真理の追求が私を変えた

2023年10月6日

2018年5月、家を出て軍に入った。軍では指揮官が命令を出し、兵士は大人しく従う。指揮官はわたしたちの活動を監視しながら命令を出し、威張ってる。わたしはそれに憧れた。女性司令官はお金と権力があり、娘を部隊に連れてくると、みんな笑顔で迎えてた。司令官はよくこう言った。頑張ればあなたたちもいつかこうなれるって。そのとき誓った。頑張って指揮官になろう。地位があって崇拝されれば、それは名誉。その後は全力で自分をよく見せ、指揮官の言うことに逐一従った。指揮官の前では立派に振る舞い、とても気に入られたわ。程なく分隊長に昇進して、胸が高鳴り、その後はますます従順になった。怠けず日常業務を率いる。怠けてる兵士がいると厳しい顔をして、処罰よと脅す。それが不満で、陰でわたしの悪口を言う人もいたけど、こう思ったわ。必死に自分をよく見せ、昇進しよう。兵士もわたしの言うことを聞くはず。努力のおかげでまた昇進し、今度は小隊長。面子を施せたわ。それに兵士たちもわたしの言うことを聞くようになった。でも小隊長になっても仕事が多く、大変だから、もっと昇進しなきゃと思った。階級が上がれば権力が増え、苦労する必要はない。いいじゃない!昇進するため頭を下げ、日々努力し、兵士たちにもそうするよう促して、指揮官からの任務は予定より早く終わらせた。働きぶりが喜ばれ、すぐ中隊長に昇進した。

中隊長の地位を守り、他の中隊に遅れをとるまいと、兵士たちに言うことを聞かせたわ。言うことを聞かなければ罰として立たせるか、腕立て伏せ。その後はもっと言うことを聞き、わたしの前では怠けず、尊敬した。嬉しかったわ。でもプレッシャーはきつく、仕事ぶりがまずいと指揮官から叱られる。批判を避けて褒められようと、業務中はいつも厳しい顔で兵士を叱った。やがてわたしの短気を嫌がり、わたしを憎むようになった。目の前ではお世辞を言うけど、裏ではさんざん悪口。それを知って腹が立った。それに任務が終わらず、司令官に叱られることも。そのとき思った。もう一度昇進すれば叱られないし、プレッシャーだって軽くなる。もっと尊敬してもらえるわ、って。その目標に向けてすぐ努力を始め。

ついにある日、大隊長から笑顔で言われたの。中隊長の中で一番あなたを信頼してるし、大隊長の後任はあなた、って。それを聞いてとても興奮した。こんなに信頼されるなんて。すぐ大隊長になって、ますます多くの兵士が私を見上げ、どこに行っても尊敬された。努力もやめ、休憩を増やした。大隊長の地位がもたらす優越感を楽しんだわ。でもほどなく、一緒に中隊長に昇進した人たちが嫉妬し、命令に従わないの。頭にきたし、面子が台無し。だから手段を選ばず従わせようとしたけど、それでもだめ。手に負えないと思ったけど、地位のため、無理にでも頑張らなきゃ。当時はこう思ってた。地位が高く権力があっても、思ったほど輝けない。言うことを聞かない部下をいつも叱り、ますます短気になった。それに兵士の管理もできないのかと上官に言われ、無能だと思われるのが怖かった。大隊長でなくなるかも。本当にストレスで疲れたし、やめたいと思ったけど、大隊長になりたがる人の多さが頭に浮かんだ。なるのは簡単じゃないし、やめたらもったいなくない?仕方なく、日々ストレスに耐えて過ごしたわ。

2020年8月、幸運にも終わりの日の全能神の働きを受け入れたの。日々御言葉を読み始め、兄弟姉妹と集会に出た。幸せで、とても楽しんだわ。ある日、御言葉の一節を読んだの。「サタンは極めて温和な方法、人間の観念に極めてうまく適合する方法、まったく過激でない方法を用いて、それにより人間は、無意識のうちにサタンの生き方や生活の規則を受け入れるようになり、人生の目標や方向性を決定し、またそうすることにより無意識のうちに人生における大志を抱くようになります。そうした人生の大志にどれほど高尚な響きがあったとしても、『名声』と『利得』に複雑に関連しています。偉人や有名人、実はあらゆる人が人生において従う事柄はすべて『名声』と『利得』だけに関連しています。人間はひとたび名声と利得を手に入れれば、それを利用して高い地位や莫大な富を堪能し、人生を楽しむことができると考えます。名声と利得を、悦楽の追求と不徳な肉の快楽を手に入れるために利用できるある種の資本と考えるのです。人間は、自分が求める名声と利得のために、無意識ではあるが率先して、自分の心身や所有するすべて、将来、運命をすべてサタンに引き渡します。こうするのに実に一瞬たりとも躊躇することなく、引き渡したものをすべて奪回する必要にも気づかないままです。このようにしていったんサタンを頼りにし、サタンに忠義を尽くしたなら、人間は自分自身を支配していることができるでしょうか。もちろんできません。人間はすっかり完全にサタンに支配されます。すっかり完全に泥沼に沈み込んだのであり、そこから抜け出すことは不可能です(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉でわかった。人生は苦痛とストレスで一杯。それはひとえに選んだ生き方と道が間違いだから。サタンに堕落させられた人はみな、傑出して権力を得ることを目指してる。地位と権力があれば尊敬され、崇拝されて、人に言うことを聞かせ、栄光の中で生きると思ってる。だから誰もが名利を愛して地位を崇め、追い求めてる。私も同じ。入隊後は女性兵の中で一番になり、尊敬されたいと思った。その目標に向け、一歩ずつ昇進して、中隊長、そして大隊長に登った。階級が上がると部下が増え、言動が尊大になって、人を支配し叱るのを喜ぶようになった。正しくても間違いでも、兵士は私に従う。地位を安泰にしようと、言うことを聞かない中隊長は権力を使って抑え込み、ありとあらゆる罰を兵士に加えた。いつも威張って、人を気遣わない。兵士はだんだん私から離れ、そばに寄ろうとしなくなった。地位を得た自分が恐ろしい人間になってるってわかったの。誰かに打ち明けたい時もあったけど、そんな人はいない。だから上官に叱られないよう、媚を売って屈辱に耐えた。毎日ストレスと苦痛で一杯で、本当にやめたかった。でも地位のメリットを考えたとたん、捨てたくないと思ったの。名誉と利益の沼にはまり、疲れて苦しかった。そのとき気づいた。これはサタンが人を堕落させ、傷つける手段の1つ。地位を追い求めると、人の野心はどんどん膨らみ、ますます傲慢になって他人を無視し、正常な関係を築けない。神を信じる前は、いつも地位を求め、傑出しようとするのが、大志と前途だと思ってた。今では、名誉と地位の追求は正しい道じゃないとわかる。それに気づいて祈りを捧げた。名利の束縛から脱せるようお導きをと。

ある日、全能神教会のサイトで賛美歌をダウンロードしたら、『私は取るに足りない被造物』という新曲があったの。

1 神よ、わたしに地位があろうとなかろうと、わたしは今や自分を理解しています。わたしの地位が高いのであれば、それはあなたの称揚のためであり、わたしの地位が低いのであれば、それはあなたがそのように定められたからです。すべてはあなたの御手の中にあります。わたしには選択肢も不満も一切ありません。わたしがこの国で、この民のもとに生まれること、そしてわたしが行なうべきことは、ただあなたの支配に完全に服従することであると、あなたは定められました。なぜなら万事はあなたの定めの中にあるからです。

2 わたしは地位を考えません。つまるところ、わたしは一つの被造物でしかないからです。あなたがわたしを底なし穴や、火と硫黄の池に落とされたとしても、わたしは被造物に過ぎません。あなたがわたしを用いられるとしても、わたしは被造物です。あなたがわたしを完全になさっても、わたしはやはり被造物です。あなたがわたしを完全にされなかったとしても、それでもわたしはあなたを愛します。なぜなら、わたしは被造物でしかないからです。

3 わたしは創造主によって造られた極めて小さな被造物、造られたすべての人間の一人でしかありません。わたしを造られたのはあなたであり、そして今、あなたはわたしを再度ご自身の御手に取られ、あなたの御心のままになさってきました。わたしはあなたの道具となり、引き立て役となることをいといません。なぜなら、万事はあなたが定められたことだからです。それは誰にも変えられません。すべてのものと出来事は、あなたの御手の中にあります。

小羊に従って新しい歌を歌おう

この賛美歌、歌詞が本当に新鮮だった。地位があるかどうかは神が定め、その手中にあるとわかったの。追い求めてはだめ。私は大隊長だけど、神の前では地位のない、取るに足りない被造物。人を押さえつけてはいけない。兵士を押さえつけてたことを思い出し、自責の念を感じてつらくなった。地位を捨ててみんなと仲良くしたかった。神に祈り、助けを求めたら、だんだん自分を捨ててみんなと会話できるようになって、偉そうに叱らなくなった。御言葉をそんな風に現実の生活に当てはめると、心から安心した。

ある日、朝の点呼で、部下の中隊長が、隊員が揃ってるかどうか確認せず、人数を数えなかった。部隊の人たちは遅刻しそうで、全部隊で一番遅かった。管理能力がないと上官に思われ、兵士に何と言われるかと不安になって、点呼の後、怒ってこう言ったわ。「どこに行ってたの?なぜ言わなかったの?誰も人数を確認しないから、あんたのせいで部隊全員が遅刻よ」。でも彼女は不服で、すぐに話を遮った。口論になったわ。すると教官が来て、口論の原因を訊いたから、二人とも自分の理由を答えたら、教官は、どうしたらいいか、どっちが正しいかわからないって言うの。それを聞いて激怒した。私の話を聞かずに遮った彼女が悪いんじゃない?それに上官は私。こっちの話を聞くべきよ。どっちが正しいかわからないなんて、おかしくない?怒りのあまりドアを乱暴に閉めてそこを出たけど、兵舎に戻ると、悔しくて涙が止まらなかった。口論のことを聞いた司令官は、中隊長にこう言った。「彼女の方が上官なんだから、言うことは正しいの。ちゃんと聞きなさい」。中隊長がさらに言い訳すると、司令官は怒って叱った。「ここでは大隊長に叱る資格があるんだから、聞かないならあなたが悪いのよ」。司令官がそう言うのを聞いて、すっきりしたわ。本当に嬉しくて、面子を施せたよう。

でもある日のデボーションで、それを理解させてくれる御言葉を読んだの。神は言われます。「人間がひとたび地位を得ると、気分を制御するのが困難になり、事あるごとに不満を爆発させ、感情を露わにします。自分の力を示し、自分の地位や身分が一般人とは違うことを他人に知らしめるために、明確な理由なく人が激怒することさえ多々あります。もちろん、地位のない堕落した人間も、よく取り乱します。そのような人の怒りは、個人的利益が阻まれたせいで発生する場合が多くあります。自分の地位と尊厳を守るために、彼らはよく感情を発散させ、傲慢な本性を露わにします。人間は、罪の存在を正当化し是認するために突然激怒して感情を露わにします。そうした行動で、人は自分の不満を表すのです。このような行動は汚れや謀略に、人間の堕落と邪悪に、そして何よりも人間の向こう見ずな野心と欲望に満ちています。……人間の怒りの爆発は、邪悪な勢力にとって逃げ道であり、肉なる人間の猛烈で抑制できない邪悪な行動の表出なのです(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 II.」〔『言葉』第2巻〕)。「サタンの性質には多種多様な堕落した性質が含まれますが、最も明らかで突出しているのは、傲慢な性質です。傲慢さは人間の堕落した性質の根源です。傲慢になればなるほど、人はそれだけ理智に欠け、理智に欠ければ欠けるほど、神に抵抗しがちになります。この問題はどれほど深刻でしょうか。傲慢な性質の持ち主は他のあらゆる人を見下すだけでなく、最悪なことに、神に対して威張りさえして、心の中には神への畏れがありません。神を信じて神に従っているように見えるものの、まったく神を神として扱っていない人がいます。そのような人は真理を自分のものにしていると絶えず感じ、自分を高く評価しています。これが傲慢な性質の本質と根源であり、それはサタンに由来します。ゆえに、傲慢さの問題は解決されなければなりません。誰も眼中にないと思うのは些細な問題で、傲慢な性質のせいで神、神の支配、神の采配に従わないことが重要な問題なのです。このような人は他人の支配を巡って絶えず神と競い合います。この種の人は神を少しも畏れず、神を愛することや神に従うことについては言うまでもありません。傲慢で自惚れている人、とりわけ自分の理知を失うほど傲慢な人は、神への信仰において神に服従することができず、自分を称揚して自分の証しさえします。このような人は神に最も抵抗し、神を畏れることなど絶対にありません(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉はとても明快。地位があると人は狂って傲慢になり、たびたびかんしゃくを起こして人を叱り、面子と地位を守って威厳を見せようとする。それは傲慢な性質の支配。軍に入った私が追い求めたのは、士官になって尊敬されること。階級と権力を得ると、自分の言葉に権威があり、自分が一番と思った。大隊長には中隊長や兵士を支配する権力があり、みんな私の言うことを聞くべき。聞かなければ叱りつけ、服従させた。本当に傲慢。中隊長がすぐ点呼をせずに部隊を遅らせたとき、私が毒づくと、彼女は聞かないだけじゃなく話を遮った。私を軽んじ、見下していて、みんなの前で顔を潰したと思った。それを理由に口論し、彼女を叱って不満をぶつけた。それは服従しなさいと、兵士に警告するためでもあった。私の見方では、自分は大隊長だから、中隊長は話を聞くべき。そうせず、言い返すなら、叱って従わせる。本当に傲慢で狂ってた。地位を得ると、話を聞かなければすぐ怒りを爆発させ、立場を使って抑え込み、私の言うことを聞かせた。それでみんな私から離れた。信者なのに変わってない。理不尽なほど傲慢で、人間らしさがないから、みんな私を憎んで避け、神もそれを嫌悪された。

ある姉妹に私の経験を話したら、御言葉の一節を送ってくれて、実践の道が得られたの。「人間は被造物の一つとして、自身の立場を守り、誠実に行動しなければなりません。創造主から託されたものを忠実に守りなさい。適当でないことをしたり、自分の能力を超えることや、神に嫌悪されることをしたりしてはいけません。偉大になろうとしたり、超人になろうとしたり、他の人を超えようとしたり、神になろうとしたりしてはいけません。人はこうした存在になることを望んではいけないのです。偉大になること、超人になることを追い求めるのは馬鹿げています。ましてや神になろうとするのはさらに恥ずべきことであり、不快で卑劣です。称賛に値し、被造物が他の何より守るべきことは、真の被造物となることです。それが、すべての人が追求すべき唯一の目標なのです(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉を読んで理解できた。偉ぶって人に尊敬されようとするのは、恥ずかしいことだって。立場をわきまえ、誠実に行動すべき。それが神のお求め。私は出世し、権力のある士官になって、人を支配し、尊敬させ、従わせようとしてた。神はそれを憎まれる。悔い改めず、名誉と地位を追いかけるなら、まさに不信者と同じ。不信者はお金、評判、地位を追いかけ、それらを巡って争い、殺し合う。私は信者だから、不信者の道に留まっちゃだめ。真理を求め、被造物の立場を守るべき。これに気づいて決意した。真理を求め、日常生活では御言葉に沿って行動し、みんなと同じ地位に立って、大隊長の地位から命令するのをやめよう。神に祈ったわ。「神よ、名誉と地位を追い求め、傲慢な性質で生きるのをやめたいです。真理を実践できるようお導きを」。

その後は毎日みんなに声をかけ、気遣うようにした。誰かがミスをして上官から処罰するよう言われても、以前と違い、地位を守ろうと権威を笠に叱るんじゃなく、部下と心を通わせ、どこが間違いかを伝え、改善のチャンスを与えた。しばらくそうしていると、小隊長や中隊長、兵士たちといい関係を築けた。こう言う兵士もいた。前は気まぐれな人で、だから怖く、ミスをしたら叱られるといつも不安だった。でも今はずいぶんよくなり、気遣ってくれる。付き合いやすくなった、って。それを聞いて神に感謝し、みんなに言った。「どうして変われたかわかる?終わりの日の全能神の働きを受け入れたからよ。私が変わったのは、ひとえに全能神の御言葉のおかげ。神の御前に出る前は、地位と尊敬を求め、地位を守ろうといつもみんなを叱ってた。信仰を得て、全能神の御言葉を読むことで、偉そうに叱るのは間違いで、堕落した性質のせいだってわかったの。そうしてはだめ。私が経たこの変化は、自力でできることじゃない。全能神への信仰のおかげ。御言葉が私を変えたのよ」。信じられないようだった。そこで福音を伝え続けると、何人かの兵士が笑顔に変わり、終わりの日の神の働きを調べる気になったの。その後、一部の中隊長、小隊長、兵士が、終わりの日の全能神の働きを受け入れた。集まって御言葉を飲み食いし、とても仲良くなって、福音を伝えて証しをした。全能神に感謝!

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