困難の中でも本分を尽くす

2022年4月12日

中国 闫平

教会指導者に選ばれた直後、共産党が全能神教会の大規模な取り締まりを始めて、怖くて仕方なかった。こんなひどい状況で、毎日集会場所を回っていれば、逮捕されるのは間違いない。逮捕されたら残酷な拷問を受けるはず。身体が弱くて苦しみに耐えたこともないから、拷問なんか耐えられない。そう考えると恐ろしくて、本分から逃げたかった。でも、みんながわたしを指導者に選び、わたしに寄せる信頼を考えると、怖いからといって避けるわけにはいかない。だからはぐらかしたの。「わたしに務まるでしょうか? 指導者を務めたことなんてないし、問題を解決できなければ、教会の働きが遅れませんか?」すると指導者にこう言われた。「与えられた本分は自己鍛錬のチャンス。全力を尽くしなさい」って。指導者の話を聞いて、本分を受け入れた。でも直後、指導者から次々メッセージが届いたの。同労者のリー姉妹とウー姉妹が他の数人と一緒に逮捕され、別の教会の指導者と同労者も6名捕まったから、みんなも用心してって。わたしはパニックになった。どうしてこんな大勢逮捕されたの? リー姉妹とは数日前に会ったばかり。警察はわたしも監視してるの? もしそうなら、至るところに監視カメラがある以上、逮捕されるのは時間の問題。こんな環境で本分を尽くすなんて危険すぎる……そう考えるたび、怖くなった。ある日働いていて、突然逮捕されたらどうしよう? 表向きは本分を尽くしているように見えながら、働きに集中することができず、どうすれば立派に本分を尽くせるか、考えようともしなかったし、兄弟姉妹から相談されても、手助けできる気分じゃなかった。

程なく、指導者から別のメッセージが届いた。警察が、逮捕した兄弟姉妹に写真を見せ、教会員の名前を聞き出している、またあちこちで検問も実施されているので、出かけるときは気をつけなさいと。それを読んでますます不安になった。警察はすでにみんなの情報を得ている。リー姉妹と会ったとき、写真を撮られたんじゃないかしら? もしそうなら、警察は監視カメラから、わたしが教会の指導者だと判断するはず。わたしを逮捕したら拷問して、自白させようとするに違いない! スクーターで帰宅中、ずっと緊張してた。指導者のメッセージで心が暗くなったの。外は暗いのに、サングラスを外そうともしなかった。監視カメラに映って、逮捕される危険は犯せない。そのとき、利己的な考えが頭に浮かんだ。「指導者に相談して、あの年配の姉妹に本分を代わってもらおう。もう五十代だから、逮捕されても拷問は受けないはず」でも、それは自分勝手だとすぐ気づいた。逮捕と拷問を恐れ、危険な状況だと思っているから、年配の姉妹に仕事を押しつけようとしてる。なんて醜く、下劣なのかしら! 同時に、不安と恐怖に襲われた。拷問されている兄弟姉妹の姿が頭によく浮かび、ますます怖くなって恨み言を言わずにはいられない。「どうしてこんな危険な仕事を押しつけたの? 逮捕されたらどうなる? わたしはまだ若いのに、拷問されて残りの人生は刑務所暮らしってこと?」不安と恐怖に耐えられず、神に祈って自分の状態を伝えたわ。「ああ、全能神よ! わたしは逮捕、投獄、拷問を絶えず恐れています。本分を尽くしていても落ち着かず、他の人に任せたいとさえ思っています。いつも自分の肉ばかり心配しています。恐怖に怯えながら生き、サタンに騙されるのは嫌です。神よ、御旨を理解できるよう、どうかわたしを啓いてください。また、この試練に立ち向かえるよう、どうか力をお授けください」。

すると、ある御言葉の讃美歌を思い出しました。「主イエスにならいなさい」。「エルサレムへ向かう途上、イエスは苦悶して、あたかもナイフが心に捻じ込まれているかのように感じたが、その言葉を取り消す思いは微塵もなかった。いつも強い力がイエスが十字架にかけられる場所までイエスに付き添っていた。最終的に、イエスは十字架に釘付けにされ、罪深い肉と同様になり、人類を贖う働きを完了した。イエスは死と黄泉の束縛から自由になった。イエスの前に、死も、地獄もハデスも力を失い、イエスに打ち負かされた。イエスは三十三年生きたが、生涯を通して彼はいつも全力を尽くし、その時の神の働きに従って神の心を満たし、決して自分の個人的損得は考慮せず、いつも父なる神の心のことを思った。神の前におけるイエスの神への奉仕は神の心にかなうものだったので、神はイエスの肩に全人類を贖うという大きな重荷を負わせ、それをイエスに成し遂げさせた。そして、イエスにはこの重要な任務を完成する資格と権限があった。生涯を通じて、イエスは神のために計り知れないほどの苦しみに耐え、幾度となくサタンの試みにあったが、決して落胆することはなかった。神がイエスにこれほど重大な任務を課したのはイエスを信頼し、愛していたからである。もしあなたがたが、イエスのように神の重荷に一心に注意を払い、自分の肉に背を向けることができるなら、神は重要な任務をあなたがたに委ね、あなたがたは神に仕えるための必要条件を満たすこととなる。そのような状況の下でのみ、あなたがたは自分が神の旨を行い、神の任務を果たしていると思い切って言うことができ、その時初めてあなたがたは本当に神に仕えていると言い切れる(『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。この歌を歌いながら感動したわ。十字架の苦痛の中、たとえ肉体が弱っても、主イエスは後悔せず、ひるまなかった。むしろ堂々と十字架に向かい、苦痛に耐えて罪の捧げ物となり、全人類をサタンの手から贖った。人類に対する神の愛はかくも偉大。でもわたしは、神にどう接した? 神の委託を実行しても、自分の安全ばかり考え、逮捕と投獄、拷問をいつも恐れてた。怯えと恐怖の中で生き、本分も型通りで効果はゼロ。状況が危険なのを見て、年配の姉妹に本分を押しつけることさえ考えた。なんて利己的で卑劣なんでしょう! 試練の中、神を証ししサタンを辱めるなんて、これっぽっちも考えなかった。考えていたのは自分の肉体のこと。神の救いと祝福、そしてすべての約束を受け取れるよう、苦しんだり犠牲を払ったりすることなく、安全に本分を尽くすにはどうすればいいかと思ってた。逆境に遭うと、身の安全のために本分を諦めたくなり、神に文句を言って逆らった。でも、その信仰での考え方がどれも打算的だと気づくと、言うべき言葉がなかった。ペテロのことを思ったわ。困難に遭っても完全に神に従い、自分の生死をかえりみず、神の御旨を満たして安心させることに専念し、最後は十字架に逆さにかけられた。光り輝く神の証しとして。自分の行ないとペテロを比べると、恥ずかしさと罪の意識を感じ、神の御前に出て祈ったの。「神よ、この状況でわたしの利己心と卑劣さが暴かれました。投獄されて苦しむことを恐れ、あなたを証しすることを考えなかったのです。神よ、個人の利益や得失を心配するのはもう嫌です。ただ本分を尽くしてあなたに満足いただきたいのです。本当に逮捕され迫害されても、喜んで従います。ユダになって兄弟姉妹を裏切らず、あなたを証しすると、いのちをかけて誓います」祈ると実に心が落ち着きました。

また、御言葉の別の一節を思い出したの。「宇宙で起こるすべてのことのうち、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にないものなどあるだろうか(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第一章」〔『言葉』第1巻〕)。目からうろこだった。そう! 毎日集会に出て本分を尽くしても、神の同意がなければ逮捕はされない。迫害と苦難を受けるよう神が定められたのなら、一日中隠れても逮捕される。すべては神の手中にある。だからどんな状況でも受け入れなきゃ。安全策は全力で講じるけど、逮捕されたら神の指揮と采配に喜んで従おう。御言葉から啓きと照らしを受けて、力と信仰が湧き、心が軽くなった。その後は集会に出ても、前ほど不安は感じなかった。共産党は狂ったように取り締まりを続けたけど、御言葉が兄弟姉妹に信仰をもたらし、働きを続けさせたので、わたしは強く励まされ、本分に専念して犠牲を払えた。神の導きをはっきり感じ、兄弟姉妹の問題も解決できた。教会の働きも正常に進んだの。おかげでわかった。サタンはいかに凶暴でも、神の働きを決して邪魔できない。神への信仰がますます強くなったわ。

これを経験して背丈を多少得たから、神が別のシナリオを用意して、わたしを徹底的に暴くなんて、思いもよらなかった。

今年の七月、指導者から連絡があり、よく接触していたリウ姉妹が、この二、三ヵ月尾行されているというの。リウ姉妹と接触した二十名ほども警察に監視され、わたしもその一人。警察はリウ姉妹の集会場所の写真も撮ったはず、とのこと。そのため指導者は、絶対に兄弟姉妹と接触しないようにと、わたしに命じた。それを読んで落ち着いていられず、こう思った。「リウ姉妹とはよく会っている。最近バイクで出かけたこともある。道路には監視カメラが並んでいたから、それに映っていればトラブルに巻き込まれる。共産党はますます必死にクリスチャンを逮捕してる。こんなときに逮捕されたら、どんな拷問を受けるだろう? 殺されるかしら?」考えれば考えるほど怖くなり、落ち着いて御言葉を読むこともできない。その直後、リウ姉妹のアパートに御言葉の本が保管されていることを知った。すぐに運び出さなければ警察に見つかって、神の家に害が及ぶ。でも葛藤したの。警察は激しい取り締まりをして、信者を逮捕してる。本を運んでいるのを見つかったら、証拠を与えることにならない? そうなったら、きっと尋問に拷問が加わるし、死ぬ可能性がさらに上がる。そう考えて行きたくなかった。でも、もし行かなければ、神の家に害が及ぶのをわざと見過ごすことになる。しばらく思い悩んだけど、決心が付かない。

翌日、こんな御言葉の一節が目に入ったの。「キリストは極めて利己的で下劣です。神への真の信仰がなく、まして神への献身などありません。問題に遭遇するとひたすら自分を守って保護し、自分のことしか考えないのです。彼らにとって、自分自身の生存と身の安全以上に大事なものはありません。神の家の働きにどれほど害がなされるかなど気にせず、命が無事で何も起きなければ、それでいいのです。こうした人の性質は悪意に満ち、兄弟姉妹や神の家のことを考えず、自分のことだけを考えます。彼らは反キリストです。では、神に対して献身的で、神への真の信仰を持つ人にそうしたことが起きたとき、彼らはそれをどのように扱いますか。(神の家の益を守り、神の家の捧げ物を危害から保護するためのあらゆる方法を考え、指導者や働き手、兄弟姉妹のために適切な采配をして、損害を最小限に抑えます。一方、反キリストがまずするのは、自分を守って神の家の働きを無視することです。なので、赤い大きな竜が取り締まりに乗りだすと、教会への害がひときわ深刻になります。)反キリストが行なうことは、神の家の働きと捧げ物を赤い大きな竜に引き渡すのに等しいものです。誰かを送って処理させるのでなく、それを無視します。これは形を変えた裏切りです。神に忠実な人は、危険がつきまとうことをはっきり知っており、事後処理を行なって神の家への損失を最小限にすべく、そうした危険を進んで引き受け、自分はその後で撤退します。自分の身の安全を優先させることはないのです。次の疑問について、あなたがたはどのように言いますか。人が自分の身の安全に少しも注意を払わないなんて、可能なのだろうか? 身の回りの危険に気づいていない人などいるだろうか? しかし、あなたは自分の本分を尽くすために、危険を背負わなければなりません。それがあなたの責任です。自分自身の身の安全を優先させてはいけません。神の家の働き、そして神があなたに託したことこそが最も重要であり、他の何より優先します。反キリストは自分自身の身の安全を最優先し、他のことは自分に一切無関係だと信じています。誰であろうと、他の人に何かが起きても気にしません。自分自身に悪いことが起きない限り、反キリストは気楽でいます。彼らに忠誠心は一切ありませんが、それは反キリストの本性と本質によって決まることです(『反キリストの本性と実質を暴く』の「彼らが本分を尽くすのは、自分たちを目立たせ、自己の利益と野心を満たすためだけで、神の家の利益は決して考えず、個人の栄誉と引き換えに神の家の利益を売りさえする(2)」)。この一節に心打たれた。反キリストの性質は邪悪で、本当に利己的で卑劣。身の安全が絡むと、自分が苦しむより神の家の働きに害が及ぶほうを選ぶ。良心も理知も一切なく、神への忠誠もまったくない。わたしも危険に遭遇すると、自分を守ってリスクを避けることしか考えなかった。御言葉の本がまだアパートにあると知って、持ち出さなければ警察に押収され、神の家に害が及ぶとはっきりわかってた。神の家の利益を優先して、その本をすぐ持ち出すべきだったのに、正体がばれることを恐れ、逮捕されて拷問を受けたら死ぬかもしれないと不安になって、行こうとしなかった。御言葉の本を警察に引き渡したも同然では? 状況がどうあれ、自分の安全をまず考え、神の家の利益を考慮しなかった。安全に本分を尽くそうとしたけれど、神の家の利益に反してたの。なんて人でなしなの! 表向きは反キリストのように罪深くなくても、わたしの性質は反キリストと変わらない。利己的で卑劣で、自分の利益ばかり気にしてた。悔い改めなければ、神の怒りを招いて拒まれる。真に神を信じて忠実な人は、身の安全なんて考えない。重大なときに自分の利益をかえりみず、神の家の利益を守る。心と思いが神と一つなの。そのとき、自分のサタン的性質に背を向け、状況がいかに危険でも、どんな逆境に遭おうと、あらゆるリスクを背負って神の家の利益を守らなきゃと確信した。進んで神を信じ、本を持ち出して害を最小限にしなきゃと思ったの。その後はこの件を中心に祈り続け、信仰を授けて怯えと恐怖を除いてくださいとお願いした。また二日前に見た『刻印』という映画が頭に浮かんだの。主人公は十三歳のときに初めて共産党に逮捕され、虐げられて、二十八年で三度逮捕されてありとあらゆる迫害を受けた。でもどれほどつらく苦しくても、それにいのちが危険に晒されても、御言葉にすがって一歩一歩力強く歩み、最後はサタンを負かして証しをした。出所後も被造物の本分を尽くしたわ。逮捕されて拷問を受け、洗脳された多くの兄弟姉妹のことも頭に浮かんだ。彼らは御言葉を使ってサタンの抑圧と迫害に打ち勝った。サタンがどんなに邪悪で残酷でも、心から神にすがって御言葉に導かれる限り、サタンに勝って証しをできる。わたしはこれに励まされ、信仰も新たになった――もはや恐怖も感じない。

それから自分を反省したわ。この危険な本分を受け入れようとしなかったのは、警察の拷問を恐れたから。苦しむのが嫌で、まして死にたくなどなかった。すると、御言葉の一節を思い出したの。「神がわたしたちを導く道は真っ直ぐでなく、深い穴だらけの曲がりくねった道である。さらに、その道が岩だらけであればあるほど、わたしたちの愛情に満ちた心が示されると神は言う。しかし、わたしたちの中にそのような道を開ける者は誰一人としていない。わたしはこれまでの経験において、岩だらけの危険な道を何度も歩き、多大な苦難に耐えてきた。時として悲しみに打ちひしがれ、泣き叫びたくなることさえあったが、今日までこの道を歩んできた。これは神に導かれた道だと信じ、すべての苦難に耐えて前に進み続けている。なぜならこの道は神が定めたものであり、誰がそこから逃れられようか。わたしは、祝福を受けることは求めない。わたしが求めるのは、神の旨に沿ってわたしが歩むべき道を歩めることだけである。他者を真似て他者の歩む道を歩くことは求めない。わたしが求めるのは、わたしに定められた道を、忠誠を尽くして最後まで歩むことだけである。……個人がどれほど苦しなければならないのか、自身の道でどれほどの距離を歩まなければならないのかは、神によって定められており、誰も他者を実際に助けることなどできない(『神の出現と働き』「道……〔6〕」〔『言葉』第1巻〕)。この御言葉も頭に浮かんだ。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう(マタイによる福音書16:25)。そのとき気づいた。人の運命は神の手中にあり、人の生死も同じ。逮捕、投獄され、拷問を受けるかどうかは、すべて神次第。わたしはそれに従うべき。サタンによるヨブの誘惑もそう。ヨブは財産を奪われ、子どもも殺され全身が腫れ物で覆われた。でも神はヨブのいのちを奪うことは許さず、サタンはあえて神に逆らわなかった。これが神の権威。ヨブは神の統治に気づき、そこで極限の苦しみにあっても、神を責めずこう言った。「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)。最後にサタンを徹底的に辱め、神から二倍の祝福を得た。神は働きを始めて以来、信仰のために死ぬ者、投獄される者や、それぞれが受ける苦しみを予定されてきた。そしてどの場合でも、そこには神の優しい意図がある。恵みの時代、大勢の聖者が主イエスの福音を広めるあいだに死んだ。たとえばペテロ。彼は十字架にかけられたけど、魂は天国に昇り、永遠の称賛と祝福を神から得た。終わりの日の神の働きを受け入れた兄弟姉妹の多くが逮捕され、ありとあらゆる残酷な拷問と虐待を受けたけど、サタンに屈しなかった。出所後も真理を追い求め、危険を顧みずに本分を尽くし、輝ける神の証しをたくさんした。彼らはみな神に完全にされた勝利者。肉体が苦しんでも真理を得て、神の称賛と祝福を受けた。でも、逮捕と拷問の苦しみを恐れる人もいる。彼らはそうして神と兄弟姉妹を裏切り、ユダのように辱めを受けた。神の性質にひどく背き、永遠に神の救いを失った。収監されるのを恐れる人もいる。彼らは怯えと恐怖の中で生き、本分を尽くそうとせず、ますます神から離れて裏切ってしまう。毒麦、不信者になるの。実際、共産党による逮捕と迫害で、真の信者と偽信者が明かされ、種類ごとに分けられる。それを見ても、神の知恵と義がわかるわ! 神の家の本を持ち出すのは、神による試験だとわかった。わたしが神に忠実で、神の証しをするかどうか試されてる。それに気づいて、全力で本分を尽くそうと決意した。本当に逮捕されても、自分のいのちを含め、すべてを危険に晒して神の証しをし、死ぬことになってもサタンに屈しない。すると心が実に落ち着き、神の救い、啓き、導きに心の底から感謝したわ。おかげで、この困難を通じて真理が多少わかり、さらに実践的な教訓を得たの。翌朝目が覚めるとすぐ神に祈り、信仰と勇気を求めた上で、進んでお導きに従いますと伝えた。その日はたまたま雨で、幸い人通りがなく、アパートに忍び込んで御言葉の本を残らず持ち出したの。

その後、大きな幸福と落ち着きを感じた。この経験のおかげで自分は暴かれ、完全にされたの。自分がいかに利己的で、人間性に欠けているかがわかり、信仰と服従が完全になった。御言葉の導きから、神の全能、統治、知恵を新たに理解し、神の家の利益を守る中で真理を実践できたわ。先のことはわからなくても、怯えて恐れることはもうない。進んで神の統治と采配に従い、本分と責任を果たすの。神の救いに感謝します!

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