悪人を排除した経験から学んだこと

2023年7月12日

2021年3月、ある教会の指導者をしていた時、潤し役の責任者との打ち合わせで、一部の班長が、人に命令をして、本分をやらせるくせに、自分は何もしていないことがわかったの。班が直面している実際の問題を理解しておらず、空っぽの理論を振りかざし、ルールを押し付け、実際の道を教えていなかった。だから、その人たちと交わりをもって、班長は人に命令するだけじゃなく、新人を実際に潤さなければいけないし、人と協力しなければいけないと伝えた。でも数日後、やっぱりまだ実際の行動をとっていなかった。調べると、班長のキンズリーがメチャクチャだと分かったの。実際の働きをせず、他の班長を煽り、こう言った。責任者と私に新人の潤し役をやらされているから、班の働きをフォローする時間が全然取れない。だからもうフォローなんてしなくていいと。でもそれは班長としての責任では? あとは、責任者はまだ経験が浅いから、適切に仕事をできないとも言った。つまりこう言っていたのね。責任者は潤しの経験が少なく実際の指導ができないから、言うことを聞く必要ないと。責任者が働きで問題を見つけて、かなり厳しい口調で指摘すると、キンズリーは責任者がえらそうに叱ってきたと兄弟姉妹に言いふらしたの。そして事情も知らないのに、上層部が原則に従わずに人を選んだと決めつけた。実際は、指導者のジュリエット姉妹は原則に従って責任者を昇格させたの。彼女は新人を潤した経験はあまり多くなかったけど、素質が高く、能力があり、本分の重荷を背負ってたから、教育するのに向いていたの。それに問題を見つけて、班の働きを主導できたし、新人の潤しでも成長が見られてた。でもキンズリーは責任者に能力がないと言い張って、攻撃をやめず、責任者に向いてないと言い続け、上層部が原則に従わず人を選んだと言いふらし、指導者と責任者への偏見を生んだばかりか、働きを続けることを拒否したの。このせいで、指導者たちの本分にも、教会の働きにも遅れがでた。キンズリーは集会でも不誠実な交わりをして、さりげなく上層部と責任者を貶め、攻撃したの。例えば、こう言った。2人の指導者が行った作業の采配が適切ではなかったので、そのことを指摘したのに、2人は働きを理解せず、提案を受け入れなかった。だからもう何も言わなかったけど、その後で本当に問題があることに気づいたと。でも実際はそんな事実はまったくなかった。交わりをあえてあいまいなままにすることで、指導者が働きを理解せず、自分を押さえつけ、助言を聞かなかったという印象を与えるようにしたの。教会の利益を守ろうとしたのにけん制されたことにして、みんなの同情を集めて、味方に付けようとしたの。キンズリーはいつも指導者や責任者を見下し、非難した。それについて兄弟姉妹に何度交わりをされても、まったく悔い改めなかった。これはほんの少しの堕落ではなくて、本質の問題なの。

このような人を暴く御言葉が頭に浮かんだわ。全能神は言われます。「教会生活において、どのような人や物事が地位を巡って競うという問題と結びついていますか。地位を巡る競争の表われのうち、神の家の働きを妨げて乱すことと本質的に結びついているのは何ですか。最も一般的なのは、地位を巡って教会指導者と競うことであり、これはおもに教会指導者の落ち度や不手際につけ込み、彼らを貶めて断罪することや、彼らの堕落があふれるように発現する様子や、人間性や素質における欠点や短所を意図的に暴くこととして表われます。これは特に指導者がその働きにおいて、あるいは人の取り扱いにおいて犯した間違いについてそう言えます。教会指導者との地位を巡る競い合いの表われは、これが最も一般的で、最もあからさまなものです。さらに、教会指導者がどれだけ立派に働きを行なおうと、働きが原則に沿っていようといまいと、教会指導者の人間性に問題があろうとなかろうと、彼らは教会指導者に従いません。なぜ従わないのですか。彼らは自分も教会指導者になりたくて、それが彼らの野望、願望だからです。だから従うことを拒むのです。教会指導者がどのように働こうと、いかに問題を処理しようと、彼らは教会指導者を中傷して断罪し、果ては物事を大げさに言い立てて些細なことで大騒ぎをするほどです。指導者が原則に沿って物事を行なっているかどうか、正しい人かどうか、真理を追い求める人かどうか、良心と理知があるかどうかを判定するために神の家が指導者と働き手に要求している基準を、彼らは用いません。それは彼らの基準ではないのです。それどころか、彼らは自分の動機と目的に従い、絶えずあら探しをして重箱の隅をつつき、指導者や働き手に圧力を加えたり、真理に背いているなどと陰で噂を広めたり、指導者や働き手の欠点をあげつらったりしています。例えば、このように言ったりします。『誰それという指導者は以前にこういう間違いを犯し、上層部に取り扱われたが、あなたがたは誰もそのことを知らない。それほど演技が上手なのだ』。この指導者または働き手が神の家から訓練を受けているかどうか、指導者や働き手としての資格があるかどうかを彼らは無視して目を向けず、ただひたすら中傷し、事実をねじ曲げ、陥れようと背後で企みます。では、彼らは何のためにそうしたことをするのですか。地位を巡って競っているからです。違いますか。彼らの言動にはすべて目的があり、彼らは教会の働きを考えず、指導者や働き手を神の言葉や真理に基づいて評価せず、ましてや神の家における働きの取り決めや、神が人に要求する原則を基にすることなどまったくなく、基にするのは自分の動機と目的です。指導者や働き手の言うことに逐一自分の『識見』で反論し、指導者が何を言おうと、別の意見でもって肘鉄砲を食らわせます。指導者や働き手が心を開いて自分をさらけ出し、自己認識について話すと、彼らはひときわ喜びます。機会到来と考えるからです。何の機会ですか。指導者や働き手を中傷し、この人は素質に問題がある、弱くなることがある、堕落している、何かをするときによく間違いを犯す、他の人より優れているわけではないと全員に知らしめる機会です。圧迫し、指導者や働き手を打倒し、密かに弱らせ、批判するよう皆を扇動する機会です。そして、こうした振る舞いや行動の動機はすべて、地位を巡る競争に他なりません」(『指導者と働き手の責務』〔『言葉』第5巻〕)。「指導者や働き手に対して公然と反対を叫び、地位を巡って競うことは、教会の働きを乱すこと、神に反対することです。このような人は悪人、反キリストであり、歯止めや制約をかけなければならないだけでなく、状況が深刻で排除または追放の条件を満たすなら、原則に沿って対処しなければなりません。地位を巡って競うことの表われがもう一つあります。教会の中で真理の追求において、他の人より秀でた人の疎外と攻撃を試みることです。真理を追い求める人には、純粋な理解、神の言葉に関する経験、神の言葉についての識見と真の認識があり、こういう人は兄弟姉妹の中でも真理について交わることで問題を解決できることがよくあり、それゆえ神の選民を啓き、徐々に教会での名望を集めていくからです。悪人と反キリストはそうした人に嫉妬して反抗し、彼らを疎外し攻撃しようと試みます。真理を追い求める人を攻撃する人や、疎外を試みる人は、教会生活を直接乱し、妨げています。教会指導者を直接標的にはしないものの、現実的な経験があり、真理の現実を有し、真理を理解して愛する教会内の人にひときわ反感を抱く人がいます。彼らはそうした人を疎外し、弱らせ、見下し、頻繁にあざ笑って貶め、果ては罠を仕掛けて陥れようと画策さえします。このような問題は、地位を巡って教会指導者と競うことに比べれば深刻ではありませんが、やはり教会生活を乱して妨げます。そして混乱と妨害を引き起こす人は、歯止めをかけて牽制しなければなりません。……悪人が何より憎むのは真理を追い求める人です。真理を追い求める人が証しを述べているのを見ると、彼らは腹を立て、憎悪を湧き立たせ、激怒します。また、誰かが自己を反省して認識し、現実的な経験について語り、神の証しをするたびに、彼らはその人をからかい、けなし、密かに攻撃し、疎外し、中傷し、迫害すらします。彼らは決まってこのように振る舞い、誰かが自分より優れているのを許さず、優れた人を見るのが耐えられません。優れた人を見ると嫉妬し、腹を立て、激怒し、その人を傷つける方法を考え、その人を困らせます。このような人は正常な教会生活と教会の秩序をすでに大きく乱して妨げており、指導者と働き手は兄弟姉妹と一致団結してこうした人に歯止めと制約をかけ、暴かなければなりません。制約をかけることができず、真理の交わりを通じて悔い改めさせ、方向転換させることが不可能な人は悪しき人です。そして、悪しき人は教会からの除去に関する神の家の原則に沿って判定され、扱われるべきです。交わりを通じて指導者と働き手が合意に達し、この人は教会を乱す悪人であると判断したら、その件は真理の原則に沿って処理されなければなりません。つまり、その人は教会から排除されなければならないのです。遠慮は無用で、教会生活を乱すこのような人をそれ以上容赦してはいけません。指導者と働き手にとって、これは悪人による妨害であることがはっきりとしたのに、それでも無知を装い、悪人による妨害を容赦するなら、指導者と働き手は兄弟姉妹に対する責任を果たしていないのであり、神に対して、神の委託に対して忠実ではありません」(『指導者と働き手の責務』〔『言葉』第5巻〕)。御言葉からわかったのは、人を育てるための神の家の原則に従って指導者がその仕事にふさわしいかを判断するのではなく、むやみに粗さがしをして、プレシャーをかけたり、陰で非難したり、指導者に抵抗し、反対するよう他の人を煽ったりするのは教会の働きを乱すことと同じで、そのような人は暴露してけん制し、ひどい場合は教会から追放しなければならないということ。キンズリーの場合、責任者が本分で成果を出しているかどうかや、その働きが教会のためになっているか、育てる価値があるかを考えず、経験がないという事実だけをとらえて、素人が責任者になっていると言い、事実を捻じ曲げ、調和を乱し、他の人が責任者に対して偏見を持つようにけしかけ、指示に従わせないようにした。そして福音の働きに遅れを生じさせたの。これは一時的な堕落の表れなんかじゃなく、一貫して見られるものだった。キンズリーは教会生活を大きく乱していたし、どの本分にもふさわしくない。原則に従ってすぐにキンズリーを解任して、悔い改めない場合は教会から追放しなければ。でもすぐにそれができなかった。こう思ったの。「キンズリーは長く班長を務めて、演技の才能もある。分別のあまりない兄弟姉妹の中には、彼女を尊敬する人もいるし、正義感があり、重荷を背負い、愛をもって本分を尽くすと思われてる。教会に入ったばかりの私が彼女を解任したら、兄弟姉妹から思いやりのない冷酷な人間だと思われない? 罰を与えていると思われない? これ以降、私をリーダーとして認めてくれるかしら? でもキンズリーは本当に悪人で、こっそり火に油を注ぎ、不和の種をまくのが得意。彼女を怒らせて、私を標的にして、兄弟姉妹の前で私を非難したら、皆との関係が悪くなってしまって、働きをするのが難しくなる」と。だからすぐに解任するんじゃなくて、まずは刈り込みと取り扱いをして、その行動の本質と結果を暴き、分析することにした。受け入れて変われば、彼女にもまだチャンスがある。でもさらに指導者や働き手を非難し続けるなら、追放したらいいと思った。

その後、上層部のジュリエットと一緒にキンズリーたちに話をして、神の家において人を選ぶための原則と責任者を昇格させた理由を交わったの。また、キンズリーや他の班長の最近の振る舞いは、派閥を作り、指導者や働き手を攻撃し、貶め、教会の働きを乱しているのと実質的に同じで、変化が見られず、同じような行動を繰り返せば、解任されると伝えた。何人かの班長は自分の間違いを認めて責任者と協力し、一緒に働きに取り組みたいと言ったわ。でも、キンズリーだけがはっきりしたことを言わなかった。数日後、キンズリーは他の姉妹に噂を広め始めたの。責任者には能力がない、指導者は間違った人を選んだと。その姉妹は取り合わず、いくつかの原則を彼女に交わった。その姉妹が同調しないので、キンズリーはそこで諦めた。その数日後、今度は別の班長数人に、こんなメッセージを送ったの。内容は、「この間の交わりですっかり弱気になった。解任されるのが怖い。あなたたちも同じように思ってない? もう何も発言しようと思えない。提案もできないし、違う意見も言えないと感じてる。発言すれば、解任されて教会から追い出されるって。あえて提案する人なんていないわ」というもの。そして教会の働きが進まないのは指導者のせいだ、原則に従って人を選んでないと言ったの。その後、働きを担当する兄弟のところに行って、原則を求めているふりをして、責任者のことを悪く言ったの。その兄弟は責任者の昇格についてよく事情を知ってたから、神の家で人を選ぶ原則についてキンズリーに交わってくれた。その後、理解したかと聞くと、よくわかった、もう責任者に偏見はないと言ったそうなの。さらにその兄弟が責任者をサポートして、仲良く協力できるか聞くと、できると誓ったそうよ。でも実は、こっそりある姉妹に連絡を取って、追求と交わりをするふりをしながら不満をもらして、事実を曲げてこう言ったの。「指導者のジュリエットは、他の兄弟姉妹と色々なことを事前に決めてる。共謀しているの。ジュリエットには権力があるから、みんな怖がってる。私も責任者の問題を報告し続けるのが不安なの。そのうち反キリスト扱いされるかもって」。ジュリエットが教会全体を支配していて、問題を報告させないようにしていると聞こえます。キンズリーがいかにずるくて狡猾で、ありもしないことを訴え、たくさんの人が原則を交わっても、受け入れることを拒み、指導者や働き手を非難したことを悔い改めず、さらに人を惑わせて、指導者たちを攻撃しているかがわかった。兄弟姉妹と指導者の仲を引き裂き、教会の働きを常に乱している。悪魔であり、サタンの手下だったの。それに気づいて、もっと早く解任しなかったことを後悔したわ。私が躊躇している間に、さらに多くの人を騙す機会を与えてしまった。キンズリーはいつも指導者を見下し、非難し、その働きを邪魔してたから、解任すべきだったのに、兄弟姉妹にどう思われるかが心配で、すぐに事を起こすのではなく、まずは真理を交わり、取り扱い、悔い改めなければ解任しよう、そうすれば、兄弟姉妹も納得してくれて、悪く思われないと思った。自分の名声と地位を守るために、キンズリーをけん制せず、教会の働きを乱す機会を与え続けた。悪事の一端を担うのと同じことでは? 自分の行動を振り返るのは、本当に辛かった。指導者の務めを果たさず、教会の利益も守れてないと気づいた。神に憎まれるわ。だから神に祈り、自分を省みて認識できるよう導きを求めた。

次の日のデボーションで反キリストを暴く御言葉を見つけた。これが自己認識の助けになったの。神の御言葉にこうあります。「反キリストは、真理の原則や神の委託、神の家の働きをどう扱うべきか、直面している物事にどう対処すべきかを熟考します。神の旨をどのように満たすべきか、神の家の利益を傷つけないようにするにはどうすればよいか、兄弟姉妹のためになるにはどうすればよいかは考慮しません。こうしたことは反キリストの考慮することではないのです。反キリストは何を考慮しますか。自分の地位と評判が影響を受けるかどうか、自分の威信が落ちるかどうかです。真理の原則に沿って何かをすることで、教会の働きと兄弟姉妹に役に立っても、自分の評判が損なわれ、自分の真の霊的背丈や、自分がどのような本性や本質をしているかに大勢の人が気づくとしたら、彼らは絶対に真理の原則に沿って行動しません。実際の働きをすることで、さらに多くの人に評価され、仰ぎ見られ、尊敬されるか、あるいは自分の言葉に権威を持たせ、もっと多くの人を従わせることができるなら、彼らはそのようにすることを選びます。そうでなければ、神の家の利益や兄弟姉妹の利益のために自分の利益を無視することなど決してありません。これが反キリストの本性と本質です。これは利己的で卑しくはありませんか(『反キリストを暴く』「第9条 彼らは自分を際立たせ、自分の利益と野心を満たすためだけに本分を尽くし、神の家の利益を決して考慮せず、個人の栄光と引き換えにそうした利益さえも売り払う(3)」〔『言葉』第4巻〕)。神が明らかにしたのは、反キリストは評判や地位を大事にし、その行動はすべて評判と地位を守るためだということ。自分の地位のためになることしかせず、自分の利益が脅かされるときは、問題があっても見て見ぬふりをして、自分の利益を守るためなら、神の家の利益を損ねても平気。私の振る舞いは、まさにこの御言葉にある反キリストでは? 教会を清めることは神の家が求めることだとよくわかってた。神は何度も言っているわ。悪人が教会を乱したら、指導者と働き手はすぐに取り扱い、悪人を暴露するか、けん制または追放しなければと。キンズリーの振る舞いは教会の働きを乱していたから、取り扱うべきだった。でも他の人に悪く思われて、指導者としての支持を失うのではと心配になった。自分の名声と地位のために、キンズリーにほんの少し交わりをしただけで、受け入れないと分かっていたのに、けん制も解任もしなかったから、彼女は引き続き兄弟姉妹の不和を招き、教会の働きを乱した。私は自己保全のために、教会の利益を犠牲にしようとしたの。本当にずるくて、自分勝手で、卑しい人間だった! 原則に従ってキンズリーを解任せず、真理を理解し分別をつけられるよう皆を導かなかったから、その結果、多くの人がキンズリーに惑わされ、同調し、そのせいで教会の働きに遅れが出た。罪悪感を覚え、後悔の念でいっぱいになった。私には指導者の資格はないと思ったわ。神にこう祈ったの。「神よ、教会に働きを乱す悪人が現れましたが、私は教会の利益ではなく自分の名声と地位を守りました。本当に自分勝手です。こんな卑しい生き方はしたくありません。心からあなたに悔い改めます」。

その後、状況をよく知る人たちに連絡を取って、キンズリーの行動を探ってみたの。するとその過程で、彼女の本性を見抜いていない人がいることが分かった。正義感から教会を守ろうとしていると思っていた人もいれば、彼女の方法は間違っているけれど、それはただ真理の原則を理解してないからだと考えていた人もいた。だから私は、正義感とは何か、ごう慢さとは何かを皆に交わって、一時的な過ちと、人の本質の違いを説明したの。そのおかげで分別が付いて、皆で立ち上がって彼女を暴く気になってくれた。でもブランドン兄弟からは思わぬ反応が返ってきたの。こう言っていたわ。「どうしてキンズリーのことを知りたがるんですか? 少し提案をしただけで、彼女を標的にするなんて。あなたたち指導者はなぜ意見のある人を抑え込み、辛い思いをさせるんですか? これじゃ誰も意見なんか言えません。このように調査していることを知って、自分の意見を言うのが怖くなりました。あなた方は反キリストのようです。異なる意見を受け入れないのですから」と。それを聞いて本当に驚きました。そんな強い口調で不平を訴えられるなんて思ってもみなかったので。そこで、辛抱強く交わりを始めたけど彼は聞き入れず、キンズリーを信じ、問題は指導者にあるという考えを改めない。もう、諦めたくなったわ。自分の真理の理解が浅く、経験も不足しているように思えた。このまま対応を続ければ、皆に見下されるようになるのでは? そしてその時気づいた。また自分の利益のことを考え始めてるって。だから静かに神に祈り、信仰心と強さを求めたの。そしてこの御言葉を思い出した。「いつも自分のために物事を行なったり、絶えず自身の利益を考えたりしてはいけません。自分の自尊心、評判、あるいは地位を考えないこと。また、人の利益を考慮してはいけません。まずは神の家の利益を考慮し、それを最優先にしなければなりません。神の旨を想い、自分が本分を尽くす中で不純だったかどうか、忠誠を尽くし、自分の責任を果たし、自分のすべてを捧げたかどうか、そして自分の本分と教会の働きを心から考えてきたかどうかを熟慮することから始めなさい。あなたはこれらのことを考えなければなりません。これらのことを頻繁に考え、はっきりさせなさい。そうすれば、立派に本分を尽くすのがより簡単になります。素質が劣っている、経験が浅い、あるいは自分の業務に熟練していない場合、働きの中に誤りや欠陥があったり、結果が思わしくなかったりするかもしれませんが、それでもあなたは全力を尽くしているでしょう。何をするにせよ、それは自分の利己的な欲求や好みを満足させるのではありません。むしろ、教会の働きと神の家の利益を絶えず考慮するのです。立派に本分を尽くしていないかもしれませんが、心は正されています。そのうえ、真理を求めて本分における問題を解決できれば、あなたの本分は基準に達し、あなたは真理の現実に入れます。これが証しをするということです。神を信じながら真理を追い求めない人がいます。このような人は絶えず肉体によって生き、肉体の快楽にいつもこだわり、自分の私欲を常に満足させます。このような人は何年神を信じようと、真理の現実に入ることは決してありません。これは神を辱めたしるしです」(『終わりの日のキリスト講話集』「自由と解放は、堕落した性質を捨てなければ得られない」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉からわかるのは、本分では個人的な利益のことを考えはいけない。教会の利益を最優先にして、神の精査を受け入れ、真心を込めて尽して初めて、その本分は神に認められるの。それ以外は悪を行い神に抵抗すること。他の人を怒らせることを恐れたり、他の人の目を気にして、真理の実践をやめてはだめ。以前はそのように物事に対処していなかったけど、少なくとも本分に誠実に向き合い、兄弟姉妹の交わりに最善をつくさなきゃ。キンズリーがブランドンを惑わせて混乱させたから、ブランドンはキンズリーの肩を持ったの。嘘を真実かのように伝えて、指導者が彼女を批判するので、提案したり意見を言ったりできないと言った。本当のような作り話は、簡単に人を惑わせますね。指導者が原則に従って人を選んでいないという彼女の主張は、事実とは違っていたの。人を選ぶための原則について交わりをしてもらっても、それを受け入れず、自己反省もしなかった。事実を捻じ曲げ続け、指導者が彼女をけん制し、違う意見を許さないと主張した。事実を覆して人を騙していたの。教会を追い出されたくないから、誰も異を唱えられないという主張は、表面上は心からの本音を包み隠さず打ち明けているように思えるけど、その表面的な誠実さの裏には、邪悪な意図とサタンの計略が隠れていたの。人を言いくるめて自分の味方につけ、自分の肩を持ち、指導者に対抗させた。これは人を惑わせ、教会の働きを乱すこと。ブランドンは分別が無くてキンズリーの言葉に騙されたの。愛のある交わりが必要だった。その後、交わりを通して、分別を付けたブランドンは、自分が真理を追求せず、分別がなかった、だからこそキンズリーの肩を持ち、悪に加担したんだと認識したの。真理を知らないことがどれほど哀れで、悪人に騙されやすくなるかも知ったわ。この変化を目にして本当にうれしかった。その後、何人かの同労者と一緒に悪人を見抜く方法について皆に交わりをして、キンズリーの振る舞いを細かく分析した。皆キンズリーの本性を見抜くことができて、投票の結果、ほぼ全員がキンズリーの追放に賛成したの。投票のとき、皆、自分が学んだことを口にしていったのだけど、ある人はこう言ってた。「キンズリーが嘘をでっちあげ、あちこちに偏見を広めて、教会に反旗を翻したことで、教会の働きがめちゃくちゃになった。指導者がいくら暴露し、取り扱っても、まったく後悔せず、悔い改めもしない。悪人そのものだ」と。別の人は「キンズリーは一見とても親切そうだけど、その話は人を惑わす。陰険で邪悪だ。この交わりと分析が無ければ、いまだに見抜けなかったと思う。真理を理解し分別をもつ大切さがわかった」と言ったの。こう言う人もいたわ。「前はキンズリーに騙され、教会の働きを守ってると思ってた。裏でこれほどの悪事を働いているなんて知らないから、彼女の肩をもち、事実を異なることを言ったから、反省し悔い改めなければ」と。神の義なる性質はいかなる背きも許さない。悪人が教会の働きを乱せば、その人はいずれ淘汰されるの。この御言葉を思い出したの。「邪悪な人間は常に邪悪であり、懲罰の日から逃れることは決してない。善なる人間は常に善であり、神の働きが終わるときに明らかにされる。邪悪な者が義と見なされることはなく、義なる者が邪悪な者と見なされることもない」(『神の出現と働き』「真心で神に従う者は、必ずや神のものとされる」〔『言葉』第1巻〕)。この経験で分かったことは、指導者として、教会にいる悪人が教会の働きを乱した場合に、原則や真理を基に対応するのではなく、自分の個人的な利益を守ることは、サタンが教会の働きを乱すことを許し、その手下として悪を行い神に抵抗しているのとを同じ。悪人はすぐさま教会から追放して、兄弟姉妹が真理を学び分別をもてるようにしなきゃ。これこそが教会を守り、指導者の務めを果たすことになる。神に感謝!

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