日々の神の御言葉「キリストの初めの言葉:第七十九章」抜粋235

2020年10月7日

わたしは唯一無二の神自身であり、さらに唯一の神の本体である。またそれ以上に、わたしという肉全体が、神の完全な顕現なのだ。わたしを畏れない者、その目に反抗を表す者、反逆する言葉を話す者は、誰でも必ずやわたしの呪いと怒りによって死ぬだろう(わたしの怒りによって呪いが引き起こされるのだ)。さらに、わたしに忠誠や子としての愛を示さず、わたしをごまかそうとする者は、必ずやわたしの憎しみによって死ぬであろう。わたしの義と威厳と裁きは永遠に続いていく。当初、わたしは愛と憐れみに満ちていたが、それはわたしの完全な神性の性質ではない。義、威厳、そして裁きこそが、完全な神自身であるわたしの性質をなすものなのだ。恵みの時代、わたしは愛と憐れみに満ちていた。わたしは終えなければならない働きのために慈愛と憐れみを持っていたが、その後はそうしたものは必要なかったのだ(そしてそれ以降は一切必要ない)。すべては義と威厳と裁きであり、それがわたしの普通の人間性と完全な神性が一体となった完全な性質なのだ。

わたしを知らない者たちは底なしの穴で滅びるが、わたしのことを確信している者たちは永遠に生き、わたしの愛の中で世話され守られることになる。わたしが一言発した瞬間、全宇宙と地の隅々までが震える。わたしの言葉を聞いて恐れ慄かない者がいるだろうか。畏敬の念に満たされずにいられる者がいるだろうか。わたしの業からその義と威厳を知ることができない者がいるだろうか。そしてわたしの業の中に、わたしの全能と知恵を見ることができない者がいるだろうか。注意を払わない者は、誰であれ必ず死ぬであろう。なぜなら注意を払わない者は、わたしに抵抗する者であり、わたしを知らない者だからだ。彼らは大天使であり、最も理不尽な者である。自分自身をよく吟味しなさい。理不尽で、独善的で、自惚れていて、傲慢な者は誰であれ、間違いなくわたしの憎しみの対象であり、必ず滅びることになるのだ。

わたしは今、わたしの国の行政命令を布告する。すべてがわたしの裁きの内にあり、すべてがわたしの義の中にあり、すべてがわたしの威厳の中にある。わたしはすべての者に対して義を実践する。わたしを信じると言いながら心の奥でわたしに背く者や、心でわたしを捨てた者は追放されることになるが、すべてはわたしの時に応じて行われる。人に知られぬようにわたしのことを皮肉を込めて話す者は、ただちに死ぬであろう(彼らは霊も魂も肉体も滅びることになる)。わたしの愛する者たちを弾圧したり冷遇したりする者は、わたしの憤りによってただちに裁かれるだろう。つまり、わたしの愛する者たちに嫉妬心を抱き、わたしのことを義でないと思う者は、わたしの愛する者たちに引き渡され、裁かれることになる。品行方正な者、質素な者、正直な者(知恵がない者も含む)、そしてひたむきな誠実さでわたしに尽くす者は、みなわたしの国に留まる。訓練を受けていない者たち、つまり正直だが知恵と見識に欠けている者たちは、わたしの国で権力を持つことになる。しかし彼らも取り扱かわれ打ち砕かれてきたのだ。彼らが訓練を受けていないというのは絶対的なことではなく、むしろそのことを通して、わたしが全能性と知恵をすべての者に示すのだ。今もわたしを疑う者はすべて追放される。わたしはその中の一人も欲さない(このような時にまだわたしを疑っている者は非常に忌まわしい)。わたしは全宇宙にわたって行う業により、わたしの行為の素晴らしさを誠実な人々に示し、それによって彼らの知恵、見識、識別力を高める。そして不正直な人々は、わたしの驚くべき業によって一瞬のうちに滅ぼされる。最初にわたしの名を受け入れた長子たち(あの聖く穢れなき正直な人々)は皆、真っ先に神の国に入り、わたしと共に万国万民を支配し、神の国で王として治め、万国万民を裁くことになる(これは神の国のすべての長子たちを意味し、それ以外の者ではない)。万国万民の中で裁きを受けて悔い改めた者は、わたしの国に入り、わたしの民となる。一方、頑なで悔い改めない者たちは、底なしの穴に投げ込まれる(そして永遠に滅ぼされる)。神の国での裁きは最後の裁きとなり、それによってわたしは世界を完全に清めることになる。それ以降はもはやどんな不正も、悲しみも、涙も、嘆息もなくなり、そしてそれ以上に、世界も存在しなくなる。すべてはキリストの現れとなり、すべてがキリストの国となるのだ。何という栄光か!何という栄光だろうか!

『言葉は肉において現れる』より引用

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