日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 443

2020年10月23日

あなたがたは自分が今身に付けるべきことを知っているのか。その一面は働きについてのビジョンに関わっており、もう一つの面が実践だ。あなたがたはこの両方の側面を把握する必要がある。いのちの進歩を追求する際にビジョンを持っていなければ、あなたには基盤がないことになる。ただ実践の道だけを身に付けても、ビジョンが皆無で、全体的な経営(救いの)計画の働きを何も理解していなかったら、あなたは何の役にも立たない。ビジョンに関する真理を理解しなければならず、実践に関連する真理については、理解した後に適切な実践の道を見いだす必要がある。言葉に従って実践し、自分の状況に従って入らなければならないのだ。ビジョンは基盤であり、その事実に留意しないなら最後まで付き従うことはできないだろう。経験をそのようなやり方で得ているなら、道に迷うか、躓いて失敗することになるだろう。成功できる可能性はない。大いなるビジョンを基盤として身に付けていない者には失敗しかなく、成功することはできない。あなたは揺るぎなく立つことができないのだ。神を信じるとはどういうことかを知っているのか。神に付き従うとはどういうことかを知っているのか。ビジョンなくして、どのような道を歩もうというのか。現在の働きにおいては、ビジョンを持っていないなら完全にされることはあり得ない。あなたは誰を信じているのか。なぜ神を信じているのか。なぜ神に付き従っているのか。自分の信仰を、一種のゲームのようなものだと思っているのか。自分の命を何かの玩具のように扱っているのか。今日の神は最も偉大なビジョンである。あなたはその神についてどの程度知っているのか。その神をどの程度見たことがあるのか。今日の神を見たことで、信仰の基盤は確かなものになっているのか。そのように、混乱しながらでも付き従っている限り、救いを得られると思っているのか。泥水の中で魚を捕まえることができると思うのか。それはそんなに簡単なことか。今日神が発している言葉について、あなたはいくつの観念を捨て去ったのか。あなたは今日の神のビジョンを持っているのか。今日の神に関するあなたの理解はどこにあるのか。あなたはいつも、ただ神に付き従っていれば、あるいはただ神を見さえすれば、神を得ることができ、誰も自分を排除はできないと考えている。しかし、神に付き従うことがそれほど容易だと考えてはいけない。重要なのは神を知り、神の働きを知るということであり、神のために苦難に耐え、自らの命を捧げ、神に完全にされる意志を持たねばならないのだ。これが、あなたが備えねばならないビジョンである。いつも恵みを得ることばかり考えていても何にもならない。神がただ人間を楽しませ、人間に恵みを与えるためにいると考えてはならない。それは間違いなのだ。自らの命を賭けて神に従い、この世で所有するものすべてを捨てて付き従うことができないなら、その者は絶対に最後まで付き従うことはできない。ビジョンを自分の基盤とする必要があるのだ。いつかその身に不幸が降りかかったら、あなたはどうするべきか。それでも神に付き従うことができるだろうか。最後まで付き従えるかどうかを、軽い気持ちで答えてはならない。まず目を見開いて、今がいつなのか見てみなさい。今あなたがたは神殿の柱のようであるかもしれないが、そのような柱がみな虫に食われて神殿が倒れる時が来る。なぜなら現在、あなたがたには非常に多くのビジョンが欠けているからだ。あなたがたは自分の小さな世界だけに気を配っていて、最も信頼性が高く適切な探求の方法とは何かを知らない。そして現在の働きのビジョンに注意しておらず、それを心に留めてもいない。あなたがたは自分の神が、いつか自分を最も見知らぬ地へ送るということを考えたことがあるだろうか。わたしがいつかあなたがたのすべてを奪い去ったら、自分がどうなるかを想像できるだろうか。その日、あなたがたの活力は今と同じだろうか。あなたがたの信仰は再び現れるだろうか。神に付き従う上で、あなたがたはこの「神」という最大のビジョンを知らねばならない。それが最重要事項なのだ。また、この世の人間たちと縁を切って聖別されることで、自分が必ずしも神の家族になると考えてはならない。現在、被造物の間で働きを行っているのは神自身であり、神が人々の中に現れて自らの働きを行っているのだ。何かの組織運動を展開しているのではない。あなたがたの中で、現在の働きが受肉した天の神の働きであることを理解できる者は一握りにも満たない。その働きの趣旨は、あなたがたを傑出した才能の持ち主にすることではなく、あなたがたが人生の意義を知り、人間の終着点を知り、神と神の全体像を知れるようにすることなのだ。あなたは自分が創造主の掌中にある被造物であることを知らねばならない。何を理解すべきか、何を行うべきか、そしてどのように神に付き従うべきか――こういったことが、あなたの理解すべき真理であり、あなたが見るべきビジョンではないか。

人々はビジョンを備えれば、基盤を持つことになる。それを基盤として実践を行えば、入りははるかに容易になるだろう。そのように、一度入りのための基盤を持てば、もう疑念を持つことはなくなり、非常に容易に入れるようになる。ビジョンを理解し神の働きを知ることの、この側面は重大であり、必ず身に備えておかねばならない。真理のこの側面を身に備えることなく、実践の道についての語り方だけを知っているとすれば、それは重大な欠陥となる。わたしはあなたがたの多くが、真理のこの側面を強調していないことに気づいた。その話を聞くときも、ただ言葉や教義だけに耳を傾けているようだ。いつの日か、あなたは大損することになるだろう。現在の言葉のいくつかを、あなたはよく理解しておらず、受け入れてもいない。その場合は忍耐強く探求することで、いつか理解できる日が来るだろう。少しずつ、より多くのビジョンを身に付けていきなさい。霊的な教義を少ししか理解していなかったとしても、ビジョンにまったく注意を払わないよりはましであり、何一つ理解していないよりはよい。そのすべてがあなたの入りに役立ち、あなたの抱いている疑念を払拭することになるだろう。そうした状態は、観念に満たされている状態よりもましだ。そうしたビジョンを基盤としているほうがはるかによい。疑念などは一切なくなり、堂々と自信を持って入ることができるようになるだろう。なぜいつもそんなに戸惑い疑いながら神に付き従う必要があるのか。それは現実から目をそむけているのと同じではないか。堂々と闊歩して神の国に入るのは、どれほど気分がよいことだろう。なぜそれほど疑念に満ちていなければならないのか。あなたはあえて修羅場を潜っているだけではないのか。ヤーウェの働き、イエスの働き、そして現在の働きの段階について一度理解できれば、あなたは基盤を得ることになる。現時点では、それは非常に単純なことに思えるかもしれない。中には次のように言う人もいる。「時が来て聖霊が大いなる働きを始めたら、わたしはこれらのことすべてについて語れるようになる。今わたしがよく理解していないのは、聖霊がまだわたしをそれほど啓いていないからだ」。だがそれはそんなに簡単なことではない。今真理を受け入れる気があるなら、時が来ればそれを自在に用いられるようになる、などということではないのだ。必ずしもそうなるとは限らない。あなたは今自分が必要なものを十分に備えていて、宗教関係者や偉大な理論家にも問題なく対応できるし、彼らを論破すらできると思っている。しかし本当にそうできるのだろうか。そんな表面的な経験だけで、どんな認識を語ることができるのか。真理を身に備え、真理の戦いを行い、神の名を証しするということは、あなたが考えているように、神が働いてさえいればすべて成し遂げられるというようなことではないのだ。あなたはそのときまでに何かの質問に詰まるかもしれず、それで言葉を失ってしまうだろう。重要なのは、この働きの段階を明瞭に理解しているかどうか、そしてそれをどの程度実際に知っているかということなのだ。敵の勢力に勝利することも、宗教の勢力を倒すこともできないなら、あなたは役立たずだということにならないだろうか。あなたは現在の働きを経験し、それを自分の目で見て、自分の耳で聞きはしたものの、それでも最終的に証しに立つことができなかったとしたら、それでもまだ生き続ける度胸があるだろうか。誰に対して顔向けできるのか。今そのことをそんなに簡単だと思っていてはならない。今後の働きは、あなたが想像しているほど単純ではない。真理の戦いはそれほど簡単でも単純でもないのだ。今あなたは備えておく必要があり、真理を身に備えていなければ、時が来て、聖霊が超自然的な働きを行わなかったとき、あなたは途方に暮れることになるだろう。

『神の出現と働き』「働きを理解しなさい――混乱したまま付き従ってはならない」(『言葉』第1巻)より

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