神の呼びかけと救い 讃美合唱

2019年1月10日

堕落した人類の悲哀

神とともに幾時代も歩みながら、神が万物と生きとし生ける物の運命を支配し、あらゆるものを指揮し、導いていると、誰が知っているだろうか?これは人の心をすり抜けたが、神の業があいまいで神の計画が実現されていないからではない、人の心と霊が神から遠く離れているからだ、彼らは気づかないだろうが、神に従うときも、彼らはまだサタンに仕えている。

誰も神の足跡や神の現れを探し求めない、誰も神の配慮と見守りを望まないが、この世とこの世の主義に順応するために、進んで悪に頼ろうとする、そして人の心と霊はサタンの手の中に落ち、その食い物にされる、彼らはその食い物にされる、今サタンが住み好きなように遊ぶ人の霊と心を見よ。

人の理解は消えてゆき、彼らの生存の目的と価値と、人であることの意味がもはや分からない、神をもう求めず、心は神の契約と律法を無視する、時が経つにつれ、誰が語り、誰が理解できるだろうか? 神が人類を造った訳を、誰も神の口から出る言葉を理解することも、それら全てが神から出ていると気づくこともない、彼らは神の全ての定めと律法に抵抗し始め、鈍くなった心と霊がすぐにあとに続く、従って、神は自分が造った人間を失い、人間はその根を失う、これは人類の悲劇的な悲哀だ、ここに人類の悲劇的な悲哀がある、ここに人類の悲劇的な悲哀がある。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

朗読「全能者の目は、苛酷な苦しみにある人類を見回っている――苦しむ人々の泣き叫びを聞き、苦しめられた人々の不道徳を見、さらに救いを失ってきた人類の無力や不安を感じながら。人類は全能者の心配を拒絶し、彼ら自身の道を歩き、全能者の目が探るのを避ける。彼らはむしろ、深海の苦さのすべてをかの敵とともに味わう。」

『言葉は肉において現れる』より

 

サタンによって堕落させられた人間の実状

何年もの間、人が生きるための思想は人の心を堕落させてきた、人はずるく、卑怯で、卑しい、彼らは意志も決意もなく、貪欲で、傲慢で、わがままで、自己を超越し、暗闇の勢力の束縛を打ち砕くには弱すぎる。

人の思いは腐敗しており、人は腐敗した生活を送る、神への信仰についての人の見解は、未だにひどく、聞くに堪えないものである、人は皆、卑怯で、無力で、卑しくて、脆くて、暗闇の勢力へ憎しみを感じることがなく、光と真理を愛するどころか、それらを追い出そうと尽力する。人は皆、卑怯で、無力で、卑しくて、脆くて、暗闇の勢力へ憎しみを感じることがなく、光と真理を愛するどころか、それらを追い出そうと尽力する。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

実際の神は知られずして人間を救う

今回神が肉となったのは、まだ完成させなければならない業を為し、この時代を裁いて終わらせ、人を苦悩の海から救い出し、完全に征服し、人のいのちの性質を変え、夜のように暗い闇の勢力による苦しみと弾圧から、人を解放するためだ。

神は幾度星を見上げ、幾度夜明けに発ち、夕暮れに帰られただろうか?大きな苦痛に耐え、人間の攻撃と「打ち砕き」に耐えながら。神はこのけがれた地に来て、人間による迫害と弾圧を静かに受け止める、やり返したり過分な要求をすることは決してない、ああ、神は人が必要とするすべてのことをただ行う、教え、啓発し、責め、人を言葉で精錬し、思い出させ、勧め、慰め、裁き、人を露わにする。神の一歩一歩は、人のいのちと、人の清めのためだ。神は人の将来と運命を取り除いたが、神が為したことは人類のためである、神の一歩一歩は人の生存のため、全人類がこの地で良い終着点を持つためだ、全人類がこの地で良い終着点を持つためだ。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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