傲慢な性質はどうすれば変わるのか

2023年7月12日

2019年8月、動画関連作業の責任者になったの。当時はチームでこの分野の経験が一番少なく、責任者に選ばれたのは神の称揚だとわかってたから、全力でこの本分を尽くそうと誓った。最初は学ぶべき作業や専門知識が山ほどあって、自分に足りないものが多すぎると思った。当時は、パートナーの姉妹たちによく質問したし、その意見を謙虚に受け入れられた。でもすぐに、チームの作業に慣れて専門知識をマスターして、動画の編集時に問題を見つけられたし、兄弟姉妹が技術的な問題を抱えていても解決できた。パートナーが問題を解決できずにいると、わたしにアドバイスを求めるの。わたしは独自の見解があるだけじゃなく、みんなの問題をよく解決した。飲み込みが早いし初心者だなんて信じられないと、姉妹たちから言われて、自分が誇らしくなり、こう思った。「みんなはわたしよりも長くこの本分を尽くしているのに、新人のわたしがみんなを指導してる。きっと素質が優れ、この作業の才能があるんだわ」。兄弟姉妹の状態が悪くても、わたしが交わると、程度の差はあれ解決できた。こんな風に言われたこともある。「あなたの交わりがなければ、とてもこの問題を解決できませんでした」。チームに加わってわずか一ヵ月、なのに業務面で進歩を遂げ、多くの成果を上げた。そう考えれば考えるほど、自分が得がたい人材に感じて。

徐々に態度が変わったの。以前ほど低姿勢じゃなくなり、知らぬ間に自分をチームの大黒柱と考えるようになった。みんなより素質に優れ、有能だと思ったわ。兄弟姉妹に技術的な質問をされると、前はパートナーに相談してたけど、今は誰にも相談せず、直接答えるようになった。作業の話し合いで姉妹たちが違う意見を口にしても、わたしは探求せずに全部拒否し、わたしのやり方で進めてと言った。作業の采配も相談せずに行なった。自分は指導者で経験があるんだから、直接采配していいと思ったし、みんなが後で知ることもあった。そのとき、ある姉妹がわたしを取り扱ったの。傲慢すぎるって。誰にも相談せず、自分の好きなように振る舞ってるし、そんな風に本分を尽くせば、簡単に間違いを犯してしまう。表面的にはうなずいたけど、内心思った。「相談しなくても問題ないわ。わたしの見方のほうが優れてるし、相談しても結局わたしのやり方で進めることになる。わざわざ時間を無駄にしなくても」。それで、姉妹のアドバイスを受け入れず、自分の好きなように物事をしたの。時が経つにつれ、パートナーの提案をいつも拒んだせいで、作業の采配をほとんど自分でするようになり、他の作業の話し合いでも、誰も意見を言わなくなった。この本分を尽くすのはもう無理だと感じて消極的になり、わたしとパートナーを組みたくないと何度も言うほど。集会から戻ってこう言うこともあった。「あのチームに戻りたくない。あそこにいると疲れるの。……」そのときは反省せず、馬鹿にするような口調でこう言った。「二人とも本当に弱くてもろいわね!」って。いつもわたしが決定して、姉妹たちに相談しなかったから、その二人は程なく消極的になって、辞めたいと考えた。わたしの本分でも問題が多くなって、動画の問題に気づかず、指摘されて修正した。間違った指導をして、仕事を繰り返すことも何度かあった。仕事の采配に漏れがたくさんあって、チームの作業効率がどんどん下がり、どんなに頑張っても好転できない。この苦境につらくなって、やめたいと思ったほど。でもそのとき、神の裁きと刑罰がわたしに臨んだ。

仕事ぶりを知った指導者が、わたしを暴いて取り扱う厳しい手紙を寄越したの。「あなたは本分で傲慢かつ独善的で、パートナーと協力できず、みんなの提案を受け入れず、何事も自分で決めてチームを支配していると、大半の兄弟姉妹が報告している。これらは反キリストの支配と独断専行に他ならない。今すぐ反省しなければ、結果は深刻だ。……」指導者の言葉を読んで、平手打ちされたように耳鳴りがした。手紙には御言葉の一節も記されてた。「反キリストは、真理や神ではなく自分だけに従うことを人に求めますが、それが最初に表出するのは、彼らは誰とも一緒に働くことができないという状況です。……反キリストの中には、表面的には助手や同労者がいるように見える者もいますが、実際に何かが起こると、他の人がどれほど正しくとも、反キリストは決して彼らの言うことに耳を傾けません。そのことについて論じ合ったり話し合ったりするどころか、考慮しようとさえしません。まるで他人など存在しないかのように、まったく注意を払わないのです。反キリストが他人の言うことに耳を傾けるときは、ただ単に形だけ聞いているふりをしているか、話を聞いているところを他の人に見せるために演じているだけです。従うべきは反キリストの最終判断であり、他の人の言葉はまったく無駄なものであり、考慮に値しないのです。例えば、2人が何かの責任者で、そのうちの1人に反キリストの本質があるとき、この人に何が顕在しますか。それが何であれ、その人だけが作業を進め、質問をし、物事を整理し、解決策を提示することになります。そしてほぼ常にその人は自分の同労者には何も知らせません。ではその人にとって、同労者とは何ですか。補佐役ではなく、単なる飾りです。反キリストにとって、同労者は同労者ではないのです。問題が起こると、いつも反キリストがそれについて考え、行動方針を決めたら、他の人たちにこうするようにと知らせ、誰もそれに疑問を差しはさむことは許されません。反キリストにとって他の人たちと協力することの本質は何ですか。基本的にそれは、自分が最終判断を下し、問題について誰とも話し合わず、働きの責任を一身に背負い、同労者を単なる飾りにしてしまうことです。常に1人で行動し、誰とも協力しません。働きについて他の誰とも話し合ったり、意思疎通をしたりすることはなく、自分一人で決断を下し、自分一人で問題に対処し、多くの事柄において、他の人はそれがどのように完了し、処理されたかを事後に知るのです。他の人たちは反キリストに言います。『問題はすべて、私たちと話し合うべきです。あの人をいつ取り扱ったのですか。どのように対処したのですか。なぜ私たちは何も知らされなかったのですか』。反キリストは説明をすることも、気に留めることもありません。彼らにとって、同労者は何の役にも立たない、ただの飾り、体裁を整える道具なのです。何かが起これば、彼らは自分で考え、自分で決断し、自分がよいと思ったとおりにします。周囲にどれほどたくさんの人がいようとも、その人たちがさも存在しないかのようです。反キリストにとって、他人は空気のようなものなのです。このような状況で、反キリストと他人との協力関係から何か現実的なものが生まれますか。まったく生まれません。彼らは何かをやっているように見せかけているだけ、役を演じているだけです。他の人たちが反キリストに、『問題が起きたときに、なぜ他の皆と話し合わないのか』と言われると、『彼らに何がわかる。班長は私なのだから、決めるのは私だ』と答えます。他の人に、『ではなぜ同労者と話し合わなかったのか』と問われると、『話したが、意見が何もなかった』と答えます。同労者に意見がないことや、自分で考えられないことを言い訳にして、自らが法であるかのように振る舞っている事実をごまかそうとします。その後で、自分を省みるなどということもまったくしないので、真理を受け入れるなど到底不可能です。これが反キリストの本性の問題です(『反キリストを暴く』「第8条 彼らは人を自分にだけ従わせ、真理や神には従わせない(1)」〔『言葉』第4巻〕)。反キリストを暴く御言葉に、心を貫かれて痛かった。あのころの振る舞いを振り返ると、作業で多少進歩を遂げたあと、自分には素質と能力があって、二人のパートナーより優秀だと思った。名目上は本分でのパートナーだけど、実際には名ばかりの存在。作業の采配をするときも相談せず、自分がいいと思ったことを行ない、彼女たちの意見はよくないから、考える価値はないと思った。たとえ相談しても、それは形だけのこと。どうすべきか事前に決めてたから。それで、パートナーが違う意見を持ち出すたび、わたしは探求せずにそれを拒否し、自分の思い通りにした。教会は協力して本分を尽くすよう采配したのに、わたしは暴君のように振るまい、何事も決定権を握り、姉妹たちを完全に萎縮させ、権力を独り占めした。赤い大きな竜の独裁と同じじゃない? 姉妹たちを縛りつけ、辞めたいと思うまで消極的にさせたこと、チームの作業にたくさん漏れがあったことを考えた。わたしは本分を尽くすのでなく、神の家の働きを妨げてたの。それに気づいて怖くなった。神の家の働きを乱して邪魔し、兄弟姉妹を苦しめ傷つけてたなんて。淘汰され、懲罰されて当然じゃない? それで消極性と誤解の中にあったんだけど、

ある日偶然この御言葉を目にしたの。「人はサタンによって深く堕落させられているので、人のやる事なす事、人が表わすことのすべてがサタンの性質であり、どれも真理に反し、神に敵対しています。人は神の大いなる愛を享受するのにふさわしくありません。しかし、神はそれでも人のことをとても気づかっており、日々恵みを授け、様々な人、出来事、物を整えて人を試し、精錬することで、人が変化を遂げられるようにしています。神はありとあらゆる環境を使って人を暴き、人が自己を省み認識し、真理を理解し、いのちを得られるようにしています。神は人を深く愛し、神の愛はかくも現実にあるので、人はそれを見て触れることができます。あなたがこれをすべて経験したなら、神の行なうことはすべて人の救いのためであること、それが最も真実の愛であることを感じられます。神がかくも実際的な働きをしていなければ、人がどれほど堕落していたか誰にもわからなかったでしょう。しかし、神の真の愛が見えず、なおも評判と地位を追い求め、他より抜きん出ようと努力し、いつも他者を罠にかけて支配したがっている人が大勢います。そのような人は、自分を神と対立させているのではありませんか。そのような道を歩み続けるなら、結末は想像もつきません。神は裁きの働きを通じて人の堕落を暴き、人がそれを認識できるようにします。また人の誤った追求をやめさせます。神は素晴らしい仕事をするのです。神が行なうのは人を暴き、裁くことですが、それはまた人を救います。これこそが真の愛なのです」(『終わりの日のキリスト講話集』「神を信仰する中で最も重要なことは真理を実践することである」〔『言葉』第3巻〕)。この一節を読んで、心が温まった。神が隣にいて、わたしを慰め励ましてるみたい。わたしが経験した刈り込みと取り扱いは、暴きと裁きだけど、それ以上に神の愛だとわかったの。神がわたしを裁いて暴いたのは、これ以上の悪事をやめさせるため。それに堕落した性質と、間違った道を歩んだことにも気づいた。そうし続けていれば、結果は想像もつかない。聖書にある、ニネベの民に対するヨナの宣言を思い出した。「四十日を経たらニネベは滅びる(ヨナ書 3:4)。神がヨナを遣わしてこう宣言させたのは、滅ぼす意図を告げるためでなく、彼らに警告し、悔い改める機会を与えるため。神の性質は義と威厳だけど、愛と慈悲でもある。これが神の義なる性質なの。ますますはっきりわかった。神がわたしを裁いて暴き、人や物事を采配したのは、警告するため。懲罰が神の意図じゃないの。神はこれを用いてわたしを目覚めさせ、悔い改めさせた。それに築いて心が晴れ、つらさも軽くなった。悔い改めないと危険に陥る。何度も神に祈って、反省して自己認識できるよう導きを願ったわ。

ある日のデボーションで、この一節を見たの。「傲慢さは人間の堕落した性質の根源です。傲慢になればなるほど、人はそれだけ理智に欠け、理智に欠ければ欠けるほど、神に抵抗しがちになります。この問題はどれほど深刻でしょうか。傲慢な性質の持ち主は他のあらゆる人を見下すだけでなく、最悪なことに、神に対して威張りさえして、心の中には神への畏れがありません。神を信じて神に従っているように見えるものの、まったく神を神として扱っていない人がいます。そのような人は真理を自分のものにしていると絶えず感じ、自分を高く評価しています。これが傲慢な性質の本質と根源であり、それはサタンに由来します。ゆえに、傲慢さの問題は解決されなければなりません。誰も眼中にないと思うのは些細な問題で、傲慢な性質のせいで神、神の支配、神の采配に従わないことが重要な問題なのです。このような人は他人の支配を巡って絶えず神と競い合います。この種の人は神を少しも畏れず、神を愛することや神に従うことについては言うまでもありません。傲慢で自惚れている人、とりわけ自分の理知を失うほど傲慢な人は、神への信仰において神に服従することができず、自分を称揚して自分の証しさえします。このような人は神に最も抵抗し、神を畏れることなど絶対にありません。神を畏れるところに至りたければ、まずは自分の傲慢な性質を解消しなければなりません。自分の傲慢な性質を徹底的に解消すればするほど、あなたはますます神を畏れる心をもち、そのとき初めて神に服従することができ、真理を得て神を認識するのです。真理を得る人だけが真の人間です」(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉を読んで理解した。独断専行してみんなと協力できないのは、堕落した本性がひどすぎるから。責任者に選ばれ、専門知識をマスターし、本分で成果を上げて問題を多少解決できたから、自制を失い、自分を高く評価したとわかったの。才能があって誰もわたしにかなわず、自分より素質が優れた人も、有能な人もいないと思い込んで、みんなの上に立って支配した。本分では好き勝手して、みんなと話し合うことも相談することもなく、パートナーの意見に耳すら貸さなかった。何を言っても、自分の意見が一番だと考え、心の中で彼女たちを軽蔑し、名ばかりの存在として扱ったの。パートナーは相談するよう何度も注意した。それは神の指揮と采配。わたしが本分でいつも間違い、壁に突き当たったのは、神の取り扱いと懲らしめ。なのにわたしは、探求も反省もしなかった。神に従い、畏れてると言える? 思えば大天使も傲慢で、心に神への畏れがない。人を創ったのは神なのに、人を管理し、神と同等の位置に立ちたがった。傲慢さと独善は典型的なサタンの性質。わたしもこの種のサタン的本性があるのに、どうして神を畏れて服従できる? どうして真理を実践し、正常な人間性を生きられる? そのとき気づいたの。傲慢な性質の解決こそ、性質の変化を遂げる鍵だって! パートナーと協力できない原因もそれ。

その後、別の御言葉を思い出したの。「人が自身の本分をしっかり尽くすよう神が求めるとき、ある一定数の仕事を完了させたり、何らかの大事業を成し遂げたり、何らかの偉大な企てを実行したりすることを神は求めていません。神が望むのは、人々が地に足をつけて全力を尽くし、神の言葉通りに生きられるようになることです。あなたが偉大になったり栄誉を得たりすること、あるいは何らかの奇跡を起こすことを神は必要としておらず、またあなたの中に何らかの嬉しい驚きを見出すことも望んでいません。神はそのようなことを必要としていないのです。神が必要としているのは、あなたが神の言葉に沿って確固と実践し抜くことだけです。神の言葉に耳を傾けたなら、理解したことを行ない、把握したことを実行し、聞いたことを記憶に留め、そして実践すべき時が来たら、神の言葉に沿って実践し、神の言葉があなたのいのち、あなたの現実、あなたが生き抜くものになるようにしなさい。このようにして神の旨は満たされるのです。あなたはいつも偉大さや崇高さや地位を求めています。つまり自分を高めることをいつも求めているのです。神はこれを見てどのように感じますか。神はそれを憎み、あなたから離れます。あなたが偉大さや崇高さ、あるいは他人に優ること、卓越すること、傑出すること、注目されることを追い求めるほど、神はあなたに嫌悪を抱きます。自分を省みて悔い改めないなら、神はあなたを憎み、見捨てます。神が嫌悪する人にならないようにしなさい。神が愛する人になりなさい。では、どうすれば神の愛を得られますか。そのためには従順に真理を受け取り、被造物の地位に立ち、地に足をつけて神の言葉通りに行動し、本分をきちんと尽くし、誠実な人になろうと務め、人間らしさを生き抜くことです。これで十分であり、神は満足します(『終わりの日のキリスト講話集』「本分を正しく果たすには調和的協力が必要である」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉で理解できた。神は人の成果や働きの多さ、賜物や素質をご覧にならない。御言葉を聞いて神に従い、神の要求を基に正常な人間性を生き、人と協力して本分を尽くせるかをご覧になる。神はそれを見て承認なさるの。でもわたしは神の要求を理解せず、働きができて素質と賜物が多少あるから、傲慢になって才能があると思い、誰よりも優れてると考え、みんなの上に立って言うことを聞かせた。理知がまったくない。恵みの時代のパウロも素質と賜物があり、福音を説くために苦しみ、多くの働きをして、みんなに崇拝された。でも長年働いてもいのちの性質は変化せず、自分を高めて誇示し、最後は傲慢そのものの言葉を吐いた。「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」(ピリピ人への手紙 1:21)。そのせいで、パウロは最終的に神に認められず、永遠の懲罰を受けた。どんな賜物や素質を持っていようと、人の中での地位や権威がどうだろうと、真理を求めず性質が変わらなければ無駄。それらは真理でも、人の救いの元手でもない。神がそれらを基に人を救い、完全にすることはないの。わたしも素質と賜物と才能があると思っていたけど、基本的で正常な人間性ですら生きられず、兄弟姉妹を尊重せず、正しいアドバイスを受け入れない。性質の変化が一切なかった。兄弟姉妹に何度も支えられ、神の打撃と懲らしめを受けても、わたしは反省しなかった。厳しい刈り込みと取り扱いでやっと反省する有様。本当に麻痺してるし、ひどい素質! 優れた素質の人は、何かあると真理を求め、神の旨を知り、神の整えた環境から教訓を学べる。でもわたしはと言えば、傲慢そのものだった。理知がまったくないし、人間らしく生きていない。どうして神に認めてもらえる? 二人のパートナーはわたしより長く本分を尽くしてるけど、自分の資格を自慢してるところなんか見たことがない。問題があれば今もわたしに相談し、わたしから見下されても、いつも忍耐強く寛容で、愛で支えてくれた。二人が生きる人間らしさに、自責の念と恥ずかしさを感じた。わたしの人間性と理知はひどく、自分をまったく知らないの! 動画班の仕事を大いに害して邪魔し、パートナーを深く傷つけた。わたしの行ないからすれば、こんな重要な働きにふさわしくない。それに気づいて強い自責の念を感じ、こう誓ったわ。解任されるかどうか、今後どうなるかに関係なく、真理を追い求めて堕落した性質を解決し、傲慢で独断専行するのはもうやめよう。

その後、わたしの問題に焦点を当てた御言葉を見たの。「調和的な協力には多くの要素が関わっています。ともかく、その一つは、他の人に発言させ、さまざまな提案をさせることです。もしあなたが真に理知であれば、どのような働きを行なうのであれ、まずは真理の原則を求めることを学び、また、他の人の意見を積極的に求めるようにならなければなりません。すべての提案を真剣に受け止め、ともに働いて問題を解決しようとするならば、調和的な協力を基本的に実現できます。こうすることで、本分において困難に遭遇することがかなり減ります。どのような問題が起こっても、解決し対処するのが簡単になります。これが調和的な協力の効果です。ささいなことが原因で言い争いが起こることがありますが、それが働きに影響をおよぼさない限り、問題にはなりません。しかし、教会の働きに関する主要事項や重大事項については、必ず合意に達し、真理を求めて解決しなければなりません。指導者や働き手として、自分が人より優れていると常に考え、政府の役人のように自分の本分に耽り、いつも自分の地位の特権にふけり、いつも独自の計画を立て、いつも自分の名声と地位を考え享受し、いつも独断で物事を行い、さらに高い地位を得て、もっと多くの人を管理、支配し、権力を拡大していくことを常に目指しているのであれば、それは問題です。まるで政府の役人のように、重要な本分を自分の地位を享受する機会ととらえることは危険です。もしもあなたが常にこのように振る舞い、他の人と協力することを望まず、自分の力を弱めて人と分け合うことを嫌がり、誰かが自分より有利な立場に立ったり、脚光を浴びたりすることを望まず、権力を独り占めしたいと考えているならば、あなたは反キリストです。けれど、もしもあなたが常々真理を求め、肉を忘れ、自らの動機や企てを捨て、そして他の人たちと協力することを自分に課し、心を開いて人に相談したり意見を求めたりし、人の考えや提案に真摯に耳を傾け、誰からの助言であっても正しく真理に則したものであれば、その助言を受け入れることができるなら、あなたは賢く正しい方法で実践をしているのであり、間違った道を避けることができます。これはあなたを守ってくれます。あなたは指導者の肩書を手放し、地位というけがれた空気を手放し、自分を普通の人間として扱い、他の人と同じ立場に立ち、本分に対して責任ある態度をとらなければなりません。常に自分の本分を公式な肩書や地位、または冠のようなものととらえ、他の人は自分の地位に仕えるために存在するかのように思い描いているのであれば、それは困ったことで、あなたは神に軽蔑され、嫌悪されます。もしもあなたが自分は他の人と平等であり、神から少し大きめの委託と責任を与えられているだけだと考えているならば、また、他の人と同じ地位に立ち、さらには平身低頭して他の人の意見を聞き、真摯に、綿密に、注意深く人が話すことを聴くことができるならば、あなたは他の人と調和的に協力することができます(『反キリストを暴く』「第8条 彼らは人を自分にだけ従わせ、真理や神には従わせない(1)」〔『言葉』第4巻〕)。この御言葉で理解できた。問題をはっきり見られる完璧な人なんかいない。本分での間違いや逸脱は避けられないけど、みんなと協力して互いの長所から学ぶ限り、こうした問題を避けて本分を改善できる。パートナーと協力すればするほど、みんなの強みを見つけ、公平かつ公正に接することができ、見下すことがなくなる。また、傲慢さと独善の中で生きたり、暴君のように振る舞ったり、恣意的に行動したり、反キリストの道を歩んだりしない。でもわたしは本分の中で傲慢になり、みんな劣ってると思った。いつも決定権を持ちたがり、兄弟姉妹と協力せず、最後は自分だけでなく、みんなにつらい思いをさせ、神の家の働きを遅らせた。そのとき初めて、兄弟姉妹と協力する重要性に気づいたの!

その後、パートナーに心を開く機会があって、本分で傲慢かつ独善的になって、彼女たちを傷つけたことや、反省して気づいた問題をすべて話したの。そして謝罪し、監督するよう頼んだ。傲慢または独善的になったり、意見を拒んだりしたら、指摘して、わたしを刈り込み取り扱い、受け入れなければ報告して、って。わたしみたいに傲慢で独善的な人は、特別な処置が必要なの。このように実践するととても落ち着いた。やっと治療法が見つかった癌患者のよう。毎日神の御前に問題を持ち込み、祈り、あんな理不尽なことをしないように、加護と懲らしめを求めた。いつの間にか、ずっと敬虔になったし、行動する前に率先してパートナーと話し合い、相談し、意見が違ったときは無闇に拒むんじゃなく、探求してじっくり考え、相手の見方が原則に合うかどうか、メリットは何かを見極められるようになり、決定権を望まなくなった。

あるとき、人事異動を話し合ってる最中、ある姉妹を別のグループに移すよう提案したんだけど、パートナーはあまり異動させてはだめだって言うの。新人を選んで育てるべきだって。パートナーの意見を聞いて、自分の見方が正しいことを強調したかったけど、傲慢な性質で行動しようとしてることに気づいた。すぐ心の中で神に祈ったわ。自分を拒んで捨てられるようお助けを、って。その瞬間、こんな御言葉を思い出したの。「意見の相違は軽々しく扱われるべきではありません。自分の働きに関係することはすべて真剣に捉えなければなりません。意見の相違を無視して、『これを知っているのはあなたなのか、わたしなのか。わたしはこれを長い間行なってきた。あなたより知らないということがどうしてあり得るのか。あなたは何を知っているのか。何も知らないではないか』などと言っているだけではいけません。これは悪しき性質です」(『終わりの日のキリスト講話集』「常に神の前で生きて初めて、神と正常な関係を持つことができる」〔『言葉』第3巻〕)。そう。パートナーが異論を出したんだから、それを考え、自分の見方にこだわってはだめ。自分の見方に問題があったらどうする? 姉妹の意見はどこがよくて、神の家の働きにどんなメリットが? そのように考えると、姉妹の意見のほうが働きに有利だと気づいた。新人を育てることで、根本にある人材不足の問題が軽くなる。それに比べ、わたしの意見は一方的。結局姉妹の意見を取り入れたけど、わたしは穏やかだった。ようやく理知のある人になって、自分を拒み真理に服従したから。いい気分だった。

しばらくパートナーと協力すると、二人のほうが問題を幅広く考えてることがわかった。わたしの意見は不適切だったけど、二人のアドバイスがそれを補ったの。パートナーと協力するときは、互いの長所から学び、助け、監督し、抑え合うべき。そうすればよりよく本分を尽くせる。他より優れている人はいないことにも気づいた。それぞれに強みと弱みがあり、独りで本分を尽くせる人はいない。パートナーと協力し、互いに補い合う。それがしっかり本分を尽くし、誤った道を避ける唯一の方法。御言葉の裁き、刑罰、刈り込み、取り扱いがなければ、今も堕落した性質で振る舞い、反キリストの道を歩み、最後は神に淘汰され、懲罰されてたはず。今日これを理解して変わったのは、御言葉の裁きと刑罰の結果。神の救いに感謝してる!

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