主をお迎えする機会を逃しかけた私

2022年4月12日

中国 王磊

妻と私は1995年にクリスチャンになりました。それ以来、熱心に信仰を追い求め、間もなく家庭教会の同労者になりました。その後2000年ごろ、多くの信徒が東方閃電の福音を聞き、全能神を信じ始めたのですが、それ以降、牧師や長老は同労者の集会で常に東方閃電を批判するようになりました。一度、王牧師がパウロの聖句を引用しました。「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである」(ガラテヤ人への手紙1:6-8)こうも言いました。主の道に従いなさい、別の福音を聞くことは神への裏切りで、呪われると。東方閃電は、主はすでに再来しており、言葉を通して終わりの日の裁きの働きをしていると説いているが、これこそ別の福音だから、耳を傾けるな。決して信じるな。それは神への裏切りだ、東方閃電の話をする人が来たら、すぐ追い返すようにと。牧師がこの聖句を引用するたびに、私は心の中で自分を戒めました。「聖職者が東方閃電との接触を禁じているのは、私たちのためだ。聖書の理解も足りないし、背丈も小さい私は、雑言に耳を傾けてはいけない。主の恵みをこれほど享受しておいて、神を裏切ることはできない!」と。友人や親せきが私に福音を説こうとしましたが、すべて拒否しました。主の道に従い続けよう、話を聞いてはだめだと思った。惑わされ、主に拒絶されたらどうするんだと。ある日、姪が妻と私に福音を説きに来たのですが、私は冷たく言いました。「聖書には『しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである』(ガラテヤ人への手紙1:8)とある。私たちは主イエスを信じる。他の道に従うことは、背教であり主への裏切りだ。きっと呪われる。すぐに主に懺悔し悔い改めろ」と。私は、牧師の言うことに従い、誰が終わりの日の神の福音を説きに来ても、一切話を聞かず言い訳をつくって追い返しました。

ある日、畑仕事をしていると、妻が声を潜めて言いました。「主イエスは再来された。それが全能神よ」と。それを聞いて思った。妻は東方閃電の福音を聞いたばかりか、受け入れてしまったのだと。私は怒り、妻に詰め寄りました。「聖職者から東方閃電についてあれほどくぎを刺されていたのになんで話を聞いた? 他の道を受け入れることは主への裏切りだ。天国には行けないぞ!」怒りが募り、この聖句が浮かびました。「ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい」(テモテへの第一の手紙5:22)。妻は東方閃電を受け入れ主を裏切ったが、私はその罪を負ってはならない。妻を説得してもらおうと思い、すぐ牧師に事情を話すと、牧師は怒り、こう言いました。「他の信仰の教えを聞くことは主への裏切りだ。教会から追い出される! 本がないか調べて、見つけたら処分しなさい。すぐに帰って奥さんを見張るんだ。絶対に外出させてはいけない」と。牧師の話を聞いて、思いました。「そうだ! 妻を救うには、牧師の言うことを聞かなければ。そうしないと主に拒絶され、天国にいけなくなってしまう」。それ以降、私は妻の行動を見張り、自分が家にいる時は東方閃電との接触を絶対に許さず、仕事の時は娘2人に見張りをさせました。でも妻はそれでもこっそり集会に出ていました。ある日、帰宅すると妻の姿がみえず、また集会だと思って腹が立ちました。今のやり方でだめなら、もっと厳しくするしかない。妻が主を裏切り、主に拒絶されるのを傍観するわけにはいかない。私は帰宅した妻に、手を上げました。長い結婚生活で、初めてのことでした。心がひどく痛み、こう思いました。妻が間違った道を歩み、主の救いを逃すのが怖い。でも私が何をしても、妻の東方閃電への信仰は揺るがない。途方に暮れた私は、王牧師が本を処分しろと言ったことを思い出しました。そうだ、本がなければ、信仰の実践は無理だ。怒りに任せて妻の本を見つけ、処分しましたが、妻は元の信仰に帰ろうとしません。私の監視を逃れて集会に行き、私にも全能神の言葉を読んで自分で判断するようにと、言い続けました。正直言って、心が揺れていました。のんびり屋で、強い意志の持ち主ではない妻が、なぜ今回は折れないのだろう? 東方閃電が説く教えとは何だ? なぜ妻をこれほどまでに引きつけるのか? 全能神の言葉を読もうと思ったが、牧師の言葉を思い出して自分をいさめました。「信仰においては主の道に従うべきだ。道を外れるのは主への裏切りだ!」と。だから頑なに拒みました。

ある日炭鉱の中にいた時に、雷管がいきなり爆発して、同僚は失明してしまったのに、近くにいた私は、まったく無傷でした。恐怖で震えました。同僚は気の毒でしたが、同時に神が守って下さったことがうれしかった。帰宅後も、心が落ち着かず、妻に一部始終を話しました。妻は、「その人は失明したけど、あなたは心の目が見えてない。全能神の言葉を読んでと私が言っても、いつも拒否して断罪していたでしょ。無傷だったのは、神の御加護だけど、神の警告でもあるのよ!」と。それを聞いて、とても動揺しました。本当にあれが神の警告だったら? 数日後、炭鉱でコンベアの点検中に、突然めまいがして、倒れそうになりました。冷や汗が噴き出ました。あのまま倒れていたら、挽肉になっていたでしょう。言葉にできない焦りを感じて、帰宅後妻に話しました。「信者なのに、なぜ危ない目にあうんだ? どういうことだ?」と聞くと妻は言いました。「主イエスは本当に再来した。それが全能神よ。あなたは抵抗を続けているから、神の警告を受けたの」。「抵抗をやめるべきよ」と。その時、心の中で恐れを感じ、妻の邪魔はやめるべきだと思ったのですが、牧師の言葉が蘇った。妻は別の道を進み、主を裏切った。これは神の試練だから神の側に立たねばと。妻に説き伏せられるのが怖くて、それ以上考えることを止めました。それ以後も、妻が集会に行けないようにし、懺悔して悔い改めろと言い続けました。でも不思議なことに、妻を止めようとすると、体から力が抜けていくのです。気力がなくなり、仕事に行くこともできず、屍のように横たわるばかり。何度も主に祈りましたがよくならず、妻には全能神に頼るよう言われました。私を救えるのは全能神だけだと。仕方なく、試してみようと決心し、静かに心の中で呼びかけました。「全能神よ! 全能神……」驚いたことに、全能神に呼びかけたとたん、気力が戻りはじめたのです。その後も何度かありました。妻を止めようとすると力が脱けて仕事にも行けないのに、全能神に祈ったとたん、力が戻ってくるのです。それ以降、頑なだった心が少しずつ揺らぎ始めました。全能神は本当に主イエスの再来なのだろうか? と。そして、真の道を調べるようすすめる妻に、同意したのです。

その日、親せきの家で東方閃電の人たちが福音を説いているのを見ました。ひとりの姉妹が律法の時代から恵みの時代にかけての神の働きや、十字架にかけられ、人の罪を贖った主イエスの働きについて話していました。その後主イエスの言葉と聖書の預言を結び付け、終わりの日に再来した神は真理を表し、裁きの働きを行い、人の罪深い本性を消し去り、人を徹底的に清め、救い、神の国に連れていくと説明しました。さらに携挙についてや、賢い乙女と愚かな乙女などにも触れました。その交わりはとても明快で聖書と一致しており、心が明るくなるのを感じました。どれもこれまでの信仰で聞いたことがない話だった。私は思いました。東方閃電の教えは明らかに聖霊の働きで、糧を施してくれる。なぜ教会の聖職者は話を聞くなと言ったのか? 教会に行ったら彼らと交わりをもって東方閃電について話し、真の道か考えてもらおう。でも私から出向く前に、牧師たちがうちにきて、東方閃電から離れろと妻に迫りました。2、3時間ほど議論を交わした後、妻の決意が固いことがわかると、王牧師は怒鳴りました。「話を聞かず、東方閃電を信じると言い張る。これは背教であり主への裏切りだ! 主から離れれば平安は得られないぞ。何があっても教会は一切助けない!」と。別の牧師は大声で妻を叱りました。「主に背を向けているんだぞ。今すぐ悔い改めるんだ。さもなくば、教会から出ていってもらう!」と。そして跪いて主に懺悔するよう妻に迫りました。彼らの乱暴なやり方を目にして、本当に頭にきた私は、こう思いました。「妻の信仰が正しくないからって、頭ごなしに非難し断罪するなんて。妻を許し、愛し、助け、辛抱強く交わるべきだ。主ならそうなさるだろう。どうしてそんなに横暴になれるんだ?」と。

その夜、眠れずに寝がえりをうちながら、悶々と考えました。牧師ともあろうものが、なぜ兄弟姉妹をあのように扱うのか。主の教えにあるような愛も思いやりも寛容さも一切持ち合わせていない。あれで聖職者と言えるのか? そしてさらに驚いたことに、妻のうわさ話があっという間に教会中に広まったのです。東方閃電を信じていて、正気を失っていると。本当に腹が立って、集会で、王牧師に聞きました。「妻はいたって正気だ。なぜ気が狂ったなどと言うんです? よくもそんなばかげたうわさを」と。王牧師は、悪びれもせず言いました。「他の信者が東方閃電を信じ、主を裏切っては困ると思った。彼らのいのちを思ってのことだ……」と。そんな言葉が牧師の口から出たことが、本当に信じられませんでした。主イエスはこう言っています。「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである」(マタイによる福音書5:37)。主は私たちに、ごまかさずに正直に話しなさい、嘘をつかず、人を騙さず、捏造してはならないと、教えています。でも牧師はありもしない嘘を吐き、しかもそのことを何とも思っていない。王牧師は信徒のためだといいましたが、まるで信者とは思えない行動をとっています。集会のあと、私は作業にまったく集中できず、早めに帰宅しました。牧師が広めた嘘のせいで、たくさんの親せきや友人たちから妻のことを聞かれ、近所のうわさの的になり、妻も私も本当に迷惑しました。その時の牧師の振る舞いに傷つき、失望し、ひたすら祈りました。「主よ、牧師は他の信者が東方閃電について調べないよう、真実を歪め妻に関する嘘を広めました。絶対に許せない行為です。主よ、私は東方閃電の教えを聞き、すばらしい、実際的な教えだと思いましたが、あなたを裏切ることが怖く、どうすべきかわかりません。どうか啓きと分別を与えてください」と。

その後しばらく、途方に暮れながら、東方閃電の人たちの交わりのことを度々考えました。彼には品位があり、話し方も優しく、敬虔な信者に見えた。主の言葉の交わりには光があり、牧師の話とはまったく違う。でも、もしこれが真の道だとしたら、なぜ牧師や長老は受け入れず、信者にも調べさせようとしないのだろう? そのことを考えて行ったり来たりしていると、不意に威厳と権威に満ちた声が聞こえてきました。「疑うな、信じなさい!」その声を聞いたとたん、神と向き合いながら話をしているような気がして、心の底から驚きました。その場から動けず、恐ろしさを覚えながら、黙示録の預言を思い出しました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」(ヨハネの黙示録2:7)。全能神が多くの真理を表したと妻はいつも言っていたが、それが御霊が諸教会に言うことなのだろうか? と思った。その時、東方閃電について調べようと決めたのです。その後、妻が全能神教会の周兄弟を家に招き、終わりの日の神の働きを証ししてもらいました。そこで聞きました。「聖書のパウロの言葉に、『あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである』(ガラテヤ人への第一の手紙1:6-8)。とあり、牧師や長老はいつもこの言葉の意味を、主の道から外れて別の福音に耳を傾けるのは、背教であり主への裏切りだと言います。全能神を信じることは主への裏切りになりませんか?」と。するとこう聞かれました。「牧師や長老はこの言葉の解釈を、全能神を信じることは主の道を離れ、別の福音を受け入れ、神を裏切ることとしています。これはパウロの言葉の正しい解釈でしょうか? パウロがいう『別の福音』の意味を終わりの日に再来した神の国の福音と決めつけていますね? パウロはそう言っていますか?」私は言葉に詰まりました。パウロはそんなことは言っていません。そして交わりを続けました。「パウロがこの言葉を残したのは、主イエスが贖いの働きを成し遂げた直後です。当時は天国の福音が広がりつつあり、多くのガラテヤ人が主イエスを受け入れたものの、惑わされて、別の福音を信じ始めた人もいました。この状況の中、パウロはガラテヤ人に手紙を書き、恵みの時代に福音は一つしかないと警告しました。主イエスの贖いの働きの福音だけだと。主イエスとは異なる別の福音を説く人がいれば、それは『別の福音』であり、人を惑わすためのもの。パウロがそう言った時点で、神は終わりの日の働きを行っておらず、誰も終わりの日の福音を広めていません。したがって、パウロの言葉は終わりの日に再来する主の福音を指すものではありません。恵みの時代の諸教会に向けたパウロの言葉を勝手に使い、終わりの日の神の現れと働きを断罪するために、聖書の一部を切り取り、誤った解釈をあてる。とても馬鹿げたことではないですか?」

周兄弟の交わりで、牧師の言葉の意味がわかりかけてきましたが、まだ疑いは晴れません。主を信じるのは、その御名と道に忠実であるということ。東方閃電の道を受け入れれば、主を裏切ることになるのでは? こう言いました。「いいですか、主イエスが現れて働いた時、ヤーウェ神を信じていた多くの人が主の道を聞いて、主に付き従いました。これはヤーウェ神への裏切りで、背教になりますか? そうではないですね。彼らは羊の足跡をたどっていたのです。神の忠実な信者です。しかし旧約の律法にしがみつき、主イエスを拒否した人は、ヤーウェ神に忠実なように見えて、実際は最も神に逆らい、抵抗した人たちなのです。彼らは神の過去の働きにしがみつき、神の新たな働きや言葉を受け入れず、従わなかった。断罪し、抵抗すらした。だから主を裏切り、主に拒絶され淘汰されたのです」こうも言いました。「神の働きは常に前進していて、人の必要や経営計画に従い、その働きはより新しくより高い次元のものになります。恵みの時代、主イエスの贖いの働きは人の罪を贖うだけのものでした。罪を犯した後、主イエスに祈ることでその罪は赦されます。しかし、人に内在する罪深い本性は解決されず、人はいまだ罪と懺悔を繰り返し、罪の束縛から抜け出せていない。主を信じる人たちは、いまどんな状態を生きていますか? 名声や地位のために嘘をつき、人を騙し、世界の流行に流され、金に貪欲で、信者は互いに愛することなく、嫉妬し、争い、非難し合い、同労者同士の駆け引きや権力争いが教会を分裂させ、牧師や長老は再来した主の働きを調べようともせず、うわさをでっちあげて抵抗し、断罪し、信者が真の道を求めることを阻み、共産党に協力し、終わりの日の福音を広める人を逮捕させる人さえいます」周兄弟は「神は義にして聖く、神の国は聖い地です。罪を犯して神に抵抗する人が、神の国に入ることなどできるでしょうか? ゆえに、主イエスは再来を約束したのです。終わりの日に全能神が来られ、真理を表し、主イエスの働きを礎(いしずえ)に裁きの働きを行っています。人の罪深い本性を解決することで、人が罪から完全に脱し、神に完全に救われ、神の国にいけるようにするためです。これは主イエスの預言と完全に合致します。『わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう』(ヨハネによる福音書12:48)。『わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう』(ヨハネによる福音書16:12-13)」。

ここまで交わると、周兄弟は御言葉をいくつか読みました。全能神は言われます。「イエスは人のあいだで数多くの働きをしたが、全人類の贖いを完了させ、人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うには、イエスが罪のささげものとなって人の罪を背負うことだけでなく、神がさらに偉大な働きを行い、サタンによって堕落させられた性質を完全に取り除くことが必要だった。そこで、人が罪を赦された今、神は人を新しい時代に導くために肉へと戻り、刑罰と裁きの働きを開始した。この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう」。「ヤーウェの働きの後、人のあいだで神の働きを行うためにイエスは受肉した。イエスの働きは単独で実行されたのではなく、ヤーウェの働きの上に築かれた。神が律法の時代を終わらせた後に行ったのは、新しい時代のための働きだった。同様に、イエスの働きが終わった後、神は次の時代のための働きを続行した。神による経営全体はいつも前進しているからである。古い時代が過ぎると、それは新しい時代に置き換えられ、古い働きが完了すると、神の経営を続行する新しい働きがある。今回の受肉は神の二回目の受肉であり、イエスの働きに続くものである。もちろん、この受肉は単独で起こるのではなく、律法の時代と恵みの時代の後の第三段階の働きである。神が新たな段階の働きを始めるたび、そこには常に新たな始まりがあり、それは必ずや新たな時代をもたらす。また、神の性質、神の働く様式、神の働く場所、神の名にも、それに付随する変化がある。ゆえに、新しい時代の神の働きを受け入れるのが人にとって難しいのも無理はない。しかし、いかに人が反対しようと、それには関係なく、神はいつも自分の働きを行っており、いつも人類全体を前方に導いている」(『言葉は肉において現れる』の「序文」)。その後、周兄弟は言いました。「全能神は裁きの働きをしています。これは主イエスの贖いの働きとも、律法の時代のヤーウェ神の働きとも異なりますが、この2段階の働きを礎としてなされます。人を完全に清め救うために、神が終わりの日になさる働きの段階です。段階ごとに次元が高くなっていますが、すべて同じ神によるもの。全能神は主イエスの再来であり、人が罪の束縛を脱し、清められるには、全能神の裁きの働きを受け入れるしかありません。神の国に入る唯一の道です。全能神を受け入れることは、賢い乙女になって主の声を聞き、主をお迎えすること。玉座の前に引き上げられ、主の祝宴に出ることです。なぜそれが、主の道を離れ、主を裏切ることになるのでしょう?」それを聞いて感激しました。主イエスの贖いの働きは、ただ人の罪を赦すためのもので、人の罪深き本性は解決されていない。終わりの日、全能神は裁きの働きのために来られた。それこそが人の罪深い本性を消し去り、人を完全に清め、救い、天国に入るための唯一の道です。東方閃電の道を聞いても主への裏切りではなく、その声を聞き、主を迎えること、つまり羊の足跡を追うことでした。黙示録の聖句を思い出しました。「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」(ヨハネの黙示録14:4)。主が再来した今、その御言葉と働きを受け入れない事こそ、主への裏切りです! その時、いろんな思いがわき上がりました。全能神こそ、私がずっと待っていた主イエスの再来なんだ! ついに主をお迎えできる! 生きているうちに主の声を聞き、主をお迎えできるなんて、こんな祝福はない! でもこんなふうに主をお迎えするとは想像していませんでした。何年もの間、人々が福音を広めてくれようとしても、聖職者の嘘を信じていた私は、何度も神を拒絶しました。そして妻の全能神への信仰を必死で阻止し、聖職者にいわれるがまま、御言葉を集めた妻の本を処分しました。呪われても文句は言えず、神の前に出る価値もありません!

牧師や長老は聖書に精通していて、長年主に仕えていますよね。なぜ彼らは、聖書の一部を抜き出し、誤った解釈で人を惑わせ、信者が真の道を探れないようにうわさをでっちあげたんでしょう? 私にもわかりませんでしたが、集会で兄弟姉妹の交わりを聞いて、やっと理解できました。ええ、主イエスが働きのために来られた時、なぜパリサイ人は嘘をでっちあげ、主を断罪し抵抗したのでしょう? ヨハネによる福音書11章47-48節にこうあります。「そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った。『この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう』」マタイによる福音書の23章13-14節では、主イエスがパリサイ人に反駁しています。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない」。これらの聖句からわかるのは、パリサイ人が必死で嘘をつき、主イエスに抵抗し断罪し、信者を惑わしたこと。自分の地位と収入を守るためです。主イエスの道は律法に反し、異端であり、人を惑わすと主張しました。悪霊のかしらベルゼブブの力で悪霊を追い出していると中傷・冒とくし、兵士を買収して嘘をつかせ、主イエスの復活を隠そうとしました。その結果多くの信者が惑わされ、主イエスを拒絶し、主の救いを失った。全能神は終わりの日に現れ、働きをなさっています。宗教界の聖職者たちは、全能神の御言葉には権威と力があるので、人はすぐに神の声だと気づき、全能神に従うとわかっているのです。牧師や長老にとって、これは大きな脅威です。すべての人が全能神を信じたら、誰が話を聞いてくれるのか? 誰が捧げ物をしてくれるのか? そう考えた彼らは、自分の地位や収入を守るために、全能神を必死で中傷・断罪し、人を惑わせ、神の声を聞いて主をお迎えできないようにしている。全能神を断罪し、抵抗する彼らは、主イエスに抵抗したパリサイ人とどう違うでしょう? どちらも、人が神に立ち返るのを阻む反キリストでは? 全能神の別の御言葉を読んでみましょう。これで牧師の本質が分かると思います。

全能神は言われます。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか」(『言葉は肉において現れる』の「神を知らない人はすべて神に反対する人である」)。牧師は信徒を守っていると言いますが、実際は自分の地位と収入を守っているのです。かつては牧師の表面的な敬虔さしか見ず、その言動の裏にある動機を見抜けずに、惑わされてしまいました。よく考えると、主をお迎えするというのは一大事です。牧師や長老たる者、主の再来の証しを耳にしたなら、すぐに詳しく調べ、兄弟姉妹が主の声を聞き、主をお迎えできるようにすべきです。でも自分の地位や収入を心配するあまり、聖書に間違った解釈をあて、人を惑わせ、真の道を調べさせない。誰かが全能神を受け入れたなら、事実を捻じ曲げ、その人を中傷する。その人が断罪され、拒絶されるように。教会の聖職者は陰険で、邪悪です! 自分の地位と収入のためなら、ためらいもせずに兄弟姉妹が天国に入る機会を奪う。あまりにもひどい! 教会の聖職者は神に抵抗する反キリスト、神の敵です。かつての自分は、なんと愚かで無知だったのか! 主を信じながら、主の声ではなく牧師の嘘に耳を傾け、宗教的観念にしがみつき、何度も神を拒絶し、全能神を受け入れようとする妻の邪魔をし、聖職者とともに神に抵抗した。もう少しで破滅するところでした。本当におそろしいことです! 終わりの日の神の出現と働きが教会の聖職者の本性を暴いてくれたので、彼らが神に抵抗するパリサイ人、反キリストだとわかり、その欺瞞と支配から抜け出せた。神の働きは本物です。

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