日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 306
わたしは実に多くの言葉を発した。また、わたしの心と性質を明らかにしてきた。それなのに、人々はまだわたしを知り、わたしを信じることができずにいる。あるいは、人々はまだわたしに従えずにいると言える。聖書の中に生きる人々、律法に囲まれて生きる人々、十字架上で生きる人々、教義に従って生き…
あなたは数多くの失敗や弱さを経験し、消極的な状態に何度も陥ったが、それはすべて神の試練だと言える。なぜなら、あらゆることは神に由来し、すべての物事や出来事も神の掌中にあるからである。あなたが失敗しようが、弱かろうが、躓こうが、そのすべては神次第であり、神の手の内に握られている。神の視点から見れば、それはあなたの試練であり、あなたがそのことを認識できなければ、それは試みになるだろう。人々が認識すべき二種類の状態がある。その一つは聖霊に由来するものであり、もう一つの根源はサタンの可能性がある。前者は、聖霊があなたを照らし、あなたが自分を知り、自分を忌み嫌い、自分について悔いるようにし、神に対する真の愛をもち、神を満足させることを決心できるようにする状態である。後者は、自分のことを知っているものの、消極的かつ弱いという状態である。この状態は神の精錬だと言えるし、サタンの試みだとも言えるだろう。それは神による自分の救いであると認識し、自分はいま神に大きな借りがあると感じ、その時から神にその借りを返そうとして、そのような堕落に二度と陥らず、神の言葉を飲み食いすることに努力し、自分のことを常に至らない存在であると見なし、切望する心をもつならば、それがまさに神の試練である。苦難が終わり、あなたが前進を再開した後も、神は引き続きあなたを導き、あなたに照らしと啓きを与え、糧を施すだろう。しかし、あなたがそれを認識せず、否定的になり、ただ自暴自棄になって失望し、そのように考えるのであれば、サタンの試みがあなたに臨むだろう。ヨブが試練を受けたとき、神とサタンは互いに賭けをし、神はサタンにヨブを苦しめることを許した。ヨブを試していたのは神だったが、実際にヨブのもとへ来たのはサタンだった。サタンとしてはヨブを試みたのだが、ヨブは神の側についていた。そうでなければ、ヨブは試みに負けていたはずである。人間は試みに負けるとすぐ危険に陥る。精錬を受けることは神からの試練だと言えるが、あなたが良い状態になければ、それはサタンによる試みだとも言える。あなたがビジョンを理解していなければ、サタンはあなたを責め、あなたのビジョンを曖昧にさせるだろう。あなたは知らぬ間に試みに負けるのだ。
神の働きを経験しなければ、あなたが完全にされることは決してない。あなたはまた、自分自身の経験の中で、その細部にも入らなければならない。例えば、自分が観念や有り余る動機を膨らませるのは何が原因か、それらの問題を解決するにあたり、どのような実践がふさわしいのか、といったことである。神の働きを経験できるなら、それはあなたに霊的背丈があることを意味する。ただ活力があるように見えるだけなら、それは真の霊的背丈でなく、あなたは絶対に揺るぎなく立つことができない。神の働きを経験することができ、いかなる時でも、どの場所においてもそれを経験して熟考でき、また羊飼いを離れ、神に頼って独立して生きることができ、神の実際の業を見ることができるなら、その時初めて神の旨が成就する。現在、ほとんどの人がそれをどう経験すべきかわかっておらず、問題に直面した際、それに対処する方法を知らない。そのような人は神の働きを経験できず、霊的生活を送ることができないのである。あなたは神の言葉と働きを、自分の実際の生活に取り入れなければならない。
時として、神はあなたにある種の感覚を与える。それは、あなたが内なる喜びを失ったり、神の臨在を失ったりして、闇へと陥る原因になる感情である。それは一種の精錬である。何をしてもうまく行かなかったり、壁にぶち当たったりすることがある。これは神の鍛錬である。時として、神に従順でなく反抗的なことをしても、誰にも知られないことがある。しかし、神はそれを知っている。神はあなたを立ち去らせず、あなたを懲らしめる。聖霊の働きは極めてきめ細やかである。聖霊は人々の一つひとつの言動、一つひとつの行動と動き、人々のあらゆる思いと考えを注意深く観察し、それによって人々がこれらのことについて内面的な認識を得られるようにする。一度何かをしてうまく行かず、再びやってもまだうまく行かなければ、あなたは少しづつ聖霊の働きを理解するようになる。訓練の時を何度も経て、神の旨に適うためには何をすべきか、また、神の旨に適わないものは何であるかを知る。最終的に、自分の中から聖霊に導かれたとき、あなたは正確に反応するようになる。あなたは時として反抗的になり、内面から神によって叱責されることもあるだろう。それはどれも神の鍛錬から来るのである。神の言葉を大事にせず、神の働きを軽視するなら、神はあなたのことを一切気にかけない。あなたが神の言葉を真剣に捉えれば捉えるほど、神はあなたをますます啓く。現在、教会には、曖昧かつ混乱した信仰をもつ人がおり、鍛錬を受けずに不適切なことを数多く行なっているので、そのような人の中には聖霊の働きが明瞭に見受けられない。鍛えられることのないまま、金を稼ぐために自分の本分を置き去りにし、事業に打って出る人もいるが、そうした人はいっそう大きな危険に晒されている。そのような人は、現在において聖霊の働きがないだけでなく、将来完全にされるのも難しい。内面において聖霊の働きも神の鍛錬も見受けられない人が多数いる。そのような人は神の旨を明瞭に理解しておらず、神の働きを知らない者たちである。精錬のさなかに揺るぎなく立つことができ、神が何を行なうかに関わらず、神に付き従い、また、少なくとも立ち去らずにいることができる人、あるいは、ペテロが達成したことの0.1%を達成できる人は、よくやってはいるのだが、神に用いられるという観点から言えば、彼らに価値はない。多くの人は物事を迅速に理解し、神に対する真の愛を抱き、ペテロのレベルを超えることができる。神はこのような人を完全にする働きを行なう。そして鍛錬と啓きがそうした人たちに臨み、自分の中に神の旨と一致しないものがあれば、彼らはそれをすぐに捨て去れる。このような人々は金であり、銀であり、宝石であって、彼らの価値は極めて高い。神が様々な働きを行なったのに、依然として砂や石のようであったなら、あなたは無価値である。
『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」(『言葉』第1巻)より
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