質問1.多くの人が理解していません。主イエスの登場の前にパリサイ人たちは聖書を解読して、聖書の律法もって人々を問いただし。一見聖書を信じるとても敬虔な人たちに見えました。ではなぜ、主イエスに呪われたのか?どのように神に反抗したのでしょう?どのように偽善的だったのでしょう?なぜ神の怒りを買ったのでしょう?

解答: 主を信じている人は、主イエスがパリサイ人を嫌い、彼らを呪い、彼らに7つの災いを下したことを知っています。これは偽善的なパリサイ人たちを見極め、その支配から逃れ、神の救いを得るのに意味があることです。残念ながら、信者の多くがパリサイ人たちの偽善を見抜けません。主イエスが彼らを嫌い、呪った理由すら理解していないのです。今日はこの問題について少し話をしましょう。パリサイ人たちは人々に聖書を説いていました。人々の前で祈り、律法を用いてみなを問いただし、表面的には聖書を守る敬虔な信者のように見えたのです。なぜ主イエスに嫌われたのか?実は彼らは本質的に神に反抗する偽善者だったのです。パリサイ人たちは儀式と律法だけを重んじ、聖書の内容だけ解釈し、神の心について伝えず、神の言葉にも従いませんでした。それどころか無視したのです。彼らの行いは、神の心に完全に反するものでした。これがパリサイ人たちの本質であり、主イエスに嫌われ、あのように呪われた理由なのです。主イエスはこう言われました。「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる。』」(マタイによる福音書 15:3-9)主イエスが彼らの正体を暴いてくださったおかげで、パリサイ人たちが聖書を解釈したにもかかわらず、神をあがめていないことが明確に分かります。神の戒めに従わず、伝統に置き換え、神の戒め自体を忘れ、神に反抗していたのです。神に仕えながら反抗していたという証拠です。神に嫌われるのも当然です。神の戒めは「殺してはならない」「隣人について偽証してはならない」と明確に述べていますが、パリサイ人は公然と偽証し、神につかわされた預言者を非難し、そのものを殺しました。神に反抗したのです。主イエスはパリサイ人たちを非難してこう言われました。「へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。……地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。」(マタイによる福音書 23:33-35)パリサイ人たちは神に反抗し、預言者たちを殺しました。神の御心の成就を妨害しようとして、神の怒りに触れました。非難されて当然です。パリサイ人がしたことはすべて事実ですよね?これでパリサイ人たちの偽善的な本質を見抜くことができると思います。

 表面的には敬虔に見えましたが、パリサイ人たちの本質は狡猾で、人を陥れることが得意でした。もし主イエスが彼らの裏切りなどの悪行を暴いて下さらなければ、彼らの偽善的な本質を見抜けなかったことでしょう。パリサイ人に対する主イエスの非難を見てみましょう。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。」(マタイによる福音書 23:23-24)「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。」(マタイによる福音書 23:27-28)パリサイ人たちは敬虔な振りをして、わざと会堂や街角で祈ったり、断食中は悲しい顔をしました。衣服に聖書の言葉を書き、わざと人目につくよう寄付しました。ハッカやクミンといった薬味の十分の一を忘れずに納めるようにしました。「手を洗わずに食べてはいけない」といった古い律法さえも守り、多くの細かい事にとても気を配りました。しかし神や人々を愛し、慈悲深く、忠実であれという神の要求には従いませんでした。神の戒めを無視したのです。彼らは聖書の知識について語り、律法に従うだけでした。これこそが彼らの偽善の本質だったのです。パリサイ人たちの行いはすべて、人々をだまし、束縛するための行動だったのです。崇拝されることを目的とし、自己保身にしか関心を持ちませんでした。その結果、神への反抗という道を歩んだのです。これが彼らが神に嫌われた理由です。

 パリサイ人たちは真理を愛しません。彼らは神の戒めを守ろうとせずに、神へ反抗する道を歩むことだけに専念しました。だからこそ、主イエスが御業をなし、彼らの邪悪な本質と神への敵意をすべて暴かれたのです。パリサイ人たちは、主イエスの言葉には権威があることを知っていました。彼らは主イエスの言葉と御業の本質を求めなかったうえに、悪魔の力で悪霊を追い払っていると主イエスを攻撃しました。主イエスの権威ある御業を狂気と見なしたのです。彼らは聖霊を冒涜し、神の本質を傷つけた。パリサイ人たちは、自分たちが冒涜するだけでなく、信者にもそうするように扇動し欺きました。忠実だった者に主の救いを放棄させ、彼らの身代わりになるようにしたのです。そのため、主イエスは彼らにおっしゃいました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。」(マタイによる福音書 23:13)「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。」(マタイによる福音書 23:15)パリサイ人たちは神を冒涜する偽善者であり、神の敵である反キリストだということが分かります。魂を地獄へ引きずり込む邪悪な集団です。主イエスは「七つの災い」をもってパリサイ人たちを非難されました。これは傷つけられることのない神の性質を表しています。

 これでパリサイ人たちの偽善的な本質が分かりましたね。次は牧師や長老たちについてです。彼らは聖書の知識を解釈し、儀式を行い、律法を守るだけで、神の言葉や戒めをまったく無視しています。パリサイ人同様、神に仕えながらに反抗する道を歩んでいます。主イエスは言われました。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイによる福音書 22:37-39)神を愛する者は、神の言葉を実践しなければなりません。信者への責任を持つべきです。今や教会は荒れ果て、信者の信仰と愛は失われています。彼らは信者に命の水を与えず、全能神が人々に真理を表す時も、その学びを拒絶します。非難して、信者が真の道を見つけるのを邪魔するのです。彼らは信者が全能神の言葉を読むことさえ許しません。東方閃電の人たちを攻撃するばかりか、警察を呼び逮捕させています。彼らの行いは神に反抗しています。パリサイ人たちが主イエスに反抗したこととどう違うのでしょう?牧師と長老たちは自分の地位を守るため、信者の進む道を欺いて、地獄へ引きずり込んでいるのです。彼らこそ、「邪悪なしもべ」と言えます。現代のパリサイ人なのです。

『滅びゆく都』の映画台本から

前へ: 質問3.私達は、何年も主を信仰し、主のために働き、沢山苦労もしてきました。主イエスの御名を否定したり、裏切りもしていません。主の約束によると、私達は見捨てられてはいません。主が再来したら私達が先に天国へ招かれるはずなのに、なぜあなた方が先なのです?納得できません!終わりの日の全能神の働きを受け入れないと、本当に天国に入れないのですか?その点をきちんと確認したいのですが、どう説明なさるのですか?

次へ: 質問2.聖書を読み、パリサイ人たちが主イエスを非難したことはみんな知っています。しかしわからないことがあります。主イエスがその御業をなされた時、パリサイ人たちはそこに権威と力があるのを知っていたにも関わらず、主イエスに反抗し非難しています。主イエスを磔にしました。彼らの本質と実質について話していただけますか?

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
連絡先
Line経由で連絡する

関連記事

質問2.神の御国は地上にあるのか天にあるのかわかりません。主イエスは何度も「天の国は近づき!」「来る」と。この「天の国」とは天にある国のことで、地上には有り得ないでしょう?

「天」とは常に神を意味し、「天の国」とは神の御国のことです。ヨハネの黙示録にあります。「神の幕屋が人と共にあり」「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。」つまり神の御国は地に造られ、この地上の国は、最後に神の御国になるのです。

質問4.いま、主がお見えになり天国へ招かれるという考えは、思い込みだとわかりました。主の御言葉を裏切る行為です。主の再来をどう待てば引き上げられるか、もう少し詳しく教えてください。

 実は主イエスは私たちを引き上げるとおっしゃっています。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」と主は言いました。主が戻られ、羊を集めていると分かりました。主を待つとは主の声を探し求めることですが、問題は主の声をどうやって聞くのか知らないことです。神の声と人間の声の区別がつきません。絶対に主の声だと分かるにはどうしたらいいですか?

神の声は心と霊で聞く必要があり、心が同じなら分かり合えます。神の言葉は真理であり、力と権威があるので、心と霊があれば分かります。全能神の言葉を少し読んだだけで、多くの人が神の声であると確信できます。神は受肉のたびにその段階の働きをします。神の指示で特定の言葉を少し伝えるだけの預言者とは全く違います。

設定

  • 文章
  • テーマ

単色

テーマ

フォント

文字サイズ

行間

行間

ページ幅

目次

検索する

  • 表示テキスト内検索
  • 全文検索