日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 132

2020年7月20日

ヨブの人生における取り組みと進歩により、ヨブは安らかに死を迎えることができた

聖句では、ヨブについて、次のように述べられている。「ヨブは年老い、日満ちて死んだ。」(ヨブ記42:17)これは、ヨブが死んだ時、彼には何も後悔することがなく、苦しむことも無く、この世から自然と去ったことを意味している。皆知っている通り、ヨブは生きている時分に神を畏れ、悪を避けていた。神はヨブの正しい行いを讃え、人々はそうした行いを覚えている。ヨブの人生は、他の誰よりも価値があり、重要であった。ヨブは神の祝福を享受し、神はヨブを地にあって正しき者と呼び、また、ヨブは神からの試みに会い、サタンに試された。ヨブは神を証し続け、正しき者と呼ばれるに相応しいとされた。ヨブが神の試みに会った後の数十年間、ヨブは従前にも増して価値が高く、有意義で着実で、平和な人生を送った。ヨブの義なる業のため、神はヨブを試し、ヨブの義なる業のため、神はヨブに現れ、直接言葉を伝えた。それゆえに、ヨブは試された後の年月において、人生の価値を一層具体的に理解し、認識し、創造主による統治を一層深く理解し、創造主が祝福を与え、奪うことに関して、一層正確かつ確実な認識を得た。聖書には、ヨブに対してヤーウェがそれ以前よりも大きな祝福を与え、創造主による統治を知り、安らかに死と直面する上で更に有利な立場にヨブを立たしたことが記されている。したがって、ヨブが老いて死を迎えた時、ヨブは自分の財産について懸念しなかったことは確実である。ヨブには心配も後悔も無く、無論死に対する恐れも無かった。なぜなら、ヨブは生涯を通して神を畏れ、悪を避けて生活し、自分の最期を懸念する理由が無かったからである。現在、死に直面した時のヨブのように行動出来る者は何人いるだろうか。こうした簡単な態度を示すことが出来る者がいないのは何故だろうか。その理由は1つしかない。すなわちヨブは、神による統治に対する信念、認識、服従を主観的に求めて人生を過ごしたが、ヨブはこうした信念と認識、服従をもって人生の重要な節目を過ごし、晩年を過ごし、最期の節目を迎えた。ヨブが経験した事柄によらず、ヨブの人生における取り組みと目標は幸福であり、苦痛ではなかった。ヨブが幸福であったのには、創造主がヨブに与えた祝福や賞讃のみならず、より重要な理由があった。それは、ヨブの取り組みと人生の目標、神を畏れ、悪を避けることで得た、創造主による統治に関する漸進的な認識と真の理解、そして更には、創造主による統治対象として、ヨブが人生において個人的に体験した創造主の奇跡の業、そして人間と神の共存、面識、相互理解に関する、暖かく忘れがたい経験と記憶、創造主の旨を知ることに起因する慰めと幸福、神の偉大さ、驚異、愛すべき存在、忠義を理解した後に生まれる敬意である。ヨブが一切苦痛無しで死を迎えることが出来た理由は、ヨブは死ぬことで創造主の側に還ることを知っていたことである。そして、ヨブの人生における取り組みと進歩が、ヨブが安らかに死を迎えること、創造主がヨブのいのちを取り戻すことに冷静な気持ちで向き合うこと、さらには汚れのないまま、懸念すること無く神の前に立つことを実現させた。現在の人々はヨブが手に入れたような幸福を掴むことが出来るであろうか。あなたがた自身は、そうした幸福を掴む立場にあるであろうか。今日の人間はそうした立場にあるが、それではヨブのように幸福に生きられないのは何故であろうか。今日の人々が死の恐怖の苦悩から抜け出せないのは何故だろうか。死に直面した時、涙を流したり、震えたり、気絶したり、天と人間を非難したり、号泣したり、むせび泣いたりする者もいる。こうした反応は、死が近付いた時に突然現れるものでは決して無い。人間がこうした気恥ずかしい行動を取る主な理由は、心の奥深くで死を恐れていること、神による統治と采配に関する明瞭な知識や認識が無く、ましてそれに心から服従することなど無いこと、そして人間はあらゆる物事を自分で計画して管理し、自分の運命や人生、死を制御することしか望まないことである。したがって、人間は死の恐怖から逃れることが決して出来ないのは当然である。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 3」(『言葉』第2巻)より

神を畏れる者だけが幸福

ヨブという正しい人がいた。常に神を畏れ悪を避け、神に称えられて、人に覚えられ、ヨブは意義と価値ある人生を送っていた。祝福されたが、サタンに試され神の試練を受けた。神を畏れ証しした。彼は義人と呼ぶにふさわしい。何を経験したかに関わらず、ヨブの人生は幸せで苦しみはなかった。幸せだったのは、祝福や称賛だけでなく、追い求めたもののゆえ、彼が神を畏敬することを追い求めたから。

試練の後のヨブの数十年はよりしっかりした意義のある人生。信仰と承認と神の支配に従うことを彼は求めた。これらはヨブの人生に大事な節目を示した。こうして彼は平安な晩年、幸せな最後を迎えた。何を経験したかに関わらず、ヨブの人生は幸せで苦しみはなかった。幸せだったのは、祝福や称賛だけでなく、追い求めたもののゆえ、彼が神を畏敬することを追い求めたから。神を畏れ悪を避ける中、ヨブは神の主権を知った。この経験から創造主の業のくすしさを悟った。ヨブは神とのつながりと交わり、また神との間にある理解ゆえに、幸せだった。幸せだったのは、祝福や称賛だけでなく、追い求めたもののゆえ、彼が神を畏敬することを追い求めたから。幸せは創造主の意志を知り、慰めと喜びを得たゆえ、神の偉大さとくすしさ、愛しさ、誠実さを見た後の畏れゆえだ。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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