嫉妬を治す方法

2021年1月30日

全能神は言われます。「人の肉はサタンに属しており、反抗的な性質に満ちており、嘆かわしいほど汚れて不純である。人は肉の喜びを過度に切望し、肉の現れは過多にある。そのため神は肉をある程度嫌っている。汚れて、堕落したサタンのものを人が捨て去れば、神の救いを得る。しかし、汚れや堕落から抜け出さないままでいるなら、相変わらずサタンの支配下に生きることになる。人の狡猾さ、不正直さ、ねじれた心はすべてサタンに属するものである。神があなたを救うのは、こうしたサタンのものからあなたを解放するためである。神の働きが間違っていることはなく、すべては人を闇から救うために行われる。ある程度まで信じ、肉体の堕落を脱ぎ捨てることができ、もはやこの堕落の束縛を受けないならば、救われるのではないのか。サタンの支配下で生きるなら、神を現わすことはできず、あなたは汚れており、神の嗣業を受け取ることはできない。いったん清められ完全にされると、あなたは聖くなり、正常な人になり、神の祝福を受け、神に喜ばれる」(「実践(2)」『言葉は肉において現れる』)。御言葉を通して、人が嫉妬に苦しみ、互いに争うのは、サタンに堕落させられ、不実で邪悪なサタンの性質によって生き、とても利己的だからだとわかった。かつて私も、嫉妬にかられ、人を出し抜き、名声と利益を求めた。そんな辛い生き方に縛られていたけど、神の裁きと刑罰のおかげで多少変化し、苦しみから逃れられた。

2017年6月、教会の班長という本分を任され、いくつかの集会場で教会生活を担当したの。その本分を尽くせることがうれしく、神の引き上げなのだから、きちんとこなして神の愛に報いなきゃと思った。そして集会での交わりに積極的に取り組み、兄弟姉妹が困っていたり、悪い状態にいる時は、御言葉を見つけて交わり、問題を解決した。やがて周りから高く評価されはじめたわ。交わりを通して実際の問題を解決し、本分に責任をもち、周囲への思いやりもあると。それを聞いてとてもうれしかった。

間もなく、教会指導者の選挙があると聞いて、思った「みんな高く評価してくれているし、もしかしたら選ばれるかも。そしたら兄弟姉妹からますます尊敬されるわ」と。投票で楊(ヤン)姉妹と私が候補に選ばれましたが、楊姉妹の票の方が少し多く、危機感を覚えた。「本分に責任をもち、実践的な働きもできる私が、なぜ彼女に負けたの?」でもすぐにこう思った。「これは予備選で最終投票じゃない。まだチャンスはあるわ。真理で身を固めて、いのちの入りに悩む人たちをもっと助けよう。みんな私のほうが上だと分かって、私がきっと当選よ」と。前回の集会で王(ワン)姉妹が提起した問題が未解決なのを思い出し、急いで関連する御言葉を探して、王姉妹と交わる準備をした。そして集会の日、集会場に着くやいなや、楊姉妹が王姉妹に交わっている姿が見えた。これにはむっとしたわ。「王姉妹と交わり問題を解決するために来たのに、出し抜くなんて! 問題が解決したら、私の力が示せないわ」と思った。楊姉妹の交わりのあと、王姉妹の顔に笑顔が浮かび、兄弟姉妹はみな満足げにうなずいた。それを見てとても不満で、手柄を横取りされたと思い、楊姉妹に嫉妬し、こう思った。「みんな、あなたが来る前は私の交わりを聞きたがったのに、今はあなたを見上げ、私なんて気にもかけない」と。全員楽しそうに交わりをしてたのに、私の耳には入らず、帰りたくてしかたなかった。

家に帰り、気落ちしてベッドに腰掛けた。そして、考えるほどに気分が悪くなった。「この調子だと指導者になれないかも。だめだわ、もっと積極的に交わりをしなきゃ。これ以上遅れを取るわけにはいかない」と思った。向(シャン)姉妹が共産党の厳しい迫害への不安から、本分をためらっていることに気づいた私は、急いで神の御言葉を探し、集会の前に彼女と交わろうとした。でも次の日、集会場に早く着くと、なんと楊姉妹がすでに向姉妹と交わっていたの。心が沈み、こう思った。「一度ならず二度までも! 楊姉妹の交わりにどんな光があるのか聞かなきゃ。すべて網羅するなんて無理よ」。そして隣に座り、何を話しているのか聞いた。すると楊姉妹は、御言葉に照らして実践の道を交わっていたけど、向姉妹の弱さや消極性については触れていなかった。「このチャンスを活かして、私の理解を伝えよう。楊姉妹の鼻を折ってやる」。そう思って、急いで交わりを始めたの。「実践の道だけでは消極的な状態は解決できません。選民を完全にすべく赤い大きな竜を引き立て役に使う、神の真理を理解しなきゃ。神の働き、全能、知恵を理解して初めて、消極的な状態から抜け出せるの。御言葉を一緒によみましょう」。向姉妹が頷くのを見ながら、ちらりと楊姉妹を見ると、気まずそうに横を向いていた。勝ったと思い、こう考えた。「誰の交わりが効果的か、比べれば一目瞭然だわ。面子を取り戻せたし、私も負けてないことが証明できる」。それから、さらに積極的に本分に取り組み、状態が良くない人や問題を抱えている人がいれば、すぐに御言葉を調べてメモを取り、交わりをもった。相手が頷くと心が高ぶり、反応がないと不安で仕方なかった。悩めば悩むほど、相手の状態を理解したり問題を解決したりすることができず、疲労感も増していった。「このままじゃ、真理の現実がないとみんなに言われ、指導者に選ばれない」。特に楊姉妹が真理について実践的な交わりをして、兄弟姉妹が頷くのを見ると、心がざわつきました。嫉妬と反感を隠せず、楊姉妹に対して腹が立ち、話もしたくなかった。名声と利益を求め続ける生き方は、とても辛かった。神の御言葉からも啓きを得られず、適当に祈りを捧げ、神からどんどん遠ざかるようだった。

その後、自分の堕落した性質を理解し、ひどい状態から抜け出せるよう、神に祈り、啓きを求めたの。そして御言葉を読んで初めて、自分の堕落した状態を多少理解できた。御言葉にはこうありました。「他人が自分に代わって脚光を浴び、自分を超え、自分が無視されている一方で評価を得ることをつねに恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です。自分のことしか考えず、自分の欲望しか満足させず、他人の本分に配慮を示さず、自分の益だけを考えて神の家の益を考えないような人は悪しき性質をしており、神はそのような人を愛しません。神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが誰かを推薦し、その人が才能ある人に育ち、その結果神の家に有能な人材をもう一人もたらすことになれば、あなたは自分の働きをよく行なったことになりませんか。本分を尽くすことに忠実であったことになりませんか。これは神の前での善行であり、人間が有するべき良心と理知です」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。これを読んで恥ずかしかった。これまでの嫉妬、そして名声と利益のために争ったことを考えた。教会指導者の選挙があると聞いてから、欲に身をやつし、楊姉妹の票が私より多かったのを見て、彼女を敵とみなし、争い、競い合った。真理を交わることで問題を解決している彼女に、嫉妬を覚えた。楊姉妹に出し抜かれ、指導者になるチャンスを脅かされると思い、密かに彼女と張り合い、交わりの粗をさがし、欠点をついた。裏で楊姉妹を貶めて自分の評価をあげ、本分へのやる気を削いだ。勝てないと知ると彼女に腹を立て、無視しようとした。本分で名声と利益を求め、嫉妬にかられ、彼女を叩いて排除した。まさにサタンの性質をもつ、自分勝手で卑しく、邪悪な人間でした! こんなサタンの性質を人生の基盤とし、人を傷つけ、怒りと苦しみの中で生きていたの。「三国志」の周瑜は心が狭く、常に諸葛亮をねたみ、死の間際に「既に周瑜を生みながら、何故諸葛亮をも生んだのだ!」と言って憤死しました。自分も同じだと思った。地位を求めて人を妬み、自分のいのちの入りを阻み、人に害を与え、人間らしさもなく、神に嫌われ憎まれた。神は、私を優れた素質の人のそばに置き、彼女から学び、短所を改めるよう取り計らった。でも私は争い、張り合い、得たものといえばひどい苦しみだけ。ほんとうに愚かだった。神の家では真理が全てで、指導者の選出にも原則があり、真理を受け入れ実践する良き人間らしさをもつのが最低条件なのに、私は嫉妬にかられ、名声と利益を求め、人間らしさを失っていた。指導者の資格なんかない。争いをやめ、真理を実践し、御言葉に従うことだけが正しい道だった。このすべてに気づき、心が楽になったの。

選挙の日、祈りを捧げたわ。「神よ、結果がどうであれ、私はあなたに従い、公正な一票を投じます」。でも投票する時になってやっぱり心が揺れた。「私が楊姉妹に投票して、向こうが当選したら、他の皆にどう思われる? 彼女に劣ると言われるわ」。その時、次の御言葉が心に浮かんだ。「あなたは、そうした物事を捨て去って脇にのけ、他人を推薦し、他人が傑出するのを認められるようにならなければなりません。傑出したり栄誉を得られたりする機会が到来した瞬間、それを利用しようと争ったり、焦ったりしてはいけません。引き下がることを覚えて、本分を尽くすことを遅らせてはなりません。人知れず静かに本分を尽くす人、忠実に本分を尽くしつつ他人に自己顕示しない人になりなさい。自分の体面と地位を捨てれば捨てるほど、また自分の利益を捨てれば捨てるほど、心は一層安らかになり、心の中にますます余裕ができて、自分の状態も改善されます」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。そして思った。「御言葉を実践して、名声や地位のために生きるのをやめなきゃ」と。楊姉妹の素質が素晴らしく、交わりが実践的なことを思うと、彼女が指導者になれば教会のため、そして、兄弟姉妹のいのちの入りのためになる。真理を実践し、教会の利益を守らなくては。それで彼女に投票したの。投票で楊姉妹が選ばれ、私はそれを冷静に、穏やかに受け止めたわ。ついに真理を実践できたのです。神に感謝!

そして2018年の4月、教会指導者に選ばれた私は、教会の働きの責任者たちと協力することになった。最初は教会の働きをすべて話し合い、円満に物事が進んだ。でもその後、執筆担当の李姉妹が、素質があり物覚えも早く、光があって役に立つ交わりをすると気づいた。尊敬するとともに、少し嫉妬を感じたの。李姉妹が担当する仕事に関わることで、その技術や原則を学び、遅れをとらないようにしたわ。そんなある日、指導者から手紙が来た。そこには、他の地域の教会で人を必要としているが、李姉妹は適任か。評価を集めてほしい、とあった。嫉妬心が一気に燃え上がり、「李姉妹を育てたいんだわ。素質は優れ物覚えも早い。でも信仰に入ったばかりで、いのちの入りも浅いわ。私のどこが彼女に劣るの? なぜ私じゃだめなの? 李姉妹にその役が与えられたら、みんなどう思うかしら? きっと彼女が格上だと言うわ」と思った。いたたまれない気持ちになり、それ以降は彼女を無視するようになった。そんな振る舞いに委縮した李姉妹は、以前のように私に相談しなくなったの。数日後、兄弟姉妹から受け取った李姉妹の評価が、すべていい評価だったことに深く嫉妬した。私への評価よりも高かった。指導者なのに同労者にかなわないなんて、とんだ赤っ恥だわ! 考えるほどいたたまれなくなり、姉妹のひとりに言ったの。「この評価は何? ぜんぜんわかってないのね。李姉妹は成長したけど、いのちの入りは浅い。なのにこんな持ち上げて。彼女が他の教会に行っても、実践的な働きができずに教会の働きを遅らせたら、邪悪な行為になるわ!」私の剣幕に少しおびえた姉妹は、実際の状況を基にそう書いたけど、全体像は考えてなかったからもう一度見直すと言ったの。目的は果たしたはずなのに、私の気持ちは晴れなかった。特に李姉妹を見ると、良心が痛み、罪悪感を覚えた。悪い事、恥ずべき事をしたので、李姉妹の目も見られない。私の様子を見て、李姉妹がこう訊いた。「何か問題でも?」と。そう言われるとますます罪悪感が強くなり、「え、ええ」とだけ言って、他の部屋に駆け込み、跪いて神に祈った。「神よ、私は理知のない人間です。みんなの評価を見て李姉妹に嫉妬し、裏で評価を下げようとした。あなたに忌み嫌われるとわかっていても、堕落した性質に縛られ、自分を止められません。啓きを与えてください。真に自己を知り、堕落した性質で生きるのをやめられるように」。祈った後少し心が落ち着くと、コンピューターを立ち上げ、御言葉を読んだ。

神は言われます。「そのような人は自分より優れた人を見ると、他の人々がその人を高く評価しないよう、また誰一人傑出した人がいなくなるよう、その人を押さえつけたり、その人に関する噂を流したり、何らかの卑劣な手段を用いたりします。それは傲慢さと独善性、また邪悪さ、不正直さ、狡猾さからなる堕落した性質であり、そのような人は自分の目標を達成するためには手段を選びません。このように生きながら、自分のことを偉大で善人だと考えています。しかし、このような人に神を畏れる心はありますか。まず何より、これらの事柄の特質という観点から言えば、このように行動する人はただ自分の好きなようにしているのではありませんか。神の家の益を考えていますか。神の家の働きが被る損害に関係なく、自分の感情しか考えず、自分の目標だけを達成したいのです。このような人は傲慢で独善的なだけでなく、利己的で卑劣でもあります。神の意図をまったく配慮しませんし、神を畏れる心がないことに疑いの余地はありません。自責の念も、恐怖、不安や心配も一切なく、結果を考えることもなく自分の望むことを何でもして、勝手気ままに振る舞うのはそのためです。このような人は頻繁にそうしており、絶えずそのように振る舞ってきました。こうした人たちが直面する結末はどういったものですか。彼らは困難に見舞われる、そうではないですか。寛容な言い方をすれば、こうした人たちはあまりに嫉妬深く、個人的な名声や地位に対する欲求が強すぎ、過度に不実で信頼できません。より厳しく言えば、本質的な問題は、こうした人たちに神を畏れる心がほんの少しもないということです。神を畏れず、自分が極めて重要な人物だと信じ、自分のことをあらゆる点で神より高く、真理よりも高いと見なしています。その心の中では、神はその名に言及する価値さえなく、何の意義もなく、このような人の心の中では何の地位もありません。心に神の居場所がなく、神を畏れない人は、真理への入りを成し遂げましたか。(いいえ。)では、いつものように嬉々として動き回り、絶えず忙しくしながら極めて多くの活力を費やすとき、その人たちは何をしているのですか。このような人たちは、自分はすべてを捨てて神のために費やし、大きな苦しみを受けてきたとさえ言い張りますが、実を言うと、すべての行動の動機、原則、そして目的は自分に利益をもたらすことです。自分の利益を残らず守ろうとしているだけなのです。この種の人は恐ろしいとあなたは言うでしょうか、それとも言わないでしょうか。どのような人間が神を畏れない人でしょうか。その人たちは傲慢ではありませんか。サタンではないのですか。神を畏れないのはどのようなものでしょうか。動物を別にすれば、悪魔、サタン、大天使、そして神と争うものはみな神を畏れません」(「神を信じる正しい道へ入る前に人が置かれる五つの状態」『キリストの言葉の記録』)。「人の堕落した性質は、サタンによって毒を盛られ、踏みにじられていることと、サタンが人の考え方、倫理観、見識、理知に与えたひどい被害を根源としている。まさに人のこうした根本的事柄がサタンによって堕落させられ、神がもともと造ったものとは完全に違ってしまったため、人は神に反対し、真理を理解しないのである」(「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」『言葉は肉において現れる』)。

この御言葉に心が乱れ、うろたえたわ。まさに私の状態を示してたから。指導者に目をかけられた李姉妹を妬み、反感を抱き、卑劣な手段で彼女の評価を下げ、批判し、その本分から遠ざけるため、あらゆる手を尽くした。教会の利益など考えず、目的を果たすためなら何でもする。ごう慢で、勝手で、神への畏れもなかった。神の望みは、より多くの人が御心に配慮し、自分の本分を尽くすこと。よくわかってた……李姉妹は素質もあり、真理を追求していたから、もっと訓練を積めば、いのちの入りと技能が向上し、教会の働きのためになる。でも私は自分の名声と地位のために彼女を押さえ、その本分につかせないよう裏で手を回した。知らぬ間にサタンの手下となり、教会の働きを乱していた。つくづく自分が嫌になった。嫉妬は神の御心に反することだとわかってはいたけど、まさか自分が、ここまで人間らしくない行動をとり、教会の働きを乱し、悪を働き、神に抵抗するなんて。この御言葉を思い出した。「人の堕落した性質は、サタンによって毒を盛られ、……を根源としている」。嫉妬深く、人が自分より優れていることが許せなかった。それはサタンの毒が私の考えや観点をゆがめていたから。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」や「天上天下唯我独尊」や「両雄並び立たず」といった毒で生き、いつも集団のトップに立とうとし、自分は人より優れていると思い、自分より能力が高い人を公平に扱えなかった。嫉妬深く差別的で、相手を疎んじ、真理を追求する人を妬み、排除し、攻撃し、裏で貶めた。人間らしさのかけらもなかった! 自分を持ち上げ、人を貶め、争い、打ち勝ち、誰にも従わず、人より目立ちたかった。まるで生きるサタンのよう。その時やっとわかった。サタンの毒や生存の法則が、自分の本性になっていたんだと。それを人生の核とし、利己的で傲慢で邪悪な人間になっていた。悔い改めなければ、神に憎まれ淘汰される。これに気づいた時、心からおそろしくなり、急いで神に祈り、悔い改め、真理を実践し、サタンの毒を捨てますと伝えた。

数日後、指導者から、総合的に見て、他の教会での働きに李姉妹が適任だという手紙が届いた。それを読んで心がざわついたけれど、嫉妬心が自分を操ろうとしていると気づき、すぐ神に祈り、自分に背くことができた。そして、さらに次の御言葉を読んだの。神は言われます。「自分の利己的で卑しい正体があわらになり、そのことを自覚したときは、真理を求める必要があります。神の旨に沿うにはどうすればいいのか。どう行動すれば皆のためになるのか。つまり、まず自分の利益を棚上げにすることから始め、その利益を自分の霊的背丈に合わせて少しずつ手放していかなければなりません。何度か経験していると、それを完全に棚上げできるようになり、そうするうちにますます安定を感じるようになります。自分の利益を棚上げすればするほど、あなたは人として良心と理知を備えるべきだと感じるようになります。そして利己的な動機を持たなければ、自分はまっすぐで公正な人間であり、ただ神を満足させるために行動しているのだということを実感するでしょう。そしてそのような行動を通じて、自分が『人間』と呼ばれるにふさわしいものになるのを感じ、地上でそのように生きていると、自分が公平かつ正直であり、純粋な人間であり、潔白な心を持っており、神に授けられたすべてのものに値すると感じるようになるでしょう。そのように生きれば生きるほど、揺るぎない明るい気持ちになれるのです。その結果、あなたは正しい道に足を踏み入れてはいないでしょうか」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。「神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが誰かを推薦し、その人が才能ある人に育ち、その結果神の家に有能な人材をもう一人もたらすことになれば、あなたは自分の働きをよく行なったことになりませんか。本分を尽くすことに忠実であったことになりませんか。これは神の前での善行であり、人間が有するべき良心と理知です」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。御言葉は、実践の道をはっきりと示した。自分の利益を捨て、神の家の利益を考えなければ。特定の分野で自分より優れた人物を推薦すれば、才能をもつ人がみな神の家でその長所を活かし、神の国の福音を広める役割を果たせる。そのような人だけが人間らしさをもち、神の御心に配慮し、神の家の利益を守り、神の承認を得て、善行をなせる。その夜李姉妹に会いに行き、この本分を尽くす意思があるか聞くと、やりたい気持ちはあるけど、信仰に入ったばかりで霊的背丈も小さく、うまく尽くせるか心配だと言います。その不安を聞いた私は、神の御心を交わり、神に身をゆだね、神を仰ぎ、真理の原則を追うことに集中するよう励ました。数日後、李姉妹は新たな本分のために旅立ったの。とても幸せで、真理を実践し、名声や地位を求めない生き方こそが、誠実さと尊厳をもって生きる道だと感じた。心は穏やかそのものでした。

振り返ると、堕落した性質で生きていた時は、常に嫉妬し、名声と地位を求め、サタンに堕落させられ弄ばれた。辛い生き方でした。神は、私を暴いて救うために、人や物事、出来事や環境を取り計らい、御言葉を使って私を暴き、裁き、水と糧をくださった。そしてようやく、私は自分のサタン的本性に気づき、人を妬み、名声と利益を求めることの本質と末路を知った。そのとき初めて多少の真理を実践し、良心と理知を得たのです。神に感謝!

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