成功か失敗かは歩む道しだい

多くの人は、自分がいずれ辿りつく終着点のため、あるいは一時的に楽しみにあずかるために神を信じている。神による取り扱いを経験したことのない者にとって、神を信じることは、天国に行くためであり、また見返りを得るためなのであって、完全にされるためでも、被造物としての本分を尽くすためでもない。つまり、ほとんどの人は、その責任を果たしたり本分を完了したりするために神を信じているのではないのである。意味ある人生を送るために神を信じている人はほんのわずかで、「人は生きている以上、神を愛すべきである。なぜなら、そうすることがごく当然で正しいことであり、またそれが人の天職である」と信じる人もめったにない。


過去数千年に渡り、多くの信徒が死に、そして多くの信徒が死んで甦った。神を追い求めているのは一人二人というものではなく、千人二千人でさえ足りないが、そのような人々のほとんどは、個人の前途や未来の輝かしい希望のために神を求めているのであり、キリストに身を捧げている者はごく少数である。熱心な信徒でさえ、そのほとんどが自らの罠に陥って死に至っており、成功を収めた者の数はさらにほんのわずかである。彼らは、涙ぐましい努力をして求めるが、その歩む道は、成功へのそれではなく、既に先駆者が失敗した道なのである。


人は、神にそのすべてを捧げることが得意でなく、創造主に対する本分を進んで尽くそうともせず、真理を知ったにも関わらずその道を避けて自分の道を行き、これまで失敗した人の道に沿って追い求め、常に天に背くことで常に失敗し、サタンの誘惑に負け、自らしかけた罠に落ちてしまうのである。あなたの追求の道が正しいものであれば、成功への希望がもてるだろうが、あなたの真理を追求する道が間違ったものであるならば、永遠に成功することはできず、パウロと同じ結末を迎えることになる。


『言葉は肉において現れる』の「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」より編集

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