出世競争からの解放

2022年4月12日

ドイツ 心亮

潤しチームのリーダーになったとき、兄弟姉妹は問題があるとわたしに相談し、高く評価してくれた。外国人の新信者を潤す必要があるときも、指導者はわたしに頼み、メンバーにドイツ語を教えるよう言われたこともある。だからますます尊敬され、問題があれば頼られた。自分はチームに不可欠だと思い、みんなに囲まれ尊敬されるのを喜んだ。

やがて、指導者がファン姉妹をチームに加えたの。一緒に新信者の潤しをするようにって。やがて、彼女が優れた素質の持ち主だとわかった。真理の交わりも明快で、新信者に疑問や問題があると、関連する御言葉を見つけるだけでなく、自分の経験を交えて語れる。だからすぐに解決できたの。その後は困難があると、みんなファン姉妹のところに行くので、わたしはがっかりした。「ファン姉妹が来て以来、みんな彼女を尊敬し、そっちに問題を持ち込んでる。わたしより有能だって思ってるの? でもチームリーダーはわたし! この地位は譲れないし、栄光を取り戻さなきゃ」。

ある集会の前、ワン姉妹がドイツ語の資料をまとめてグループに送ったけど、一部は機械翻訳だというの。なので集会後、問題があったかどうか確かめてほしいと。一通り読んだけど、翻訳には問題が山ほどあったので、こう思った。「これはチャンス。ファン姉妹もドイツ語ができるけど、わたしほどじゃない。わたしのほうが有能だと、みんなに見せつけなきゃ」。そこで資料を見直して修正し、フォーマットも変えた。そして思った。わたしの作業で資料が明快になったのを見れば、みんなわたしの才能に気づくはず。結局、集会ではずっと資料に集中し、話を聞かなかった。集会後も徹夜で資料を再度チェックし、ページ順に並べた。頭痛がして目も乾いたけど、舞台裏の働きをみんなが知って、再びわたしを尊敬してくれると思うと、疲れも吹き飛んだ。翌日、資料をグループに送ったものの、みんなは新信者の潤しを話し合ってて、理解できないことはファン姉妹に訊いていた。わたしが修正した事実に触れる人はいなかったの。本当に腹が立ってこう思った。ファン姉妹が来て以来、わたしがずっと脇役なのはなぜ? 差はほとんどないのに。わたしは無言でパソコンの前に座り、話し合いに加わろうともしなかった。本分を尽くしたくないとさえ思ったわ。するとある姉妹から突然質問されたけど、話し合いに加わっていなかったから、どう答えればいいかわからない。わたしが何も言わないので、ファン姉妹が自分の意見を言ったところ、みんなそれに賛成した。顔から火が出たわ。いそいで資料をめくったけど、交わりは終わりに近づいてて、わたしは追いついていなかった。そのとき、罪悪感を覚えたわ。わたしは潤しチームのリーダー。学習を導き、本分での問題を解決しなきゃいけないのに、いつも自分とファン姉妹を比べ、みんなにどう思われるかばかり気にしてる。本分に心を注いでいない。そんな態度で本分をしっかり尽くせる?

集会後、最近の自分の状態を反省したわ。ファン姉妹が来て以来、みんな彼女に問題を持ち込むので、わたしは反感を抱き、主導権と名誉を奪われた気がした。あの手この手で自分を誇示し、みんなに高く見られようとした。望みが叶わないと出し抜かれた気がして、辞めたいとさえ思った。これは神への裏切りでは? 自分が正しい状態にないと気づいて、無言で神に祈り、自己認識できるよう導きを願いました。神は言われます。「真理を理解も実践もしていないとき、人はしばしばサタンの堕落した性質の中で生きています。サタンの様々な罠の中にあり、自分の将来、自尊心、地位、その他の益のために知恵を絞るのです。しかし、このような態度を自分の本分に、真理の探求と追求に向ければ、あなたは真理を得ます。……いつも真理に力を注ぎ、頻繁に神の前に出て、たびたび真理を求めているなら、あなたは真理の果実を刈り取り、あなたが生きることには人間らしさと正常な人間性、そして真理現実があります。たびたび計画を立て、熟考し、考えることに時間を費やし、自分の利益となる様々なことに、どんな犠牲を払ってでも努力するなら――そのためにいのちをも捨てるなら――あなたは人の尊敬を勝ち取り、様々な利益や自尊心を得るでしょう。しかし、そうした物事と真理のどちらが大事ですか。(真理です。)人はこのメッセージを理解していながら、真理を追い求めず、自分の利益と地位を大事にするばかりです。では、彼らは本当にそれを理解していますか。それともこれは誤った理解ですか。事実を言えば、彼らは愚か者です。こうした事柄をはっきりわかっていません。それらをはっきり理解できれば、多少の背丈を得たことになります。それには真理を追い求め、懸命に努力することが必要です。混乱して手を抜いてはいられません。その日が来て、自分は語り終え、人類に対してこれ以上何も言いたくないし、何もしたくないと神が言い、人の働きを試す日が来たとき、真理を追い求めていなければ、あなたは必ずや淘汰されます(神の交わり)。特にという部分が心に刺さりました。最近の振る舞いを振り返ると、本分を尽くしているように見えながら、事あるごとに自分の利益と地位を守ってた。ファン姉妹に素質と能力で劣り、他のみんなが彼女を尊敬しているのを見て、立場が脅かされるのではと危機感を抱いた。密かに張り合い、自分と彼女を比べ、わたしのほうが優れてるとみんなに思わせようとした。みんなの尊敬を取り戻したかったの。本分を尽くす振りをしながら、自分の地位を守っていたんじゃない? 神はわたしを高めてチームリーダーにした。御旨に配慮し、教会の働きを守れるように。この機会に真理を使って問題を解決し、本分の中で真理を実践して、堕落した性質が多少変わることを神は望まれた。でもわたしは真理を実践せず、名利を求めて争うばかり。どうすればファン姉妹を出し抜けるか、みんなに尊敬されるかどうかしか考えなかった。本分なんか脇にのけてたの。名声を得られないと、諦めて神を裏切ろうとした。これは神に逆らうこと。そのとき恐怖を覚え、霊が闇に包まれ苦しみ、聖霊の働きを失ったと気づきました。わたしの行ないを憎んだ神は、わたしから顔を隠された。悔い改めなければ淘汰される。それを認識してすぐ神の御前に出て祈りました。「神よ、自分の名誉のために行動するのは嫌ですが、どうすることもできません。真理を実践できるようどうかお導きを」。

その後御言葉を読んで、それを取り除く方法がわかったの。神の御言葉にこうあります。「真理を実行に移せる人は、物事を行なうときに神の吟味を受け入れることができます。神の吟味を受け入れるとき、あなたの心は正されます。他人に見てもらうためだけに物事を行ない、神の吟味を受け入れないなら、それでもあなたの心に神はいますか。そのような人には神を畏れる心がありません。いつも自分のために物事を行なったり、絶えず自身の利益を考えたりしてはいけません。自分の地位、体面、評判を考えないこと。また、人の利益を考慮してはいけません。まずは神の家の利益を考慮し、それを最優先にしなければなりません。神の旨を想い、自分が本分を尽くす中で不純だったかどうか、全力で忠誠を尽くし、全力で自分の責任を果たし、自分のすべてを捧げたかどうか、そして自分の本分と神の家の働きを心から考えてきたかどうかを熟慮することから始めなさい。あなたはこれらのことを考えなければなりません。これらのことを頻繁に考えなさい。そうすれば、立派に本分を尽くすのがより簡単になります(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。神の御言葉は明快です。御旨を気遣える人の心に、神はいらっしゃる。そうした人は何事も神の吟味を受け入れ、自分の面子や地位や利益を捨てて、万事神の利益に配慮し、全力で本分を尽くせる。神を喜ばせるのはそうした人。それをじっくり考えると、真理の関するファン姉妹の交わりは明瞭で問題を解決でき、わたしの意見より彼女の意見のほうが有益だった。教会の働きやみんなのいのちにとても役立つ。みんながわたしでなくファン姉妹に相談するのは、働きにとっていいこと。みんな学んで共に成長できるし、素晴らしいことなの。でもわたしはそう考えず、自分の利益と地位ばかり気にしてた。ファン姉妹が尊敬されているのを見ると、地位が奪われたように感じ、密かに彼女と張り合った。神の家の利益を損ねていたんじゃない? それがわかると恐ろしくなって、自分を心から憎み、真理を実践して神に満足いただこうと思った。その後は意識的に面子と地位を捨て、交わりや学習のときも、自分を誇示して彼女を上回ろうと考えるのをやめたわ。神の御前で心を静め、効果的に交わるにはどうすればいいかに専念したの。みんながファン姉妹に問題を持ち込んでも、正しく対処できるようになった。問題さえ解決できれば、誰に相談しようと関係ないって思ったの。わたしも本分で問題に遭遇したとき、彼女に相談して、言うことに耳を傾けた。そうしているとずっと楽に感じ、聖霊に導かれたおかげで問題も解決できた。結果としてチームの働きも改善し、神の導きに感謝したわ。

これを経験したあと、多少の自己認識を得て変化したと思ったけど、さらに深く自分を反省し、自己認識させる出来事があったの。ある日の午後、指導者からメッセージが届いた。ファン姉妹と一緒に作業して、業務をすぐ終わらせるようにって。これを読んで不満だった。その業務はずっとわたしが責任者。突然ファン姉妹が来るということは、指導者は彼女のほうが優れていて、効率が高まると考えてる。この業務がうまくいけば、ファン姉妹の功績になる。彼女は有能だし、素質も能力もわたしより優れてる。それにみんなから好かれてる。わたしは危機を感じた。ファン姉妹のほうが優れてると指導者が知ったら、チームリーダーを交代させるかしら? そう考えると不安で押しつぶされそうになり、名利を巡ってファン姉妹と競っているのに気づいたけど、彼女と交代させられることを考えると、地位を失うのではと心底不安になった。「自分のほうが適任だと指導者にすぐわからせなきゃ」。そう考えて業務を二つにわけ、二人で分担することにしたの。そうすれば指導者も結果を見て、どっちが優れているか判断できる。くすぶっていた競争意識が再燃したんです。

業務を分けるとき、自分の知識をファン姉妹に伝えるのが嫌で、わたしは詳細を相談しなかった。すぐに追いつかれると思ったの。だから簡単なメッセージだけ送り、業務を分けてそれぞれ取りかかった。それから数日、わたしは休まず作業した。すぐに成果を挙げさえすれば、わたしのほうが有能だと、指導者は思うはず。そうすれば認めてもらえて地位も安泰。そのころ、兄弟姉妹が本分で助けを必要としていて、わたしは何とか時間を割こうとした。時間をやりくりできれば、自分はチームに不可欠だと証明できるし、立場も盤石になる。また後れをとってはいけないと、ファン姉妹の進捗も注視したけど、落ち着いて本分を尽くせず、不安が募るばかり。問題があっても解決できず、全然進展しなかった。ひたすら名誉と地位を求めてたの。指導者にばれていなければ、わたしは反省しなかったはず。一週間後、一切進展していないのを見た指導者はわたしの状況を確かめ、協力はうまくいってると訊いた。そして大事な業務がどれもうまく行っていないと指摘し、何をしてたのと尋ねた。わたしはいくつか言い訳して、時間をやりくりできず業務も困難だと言った。でもわかってた。それはまた名利ばかり求めたせい。なのでファン姉妹と協力せず、心も正しい場所になかった。だから神の導きを失ったの。言い訳するわたしを、指導者は業務の優先順位が正しくないと言って取り扱い、状態を尋ねました。そこで、私は最近の様子を伝え ました。

彼女は御言葉の一節を読み、名利を争う本性と根源を分析してくれた。おかげで堕落した性質をより理解できたの。神は言われます。「集団の中にいるたび、反キリストの類いの人がまず最初に行なうのは、人の信頼と評価を勝ち取り、より多くの人に自分のことを尊敬させ、仰ぎ見させ、敬愛させることであり、それによってその集団の中で絶対的な権力を握り、決定権を持つという目標を達成しようとします。……彼らは、地位を得て集団の第一人者となるためなら何でも行ない、自分の地位を脅かす人や要素を一切容赦しません。当然、反キリストはこれを成し遂げるべく、どんな手段でも用います。明快に話し、論理的かつ整然と語る人は、彼らの嫉妬の対象、真似る対象、そしてそれ以上に、競争相手になります。真理を追い求めて確信を持ち、兄弟姉妹を頻繁に助けて支え、彼らを消極性や弱さから導き出す人もまた、彼らの競争相手になります。特定の仕事に優れ、兄弟姉妹から多少仰ぎ見られている人もまた、彼らの競争相手になります。働きが成果を挙げており、上層部から称賛されている人は、なおさら彼らの競争相手になります。では、彼らが集団の中で言うことの特徴は何ですか。このような人は必ずしも、最高の地位を欲してはいません。そうした物事を行なわせるある種の性質、ある種の考え方があるだけなのです。それはどういった考え方ですか。『競争しなければ! 競争だ! 競争だ!』という考え方です。『競争』――これが彼らの性質であり、抑え込める人は誰もいません。誰一人それを操れず、自分自身でさえも不可能です。彼らは競争しなければならないのです(『反キリストの本性と実質を暴く』の「彼らが本分を尽くすのは、自分たちを目立たせ、自己の利益と野心を満たすためだけで、神の家の利益は決して考えず、個人の栄誉と引き換えに神の家の利益を売りさえする(3)」)。この一節が明かすことを考えてみると、自分の状態にぴたりと当てはまった。本分では他人に尊敬され、地位を得ることばかり考えてた。ファン姉妹に地位を奪われそうな気がして、彼女を敵視し、地位を守れるよう密かに張り合った。どちらが有能か見せつけようと業務を分け、みんなの問題解決を利用して、自分のほうが真剣で、真理や業務を理解してることを示し、有能なチームメンバーだとみんなに評価され、地位を固めようとした。自分を誇示することに取り憑かれ、事あるごとに彼女と自分を比べた。これはまさに、神が暴く反キリストの性質じゃない? そう考えると、そもそも指導者がわたしたちを協力させたのは、仕事の効率を上げてすぐ終わらせるためだとわかりました。でもわたしはつまらない企みに夢中で、本分を使って評判を築こうとし、教会の働きなどまるで無視。神の委託に心を傾けず、自分をよく見せることしか考えなかった。地位を守ろうとファン姉妹相手に企みを仕掛け、働きを遅らせた。それで本分を尽くしてる? 明らかにサタンに仕え、教会の働きを乱してたんです!

その後別の御言葉を読んだんです。

地位と名声に取り憑かれ、それらを心から大事にし、強く執着して、諦めるなど耐えられない。地位と名声がなければ生きる喜びも希望もなく、自分は地位と名声のために一生を過ごし、これらによって導かれる必要がある。たとえ最後に目標を果たせなくても、完全に諦めることはできず、一縷の希望がある限り最後の最後までやり抜かねばならない――あなたがこうした考えを抱いているなら、自分が実践していることについて自身に厳しくすることはなく、また自分の実践に目をつぶりがちです。……このように地位を追い求めることで、神の被造物として受け入れられる能力に影響が及びますし、それにもちろん、受け入れ可能な基準まで本分を尽くす能力も影響を受けます。わたしがこのように言うのはなぜですか。神にとって、人による地位の追求ほど忌まわしいことはありません。地位の追求は堕落した性質であり、サタンの堕落から生じたものであって、神の視界に存在すべきものではないからです。人に地位が与えられるべきだと、神が定めたことはありません。地位を巡って絶えず競い、争っていて、いかなる時もそれを大事にし、自力で掴もうといつも望んでいるなら、それは神に逆らう本性を多少表わしているのではないですか。地位とは、人のために神が定めたものではありません。神は人に真理と道といのちを授け、最終的に、受け入れられる神の被造物、取るに足らないちっぽけな神の被造物となるようにするのであって、地位と名声を有し、幾千の人に崇拝される人となるようにはしていません。それゆえ、どのような見方をしたところで、地位の追求は行き詰まります。地位を追求することの言い訳がどれほど理性的であっても、それはやはり間違った道であり、神に称えられることはありません。どれほど懸命に試みようと、どれほど大きな代価を支払おうと、あなたが地位を望むのであれば、神はそれをあなたに与えません。神から与えられるのでなければ、それを得ようと争っても無駄であり、それでも争い続けるなら、結末は一つしかありません。すなわち死です。これは行き詰まりなのです――あなたはそれがわかりますね?(『反キリストの本性と実質を暴く』の「彼らが本分を尽くすのは、自分たちを目立たせ、自己の利益と野心を満たすためだけで、神の家の利益は決して考えず、個人の栄誉と引き換えに神の家の利益を売りさえする(3)」)。この御言葉を読んで恐ろしくなった。わたしは本分で真理を実践せず、名利を求めて自分の欲望を満たそうとしてた。反キリストの道を歩んでたの。そうした物事に夢中になるのはなぜ? それはサタンの堕落のせい。子どものころから「人は上をめざし、水は下に流れる」「将軍になることを夢見ることのない兵士は悪い兵士である」といった言葉を聞かされ、そうしたサタンの毒に浸っていたから、平均点で満足しても意味はないと思ってた。いつも頂点に立とうとし、そうでなければ価値がない。それが人としての基礎になり、信者になってからも、こうしたサタンの哲学で生きるのをやめられなかった。誰かに抜かされそうになると、その人と競い、自分を証明しようと考え抜いた。人の心に位置を占め、みんなに仰ぎ見られるのを望んだ。それでこそ自分に価値がある。そんな見方や追求をして、被造物の立場から本分を尽くせず、そうする振りをしながら地位を巡って神と争った。神の性質に背き、神に逆らってたの! 悔い改めなければ、いずれ神に淘汰される。そう考えると怖くなり、とんでもなく危険な道を歩んでるとわかったので、すぐに神の御前へ出て祈り、悔い改めた。今後もチームリーダーを務めるにせよ、ファン姉妹と交代するにせよ、従う覚悟ができたわ。それまで、自分は堕落を多少示してるだけだと思って、深刻だとは捉えなかった。でも御言葉の裁きと暴きを通じて、その深刻さに気づき、この堕落を解消しようと真剣に思った。その後は、そうしたことを求める人を暴く御言葉を読み始めたけれど、特に印象深い一節があって、道を見つけるのに役立ちました。「人間は被造物の一つとして、自身の立場を守り、誠実に行動しなければなりません。創造主から託されたものを忠実に守りなさい。適当でないことをしたり、自分の能力を超えることや、神に嫌悪されることをしたりしてはいけません。偉大になろうとしたり、超人になろうとしたり、他の人を超えようとしたり、神になろうとしたりしてはいけません。人はこうした存在になることを望んではいけないのです。偉大になること、超人になることを追い求めるのは馬鹿げています。ましてや神になろうとするのはさらに恥ずべきことであり、不快で卑劣です。称賛に値し、被造物が他の何より守るべきことは、真の被造物となることです。それが、すべての人が追求すべき唯一の目標なのです(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉のおかげで心が明るくなり、御旨が理解できました。偉人や超人になることを、被造物は求めるべきじゃない。神の被造物の立場をとり、神から託されたことを着実に実行する。これが正しい追求で、神に認めていただける。

その後は名利を争っていることに気づくと、意識して神に祈り、自分を捨て、ファン姉妹と本分の問題点を話し合った。すっかり心を開くと、彼女が素晴らしい意見を持っているのがわかって、相談してすぐに行動計画ができた。それに、自分の経験を短くわたしに伝え、効率を上げるのを助けてくれた。わたしは恥ずかしさと感動を同時に覚えた。こうしたパートナーがそばにいれば助けになるし、とても盲目で、名利を競って真理を得る機会を何度も逃した自分を憎んだ。その後はチームリーダーをファン姉妹と交代するのを恐れなくなった。心がずっと軽くなって、本分の効率もずいぶん上がった。そしてチームとして働きだすと、いつの間にか業務も終わってた。この経験を通じ、神がそばにいらっしゃり、いくつもの状況を用意してわたしの堕落した性質を清め、変えたのだと実感してます。また御言葉でわたしを裁き、暴き、啓き、そして導き、多少自己認識できるようにしてくれた。神への感謝で一杯になり、本分を尽くして神に満足いただこうと決意したわ。

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