日々の神の御言葉: 神の三段階の働き | 抜粋 4

2020年6月9日

神の経営計画の働き全ては神自身が自らする。第1段階、世界の創造は神自身が自ら行った。そして、もしそれがなされなかったなら、誰も人類を創造することはできなかっただろう。第2段階は、全人類の贖いであり、それもまた神自身が自ら行った。第3段階は言うまでもない。神のすべての働きの終結のために、神が自ら、更に働かなくてはならない。すべての人間を贖い、征服し、神のものとし、完全にする働きはすべて神自身が自ら実行する。もし神がこの働きを自ら行わないなら、神の身分は人によって表されることはできないし、神の働きも人によってなされることはない。サタンを打ち負かすために、人類を神のものとするために、そして、地上で普通の生活を人に与えるために、神は自ら人を導き、人の間で働く。神の経営計画のために、そして、すべての働きのために、神は自らこの仕事をしなければならない。もし人が、神が来たのは人が神を見るためで、人を幸福にするためであるとしか信じていないなら、そのような信念は価値がなく、何の意味もないだろう。人の認識はあまりにもうわべだけである。神自らによって実行されて初めて、この働きは完璧に完了されるのである。人は神の代わりにそれをすることはできない。人は神の身分も本質も持っていないので、神の働きをすることは不可能である。たとえ人がしたとしても、何ら効果はないだろう。初め神が肉となったのは贖いのためであった。すべての人間の罪を贖い、清められ、罪が赦されることを可能にするためであった。征服の働きも神が人の中で自らする。もし、この段階で、神が預言しか語らないのであれば、預言者か、誰か賜物のある人を見つけて、神の代わりをしてもらうこともできよう。もし、預言しか語らないなら、人は神の代役を務めることもできよう。しかし、もし人が神自身の働きを自ら務め、人のいのちに働くということになれば、この働きをするのは不可能であろう。それは神自らによって直接されなければならない。神はこの働きをするために自ら人とならなければならない。言葉の時代に、もし預言しか語られないなら、この働きのために預言者イザヤかエリヤを見つけてくればよいし、神自身が自らそれをする必要はないだろう。この段階でなされる働きはただ預言を語るだけではなく、更に重要な、人を征服し、サタンを打ち負かすために用いられる言葉の働きなので、この働きは人ではなく、神自身によって自らなされなければならない。律法の時代にヤーウェは神の働きの一部を行い、その後、預言者を通して神が言葉を語り、ある働きをした。これは人がヤーウェの働きの代役を務めることができ、預言者は物事を預言し、神に代わって夢を解き明かすことができるからである。初めになされた働きは人の性質を直接変える働きではなく、人の罪とも関係なく、人は律法を守ることだけを要求されていた。だから、ヤーウェは肉となって自らを人に顕すことをしなかった。そして、ヤーウェはモーセや他の人たちに直接語り、ヤーウェの代わりに彼らに語らせ、働かせ、人々の間で彼らが直接働くようにしたのである。神の働きの第1段階は人を指導することであった。それがサタンとの戦いの始まりだったが、この戦いはまだ正式には始まっていなかった。サタンとの正式な戦いは神の最初の受肉とともに始まり、そして、それは今日に至るまでずっと続いてきた。この戦いの最初の出来事は、人となった神が十字架に釘づけされた事である。人となった神の十字架はサタンを打ち負かし、それが戦いの最初の成功段階であった。人となった神が人のいのちに直接働き始めるとき、これこそ人を再び神のものとする働きの正式な始まりで、これは人の古い性質を変える働きなので、サタンとの戦いをする働きである。ヤーウェによってなされる最初の段階の働きは、地上の人の生活の指導だけだった。それは神の働きの始まりで、まだいかなる戦いもいかなる大きな働きも関与していなかったが、これから来る戦いの働きの基盤を築いた。その後、恵みの時代の働きの第2段階には、人の古い性質を変えることが含まれるが、それは神自らが人のいのちに働いたことを意味している。これは神自らが行わなければならなかった。それは神が自ら肉となることを必要とし、もし神が肉とならなかったなら、誰ひとりこの段階の働きで神に代わることはできなかった。というのは、それはサタンと直接戦う働きを表していたからである。もし、人が神に代わってこの働きをしたとしたら、人がサタンの前に立った時、サタンは服従することはなかっただろうし、サタンを打ち負かすことは不可能だったろう。サタンを打ち倒すのは、受肉した神でなければならなかった。受肉した神の本質は依然として神であり、依然として人のいのちであり、依然として造り主であるからである。何が起ころうとも、神の身分と本質は変わらないのである。そして、神は肉体を取り、サタンに完全服従させるために働きをした。終わりの日の働きの段階で、人がこの働きをし、言葉を直接語ることを強いられるなら、人はそれらを直接語ることはできないだろう。そして、もし預言が語られるなら、人を征服することは不可能であろう。神は肉体を取り、サタンを打ち負かし、完全服従させるために来る。神は完全にサタンを敗北させ、完全に人を征服し、完全に人を神のものとすると、この段階の働きが完了し、働きが成功する。神の経営において、人は神の代役を務めることはできない。特に、時代を導き、新しい働きを始めることは、神自身が自らする必要がある。人に啓示を与えたり、預言を与えたりすることは人によってなされることも可能だが、もしそれが、神自らがしなければならない働きで、神自らとサタンとの戦いの働きなら、これは人によってなされることはできない。働きの第1段階で、サタンとの戦いがないときは、ヤーウェは預言者たちによって語られた預言を用いて自らイスラエルの民を導いていった。その後、第2段階はサタンとの戦いであり、この働きをするために、神自らは肉体を取り、自ら人となった。サタンとの戦いが関与することもまた、すべて神の受肉が関与する。この戦いは人が行うことはできないのである。もし人が戦うことになれば、サタンを打ち負かすことは不可能であろう。人はサタンの支配下にありながら、どのように戦うための力を持つことなどできようか。人は真ん中にいる。もしあなたがサタンの方に傾くなら、あなたはサタンに属し、あなたが神を満足させるなら、あなたは神に属す。この戦いの働きを神に代わって人が務めるとなったら、人はそれを成し遂げることができるだろうか。もしそれをしていたら、人はとうの昔に滅びてはいなかったろうか。人は黄泉の国にとうの昔に入ってはいなかったろうか。このように、人は神に代わってその働きをすることはできない。すなわち、人は神の本質を所有しておらず、もし人がサタンと戦うなら、サタンを打ち負かすことは不可能であろう。人ができることはそれほど多くない。ある人たちを説得して引き入れることはできるが、神自らの働きにおいて神の代役を務めることはできない。人はどうしてサタンと戦うことなどできようか。サタンはあなたが戦い始める前に、あなたを捕虜にするだろう。神自らのみがサタンと戦うことができ、これに基づいて、人は神に従い服従することができる。この方法でのみ、人は神のものとされ、サタンの束縛から逃れることができる。人が自分自身の知恵、権威、能力で達成できることは、あまりにも限られている。人間には人を完全にし、導き、さらにサタンを打ち負かすことなど不可能である。人の知能と知恵はサタンの計画を妨害することはできない。それなら、人がサタンとなど戦うことができようか。

『神の出現と働き』「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」(『言葉』第1巻)より

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