日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 547

2020年10月10日

神に関する認識がない者は、決して神に完全に従うことができない。そのような人は不服従の子である。彼らは野心が強過ぎ、過剰な反抗心が中にあるので、神と自分との間に距離を置き、自ら進んで神の吟味を受け入れようとしない。このような人は、容易に完全にされることができない。神の言葉をどう飲み食いして受け入れるかについて、選り好みする人もいる。そのような人は神の言葉のうち、自分の観念と一致する部分は受け入れるが、一致しない部分は拒絶する。それは神に対する最も露骨な反逆と反抗ではないか。長年にわたって神を信じているにもかかわらず、神に関する認識を少しも得ていないのであれば、その人は不信者である。進んで神の吟味を受け入れる者は、神についての認識を追求する者であり、進んで神の言葉を受け入れる者である。彼らは神の遺産と恵みを授かる者たちであり、最も祝福されている。神は心の中に神の居場所がない者を呪い、そうした人たちを罰して捨てる。あなたが神を愛さないなら、神はあなたを捨て、あなたがわたしの言葉に耳を傾けないなら、神の霊があなたを捨てるだろうと約束する。それが信じられないなら、試してみるがよい。今日、わたしはあなたに実践の道を明らかにするが、それを実践するか否かはあなた次第である。あなたがそれを信じず、実践に移さないなら、聖霊があなたの中で働くかどうか、身をもって知るだろう。あなたが神について認識することを追求しないのであれば、聖霊はあなたの中で働かない。神は、神の言葉を追い求め、それを貴ぶ者たちの中で働きを行なう。あなたが神の言葉を貴べば貴ぶほど、神の霊はますますあなたの中で働く。人が神の言葉を貴べば貴ぶほど、その人が神によって完全にされる確率も高くなる。神は、真に神を愛する者たち、心が神の前で安らいでいる者たちを完全にする。神のすべての働きを貴び、神の啓示を貴び、神の臨在を貴び、神の気遣いと加護を貴び、神の言葉が自分の現実となり、自分のいのちに糧を施すことを貴ぶのは、いずれも神の心に最もかなうことである。あなたが神の働きを貴ぶなら、つまり、神があなたに対して行なったすべての働きを貴ぶなら、神はあなたを祝福し、あなたが所有するすべてのものを何倍にも増やすだろう。あなたが神の言葉を貴ばないなら、神はあなたの中で働きを行なわず、あなたの信仰に応じてわずかな恵みを与えるか、もしくは、わずかな富であなたを、わずかな安全であなたの家族を祝福するだけだろう。あなたは、神の言葉を自分の現実とし、神を満足させ、神の心にかなうことができるよう努めるべきである。ただ神の恵みを享受するためだけに努力してはならない。信者にとって、神の働きを受けること、完全になること、そして神の旨を行なう者となること以上に重要なことはない。これがあなたの追求すべき目標である。

恵みの時代に人間が追求したものは今や役に立たない。なぜなら、現在ではより高水準の追求が存在するからである。追求されるものはより高尚かつ実践的であり、人間の内面的必要をよりよく満たすことができる。過去の時代において、神は人々に対して今日のように働きを行なわなかった。人々に対して今日ほど多く語ることもなく、彼らへの要求も今日の要求ほど高くはなかった。神が現在あなたがたにこれらのことを語るのは、神の最終的な意図があなたがた、すなわちこの人々の集団に重点を置いていることを示している。あなたが神によって完全にされることを心から望むのであれば、それをあなたの目標の中心として追い求めなさい。あなたが奔走していようが、自分を費やしていようが、何らかの役割を果たしていようが、神が託す任務を受け取っていようが、目標は常に、完全にされて神の旨を満たすこと、そしてそれらの目標を達成することである。もしも誰かが、自分は神によって完全にされることも、いのちに入ることも追い求めず、肉の安泰と快楽だけを追い求めると言うのであれば、その人は最も盲目な者である。いのちの現実を追求せず、次の世における永遠のいのちと、この世における安全だけを追求する人は、最も盲目な者である。したがって、あなたが行なうすべてのことは、神によって完全にされ、神に得られることを目的としてなされるべきである。

神が人々の中で行なう働きは、彼らの様々な必要に応じて彼らに施すためのものである。人のいのちが大きければ大きいほど、その人はいっそう多くのものを必要とし、さらに多くのものを追求する。もしこの段階であなたに何も追求するものがないなら、それは聖霊があなたを捨てた証拠である。いのちを追求する者はみな、決して聖霊に捨てられることがない。このような人たちは常に追い求め、常に心の中で渇望している。このような人たちは決して現状の物事に満足しない。聖霊による働きの各段階は、あなたの中で効果を発揮することを目的としているが、あなたが自己満足して何も必要としなくなり、聖霊の働きを受け入れなくなったなら、聖霊はあなたを捨てるだろう。人々は神による日々の吟味を必要としている。彼らは神から施される日々の豊かな糧を必要としている。神の言葉を日々飲み食いすることがなければ、人は対処できるだろうか。神の言葉をどれだけ飲み食いしても満足できず、常に神の言葉を求め、それに飢え渇いているなら、聖霊はその人の中で絶えず働きを行なう。人が渇望すればするほど、その人の交わりからより実践的な物事が生じる。真理を強く求めれば求めるほど、その人は自分のいのちをより早く成長させ、経験豊富になり、神の家の豊かな住人となるだろう。

『神の出現と働き』「神は自身の心にかなう者を完全にする」(『言葉』第1巻)より

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