神を畏れぬことは危険なこと

2022年12月15日

私は去年から教会で潤しの働きを担当しています。ある時集会で、福音の働きの責任者である王兄弟からこんなことを言われました。信仰に入ったばかりの信者の多くが集会に来ていない。潤しの問題をすぐに解決しなければと。最初はこの指摘を受け入れ、兄弟姉妹と問題について話し合い、できる限りの調整を加えました。でも毎月、新人が色々な事情でグループを離れてしまいます。王兄弟から再度、私が本分の責任を果たさず、働きの問題を解決していないと言われて、思ったんです。私は問題を解決しようと頑張ったし、やるべきことはやった。なんで私ばかり責められるの? 粗さがしをしているの? と。加えて、新人が集会に参加しない理由は様々で、いまだに宗教的観念をもっている人もいる。それはつまり真理を明確に交わってないということだわ。まずは自分が反省すべきじゃないの? 交わりをきちんとしていれば、グループを離れる人も減るはず。そうやって、王兄弟に腹を立てて、指摘を取り合わなかったんです。驚いたことに、福音を説く兄弟姉妹がこの問題をさらに上の指導者に報告しました。それを聞いた時、私は反省するどころか、指導者がこのことを知れば、私が実際の働きをしない偽の指導者だと思われるのでは? 最悪の場合解任されることもある。それは恥だわと思った。これじゃまるで指導者への告げ口じゃないの。考えるほどに怒りが増し、みんなに腹を立てました。その後、他の人から意見を言われても、うるさいと思い、真剣に取り上げませんでした。

ある時集会で、潤し役の執事が、福音を説く兄弟姉妹に意見したんです。単刀直入に、新人の宗教的観念を解決しないのは、無責任だと言ったんです。もし交わりが明確なら、新人も集会に来るだろうと。私も同意見だったので、すぐに加勢しました。「そうです。宗教的観念が解決されないまま潤せと言われても、成果を出すのは難しいわ」と。すると、潤し役が次々に発言し始めました。その時は、心が少しざわつきました。問題を人のせいにして、陰で文句を言っているのでは? と。でも考えてみれば、私の言っていることは事実なので、深く考えるのをやめました。ある日、潤し役の執事と働きについて話している時に、執事が急に、張兄弟の、資料まとめを手伝いに行かなきゃと言ったんです。私は、福音を説く人たちは私たちに問題があるというけど、資料まとめみたいな仕事に手伝いが必要なの? と思って、つい言ってしまいました。「一人でできないの? 何でもかんでも手伝いがいるの? あなたにも仕事があるのよ。一人でできないなんて無能ね」と。口にしたとたん、胸がどきどきしました。なぜあんなことを言ったの? 張兄弟が資料作りを手伝ってほしいのは集会で成果を上げるため。普通のことだわ。兄弟姉妹の関係を悪化させようとするなんて、神の家の働きを乱すことでは? すぐに「行ってあげて」と言い直した。でも後からこの出来事を振り返って少し怖くなったので、自分を知るための導きを求めて神に祈りました。

そして次の日、集会でこの御言葉の一節を読みました。「神は人の心をどのように吟味しますか。神は目で見るだけでなく、あなたのために環境を整え、自らの手であなたの心に触れます。では、わたしがこう言うのはなぜですか。神はあなたのために環境を整えるとき、あなたが反感や嫌悪を抱いているのか、それとも喜びや従順を感じているのかを見ます。あなたが受け身の姿勢で待っているのか、それとも率先して真理を求めているのかを確かめ、あなたの心と思考がどのように変化するのか、どの方向に成長しているのかに目を向けます。あなたの内なる状態は好ましい方向に進んでいる場合もあれば、前向きでない場合もあります。真理を受け入れることができるなら、神があなたのために用意する人や出来事、物事、さまざまな状況を、あなたは心の奥深くで神から受け入れ、それらに正しく向き合います。神の言葉を読むことと精神的な熟考を通して、あなたのあらゆる思い、考え、心情は、神の言葉に合わせて変化し、それはすべてあなたにとって明確になり、神はそれを見守ります。こうしたことをあなたは誰にも言ったことがなく、それについて祈ったこともありません。ただ心の中で、自分の世界の中で考えたことがあるだけです。けれど神にはそれがよくわかっており、神にとっては明白です」(『終わりの日のキリスト講話集』「常に神の前で生きて初めて、神と正常な関係を持つことができる」〔『言葉』第3巻〕)。「あなたは真理を追求しないばかりか実践することもなく、その心には肯定的な物事への愛がありません。そのため、自らの利益に関わる問題に遭遇すると、神を信仰して真理を追求することへの意欲をほとんどもたず、それよりも自分自身の利益に目を向けたがります。人がいつも自分の利益を考え、自分の自尊心と虚栄心を常に守ろうとし、堕落した性質を露呈しておきながら、真理を求めてその性質を直そうとしないときの結末は何ですか。その人にはいのちへの入りがないということ、真の経験と証しが欠けているということです。これは危険なことです。そうではないですか。決して真理を実践せず、経験も証しもないなら、あなたはいずれ暴かれ、淘汰されます。経験と証しのない人が、神の家で何の役に立ちますか。どんな本分であろうと、きちんと尽くすことがなく、何事も正しく行なうことができません。そのような人はただのくずではありませんか。何年間も神を信仰しながら真理を実践しないなら、その人は不信者であり、邪悪です。真理を実践せず、過ちがますます増えていくなら、あなたの結末は定まっています。あなたのすべての過ち、あなたが歩む間違った道、悔い改めようとしないことが組み合わさり、無数の悪事になることがはっきり見えます。そのため、地獄に行って懲罰されるというのがあなたの結末です。あなたがたは、これを些細なことだと思いますか。懲罰されたことがないなら、これがどれだけ恐ろしいことであるのかを感じ取れません。その日が来て、本当に厄災に見舞われ、死に直面したときには、後悔しても手遅れです。神への信仰において真理を受け入れないのなら、長年神を信じながら内面に変化がないのなら、淘汰され捨て去られるというのが最終的な結末です」(『終わりの日のキリスト講話集』「神を信仰する中で最も重要なことは真理を実践することである」〔『言葉』第3巻〕)。この御言葉で分かったのは、神は私たちの心を観察するための状況を作りだし、物事に対して私たちが腹を立てて抵抗するのか、真理を求めて実践するかを見ます。神が作りだした状況に常に反抗し、堕落した性質を表せば、どんどん過ちを犯すことになり、やがて淘汰されます。過去を振り返ると、兄弟姉妹に問題を指摘された時は、どちらが善でどちらが悪かにとらわれ、彼らを批判し真理を求めるどころか、相手に対して腹を立て、陰でみんなを非難した。それは信者のすることでしょうか? 神の家の働きを乱すことは、悪を行うことと同じです。そう気づくと怖くなったので、静かに神に祈りました。「神よ、私は人を非難し、分裂させ、あなたに抵抗しました。自分を振り返りたいです。どうが導いてください」と。

その後、御言葉をいくつか読みました。「神を信じる人は注意深く慎重に物事を行い、すべての行動が神の要求に従い、神の心を満たせるものでなくてはならない。強情であってはならず、自分が望むままに行動してはならない。そのようなことは聖徒としての作法に不適である。人間は神の旗印を誇示してあちらこちらを暴れ回ったり、いたるところで虚勢を張ったり、詐欺を働いたりしてはならない。これは最も反逆的な行為である。家族には決まりがあり、国家には法律があるのだから、神の家ではなおさらのことではないか。そこにはさらに厳しい基準があるのではないか。さらなる行政命令があるのではないか。人間には好きなことを行う自由があるものの、神の行政命令を思いのままに変えることはできない。神は人間による背きを許さず、人間を死に至らしめる神である。人はこのことをまだ知らないのか」(『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」〔『言葉』第1巻〕)。「真理を実践する人は、最後に真理のために救われ完全にされる。真理を実践しない人は、最後に真理のために滅びを自分自身にもたらす。これらが、真理を実践する人としない人を待ち受ける最後である。真理を実践するつもりがない人は、それ以上罪を重ねないようできるだけ早く教会を去るよう勧告する。時が来れば、後悔しても手遅れである。特に徒党を組む者や分裂を招く者、教会内にいる地元の顔役は、直ちに教会を去らなければならない。邪悪な狼のような本性をもつこれらの者は変わることができない。兄弟姉妹の正常な生活を二度と妨害せず、そうすることで神の懲罰を避けるため、できるだけ早く教会を去った方がよい」(『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」〔『言葉』第1巻〕)。「あなたがたには、行政命令の内容をより良く理解し、神の性質を知る努力をすることを強く勧める。そうしなければ、あなたがたは口を閉じていられずに、はばかることなく大げさな言葉を使って好き勝手な話をする。そして無意識のうちに神の性質に背いて暗闇に落ち、聖霊と光の臨在を失ってしまう。行動が原則にかなっていないために、すべきでないことをして言うべきでないことを言うために、あなたは相応の報いを受ける。あなたの言動が原則にかなっていなくても、神の言動は極めて原則にかなっていることを知らなければならない。あなたが報いを受ける理由は、あなたが人ではなく神に背いたからである。生涯のうちに神の性質に何度も背くなら、あなたは地獄の子になる運命にある。人から見れば、数回しか真理に反する行動を取っておらず、ただそれだけのことのように思えるかもしれない。しかし神から見れば、あなたはすでにそのために捧げる燔祭さえ、もはやない人であることに気づいているのか。神の行政命令を数回破ったうえに、後悔の兆候を一切見せないのだから、神が人を懲罰する地獄に落ちる以外にあなたに手段はないのである。……行動において神の性質に背かず、神の心意を求め、神に畏敬の念を持つ心があるなら、あなたの信仰は基準に達している。神を畏れず、畏敬の念から震える心がない人は皆、神の行政命令をほぼ確実に破る」(『神の出現と働き』「三つの訓戒」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んで、心が沈み、恐ろしくなりました。神の性質はいかなる背きも許しません。神の家には行政命令があって、まるで未信者であるかのように神を恐れない言動を見せ、人を批判し攻撃し、派閥を作り、教会の働きを損ねるのは、サタンの手下になることと同じ。神はそんな人を教会に留めておきません。人間性がなく、教会の働きを守れないので、多くの悪を行ったとして最終的に淘汰され、懲罰を受けます。王兄弟が私の本分の問題を指摘したのは、私に対する神の取り扱いだったのに、それを受け入れて反省し、すぐに解決するのではなく、人を非難し、批判し、粗さがしをしていると考え、兄弟に対して不満をもった。兄弟姉妹が上の指導者に問題を報告したと知った時も、悔い改めようとせず、告げ口をしたと考えた。だから、周りの人をうがった目で見るようになった。集会で、潤し役の執事が福音を説く人への不満を口にした時、交わって自己反省を促すのではなく、火に油を注いで、この機会を利用して他の人を批判し、新人が集会に来ないことを人のせいにしました。これにより潤し役が福音を説く人たちに偏見をもち、文句を言い、批判するようになりました。張兄弟が潤し役の兄弟に資料まとめの手伝いを頼んだ時は、その邪魔をして、張兄弟を馬鹿にしました。教会の利益のことなんて考えもしなかった。神への畏敬の念もなく、真理を受け入れることもせず、自分の名誉と地位を守るため、問題を引き起こし、人を非難し、分裂を招き、悪を行い神に抵抗したんです。兄弟姉妹が何度も問題を指摘したのは、私が問題を理解してすぐに解決し、新人が集会に参加できるようにするため。教会の働きのためです。でも私は神の旨がわからず、地位とイメージを守ろうとして、実際の問題を解決しなかったので、多くの新人が集会に参加しないままになりました。私の行動は解任されて当然のものだったのに、代わりに神は、御言葉で私に啓きを与えてくれた。これ以上悪の道を歩まないように。これを知って、深く後悔し、神に祈り、真に悔い改めようと決めたんです。

その後の集会で、自分の批判的な行動について皆に打ち明けました。兄弟姉妹の教訓になればと思って。その後、兄弟姉妹も自己を認識し始め、最近見せた堕落や批判的な行動、そして福音の担当者との不和が潤しの働きを遅らせたことを理解し、変わりたいと言ったんです。その交わりを聞いて、さらに自分を責めました。指導者として、多くの新人が集会に来ておらず、やめる人もいると知っていたのに、兄弟姉妹の自己反省を促して、問題を特定し、真理を求めるどころか、先頭を切って他人を批判し、責任を放棄し、教会内に派閥を作った。悪を行い、神に抵抗し、さらに他の人も神に抵抗するよう仕向けた。指導者の資格はありません!

その後、考えました。どうして教会の働きを乱すようなことができたのか? これはどんな性質なのか? ある日、真理を嫌う反キリストを暴く御言葉を読んで、自分を認識できたんです。神の御言葉にこうあります。「反キリストの取り扱いと刈り込みに対する典型的な態度は、それを受け入れることも認めることも激しく拒むというものです。どれだけ悪事を行なおうと、あるいは神の家の働きや神の選民のいのちの入りにどれほど害をもたらそうと、彼らはほんの少しも後悔せず、負い目を感じることもありません。この観点から見ると、反キリストに人間性はありますか。絶対にありません。彼らは神の選民にありとあらゆる害をもたらし、教会の働きを傷つけています。神の選民にはそれがはっきりと見えますし、反キリストが次々と悪事を犯すのを見ることができます。しかし反キリストは、この事実を認めることも受け入れることもせず、自分が誤っていることや、自分に責任があることを頑なに認めようとしません。これは、彼らが真理にうんざりしていることを示していませんか。反キリストはここまで真理にうんざりしています。どれほどの悪事を犯したところでそのことを認めようとせず、最後まで譲歩しません。これは、反キリストが神の家の働きを真剣に捉えることも、真理を受け入れることもない事実を証明しています。彼らは神を信じるには至っていません。彼らはサタンの手先であり、神の家の働きを乱し、邪魔するために来たのです。反キリストの心には評判と地位しかありません。過ちを認めてしまうと責任を受け入れなければならず、そうなると自分の地位と評判がひどく損なわれてしまうと彼らは信じています。結果として、『死ぬまで否定する』という態度で逆らいます。人にどのように暴かれ、分析されようとも、全力でそれを否定します。その否定が意図的かどうかに関係なく、要するに、ある面から見れば、このことは真理にうんざりして真理を憎む反キリストの本性と本質をさらけ出しています。また別の側面からは、反キリストが自分の地位と評判と利益をいかに大事にしているかがそこに表われています。一方、教会の働きと益に対する彼らの態度はどのようなものですか。それは侮蔑と責任回避の態度です。彼らには良心や理知が一切ありません。反キリストが責任を回避することは、この問題を立証してはいませんか。ある面から見れば、責任回避は真理にうんざりして真理を憎む彼らの本質と本性を証明しており、また別の面から見れば、彼らに良心や理知や人間性がないことを示しています。自分の干渉や悪事によって、兄弟姉妹のいのちの入りがどれだけ害を受けていようと、彼らは自責の念を一切感じず、それに悩まされることもありません。これはどういう種類の生物ですか。自分の過ちの一部でも認めれば、良心と理知が多少なりともあることになりますが、反キリストには人間性がほんの少しもありません。では、あなたがたは彼らのことを何と言いますか。反キリストの本質は悪魔です。神の家の益にどれだけ害を及ぼそうと、彼らにはそれが見えません。それに思い悩んだり自分を責めたりすることは一切なく、まして負い目を感じることなどありません。これは正常な人には絶対に見られないことです。これは悪魔であり、悪魔には良心や理知が一切ないのです」(『反キリストを暴く』「第9条 彼らは自分を際立たせ、自分の利益と野心を満たすためだけに本分を尽くし、神の家の利益を決して考慮せず、個人の栄光と引き換えにそうした利益さえも売り払う(3)」〔『言葉』第4巻〕)。反キリストを暴く御言葉を読んで、彼らの本性がわかりました。心から真理を嫌い憎み、どれほど神の家の働きを損ねようと、そのことを認めず、批判された時に、真理を受け入れず反省しないだけでなく、名誉や地位を守ろうとし、言い訳を並べ、責任を拒絶し、良心のかけらもない。実質、悪魔と同じです。この御言葉はとても心に響きました。指導者は兄弟姉妹の意見を受け入れ、すぐに問題を解決する。これが神の求めであり、指導者の責任と本分です。それなのに、私は潤しの働きで成果を出せず、それを指摘されても、本分を怠ったことへの後悔や罪悪感を感じることなく、周囲を批判し、親切心を誤解して粗さがししてると考えました。そして兄弟姉妹の意見が私の地位を脅かした時は、陰で彼らを非難して、兄弟姉妹を味方につけて、対立を招きました。自分の分派や派閥を作って、サタンの手下となり、神の家の働きを乱したんです。私が怒りをぶつけたのは他でもなく、神の家の働き。つまり神に抵抗する悪を行っていたんです! 良心をもつ理知的な人であれば、新人への潤しが足りずに信者が去って行っていると批判を受けた時は、罪悪感を感じ、その意見を聞き入れて反省するでしょう。最初は自己弁護に走るかもしれませんが、やがて指摘に従い、問題を検討して、新人の世話をするはずです。それなのに、本分で大問題が起こっていると知った私は、周囲の助けを受け入れて、本分での過ちを振り返り、変化を求め、真理を実践しようとしませんでした。ただ言い訳を並べ、責任を放棄し、一切の責任を負うことなく、自分を守ろうとしました。考えていたのは、神の家の利益ではなく自分の利益ばかり。完全に人間性に欠けていました。まさに反キリストの性質を表していたんです。真理を心から嫌っていました。これに気づき、さらに後悔の念でいっぱいになりました。

そして、御言葉を思い出したんです。「次に挙げるのはヨナ書4章10~11節に記された言葉です。『ヤーウェは言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」』。これは、ヤーウェ神とヨナとの会話における、ヤーウェ神自身の言葉です。この会話は短いものの、創造主の人類への思いやりと、人類を見捨てることへのためらいに溢れています。この言葉は、神の心にある被造物への真の態度と思いが表現されています。人間が滅多に聞くことがないほど明瞭で正確なこの言葉により、神は人類への真意を述べます。この対話は、神のニネベの人々への態度を示していますが、それはどのような態度ですか。それは、ニネベの人々が悔い改める前と後にニネベの人々に神が取った態度であり、それと同じ態度で神は人類を扱います。この言葉には神の思いと性質を見出すことができます」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 2」〔『言葉』第2巻〕)。「ヨナはニネベの人々にヤーウェ神の言葉を伝える任務を託されましたが、ヨナはヤーウェ神の意図も、ヤーウェ神のニネベの人々に対する懸念も期待も理解していませんでした。神は、この叱責により、人類が神自身の手により造られたものであり、一人ひとりの人間に神が甚大な努力をしたこと、一人ひとりが神の期待を負っていること、神のいのちの施しを受けていること、一人ひとりの人間のために神が大きな代償を払っていることを、ヨナに述べました。この叱責はまた、ヨナがこのとうごまを大切にするのと同様に、神が自分の手で造った人類を愛慕していることをヨナに伝えました。神は人類を安易に、あるいは最後の最後まで見捨てるつもりは一切ありませんでしたが、それはニネベには子供や何も知らない家畜が多数いたからではありません。右も左も分からない子供や無知な神の被造物に対して、神が早急に子供や動物の生命を絶ち、その運命を決めようとするなど考えられないことでした。神は彼らが成長するのを見ることを望んでいました。子供が大人のような道へ進まないこと、ヤーウェ神の警告を二度と耳にしなくてもよいこと、ニネベの過去の証しをすることを望んでいました。それにもまして、神は悔い改めた後のニネベ、悔い改めた後の町の将来、そして何よりも、ニネベが再び神の憐れみのもとで生きるのを見ることを望んでいました。したがって、神の見地からすると、神の被造物で右も左も分からない子供たちこそがニネベの将来だったのです。子供たちは、ヤーウェ神の導きのもとでニネベの過去と未来の証しをするという重要な任務を背負うと同時に、ニネベの卑劣な過去も背負うことになるのです」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 2」〔『言葉』第2巻〕)。これを読んで、悲しい気持ちになりました。神とヨナの会話は、神の人類への愛と慈悲を示しています。神はニネベの人たちのことを見透かしていて、その一人ひとりのために真の代償を払い、最後の瞬間まであきらめようとしなかった。新しい信者は終わりの日の神の働きを受け入れたばかりで、真理もあまり知らず、いのちも弱いため、宗教界の反キリストのせいで心が折れてしまいやすい。兄弟姉妹は力を合わせて彼らをサポートし、真の道を根づかせようとしていました。だからこそ私に提案をして、問題を指摘したんです。でも私はそれを拒んだ。私の無責任さのせいで多くの新人が集会に来なかったのに、悪いとも思わないなんて、人としてありえません! だから神に祈りました。「神よ、私はこれ以上責任から逃げず、悔い改めたいです。あなたにすがって解決策を見つけて、新人を助けたいです」

その後、潤しの働きについて兄弟姉妹と話し合った結果、新人は神の働きの真理をあまり理解しておらず、そのため牧師が宗教的観念を広めると、神の働きに疑問をもち、心が揺らぐことがわかりました。この問題に対処するために集会を開き、神の働きの3つの段階と終わりの日の裁きの働きについて、そして神が受肉した理由を集中的に説明しました。その集会の後、1人の新人がこう言ったんです。「私は多くの観念を抱えていましたが、あなたの交わりのおかげで解決しました。交わりをもっと聞きたいです。他にも理解していない人がたくさんいるので」と。高齢の兄弟からは、「前は、神の働きについて疑問がたくさんあって、集会を抜けようと思っていたけど、あなたの交わりのおかげですべてが解決しました。本当にうれしいです。これからも集会に参加します」と。全能神に感謝! そう言われて、とても感動すると同時に、自分を責めました。他の人の意見を受けいれて、実際の働きを行い、新人の問題にもっと早く取り組んでいれば、心がくじけて集会を抜ける人も減っていたかも、と。その後、自分の堕落について王兄弟に打ち明けると、王兄弟も福音の働きの状況や問題を話してくれ、変わりたいと言ってくれました。私たちの間の壁がなくなり、とても安心しました。それ以来、福音を説く働きの担当者と連携するようにしました。多少の対立はありましたが、できるだけ早く新人を潤して、真の道の基礎を作るという共通の目標がありました。

その後、考えたんです。神の旨に沿った方法で批判を受け入れるにはどうすればいいのかと。そしてこの御言葉を読みました。「刈り込みと取り扱いを受けることについて、人が最低限知っておくべきことは何ですか。本分を十分に尽くすには、刈り込まれ取り扱われることを経験する必要があり、それは欠かせないことです。人が神を信じて救いを得る中で、日常的に向き合い、頻繁に経験しなければならないことなのです。刈り込まれ取り扱われることから無縁でいられる人はいません。誰かを刈り込み取り扱うことは、その人の前途と運命に関わることですか。(違います。)では、誰かを刈り込み取り扱うのは、何のためですか。人を断罪するためですか。(違います。人が真理を理解し、原則に沿って本分を尽くすのを助けるためです。)その通りです。それが最も正しい理解です。誰かを刈り込み取り扱うことは、一種の鍛錬、一種の懲らしめですが、同時に人を助ける一つの形でもあります。刈り込みと取り扱いを受けることで、間違った追求を早くに変えることができます。また、今抱えている問題をすみやかに認識し、自分が露呈している堕落した性質を早くに認識できます。ともあれ、刈り込みと取り扱いを受けることは、原則に沿って本分を尽くす役に立ち、間違いを犯して道に迷ったり、破滅を引き起こしたりすることを、まだ間に合ううちに防ぎます。これは人にとって最大の助け、最大の救済ではありませんか。良心と理知がある人であれば、取り扱いと刈り込みを受けることに正しく対処できるべきです」(『反キリストを暴く』「第9条 彼らは自分を際立たせ、自分の利益と野心を満たすためだけに本分を尽くし、神の家の利益を決して考慮せず、個人の栄光と引き換えにそうした利益さえも売り払う(8)」〔『言葉』第4巻〕)。御言葉からわかったのは、刈り込みと取り扱いは、神の懲らしめだということ。誰かのわがままだったり、過剰に批判しているわけではなく、私たちが自分を振り返り、自分の状態や本分の問題を解決して、本分を改善する手がかりなるもの。神の働きが人を変え、清める1つの方法であり、救われるには必ず経験しなければならないこと。批判や指摘を受けた時は、神に従い、適切に対処し、御言葉を基に自己認識しなければ。それこそが神の旨です。それが認識できて、目が覚めたんです。兄弟姉妹の批判にどのように対処すべきかわかりました。

ある時、王兄弟に言われました。数人の新人が集会に来ておらず、助けを得られていない。原因がわからないので、調べて欲しいと。それを聞いて、もうすでに十分な助けやサポートを提供しているし、指導者とも原則を求めた。不信心者だと確定したので諦めることにしたのに、何を調べろと? と思った。でも、思い直したんです。王兄弟は神の家の利益のことを考え、責任をもって新人に対応している。私も従って、何か原因か調べてみよう。もし問題があれば方向転換しなければ、と。詳細を確認したところ、彼らはやっぱり不信心者でしたが、潤しの働きにもいくつか問題があることがわかりました。そしてこの結果、指摘を受け入れることが大きな収穫につながると分かりました。指摘が無ければ問題に気づけず、修正もできなかった。それは神の家の損失になります。

この経験から分かったのは、本分において兄弟姉妹の指摘を受け入れて、真理を追求する心をもち、言い訳をしないことで、自分の堕落を認識し、振り返り、本分の誤りをもっと早く見つけられるということ。私が常に真理を嫌い、拒絶していたら、堕落を変化させることができないばかりか、神の家の働きを損ねることになり、最終的に神に淘汰されます。他にもわかったのは、どのような事態でも、どんなにつらくても、神への畏敬の念をもち、闇雲に行動すべきではないこと。神に祈り、原則を求めることで、悪を行わずにすみます。

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