このような奉仕は本当に軽蔑に値します

2017年12月19日

この二、三日のあいだに教会は私の仕事を変更しました。この新しい任務を受けた時、「この最後の機会を使って兄弟姉妹と集会を持ち、明確に話しをして彼らに良い印象を残さなければならない」と考えました。そのため、数名の執事と会い、一緒に時間を過ごした最後に、「ここを出て別の任務に異動するように言われました。皆さんは、私の後任として来るリーダーを受け入れ、心と考えをひとつにしてリーダーと協力して働いて欲しいと思います」と言いました。私の言葉を聞くやいなや、そこにいた姉妹のうちの数名は青ざめ、顔から笑顔がなくなりました。私の手を握りしめる人もいれば、私を抱きしめる人もいて、泣きながら「行かないでください!私達をほっぽり出し、私達の必要なことを無視しないでください!…」と言いました。ホストファミリーの妹は特に私を行かせたくないようでした。彼女は、「ディン姉が私達と一緒にいてくださるのはとても素晴らしいことです。ディン姉は苦難を耐えることができる人で、真理について話すのが上手です。私達が必要とする時はいつでも側にいて、辛抱強く私達を助けてくれました。ディン姉が行ってしまったら、私達はどうすれば良いでしょう…」と言いました。私と別れるのを皆が嫌がる様子を見て、私の心は喜びと満足感で一杯になりました。私は、「神に頼りなさい。できる時には、皆さんに会うために戻ってきます…」と言って皆を慰めました。

 しかしその後、兄弟姉妹との別れの場面を思い返すたび、心の中は不安になりました。「このような悲しみの表現は当たり前なのだろうか。なぜ、彼らは私との別れをこんなにも悲惨なことのように振る舞ったのだろうか。そもそも、なぜ教会は私を異動させたいと思ったのだろうか」と考えました。どうしてもそれがわからず、神の前に来て、よく答えを求めたものでした。ある日、説教の文章を読んでいる時に、次の一節を目にしました。「神に仕える者は、全てのことにおいて神を高め、神の証を立てなければなりません。こうして初めて、他者に神のことを知ってもらうという成果を達成することができます。そして、神を高め、神の証を立てることによってのみ、他者を神の元に連れて行くことができるのです。これは神に仕える原則の一つです。神の働きの最終的な成果は、まさに、人々に神の働きを知ってもらい、これにより神の元に連れて行くという働きです。指導職に就く者が神を高めず、神の証人としての役割を果たさず、その代わりに自分自身を常に顕示しているのならば、実際にしていることは、神に対抗する者として自分自身を位置づけているのです。そのような人は神の座に座り、人々が自分を神として扱うようにさせています。彼らの働きは、人々を巡って神と張り合うものになります。サタンはまさにこのような形で神に抵抗するのではないですか。さて、取り巻きの追随者を自分の下に置いているリーダーは数多くいますが、彼らは自分の望み通りに人々を昇進させたり訓練したりしています。結局、神は自身の心を知る人を一人も自分のものにしていません。人々は誰のためにすべての働きをするのですか。彼らは神と心を一つにさせている人々を何名訓練しましたか。彼らは何名の人々を、真に神を知って愛することへと導きましたか。ですから、もし誰かの奉仕が神を高めず、神の証を立てるものでなければ、明らかに自分顕示しています。神に奉仕していると高らかに宣伝していたとしても、実際には自分自身の地位のために働いており、本当は肉の満足のために働いています。その働きの中で神を高めることも、神の証を立てることも一切ありません。誰かが神への奉仕についてのこの原則を裏切っている場合は、それはただ神に抵抗していることを示しています」(教会の働きにおける交わりと采配Iの紀要から「神に仕えるために理解すべき原則の内容」)。読めば読むほど、心が苦しくなっていきました。読めば読むほど、恐ろしくなっていきました。自責の念が何倍にも膨れ上がりました。兄弟姉妹が私に向けて示した態度から、私の働きは実際には兄弟姉妹を神の元に連れて行くものではなく、私の元に導くものであったことが分かりました。そして、兄弟姉妹と過ごした時間の中の数多くの場面を思い返さずにはいられませんでした。私はホストファミリーの妹に、「皆さんは全員本当に幸運です。皆さんの家族全員が信者です。私が家にいる時は、夫は一日中私を不当に扱います。私を叩くか、ひどいことを言うばかりです。私は最大限自分の本分を尽くしてきました。神への信仰のために私がどれほどのひどい目に耐えてきたかを見てください。」としょっちゅう言っていました。兄弟姉妹が苦難に遭遇した時は、神の心を彼らに話すことはなく、神の働きや神の愛の証人者として振る舞いませんでした。その代わりに、常に肉を優先させ、私がとても親切で思いやりのある人だと人々に思ってもらえるようにしました。兄弟姉妹が原則に反することをしているのを目撃した時はいつも、対立するのを恐れ、彼らを助けたり指導したりすることはなく、常に人との関係を守ろうとしました。私の全ての行いにおいて、私が一番気にしていたことは、人々の心の中にある私の立場であり、私のイメージでした。…私の一番の目的は常に、他者の共感と称賛を得ることで、これは私の満足感を最も満たすものになっていました。これは私が自分自身を持ち上げ、自分自身の証を立てていたと言うことの真の現れです。私がしたことは全て、実際には神に対立することでした。神の次の言葉を思い出しました。「わたしはあなたがたの間で業を行っているが、あなたがたは依然としてそのような状態である。あなたがたを思い遣り、見守る者がいつの日かいなくなったら、あなたがたは皆お山の大将[a]になるのではなかろうか。その時、あなたがたが大惨事を引き起こした時、誰がその後始末をするのであろうか。」(『神の出現と働き』「極めて深刻な問題――裏切り〔1〕」〔『言葉』第1巻〕)神の言葉は、私の神への奉仕が実際はいかに自分自身の証を立て、自分自身を持ち上げていたかを再び私に気付かせてくれました。そして、このような態度がもたらす深刻な結果を私が認識するのを助けてくれました。神の言葉は、大天使のような自分の本性のせいで私は横暴な詐欺師になり、大きな災害をもたらしかねないことに気づかせてくれました。いかに私の神への奉仕が奉仕の正しい原則に従い達成されておらず、神を高めず、神の証を立てず、本分を尽くしていなかったかについて考えました。その代わりに、自分自身を顕示し、自分自身の証を立て、兄弟姉妹を私の元へ連れて来る日々を過ごしていました。このような奉仕は軽蔑に値するものではないでしょうか。これは、単に反キリストの敵の「奉仕」ではないでしょうか。神の寛容と慈悲がなければ、私は既に神から呪われ、打ちのめされていたことでしょう。

 その時、私は畏れと恥ずかしさで震えました。膨大な借りがあるという念が心一杯に溢れ、地面に平伏して、苦い気持ちで泣きながら、神に懇願しますた。「あぁ、神よ!神の黙示と啓示がなければ、私はいったいどこまで深く落ちていたことでしょう。私には確かに、神様にお返しできる以上の借りがあります。私を救済してくださり、ありがとうございます!私の魂の奥にある醜く卑劣な自分自身を見えるようにしてくださり、ありがとうございます。私の奉仕が実際には神様への抵抗となっていたことを示してくださり、ありがとうございます。自分の行動により裁かれるならば、呪いしか受けられないにも関わらず、あなたは私の目を開き、私を導き、私が悔い改め、最初からやり直せるチャンスを与えて下さいました。あぁ、神よ。私はこの経験を教訓とし、生涯忘れることはありません。神様の刑罰と裁きが常に私と共にありますように。そして、それが早く、サタンである古い私を捨てるのを助け、畏敬の念を持つ真の神様のしもべとなるのを助け、神様に負う大きな借りを返し始めることができますように」。

ディン・ニン(山東省荷泽市)

脚注

a.中国の諺。文字上の意味は「山を占領して自分が王であると宣言する山賊」である。

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