の知らせはどれも嘘だと言い、真の道を求めさせようとしなかった。人を惑わす者、目が見えない案内人なの。わたしも愚かだった。主の声に耳を澄まさず、牧師の話をそのまま鵜呑みにしてた。自ら損を招き、主をお迎えする機会を逃すところだった。本当に危なかったわ!

その後全能神の御言葉をさらに読み、受肉や、神と人の働きの違い、聖書の内幕がわかった。本当に目からうろこ。全能神こそ主イエスの再来なの! わたしは終わりの日の全能神の働きを受け入れたわ。神に感謝!

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