日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 190

2020年9月9日

神の経営の六千年の働きは、律法の時代、恵みの時代、神の国の時代と3段階に分かれている。これら3段階の働きはすべて人の救いのためである。すなわち、それらはサタンによってひどく堕落していた人類の救いのためである。しかし、それと同時に、神がサタンと戦うためでもある。そのため、救いの働きだけでも、3段階に分かれており、サタンとの戦いも3段階に分かれ、神の働きの2つの側面は同時に行われることになる。サタンとの戦いは実際人類の救いのためであり、そして人類の救いの働きは一つの段階で完了できるものではないから、サタンとの戦いは段階と期間に分けられている。そして戦いは人の必要性とサタンの人への堕落の大きさに一致してサタンに対して遂行される。おそらく人は、2つの軍が戦い合うように、神がサタンに向かって武器を取って戦うのだろうと考えている。人の知恵はこれくらいしか想像することができない。それはこの上なくあいまいで、非現実的な考えであるが、それが人の信じることである。そして、人の救いの方法はサタンとの戦いを通してなされるとわたしがこうして言うので、人はこれこそ戦いが行なわれる方法だと想像する。人の救いの働きは3段階で実行される。すなわちサタンとの戦いはサタンが完全に滅びる前に3段階に分割されるということである。しかし、サタンとの戦いにおける全ての働きの内なる真実は、人に恵みを施し、人の罪のいけにえとなり、人の罪を赦し、人を征服し、人を完全にすることによってその効果が達成されるということである。実際、サタンとの戦いは、サタンに武器で立ち向かうものではなく、人の救い、人のいのちへの働き、人の性質を変えることであり、それにより人が神の証し人となることである。サタンはこのようにして滅びるのである。人の堕落した性質を変えることを通してサタンは打ち負かされる。サタンが敗北する、つまり人が完全に救われると、それから辱めを受けたサタンは完全に縛られる。こうして人は完全に救われる。そして、人の救いの実体はサタンとの戦いであり、サタンとの戦いはおもに人の救いの反映である。人が征服される終わりの日の段階は、サタンとの戦いの最終段階であり、またサタンの領域からの人の完全なる救いの働きでもある。人の征服の内なる意味はサタンの化身の帰還、つまりサタンに堕落させられた人が征服に引き続いて造り主に戻ることで、これにより人はサタンを見捨て、完全に神に戻る。このようにして、人は完全に救われるだろう。このように、征服の働きはサタンとの戦いにおいて最後の働きで、サタン敗北のための神の経営における最終段階である。この働きがなくては、人の完璧な救いは究極的には不可能で、サタンの完全敗北もまた不可能であろう。そして、人類は決して素晴らしい終着点に入ることはできず、サタンの影響から自由になることもできないだろう。従って、人の救いの働きはサタンとの戦いが終結する前に終えることはできない。というのは神の経営の働きの核心は人の救いであるからである。最初の人類は神の手にあったが、サタンの誘惑と堕落から、人はサタンに縛られ、悪の手に落ちてしまった。そうしてサタンは、神の経営の働きの中で打ち負かす対象となった。サタンは人を自分の所有物とし、人は神の全経営物なので、人が救われるにはサタンの手から取り戻されなければならない。すなわち、サタンの捕虜となった人が連れ戻されなければならないのである。サタンは人の古い性質が変えられ、本来の理知を回復することで打ち負かされ、この様にして、捕虜となっていた人はサタンの手から取り戻される。もし人がサタンの影響や束縛から自由になると、サタンの面目がつぶされ、人は最終的には連れ戻され、サタンは敗北する。そして人はサタンの暗闇の影響から解放されたので、人類の救いのすべての働きが完了した後、人はこのすべての戦いの戦利品となり、サタンはこの戦いが終わると懲罰の対象となる。

『神の出現と働き』「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」(『言葉』第1巻)より

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