日々の神の御言葉「神の実際性に絶対的に服従できる者は真に神を愛する者である」抜粋490

2020年9月27日

現在、試練の最中にありながら、神の働きを理解していない人が多数いる。しかし、あなたにこれを言っておく。理解していないのであれば、それについて判断しないほうがよい。おそらく、真実が残らず明るみに出て、あなたが理解する日が来るだろう。判断を下さないことはあなたにとって有益だが、ただ消極的に待つだけではいけない。積極的に入ることを求めなければならないのであり、そうして初めて真に入る者になる。人は自身の反逆性のために、実際の神に関する観念を絶えず膨らませている。そのせいで、すべての人がどう従順であるべきかを学ぶ必要が生じる。なぜなら、実際の神は人類にとって巨大な試練だからである。揺るぎなく立てないのであれば、すべて終わりである。実際の神に関する現実を理解していなければ、あなたが神によって完全にされることはあり得ない。人が完全にされ得るかどうかにおいて重要な段階は、その人が神の実際性を理解することである。地上に来た受肉した神の実際性は、すべての人にとって試練である。この点において揺るぎなく立てるならば、あなたは神を知る者、神を真に愛する者である。この点において揺るぎなく立てず、霊だけを信じ、神の実際性を信じられないのであれば、神への信仰がどれほど大きくても、それは無益である。目に見える神を信じられないのであれば、神の霊を信じられるだろうか。あなたは単に神を欺そうとしているのではないか。あなたは目に見える有形の神の前で従順ではないが、霊の前では従えるのか。霊は目に見えず無形である。ならば、神の霊に従うと言うのであれば、あなたは無意味なことを話しているのではないか。戒めを守る上で重要なのは、実際の神を理解することである。ひとたび実際の神を理解すれば、戒めを守れるようになるだろう。戒めを守ることは二つの要素から成っている。一つは神の霊の本質を固く掴み、霊の前で霊の吟味を受け入れられるようになることである。もう一つは、受肉した身体を真に理解し、真の従順を成し遂げることである。肉の前か霊の前かを問わず、人は神に対する従順さと畏れを常に抱かなければならない。そのような人にだけ、完全にされる資格がある。実際の神の実際性を理解しているなら、つまりこの試練において揺るぎなく立ってきたのであれば、あなたの手に余ることは何一つないはずだ。

中には、「戒めを守るのは簡単だ。神の前では率直かつ敬虔に話し、身振りなどしなければそれでいい。それが戒めを守るということだ」と言う人がいる。それは正しいだろうか。それならば、陰で神に抵抗する事柄をいくつか行なっても、戒めを守っていると見なされるだろうか。戒めを守ることには何が含まれているのかについて、あなたは徹底的に認識していなければならない。それは神の実際性を本当に認識しているかどうかに関連している。実際性に関する認識があり、この試練のさなかに躓いて倒れることがなければ、あなたに強い証しがあると見なされる。神のために鳴り響くような証しをすることは、おもに実際の神に関する認識があるか否か、そして普通であるだけでなく正常なこの人の前で服従し、死に至るまで従い続けられるかどうかと関連している。この従順さによって神のために真の証しをするならば、それはあなたが神によって得られたことを意味する。死に至るまで服従し、神の前で不満がなく、判断したり中傷したりせず、観念を抱かず、秘めたる意図を一切もたずにいられるなら、神はこのようにして栄光を得る。人から見下されている普通の人の前で従順になること、そして観念を抱かず死ぬまで従えることこそが、真の証しである。神が人々に入るよう要求する現実とは、あなたが神の言葉に従い、それらを実践し、実際の神の前にひれ伏し、自分の堕落を知り、神の前で自分の心を開き、最終的にこれらの神の言葉によって神に得られることができることである。それらの言葉があなたを征服し、神に対して完全に従順にするとき、神は栄光を得る。神はそれによってサタンを辱め、自身の働きを完了させる。受肉した神の実際性についてあなたが何の観念も抱かないのであれば、つまりこの試練において揺るぎなく立ってきたならば、あなたはその証しを立派にしたことになる。実際の神を完全に理解し、ペテロのように死に至るまで神に従える日が来るならば、あなたは神によって得られ、完全にされるだろう。神が行なうことのうち、あなたの観念に則していないものはすべてあなたにとっての試練である。神の働きがあなたの観念に則していれば、あなたはそのために苦しんだり精錬されたりする必要はないだろう。そうした観念を捨て去る必要があるのは、神の働きが極めて実践的であり、あなたの観念に則していないからである。それがあなたにとって試練であるのはそのためである。すべての人が試練の最中にあるのは、神の実際性のためである。神の働きは実践的であり、超自然的ではない。神の実践的な言葉と発言を、観念を抱かず完全に理解し、その働きがますます実践的になるにつれて神を真に愛せるようになることで、あなたは神によって得られるだろう。神が得る人の集団は、神を知る者たち、すなわち神の実際性を知る者たちである。さらに彼らは、神の実践的な働きに服従できる者たちである。

『言葉は肉において現れる』より引用

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