日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 311

2020年9月21日

上から下まで、最初から最後まで、サタンは神の働きを乱し、神に敵対する行動を取ってきた。「古代文化遺産」や貴重な「古代文化の知識」、「道教と儒教の教え」、儒教の五経と封建的儀式に関する話が、人間を陰府に連れて行った。現代的な先進科学技術も、高度先端産業、農業、商業もどこにも見当たらない。むしろ魔王は故意に神の働きを阻害し、それに反対し破壊するために、古代の「類人猿」が広めた封建時代の儀式をひたすら強調するだけである。魔王は現在に至るまで人間を苦しめ続けるだけでなく、人間を丸ごと飲み込むことさえ望んでいる。封建主義的な道徳倫理の教えや古代文化の知識の継承が、長年にわたって人類を蝕み、大小の悪魔へと変貌させた。神を喜んで受け入れ、神の降臨を歓迎するであろう者はほとんどいない。あらゆる人間の表情は殺気に満ち、至る所で殺気が感じられる。悪魔は神をこの地から排除しようとする。神を「抹消する」ために、刀剣を持って陣を組んでいる。悪魔のものであるこの地のあらゆるところで、「神はいない」と人間は絶えず教えられ、偶像が広まり、地上の空気には吐き気を催すような紙と香を燃やす臭いが漂い、あまりに強くて窒息するほどである。それは毒蛇がとぐろを巻く時に放つ汚泥の臭いのようであり、嘔吐せずにはいられない。それに加えて、悪魔の読経の声、陰府の遠い所から来るような声がかすかに聞こえ、震えずにはいられない。虹色の偶像がこの地のあらゆる所に置かれ、この地を官能の世界へと変える。一方、魔王はその卑劣な企みが成功したかのように、邪悪に笑い続ける。この間、人間はまったく何にも気付かず、感覚がなくなり、打ち倒されて頭を垂れるほどまでに自分がすでに悪魔に堕落させられていることに気付かない。悪魔は神に関する一切のものを一掃し、再び神を冒涜し暗殺したがっている。悪魔は神の働きを打ち壊し、妨害しようと決意した。どうして悪魔は神が同等の地位にあることを甘受できようか。どうして悪魔は、人間のあいだで行う地上での働きをもって、神が「邪魔する」のを許すことができようか。どうして悪魔は自分の醜悪な顔を神が暴くのを許すことができようか。どうして悪魔は自分の働きを神が妨害することを許せようか。どうして激しい怒りに包まれた悪魔が自分の地上の朝廷を神が支配することを甘受できようか。どうして悪魔が自ら敗北を認めることができようか。悪魔の醜悪な表情はそのまま露呈しており、それゆえ人間は笑うべきか泣くべきか分からなくなり、悪魔について語ることは極めて困難である。それが悪魔の本質ではなかろうか。醜い魂をもつ悪魔は、それでも自分が驚異的に美しいと信じている。この犯罪者集団が!悪魔は人間界に来て享楽にふけり、騒動を引き起こし、物事をかき乱す。そのせいで世界は移ろいやすく不安定な場所になり、人の心はろうばいと不安で一杯になっている。悪魔は人間をもてあそび、そのひどさたるや、人間の外見は非人間的な野獣のようになり、本来の聖者らしさの最後の名残りも失われた。さらに悪魔は、地上の支配権を握ることさえ望んでいる。悪魔が神の働きを妨害しているため、わずかな前進もままならない。また悪魔は銅と鋼の壁のように、人間を封じ込めている。極めて多くの罪を犯し、災難を引き起こしてきておきながら、悪魔はいまだに刑罰以外の何かを期待しているのか。悪魔と悪霊は地上を暴れ回り、神の心と丹精を込めた努力を封じ込めてきたため、浸透不可能になっている。何という大罪であろうか。どうして神が不安にならずにいられようか。どうして神が怒らずにいられようか。悪魔は神の働きに重篤な妨害や反対を引き起こしている。何と反逆的なことか。そのような大小の悪魔さえも、獅子の足元にいる野生犬のようにふるまい、邪悪な潮流に従い波乱を引き起こす。悪魔は真理を認識しつつ、故意に真理に逆らう。まさに反逆の子である。それはまるで、地獄の王が玉座に就いたので、悪魔たちは自惚れて他人を皆、侮辱するようになったかのようである。そのうちの何人が真理を求め、義に付き従っているのか。彼らは皆、糞の中の臭い蠅の一群の先頭に立つ豚や犬のような畜生であり、満足そうに頭を振って、あらゆる災難を起こしている。悪魔は自分たちの地獄の王がすべての王の中で最も偉大だと信じ、自分たちが臭い蠅に過ぎないことなど知らない。それでいながら、自分が親としている豚や犬の権力を利用して神の存在を中傷する。自分たちが小蠅であるため、悪魔は自分の親がハクジラのように大きいと信じている。彼らは極めて小さい存在であるが、自分の親が何億倍も大きな不浄な豚や犬であることに気付かない。自分の卑しさに気付かず、豚や犬の腐った臭いを頼りにして暴れ回り、恥じることもなく、将来の世代を生み出す妄想にとらわれている。背中に緑色の羽根を付けて(これは彼らの神を信仰しているという主張を指す)、自惚れて自分の美しさと魅力を至るところで自慢するが、同時に自分の不純物を密かに人間になすりつける。さらに、あたかも虹色の羽根を使って自分の不純物を隠すことができるかのように、彼らは自分に極めて満足している。また、その手段を用いて真の神の存在を圧迫する(これは宗教界の舞台裏で起きていることを指す)。蠅の羽根がどれほど美しく魅力的であろうと、蠅そのものはつまるところ腹の中は不浄に満ち、身体は細菌に覆われた小さな生き物に過ぎないことが、どうして人間にわかるであろうか。親である豚や犬の力を借り、彼らはその野蛮さを抑えることなく地上で暴れ回る(これは神を迫害する宗教関係者が国家政府の強い支援を頼りに真の神と真理に反抗する様子を指す)。あたかもユダヤのパリサイ人の幽霊が神とともに、古巣である赤い大きな竜の国家に戻って来たかのようである。彼らは新たな迫害を行ない、数千年前の仕事を再開したのである。この堕落者の集団が最後には地上で滅びることは確実である。数千年が経過した後、汚れた霊はさらに狡猾で悪賢くなったようである。彼らは神の働きを密かに台無しにする術を常に考えている。狡猾で悪賢く、数千年前の悲劇を自国で再現したがっている。そのため神をあおり、神は大声で叫ぶ寸前の状態である。神は第三の天に戻って彼らを滅ぼさずにいられない。神を愛するためには、人間は神の心意、神の喜びと悲しみを把握し、神が何を嫌悪するかを理解しなくてはならない。そうすることにより、人間はさらに入って行くことができる。人間の入りが早ければ早いほど、神の心意も早く満たされる。人間が魔王を明瞭に識別すればするほど、人間はそれだけ神と近付き、それにより神の望みは実現する。

『神の出現と働き』「働きと入ること(7)」(『言葉』第1巻)より

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