日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 471

2020年9月28日

終わりの日における神の働きでは、ヨブの確信さえも超える、途方もなく強い確信が必要とされる。確信がなければ、人は経験を得続けることも、神によって完全にされることもできない。大いなる試練の日が来るとき、教会を去る人がそこかしこにいるだろう。それまでの追求が極めて順調で、なぜ信仰を止めるのかよくわからない人もいるだろう。あなたに理解できない様々なことが起こり、神はしるしや不思議を表わさず、超自然的なことを一切行なわない。こうしたことは、あなたが揺るぎなく立てるかどうかを確かめるのが目的であり、神は事実を使って人を精錬するのである。あなたはまだそれほど苦しんでいない。将来、大いなる試練が訪れるとき、ある場所ではあらゆる者が教会から去り、あなたと良好な関係にあった者たちが信仰を捨てて立ち去るだろう。そのとき、あなたは堅く立っていられるだろうか。現在に至るまで、あなたが経験してきた試練は軽いものだが、あなたはおそらく、やっとの思いでそれらを耐えてきたのだろう。この段階に含まれるのは、言葉による精錬と完全化だけである。次の段階では、事実があなたに降りかかってあなたを精錬し、そのときあなたは厄災のさなかに陥るだろう。ひとたびそれが深刻になれば、神はあなたに急いで去るよう勧告し、宗教関係者があなたを誘惑し、自分たちと一緒に行かせようとするだろう。それは、あなたがその道を歩み続けられるかどうかを確かめることが目的であり、こうしたことのすべては試練なのである。現在の試練は軽いものだが、いつの日か、両親が信仰を止めた家、子どもたちが信仰を止めた家も出てくるだろう。それでもあなたは信仰を続けられるだろうか。あなたが前進すればするほど、あなたの試練も大きくなる。神は人の必要と霊的背丈に応じて、人を精錬する働きを行なう。神が人を完全にする段階において、人の数が増え続けるということはあり得ない。ひたすら減少するだけである。この精錬を通じてでなければ、人は完全にされ得ない。取り扱い、懲らしめ、試練、刑罰、呪いなど、あなたはそのすべてに耐えることができるのか。兄弟姉妹がみな極めて精力的に探求している、とりわけ良好な状況の教会を見ると、あなた自身も励まされる。しかしいつの日か、ある者は信仰を止め、ある者は仕事や結婚のために立ち去り、ある者は宗教に参加するなどして、それら兄弟姉妹が全員立ち去ったとき、あなたは揺るぎなく立てるだろうか。自分の中で影響を受けずにいられるだろうか。神が人間を完全にするのは、それほど単純なことではない。神は様々な物事を活用して人間を精錬する。人はそれらを手段として認識するが、神の本来の意図によれば、それらは決して手段ではなく、むしろ事実である。最終的に、神が人を一定の段階まで精錬し、人に不平が一切なくなったとき、神の働きのその段階は完了する。聖霊の大いなる働きはあなたを完全にすることだが、聖霊が働きを行なわずに姿を隠すとき、その働きは、それにも増してあなたを完全にすることを目的とするものであり、とりわけそうすることで、人々に神への愛があるかどうか、神に対する真の確信があるかどうかがわかる。神が明白に語るとき、あなたが探し求める必要はない。あなたが探し求め、手探りで歩む必要があるのは、神が隠れたときだけである。あなたは被造物としての本分を尽くし、将来の結果や終着点がどのようなものであっても、生きているあいだに神に関する認識と神への愛を求め、そして神があなたをどう扱うかを問わず、不平を言わずにいることができなければならない。聖霊が人の中で働きを行なうにあたっては、一つだけ条件がある。人は渇望して求め、神の行ないに対して気持ち半分になることも、疑念を抱くこともなく、いかなるときも自分の本分を守れなければならない。そうすることでのみ、人は聖霊の働きを得ることができる。神の働きの各段階において、人間に要求されているのは、途方もなく大きな確信と、神の前に出て求めることであり、経験を通じてでなければ、神がいかに愛すべき存在であるか、聖霊が人においていかに働きを行なうかを理解することはできない。あなたが経験せず、模索せず、求めることもなかったとしたら、あなたが得るものはないだろう。あなたは経験を通じて模索する必要があり、自分の経験によってでなければ、神の業を理解し、神の不思議と計り知れなさを認識することはできないのである。

『神の出現と働き』「あなたは神への忠誠を保たなければならない」(『言葉』第1巻)より

人が為すべきことを保持しなさい

純潔な乙女と聖なる霊の体を捧げる。それは神に誠意を尽くすこと、人が神に誠意を尽くせるのは純潔だ。聖霊の働きには条件がある。人は心を尽くして求め、神の行いに疑惑を持たず、本分を常に保持すべきだ。これが聖霊の働きを得る方法。この道が正しいと信じるなら、終わりまで従い、神へ忠誠を尽くすべきだ。あなたを完全にするため、神自らが地上に来るのを見たのだから、心全てを神に捧げるべきだ。神が何をしても、あなたの結果が悪くても、常に神に従うことができる。これが純潔を保つということ。

神の働き全てに人は大きな信仰を持ち、神の前で求めるべきだ。人は経験を通してのみ、神の麗しさ、聖霊の働きを見ることができる。あなたが経験・模索せず、求めないなら何も得ないだろう。経験を通し、神の業を素晴らしく、計り知れない神を見るから、この道が正しいと信じるなら、終わりまで従い、神へ忠誠を尽くすべきだ。あなたを完全にするため、神自らが地上に来るのを見たのだから、心全てを神に捧げるべきだ。神が何をしても、あなたの結果が悪くても、常に神に従うことができる。これが純潔を保つということ、創造物の本分を尽くし、たとえ結果がどうであろうと、神を知り、愛することが求められる。どう扱かわれようと不平を言わない。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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