日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 63

2021年10月9日

人々が知って理解するようになったことが、神の性質や神が所有するものと神そのものだとしたら、それによって得られるのは神から生じるいのちです。ひとたびこのいのちが自分の中で形作られると、神への畏れが次第に大きくなります。それは極めて自然に生じる成果です。神の性質や本質について、それを理解しようと望まず、また知ろうともしないなら、あるいはそれらの事柄を考えたり重視したりすることさえ望まないなら、神への信仰を追求するにあたってあなたが現在行なっている方法では、神の旨を満足させることも、神の称賛を得ることも決してできないと断言できます。それ以上に、神の救いも決して得られません。それが最終的な結果です。神を理解せず、神の性質を知らなければ、神に対して真に心を開くことはできません。いったん神を理解すれば、神の心中にあるものを、関心と信仰をもって理解し、味わうようになります。神の心中にあるものを理解して味わうとき、神に対して徐々に心が開かれていきます。神に対して心が開いたとき、自分がしてきた神とのやりとり、神に対する要求、そして自分自身の過度な欲望がどれほど恥ずかしく軽蔑に価するかを感じるようになります。神に対して真に心を開いた時、神の心が無限の世界であることや、自分が未体験の領域へと入ってゆくのがわかります。この領域には嘘や欺瞞、闇や邪悪がまったくありません。そこにあるのは誠実さと忠実さ、光と正しさ、義と優しさだけなのです。この領域は愛と思いやり、慈悲と寛容にあふれ、それを通じて生きていることの幸福と喜びを感じることができます。あなたが神に心を開いたとき、神はこれらのことをあなたに明かすのです。この無限の世界は神の知恵と全能、また神の愛と権威に満ちています。そこでは、神が所有するものと神そのもの、神に喜びをもたらす物事、神が懸念を抱く理由、神が悲しむ理由、神が怒りを抱く理由について、そのあらゆる側面がわかります。心を開いて神が入ってくるのを受け入れた人はみな、これらの事柄がわかるのです。神があなたの心に入れるのは、あなたが神に心を開くときだけです。神があなたの心に入ったときにだけ、あなたは神が所有するものと神そのもの、そしてあなたに対する神の旨を理解できるのです。そのとき、神に関するすべての物事が尊いこと、神が所有するものと神そのものが大切にする価値のあるものだとわかります。それに比べると、あなたの周囲の人々、生活における物事や出来事、そしてあなたの家族や伴侶、あるいはあなたが愛する物事さえ、述べる価値すらありません。それらはとても小さく卑しいものであって、自分が何らかの物体に引きつけられることはない、あるいは何らかの物体が自分を誘惑し、その代価を払わせることは二度とできないと感じるようになります。あなたは神の謙虚さの中に、神の偉大さと至高を目の当たりにします。そのうえ、あなたは神の業の中に、自分がそれまで、神の無限なる知恵と寛容はごく小さなものだと信じていたこと、そして自分に対する神の忍耐、寛容、および理解を目の当たりにします。こうした事柄により、あなたの中に神への愛が育まれます。あなたはその日、人類がとてつもなく汚れた世で生きていること、身近な人々や生活の中の出来事、自分が愛する人や、そうした人のあなたに対する愛、そしていわゆる保護や気遣いさえも、述べる価値すらないものと感じられ、自分が愛するのは神だけであり、自分にとって最も貴重なのは神だけであると感じます。この日が来たとき、次のように言う人々が現われることをわたしは信じています。「神の愛はかくも偉大であり、神の本質はかくも聖なるものだ。神には欺瞞、邪悪、ねたみ、争いが皆無であり、正義と正当性しかなく、神が所有するものと神そのもののすべては、人間が望むべきものである。人間はそれを求めて努力し、熱望すべきだ」では、それを成し遂げる人類の能力は何を基盤としていますか。そうした能力は、神の性質と本質に関する自分自身の理解を基盤としています。したがって、神の性質、そして神が所有するものと神そのものを理解することは、各人が生涯をかけて学ぶことであり、また自分の性質を変え、神を知ろうと努力するすべての人が追い求める目標でもあるのです。

『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 3」(『言葉』第2巻)より

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