家庭の束縛からの解放

2023年7月12日

終わりの日の神の働きを受け入れてすぐ、夫に福音を説いたの。でも夫はそれを聞いて、ネットに流れてる全能神教会の虚偽報道をいろいろ見つけた。どれも共産党がでっち上げた誹謗と噂だけど、夫はこちらを睨んで怒鳴った。「これを見ろ! お前が信じてるのは、共産党が長年取り締まってきた『東方閃電』だ。捕まったら刑務所送りになるぞ。もう信じては駄目だ!」そして御言葉の本を全部引き裂いたわ。わたしは腹が立った。でも思ったの。夫が信仰に反対してるのは、一時的に共産党に騙されてるせい。いつか理解してくれるはず。だけど、何があっても神を信じるのは人生の正しい道だし、諦めるつもりはなかった。その後、夫は毎日わたしの行動を監視した。当時は大学院生で、夫の監視を避けようと、学校の近くの集会に出て、家には週末だけ戻った。2012年の年末、共産党による全能神教会への圧迫と取り締まりが激しくなって、ネットやテレビや新聞で、全能神教会を断罪・誹謗する噂や嘘が溢れかえり、各地で信者が逮捕された。夫は、わたしも逮捕されて自分と家族に影響が及ぶと心配し、わたしの監視を厳しくした。それにこう言って脅したの。このまま神を信じるなら離婚だって。それを聞いて困惑した。中国で神を信じるのは刑務所行きの危険があるだけじゃなく、家族の迫害にも苦しむ。本当に大変なの! 離婚になったら娘はどうなるの? それから数日、本分を尽くす気にならなくてつらかった。

すると、わたしの状態を知ったある姉妹が、御言葉の一節を読んでくれたの。本当に助かったから。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある」(『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」)。御言葉のおかげでわかった。この困難な状況は、表向きは夫による監視と迫害だけど、実際にはサタンによる妨害。神が人を救おうとなさる一方、サタンはありとあらゆる騒動や妨害を引き起こして、わたしが神を裏切り、救いを失い、最後は自分もろとも地獄に引きずり込まれるように仕向けてる。本当に陰険で悪意に満ちてる! そのとき、こう祈ったの。「神よ、わたしの背丈は小さすぎるので、どうか信仰をお授けください。たとえ離婚になっても、決してあなたを裏切らず、サタンの企みにはまりません」。祈るとつらさが消えたので、福音を広めて本分を尽くし続けた。

その年の年末に逮捕されたそうね。しかも「社会秩序を乱した」容疑で30日も拘束されたの。尋問中、国家保安局の警官にこう脅された。「お前が信仰のせいで逮捕されたことを、学校はもう知っている。退学だそうだ。だが我々に協力して知ってることを話せば、学長にかけ合って研究を続けられるようにしてやろう。よく考えるんだな!」一人になったわたしは、独房の冷たい鉄棒を見て、すっかり打ちひしがれた。信仰のために退学になれば、それは政治問題。学校と警察の記録に残ってしまい、わたしを雇う病院はない。医者になる夢が潰えてしまう。まだ30歳なのに、研究も仕事も未来も全部なくなるの。将来どう生きていけばいい? 親戚からの差別や周りの人の嘲りにどう向き合えばいいの? それから数日、食事も睡眠も満足にとれなかったわ。そのころは、これについて毎日神に祈ってたけど、ある朝、いつの間にか御言葉の賛美歌を口ずさんでたの。「あなたは被造物であり、もちろん神を崇拝し、意味のある人生を送るべきである。あなたは人間であるから、神のために費やし、すべての苦しみに耐えるべきである。喜んで、確実に、今日直面している小さな苦しみを受け入れ、ヨブやペテロのように意味のある人生を送るべきである。あなたがたは正しい道を追求する人、向上を求める人である。あなたがたは赤い大きな竜のいる国で立ち上がり、神が義なる者と呼ぶ人である。これは最も意味のある人生ではないのか」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「最も有意義な人生」)。この賛美歌を口ずさんでると、本当に感動して涙が止まらなくなった。わたしは被造物。だから神を信じて崇めるべき。それが自然で正しいこと。わたしが主を信じる家庭に生まれるよう、神は定められた。幼いころから神の存在がわかるように。終わりの日、神はわたしを選び、主の御声を聞いてお迎えできるようにしてくださった。神の御言葉の潤しと糧を得て、その裁きと清めを受け入れ、神の救いを受けられるようにしてくださったの。とてつもない祝福よ! 神に付き従った歴代の大勢の人のことを考えた。彼らは福音を広めるために迫害と苦難に耐え、命を犠牲にした人もいる。みな鳴り響くような美しい神の証しをしたの。わたしはとても感動した。自分の利益と前途のために信仰を捨てたら、それでも良心はある? 人間と呼ばれるにふさわしい? そう考えると力が湧いて、誓いを立てた。退学になろうと、自分の前途や運命がどうなろうと、どれだけ多くの人に拒まれたり、謗られたりしようと、決して神を裏切らず、神の証しに立とうって。最後の尋問で、わたしは冷静にこう告げた。「退学になったら、学校に行ってわたしの持ち物を回収するよう、夫に伝えてください」。わたしの決意を見て、警官たちは意気消沈してその場をあとにしたわ。わたしは心から神に感謝した。

釈放されて帰宅すると、夫に激しい口調で言われたわ。「警察に言われたぞ。神を信じてまた逮捕されたら、今度は一ヵ月じゃ済まないと。そうなれば俺と娘も困ったことになる。娘は大学に行けず、いい仕事に就くのも公務員になるのも無理だ。わからないのか? お前が神を信じて逮捕されたせいで、俺も一ヵ月苦しんだ。何度泣いたかわからないし、交通事故を起こすところだった。お前を拘置所から出すためにあちこち駆けずり回り、ずいぶん恥ずかしい思いをしたんだ。二度とこんな苦しみはごめんだからな」。そして、信仰をやめるつもりはないのか、家族のことを考えられないのかって訊くの。それに、兄弟姉妹との連絡を絶たせようと、犯罪者のように監視するのよ。家から出るのを許さないし、自由をまったく与えない。夫が仕事の時は、義母が監視役。頻繁に電話をかけて、わたしの居場所と行動を聞き出すの。それに共産党の革命運動や暴力的な人民改造手段の話を絶えずして、共産党に逆らう結末を思い知らせ、神への信仰を頭から消させようとしたの。しかもこう言った。「お前の教会に関する共産党の噂が嘘なのはわかってる。お前は神を信じたいが、党はそれを許さない。だが逆らえば、命が危ない。文化大革命や天安門事件で悲劇的な死を遂げた人々を見ろ。共産党を怒らせたら、外国に逃げることすらできないんだ」。義母も加わってこう言うの。「共産党はよくないけど権力を持ってる。わたしたちは一般人。党に逆らう力なんかないわ」。その後、わたしは信仰のせいで退学になり、家族に何かあるたび、お前の信仰のせいだと夫に責められた。何かあるとわたしを叱って馬鹿にし、嫌みを言うの。そんな生活が続いてすっかり気が塞いだし、そのうえ御言葉を読むことも、兄弟姉妹に連絡することもできず、本当につらかったけど、こんな日々がいつ終わるかわからなかった。

そのころはたびたび神に祈って啓きと導きを求め、御旨を理解させてくださいとお願いしてたわ。ある日、御言葉の一節を思い出したの。「あなたがたはみな、この言葉を覚えているだろう。『なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである』。あなたがたはみな、この言葉を以前耳にはしたが、その本当の意味は誰も理解していなかった。今日、あなたがたはこの言葉の真の意義を深く認識している。この言葉は、神によって終わりの日に実現され、また、赤い大きな竜がとぐろを巻く地で、その竜から熾烈な迫害を受けている人たちにおいて成就する。赤い大きな竜は神を迫害し、神の敵であるから、この地において、神を信じる者は辱めと迫害を受け、またその結果として、これらの言葉があなたがた、つまりこの人々の集団において成就する。神の働きは、神に敵対する地で始まるので、その働きはことごとく熾烈な妨害にあい、神の言葉の多くが成就するまで時間がかかる。したがって、人々は神の言葉の結果として精錬されるのだが、それはまた苦難の一部でもある。赤い大きな竜の地で、神が自身の働きを成し遂げるのは非常に困難である。しかし、神はこの困難を通じて働きの一段階を行い、自身の知恵と不思議な業を明らかにし、これを機にこの人々の集団を完全にする」(『言葉は肉において現れる』の「人が想像するほど神の働きは簡単なものか」)。そう、神の御言葉でわかった。赤い大きな龍が神を憎み、激しく逆らってる以上、中国で神を信じるわたしたちは多くの苦難を受けるけど、その苦難には意義がある。神はこの種の苦難と艱難を用いてわたしたちの信仰を完全にし、識別力を授けるの。思えば、わたしが神を信じてるというだけで、共産党はわたしを拘束し、退学させ、家族の仕事と前途を盾にわたしを脅し、真の道を諦めさせようとした。共産党は本当に邪悪! 夫は共産党の噂話と嘘を信じ、その暴力的な手段を恐れ、わたしの信仰をやめさせようとした。共産党の迫害を自ら経験することで、凶悪残忍で真理を憎む悪魔的な本質が見えたの。共産党がわたしを迫害すればするほど、わたしは拒み、捨て去り、最後まで神に従うわ。神の御言葉を読めず兄弟姉妹とも連絡をとれないけど、神は誠実で、わたしのために道を開いてくださるはず。

10ヵ月後、やっとそのチャンスに恵まれたの。ようやく御言葉を読めるようになってとても感動したし、御言葉の貴重さをますます実感したわ。読めば読むほど感覚が研ぎ澄まされ、元気になった。数ヵ月後のある日、デボーションのノートが夫に見つかった。わたしがいまだ神を信じてるのを知って腹を立て、床に殴り倒し、少なくとも20回、わたしの頭を殴ったの。わたしは半分意識がなくなって、頭に卵くらいの大きさのこぶができた。夫の顔は怒りで青ざめ、6歳の娘は恐怖のあまり泣きだした。「ママを叩かないで、ママを叩かないで……」って。夫はわたしの襟を掴むと外に放り出し、怒りも露わにこう言った。「神を信じ続けるなら、家から出て行け!」って。夫の変わりよう、冷酷さと無情さ、そして長年一緒に暮らしたことを忘れたような態度を見て、心が砕けるような気がした。中でもつらかったのは、夫の暴力を見た娘の怖がりよう。夫がわたしに近づいたとたん、また殴ると思った娘は、わたしの前に立ち、小さな腕を上げてわたしを守ろうとしたの。「ママに近づかないで!」って。わたしが2階にいるとき、夫が階段に近づくやいなや、2階に行かないでって夫に叫ぶこともあった。娘の顔が恐怖と緊張で一杯なのを見て、こんな歳で家庭内暴力を目の当たりにする精神的ダメージを思うと、心をナイフでえぐられたような気がして、赤い大きな龍がますます憎くなった。この災いはすべて共産党による迫害のせい。

ある日、職場から戻った夫は携帯電話を取り出し、怒りも露わにこう言った。「見ろ、共産党がまた大勢の人を逮捕した。まだ信じるのか? 死にたいのか? 神を信じるのは構わんが、俺と娘を巻き込むな。お前がまた逮捕されたら、俺たちはもう生活できない。お前があくまで神を信じるとわかってたら、結婚なんかしなかった」。夫の言葉にわたしは深く傷ついた。振り返ると、わたしの信仰のために、夫は犯罪者以下の自由しかわたしに与えず、わたしを頻繁に殴って娘の心を傷つけた。もう妥協するわけにはいかない。そこで離婚に同意したの。わたしがあくまで神を信じるのを見て、夫はわたしの兄に電話をかけ、説得を頼んだの。兄はいつもわたしを気にかけ、誇りにしてくれた。でもわたしは共産党に逮捕され、そのせいで退学になり、研究を続けるのを禁じられた。そのうえ離婚になれば、完全に村人の笑いものになってしまう。兄はがっかりするはず。兄とどう顔を合わせたらいいかわからず、心の中で神に祈り、ご加護を求めた。神の証しに立ち、どんな環境でも神への信仰を諦めないために。すると、御言葉のこの一節を思い出したの。「あなたは自らの内にわたしの勇気を持たねばならず、未信者である親戚に直面するときは、原則を持たなければならない。しかしわたしのために、どんな暗闇の勢力にも屈してはならない。わたしの知恵に頼って完全な道を歩みなさい。サタンの陰謀に支配されてはならない」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十章」)。そう。人は神の被造物。神を信じて従うのは自然で正しいこと。しっかり立って道を選び、サタンに騙されてはいけない。家族であっても干渉させてはだめ。その後、夫は兄の前で、信仰のせいで起きたことについてわたしを責めた。わたしが冷静なのを見て、手を上げて殴ろうとしたんだけど、兄がそれを止め、冷静な口調でわたしにこう言ったの。「お前は大人だ。自分の人生は自分で決めろ。でも、離婚になったら娘がどうなるかを考えるんだ。これまでの出来事を見れば、娘の今後の境遇がわかるだろう……」兄の言葉にしばらく悲しくなった。兄も離婚したけど、姪が周りの人に馬鹿にされ、見下される姿が頭に浮かんだから。母親がいない子どもは、とてもかわいそう。でも、離婚になれば、わたしの娘も母なし子にならない? 先生や同級生から偏見の目で見られ、馬鹿にされない? わたしがそばにおらず、信者でない父親や祖父母と暮らしていたら、神を信じる道を歩める? 娘の歳を考えると、離れるなんてとても耐えられない。

そのころはとてもつらくて、神にこう祈ったわ。「神よ、娘と別れられません。娘の今後を思うたび、悲しくなってしまいます。どうかわたしを啓いて導き、心をお守りください」。その後、御言葉を二節読んで、実践の道が見つかったの。「子供の生活に対する両親の責任は、出産と育児を除くと、ひたすら子供に慣習的な成育環境を与えることです。なぜなら、創造主の予定以外に、人間の運命と関係のある物事はないからです。人の将来がどのようになるかを制御できる人はいません。人の将来は遥か昔に予め定められており、両親でさえも変えることはできません。運命に関しては、人間は皆独立しており、各人には独自の運命があります。したがって、自分の子供の人生における運命を阻んだり、その子供が人生で担う役割に何らかの影響を与えたりすることができる両親はいません。……人の人生における使命の遂行を、その人の両親が助けることもできなければ、人が人生で担う役割を、その人の親類が助けることもできないのです。人がどのように使命を完遂するか、どのような生活環境で役割を遂行するかは、一つ残らずすべて人の人生の運命によって決定されます。言い換えれば、創造主により予め定められた人の使命に、その他の客観的条件が影響を与えることはないということです。すべての人々は、それぞれ特定の成育環境で成人に達し、段階的に自分自身の人生の道を歩み始め、創造主が各人のために計画した使命を果たします。人々は、自然と無意識のうちに、人類の大海原へと入り、その生涯における役割を担い、そこで創造主の定めのため、創造主の統治のために、被造物として自分の責任を遂行し始めます」(『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 3」)。今度はこれ。「人々の計画や幻想は完璧です。自分の子供の数や自分の子供の容姿、能力などは自分で決められるものではなく、自分の子供の運命は僅かたりとも自分の掌中にはないということを彼らは知らないのでしょうか。人間は、自分が自分自身の運命の主ではないにもかかわらず、若い世代の運命を変えることを願い、自分自身の運命から逃れる力が全くないにもかかわらず、自分の娘や息子の運命を制御しようとします。彼らは、自己を過信していないでしょうか。これは人間の愚かさと無知さではないでしょうか」(『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 3」)。そう、神は万物を造り、支配なさる。人の運命も神の手中にある。親は子どもを育てるだけで、運命を変えることはできない。わたしはずっと、娘の人生に影響を与えてコントロールできると思ってた。自分がそばにいれば娘を幸せにし、神を信じる道を導けるって。でもよく考えると、自分の運命さえコントロールできないのに、どうして娘の運命を支配できる? その数日前、娘が突然意識を失ったけど、わたしはその苦痛を和らげることができず、ただ見守るしかなかった。娘をお守りくださいと神に願うことしかできなかったの。それに、山登りで崖から落ちそうになったことがあったんだけど、わたしは何もできなかった。でも崖のふちに木の枝があって、奇跡的に命拾いしたの。これらの事実でわかった。わたしがどんなに手を尽くして娘を気遣っても、病気や災難に遭わない保証はないって。ひとたびこれがわかると、心がずっと自由になった。子どもの人生を神に委ね、神の支配と采配に従わなきゃって気づいたの。それが被造物としてすべきこと。

その後、わたしがあくまで神を信じるので、夫は離婚を決めた。何も持たず家を出ろと言って、娘の親権も渡そうとしない。それに、会う権利すら認めなかった。わたしが財産分与を求めると、ステンレスのコップでわたしを殴ろうとした。自分の手で守ろうとしたけど、手首を怪我してしまって、それから2ヵ月重いものを持てなかった。しかも夫に背中を数回殴られ、1ヵ月以上ひどい咳に苦しんだ。そのうえ、わたしが貯めた数十万元を奪ったの。「お前は神を信じてるんだろう? だったら神のところに行って、食べ物と服をくれと頼めよ」って。夫の理不尽さを見て、神の御言葉を思い出した。「神のことを話に出すと激高して怒り出す人は、神を見たことがありますか。神を知っていますか。その人は神が誰か知りませんし、神を信じませんし、神はその人に語りかけたことはありません。神はその人に構ったことはありません。では、その人はなぜ怒るのでしょうか。その人は邪悪だと言うことができますか。俗世の潮流、飲食、快楽の追求、および著名人を追いかけることなどが、そのような人を悩ませることはありません。しかし『神』という一言が出たとたん、あるいは神の言葉の真理に触れた瞬間、その人は突然激怒します。これは邪悪な本性に該当するものではないでしょうか。これは、人間の邪悪な本性を十分証明しています」(『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 5」)。神の御言葉の暴きによって、神に逆らう夫の邪悪な本性がはっきりわかった。振り返ると、わたしが全能神を信じていることを知って以来、夫はとりわけ敵対的になり、御言葉の本を破りさえした。その後はわたしの信仰をやめさせようとし、離婚を突きつけた。釈放されたわたしを囚人のように扱い、自由を与えず、何度もひどく殴った。わたしを殺すんじゃないかと思うこともあったくらい。離婚になるとわたしの財産を残らず奪い、わたしを絶望させ、生活できないようにした。その目的はわたしに神を裏切らせること。今では夫の本性と本質がはっきりわかる。神を憎んで逆らう悪魔なの。そんな人と一緒に暮らしても、共通点が何もないし、わたしに自由はない。殴られ、監視されながら暮らすことになる。これが家庭って言える? 束縛以外の何物でもない。地獄よ。

離婚後、夫に邪魔され支配されることはなくなり、普通に集会に出て御言葉を読めるようになって、すぐに教会で本分を任された。穏やかさと自由を実感して、神の救いに感謝したわ。

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