神の言葉が私を覚醒させた

2017年12月19日

私は以前、神様が「偉大な白い玉座から逃げる操り人形であり裏切り者である」とおっしゃったのは、終わりの日の神様の働きを受け入れるものの、その後あとずさりする人を指しているのだとばかり思っていました。それ故、どんな理由であれ兄弟姉妹たちがこの道から退くのを見るといつでも、私の心は彼らへの軽蔑で一杯になりました。「偉大な白い玉座から逃れ、神様の懲罰を受けるべき操り人形であり裏切り者がまた一人」と思ったのです。それと同時に、私自身は神様の裁きを受け入れるうえで正しく行動しており、神様の救いを受けるのはそう遠くないと感じていました。

証し

ある日、私が霊的な勤めを果たしていたとき、「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」という記事に神様の以下のような言葉を見つけました。「それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。もしこれらの真理を重要視せず、いかにこれらを避けるかや、いかにこれらとは関わりのない新しい逃げ道を見つけるかしか考えないのならば、あなたは恐ろしい罪人である、とわたしは言う。もしあなたに神への信仰があるのに、神の真理や心を追い求めず、またあなたを神に近づける道を愛さないなら、あなたは裁きを逃れようとしている人であり、偉大な白い玉座から逃げる操り人形であり裏切り者である、とわたしは言う。神の目から逃げる反抗的な者を神は誰一人として容赦しない。そのような人はさらに重い懲罰を受ける。裁かれるために神の前に来る人で、その上、清められた人は、永遠に神の国に住むであろう。(『言葉は肉において現れる』より)この言葉を熟考した後、偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者は、この道から後ずさりする人々だけを指しているのではないということを私はついに理解しました。さらに重要なことに、それが指しているのは、神様に従いながらこれらの真理を尊重しない人々、これらの真理から外れた新しい道を探し、常にこれらの真理を忌避している人々、神様の懲罰と裁きに従う覚悟がないのに、神様によって清められることを求める人々だということです。私は神様の啓示と導きの下で、自らの行動を反省し始めました。神様は今、人を裁く言葉を表し、苦しみと精練によって神様と相容れないものを人から除いておられます。しかし、神様の懲罰と裁き、苦しみと精練に直面して、神様がこのような状況をすぐに取り除かれることを願いつつ、私はいつも逃げようとしています。これは真理を避け、真理から外れた道を探していることではないでしょうか。神様がもたらされた人々や物が私の個人的な観念に合わなかったり、あるいは私が後ろ向きな状況に陥ったりすると、たとえ兄弟姉妹たちとの交流を通じて私の問題が解決されるとしても、私はなおも抵抗し、聞くことを拒否します。神様がおっしゃるように、これは真理を求めていない、私を神様にさらに近づける道を愛していないということではないでしょうか。仕事のやり方がおざなりであるために取り扱われ、刈り込まれるとき、私はいつも自らを説明する言い訳を探しています。これは真理を受け入れることを拒む本質ではないでしょうか。私は実生活で自分に都合のよいようにすることがよくあります。それが真理であることを知っているときでさえ、私は肉を裏切り真理を実践することを拒否します。これは裁きを受け入れていないだけではなく、浄化されることを求めていないのではないでしょうか。・・・そのことについて考えるようになったので、さらにはっきりと私は理解しています。偉大な白い玉座から逃れていると神様がおっしゃる人々は、教会を離れる人だけを指しているのではありません。もっと重要なことに、それは真理を受け入れず、神の裁きに従わおうとしない私たちの心を指しているのです。今になって初めて私は恐怖や慄きを感じ始めました。私は教会を去っていませんが、問題に遭遇するたび、真理を受け入れるのを常に拒否し、神様の裁きを避けていました。私は正に神の裁きの席から逃れる操り人形であり裏切り者ではないでしょうか。しかし私は、自分は神様の救いを受けるのにとても近いところにいるが、教会を離れる人々だけが神の玉座から逃れる操り人形であり裏切り者であると信じていました。神の言葉についての私の理解があまりにも一面的で浅く、神の働きについての私の知識もあまりにも不足していたことがわかります。今や、神の懲罰と裁きを誠実に受け入れ、性質の変化を成しえた人々だけが神の救い本当に受けます。それなのに私は自分の想像に生き、真理を渇望せず、自らのいのちに責任を持たず、危機感や切迫感が全くありませんでした。もしこのように続けていれば、私は正に神の懲罰の対象になったのではないでしょうか。

神様の言葉の啓示のおかげで、私は自らの観念や想像から目を覚まし、自分が神様の懲罰や裁きを受け入れる覚悟のある者ではないことに気づきました。それはまた、私が危機に瀕していたことを私に知らしめてくれました。これからは、やがて神様により清め、完全にしていただけるように、私は心をすべて神様に捧げ、神様の懲罰と裁きに従い、最大限の努力を行って真理と性質の変化を求めます。

渺小 山東省济南市

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

誠実な報告の果実

チャオミン(中国)  2011年4月、国内の別の地域にある教会で、ヤオランという指導者の後任に就くことになりました。引き継ぎの途中、ヤオランはこの教会の状況を手短かに説明しながら、娘のシャオミンは潤し役の執事なので、教会の働きを熟知するのに役立つはずと言ってくれました。あらゆるこ…

神様の働きはとても賢明である

私が教会で指導者として働いていた時、私の指導者は私たちへの教訓として他の人の失敗談をよく話してくれました。例えば、字義や教義について語るばかりで、自分自身の堕落については触れなかったり、真理が現実にどう当てはまるかについて自分の見解を話さなかったりする指導者がいたそうです。その結…

七年間の試練が私の本当の姿を露わにした

1994年、私は母と一緒に神様による終わりの日の働きを受け入れました。神様が救いの働きをなさるために肉において再臨なさったことを知ったとき、私は大いに喜んで、神様の救いのお恵みを受けられることを特に光栄に思いました。その後はしばしば集会に参加し、神様を讃えて賛美歌を兄弟姉妹と歌い…

神様の愛のお導きで病気という試練を乗り切りました

喜んで主と再会 私は今年で78歳ですが、ずっと頭痛や糖尿病を患ってきました。2005年に主を信じるようになってからというもの、長年にわたって私を苦しめてきた病気が軽減されました。私は神様の愛を感じ、心の底から主に感謝しました。二年後、親戚の一人が終わりの日の神様の働きについて説き…