偉そうに叱ることで自分の醜さが露わになった

2023年10月6日

去年の10月、教会で福音の働きを監督してたとき、本分に就いたばかりの新人が数人いた。そこで伝道の原則を交わり、よく一緒に伝道しに行った。やがて、みんな進歩を遂げて僕は嬉しくなり、できるだけすぐ独り立ちさせようと、自分で伝道する練習をさせた。最初は彼らが困難に遭うと、愛をもって手助けしたが、そのうち面倒になって嫌気が差した。「僕は一度聞けば理解できた。君らは三回聞いたのに、なぜそんなに質問する?僕の言うことをちゃんと聞いてなかったのか?こんなに経っても独り立ちできなきゃ、僕はこの仕事に不向きできちんと教育できないと、上層部に思われる。だめだ、叱って思い知らせないと」。そう思って、僕はみんなに怒りをぶつけた。ある日、アイ姉妹から電話があった。「兄弟、訊きたいんですが、今夜の集会はお言葉のどの側面を交わりますか?」僕は思った。「それはもう言っただろう。どうしてわからない?話を聞いてなかったのか?」だから大声で言った。「さっき送ったファイルは読んだのか?なぜ毎回訊く?」姉妹が無言なので、僕は腹を立てて電話を切った。その後、自分がしたことに自責の念を感じたが、こう思った。「彼女のために言ったんだ。そうしないと、僕を頼って進歩できない。このほうが彼女のためになる」。そう思うと、悩みは消えた。

次の日、パートナーの兄弟がこう言った。「昨日質問したら君に怒られたと、アイ姉妹に言われた。君に萎縮し、怖がってるそうだ」。それを聞いて受け入れられず、言い訳を考えた。「厳しく聞こえたかもしれないが、独り立ちさせるためなんだ。ああ言わなきゃ、質問があるたびぼくに訊く。独り立ちは無理だ」。でもこう思った。「話し方がまずかったかも。姉妹は訓練を始めたばかり。腹を立てて叱るんじゃなく、愛をもって支えないと」。そこで謝罪のメッセージを送った。「昨日は怒って済まなかった。君のことが憎いんじゃない。冷静さを失ってしまったんだ」。すると大丈夫ですと返事が来て、その後は反省せず、それ以上自己認識しなかった。

やがて、僕は伝道師に選ばれ、責任がさらに増えた。訓練を始めたばかりで教会業務に慣れていない指導者や働き手もいたから、たびたび業務の原則を交わり、働きをチェックして、詳しい指導と手助けをした。最初は質問されると、辛抱強く交わったが、何度も聞かれたら煩わしくなって、こう叱った。「どうして飲み込めない?僕が教会で働き始めたときは、指導者から何を割り当てられてもはっきり憶え、すぐにきちんと終わらせた。僕は君に詳しい指示を与えたのに、どうしてできないんだ?」。相手は何も言わなかった。

次の日、ある指導者からメッセージが来た。「わたしにこの業務は無理です。どうか他の人と交代してください」。ショックだった。新人の中でも優秀だったのに、なぜそんなことを考える?すると別の指導者も、「あなたに萎縮してると言う人がいます」と。そのとき初めて反省し、みんなの欠点に正しく取り組んでないと気づいた。辛抱強く導き、支えるんじゃなく、怒りをぶつけて叱る。そのせいでみんな萎縮した。その後、ある姉妹が萎縮のあまり消極的になり、10日以上本分を休んでると言った。それを聞いてつらくなった。まさかこんなにひどくみんなを傷つけてたなんて。苦悩し、腹を立ててみんなに悪影響を与えるのはなぜだと考え、御前で祈った。「神よ、兄弟姉妹に腹を立てたくないのですが、何かあるたび感情を抑えられません。どうすれば解決できるでしょう?どうかお導きを」。

その後、この御言葉に出会った。神は言われます。「人間がひとたび地位を得ると、気分を制御するのが困難になり、事あるごとに不満を爆発させ、感情を露わにします。自分の力を示し、自分の地位や身分が一般人とは違うことを他人に知らしめるために、明確な理由なく人が激怒することさえ多々あります。もちろん、地位のない堕落した人間も、よく取り乱します。そのような人の怒りは、個人的利益が阻まれたせいで発生する場合が多くあります。自分の地位と尊厳を守るために、彼らはよく感情を発散させ、傲慢な本性を露わにします。人間は、罪の存在を正当化し是認するために突然激怒して感情を露わにします。そうした行動で、人は自分の不満を表すのです。このような行動は汚れや謀略に、人間の堕落と邪悪に、そして何よりも人間の向こう見ずな野心と欲望に満ちています(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 II.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉に実情を暴かれ、立場を守ろうと怒ってたことを反省した。いつもは成果を挙げ、有能な指導者だと思われてる。でも育成を割り当てられ、しばらくしても独り立ちできないと、無能だと上層部に言われてしまう。だから何度か教えてみんながまだ飲み込めないと、堪忍の尾が切れた。質問しに来ても、それをいいことに叱って批判し、不満を紛らわす。自分と比較し、不満と軽蔑で一杯になったほどだ。そのためみんな萎縮し、本分を嫌がるほど消極的になった。問題を指摘されても、真理を求めて解決しない。アイ姉妹に謝ったときも、地位とイメージを守るという目的が見え隠れして、自分が腹を立てるのは珍しいことだと示し、不誠実な謝罪で自分が理知的だと思わせようとした。この御言葉を思い出した。「悪しき性質が明らかにあるのに、自分は気性が荒いのだといつも言う人がいます。これは単に一種の正当化ではありませんか。悪しき性質はまさに悪しき性質です。誰かが理不尽なことをしたり、それでみんなに害が及んだりすると、問題はその人の性質と人間性にありますが、そういう人はいつも、自分は一時的にかんしゃくを起こしただけだとか、少々腹が立っただけだと言います。問題の本質がわかっていないのです。これが自分を真に分析し、露わにしていることですか(『終わりの日のキリスト講話集』「調和のとれた協力について」〔『言葉』第3巻〕)。僕も同じ。自分の謝罪を振り返ると、立派に聞こえるけど、問題の本質を理解せず、自分を守ろうとさえした。まさに偽善者だ!それに気づいて自分を責めた。愛と忍耐で人と接するよう、よく言ってたのに、それはただのでまかせで、実際の行動と合っていない。

その後、落ち着いて自分を省みた。「思い通りに行かないたび、激怒して堕落した性質を見せるのはなぜだ?兄弟姉妹と協調できないのはなぜだ?」その後、この御言葉を見つけた。全能神は言われます。「傲慢さは人間の堕落した性質の根源です。傲慢になればなるほど、人はそれだけ理智に欠け、理智に欠ければ欠けるほど、神に抵抗しがちになります。この問題はどれほど深刻でしょうか。傲慢な性質の持ち主は他のあらゆる人を見下すだけでなく、最悪なことに、神に対して威張りさえして、心の中には神への畏れがありません。神を信じて神に従っているように見えるものの、まったく神を神として扱っていない人がいます。そのような人は真理を自分のものにしていると絶えず感じ、自分を高く評価しています。これが傲慢な性質の本質と根源であり、それはサタンに由来します。ゆえに、傲慢さの問題は解決されなければなりません。誰も眼中にないと思うのは些細な問題で、傲慢な性質のせいで神、神の支配、神の采配に従わないことが重要な問題なのです。このような人は他人の支配を巡って絶えず神と競い合います。この種の人は神を少しも畏れず、神を愛することや神に従うことについては言うまでもありません。傲慢で自惚れている人、とりわけ自分の理知を失うほど傲慢な人は、神への信仰において神に服従することができず、自分を称揚して自分の証しさえします。このような人は神に最も抵抗し、神を畏れることなど絶対にありません。神を畏れるところに至りたければ、まずは自分の傲慢な性質を解消しなければなりません。自分の傲慢な性質を徹底的に解消すればするほど、あなたはますます神を畏れる心をもち、そのとき初めて神に服従することができ、真理を得て神を認識するのです。真理を得る人だけが真の人間です(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。人の堕落した性質は傲慢さが根源だと、神は明かしてる。傲慢なほど神に逆らいがちだ。自分もそうだと気づいた。他人は眼中になく、自分に劣ると思ってた。自分は素質が優れ、才能もあり、みんなに勝ると。しかもみんなの短所と自分の長所を比較してばかり。僕は一度で仕事を憶えたが、みんなは時間をかけても憶えられない。怒りをぶつけ、批判して叱る。敬意はまるでない。長所や強みを認めず、まして愛で支えることなどしない。みんなが問題に遭っても、御言葉の交わりで問題を解決したかどうか、自分に足りない点があったかどうか顧みない。むしろみんな話をしっかり聞いていないと考え、やたらに怒って取り扱った。とてつもなく傲慢だ!教会は神の福音を広めてるが、僕は怒ってばかり。みんなを叱って萎縮させ、しまいにみんな僕を怖がり、自分を決めつけ、本分を嫌がるほど消極的になった。教会の働きを乱し、邪魔してたんじゃないか?それを振り返り、恥ずかしくなった。みんなのいのちの入りに益をもたらしてない。むしろ傷つけ、教会の働きを妨げた。傲慢な性質で生き、いつ悪事を犯して神に逆らうかわからない。自分のしたことを考え、自分が本当に嫌になった。何度もビンタされたようだ。心の中で神にこう祈った。「神よ、傲慢な性質のせいで無闇に人を取り扱い、傷つけ、教会の働きを妨げました。神よ、悔い改めて変わります。傲慢な性質を解決できるよう、どうか導きと支えを」。

ある日、御言葉の賛美歌を聴いた。「あなたの性質を変えるために神の言葉によって生きなさい」。「まず自分自身の中にある困難をすべて、神に頼って解決しなさい。自分の堕落した性質と決別し、自分の状態を真に理解し、どうすべきかがわかるようになりなさい。わからないことは交わって話し合いを続けなさい。自分を知らないままでいてはいけない。まずは自分自身の病を癒し、そして神の言葉をもっと頻繁に飲み食いして熟考することで、神の言葉を基盤として自分の人生を生き、自分の物事を行いなさい。家にいても他の場所にいても、神があなたの中で力を振るえるようにしなさい。肉と自然のままのあり方を捨てなさい。あなたの中を常に神の言葉が支配しているようにしなさい。いのちに変化がないと心配するには及ばない。徐々に、自分の性質が大きく変わったと感じるようになる。……(『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。この賛美歌に心から感動した。御言葉に実践の道を見つけたんだ。何があっても、まずは神の御旨と真理を求め、自分の問題を解決し、御言葉を通じて傲慢な性質を認識して、生活で自分を捨てることに専念し、真理を実践する。すると傲慢な性質が徐々に変わる。傲慢な性質のせいで人を叱って萎縮させ、自分のほうが優れてるといつも考えてたが、それは自己認識のなさを示してる。僕に自慢できることなどない。本分で飲み込みが早く、賜物に恵まれたけど、賜物と素質は神が与えたのであって、僕が誇ることじゃない。神に感謝すべきだ。人の素質と能力はそれぞれ違い、兄弟姉妹全員に長所がある。アイ姉妹は人付き合いに優れ、愛情と忍耐があるけど、僕にはない。それに気づいて恥ずかしくなり、御言葉を実践する気になった。問題があれば意識して自分を捨て、真理を実践する。

あるとき、パートナーの姉妹にプロジェクトの進展を訊いたら、こう言われた。「まだ始めてません。アイデアを話し合ってるときははっきり理解してたんですが、いざ取りかかるとどう進めていいかわからないんです」。それを聞いて、また怒りがわき上がった。「どうしてそんなに難しい?話し合いですべてはっきり説明した。もう忘れたのか?集中してないんじゃないか?じっくり話し合わなきゃな」。怒りをぶつけようとした瞬間、御言葉を思い出した。「意識的に神を満足させ、真理を実践し、自分と自分の考えを捨て去り、神の旨に従い、それに配慮することをすべて意識的に行なえるなら、それが真理を正確に実践するということ(『終わりの日のキリスト講話集』「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉ですぐに目覚めた。自分を捨て、御言葉通りに実践しないと。このまま傲慢な性質で行動してはだめだ。彼女が始めてないのは、何か問題があるか、前進する道がよくわからないからだろう。彼女の実情を掴み、足りないところを正しく扱わないと。そこで、どう進めるべきか、実情に照らして冷静に細かく説明した。話し終わると、嬉しそうにこう返事した。「そうすべきなんですね!やっと進めます」。姉妹にそう言われ、恥ずかしかった。いつも仕事で決まり文句を叫び、みんなの問題や困難を理解せず、まして一対一で教えない。もう少し忍耐強く、詳細に留意してたら、みんなずっと前に独り立ちできたはずだ。

その後、別の御言葉が目に入った。全能神は言われます。「教義の言葉を繰り返し、説教をして取り扱うだけで、人に真理を理解させ、真理の現実に入らせることができますか。あなたの説く真理が現実的でなく、教義の言葉に過ぎなければ、どれだけ人を取り扱って説教しても、何の役にも立ちません。人があなたのことを恐れ、あなたに言われたとおりにし、反対する勇気もないことを、真理を理解して従順であるのと同じことだと考えているのですか。これは大きな間違いです。いのちに入るのはそれほど簡単なことではありません。指導者の中には、強い印象を与えようとする新任の管理者のような人がいます。このような人は、誰もが自分に服従するようにと、新たに得た権威で神の選民を威圧しようとします。そうすれば仕事が楽になると考えるからです。真理の現実がなければ、真の霊的背丈はいずれ暴かれ、正体が明らかになり、あなたが淘汰されることも十分ありえます。管理業務において、取り扱い、刈り込み、懲らしめが少々あるのは結構です。けれど真理を説くことができなければ、最終的にはやはり問題を解決することができず、働きの成果に影響を及ぼします。教会でどのような問題が出現しようと、人に説教して責任を押しつけ続け、ただかっとなるばかりなら、これはあなたの堕落した性質が露呈しているのであり、あなたは自分の堕落の醜い顔を見せたのです。いつも高いところから人にこのように説教するなら、時が経っても、人はあなたからいのちの施しを受けることができず、実際的なものを何も得られません。それどころか、あなたを憎み、嫌悪します(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉で気づいた。教会で兄弟姉妹と働く鍵は、みんなが原則をちゃんと理解できるよう、真理をはっきり交わること。それでしっかり本分を尽くせる。いつも怒って叱ってたら、問題を解決できないだけでなく、人の反感を買い、遠ざけてしまう。その後、みんなと働いたり、仕事ぶりを確かめるときは、まず実際の問題を把握して、理解できないことやまだ学んでいないことがあれば、辛抱強く原則と真理について交わり、問題解決を支える。するとやがて、兄弟姉妹は自力で仕事を完成でき、協調して働けるようになった。御言葉を読んで自分の傲慢な性質が多少わかり、人の欠点に正しく向き合い、協調して働けるようになった。全能神に感謝!

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