質問 3:聖書でパウロがはっきり言っています。「聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである……」(使徒行伝 20:28)。これは牧師や長老はみな聖霊に聖別されたという証拠です。聖霊に聖別されたということは神様に聖別されたということでしょう? 神様が牧師や長老を群れの監督として聖別したのです間違いありません。

回答:宗教界の理屈に合わない人はよく聖書の言葉を誤用して規則を作ります。偽善者パリサイ人と教会の牧師はすべて神様に聖別されたとさえ言います。これは神様に強く逆らい冒涜していることになりませんか? 多くの人が区別の仕方を知りません。主を信仰しても、主を偉大にしないで代わりに贈り物や地位や権力に傾倒し盲目的に牧師や長老を信じ崇拝します。聖霊の働きなのか真理からくる現実なのかの区別ができません。牧師が証明書を持ち才能があり聖書を解釈できれば、神様から認められ聖別された者で従うべきだと思ってしまう。牧師や長老に従うことは神様に従うことになり、牧師や長老に逆らうと神様に逆らうことになるとさらにおかしな考えの人もいます。このような観念に基づいて行動してゆくと、ユダヤの祭司や律法学者やパリサイ人のように聖書を良く知っており聖書をよく人に説明するけれども、主イエスが現れ働いた時に反抗し非難し、更には磔にしてしまうようなことになるのです。これが神様に聖別され使われる者ですか? もしユダヤ人の指導者にならって主イエスに逆らい、非難するのであれば神様に従っていることになるのですか? ユダヤ人の指導者を拒否し主イエスに従った人は神様に逆らっているのですか?「牧師と長老に従うことは神に従う、牧師や長老に抗うことは神に抗う」という考えはあまりにもばかばかしくまやかしです。私たち神の信者は教会の牧師や長老が神様に逆らい真理を裏切り神様に反抗する道へ導こうとしているなら、神様の側に立ちそれを暴露し拒否するべきです。それこそ本当に神様に従うのです暗闇を打ち捨て光りを呼び神様の意図に叶いますね。牧師や長老にどう対処するかについては真理を追究して神様の意図を理解することが大切です。牧師や長老が真理を愛し真理を追究するならば必ずや彼らには聖霊の働きがあり神様の言葉を実行して体験し神様を畏れ悪から離れるように導くことができます。そのような人を尊重し従うことは神様の意図に叶うのです! もし真理を愛さず聖書の知識と神学理論を説明して自分をひけらかし地位を築くことだけに関心を持ち、自分を崇拝させ従わせて神様を褒め称えたり証しをしたり神様の言葉を実行し経験するよう導かないのなら、それは神様に非難され呪われる者であり、もしその者をまだ崇拝して従うなら神様に反抗していることになります。これは神様の意図に完全に背きますね。

今現在宗教界にいる人達は牧師や長老の神様に対抗する本質をほとんど見抜けません。牧師や長老が聖書を理解し解釈ができる限り、つまり牧師や長老の言うことは聖書に従い聖書が土台になっている限り、それに従い言う事を聞くべきだと信じられています。この考え方は正しく聞こえます。でも良く考えてみると牧師や長老は本当に聖書を理解しているのでしょうか? 本当に神様の御働きを知っているのでしょうか? 聖書の知識があれば、神様を知っていることになるのですか? 牧師や長老が聖書を説明するのを聞けば、真理を知り神様を知り、従うように導いてくれますか? 残念ながら宗教界ではこの問題を理解している人はいないでしょう。ユダヤのパリサイ人があたかも聖書を理解しているように見えて、聖書を上手に説明していたように他人の目には見えていた点を思い出してみましょう。しかし、主イエスが働いた時主が誰なのかわからず代わりに、聖書の字面と規則を利用して事あるごとに主イエスを捕まえようとしました。彼らは主イエスに逆らい非難しました。それは主イエスが神様の言葉を語ったからで主イエスを非難しののしって主の言葉を冒涜だとして責めたてました。最後には主イエスを冷酷にも十字架に釘付けにしてしまいました。どうしてそんなことを? 傲慢で神様を知らなかったのでは? この事実からも明らかなように聖書の知識を持ち上手く聖書の説明ができるから、真理を知り神様を知り神様の御働きを理解しているとは言えないのです。神様の御働きを真に経験する者なら神様の御言葉を経験し実行しようと注意を払います。御言葉に神様の驚異的な行為を見て、人類を救うための神様の気配りとお考えを全て理解し、神様が働きの中で語ったすべての御言葉を明確に理解できます。これが全ての者が入るべき真理の現実というものです。神様がなぜこのような真理を示し、意図は何であり、人に働きかけ達成しようとしている事が本当に理解できます。そのような者だけが神様の御働きを真に理解するのです。そのような者だけが聖書と真理を真に理解するのです。聖書を本当に理解している人は誰でも、聖書の中で神様の御言葉が伝えるもの意図が伝えるもの人間に求めるもの神様の御働きと性情これらに注意を向けると真理の現実へと導かれ神様を畏れ従うようになるのです。教会の牧師と長老は何を説いていますか? そのようなものを伝えた結果どうなります? 人はますます傲慢になるでしょう聖書の知識が少しあるという理由で誰にも譲ろうとはしません。その結果神様が受肉され真理を示されても、神様を拒み逆らい反発するのです! どうやら聖書の知識と神学の理論を説明する牧師や長老が実際は神様に逆らっているようですね! 昔のパリサイ人そのものじゃない? このような教会の牧師や長老は何故神様の御言葉を自身で実行したという知識や経験を伝えられないのでしょう? 神様の働きと性情の真の理解を何故伝えられないのでしょう? それは神様の御言葉と真理の本当の経験がなく、単に聖書を研究し聖書の知識を得ることだけに力を入れているからで、これでは聖霊の働きは受けられないのです。そんなことで彼らの奉仕が神様に認められるでしょうか? 終わりの日に神様が人の子として受肉され、神様の裁きの御働きの真理を示し、私たち一人ひとりを明らかにされました。真理を愛する者真理を憎む者良いしもべ悪いしもべ神様に仕える者欲におぼれる者はすべて明らかになるでしょう。教会の牧師や長老に関しては聖書の文脈から句を抜き出し自分の観念や想像に頼った誤った解釈をして、「聖書の外に神の言葉や働きはない」とまで決め付け終わりの日の神様の働きに逆らい非難するためあらゆる種類の虚偽を広めることさえするのです。これは人に誤解を招き欺くことになりませんか? どれだけ多くの信者がそのような虚偽のため傷つけられ滅びたのかはわかりません。何人が神様の御座の前に連れて行かれ婚宴に神様と共に出席できる機会を失い、神様に勝利者にされる稀な機会を失ったことでしょう。このような牧師や長老は真の道を受け入れようとする者を邪魔して妨害していませんか?

全能神の言葉を少し読んでみると教会の牧師や長老を見分けることができるでしょう。全能神は言われます。「各教派の指導者を見てみなさい。彼らはみな傲慢で、独善的で、彼らによる聖書の解釈には背景がなく、自分自身の想像に導かれています。彼らはみな才能と知識に頼って働きを行ないます。彼らがまったく説教できなければ、人々は従うでしょうか。彼らにもやはり多少知識があるので、何らかの教義を説くことができたり、人を勝ち取る方法や、策略の活用法を知っていたりします。彼らはそれを用い、人々を自分たちの前に連れてきて惑わします。名目上、それらの人たちは神を信じますが、実際には指導者に従っているのです。そうした人が真の道を説く人物に出会うと、『私たちの信仰について、指導者に相談しなければならない』と言う人がいます。神に対する彼らの信仰は人間が媒介になっているわけですが、それは問題ではありませんか。それで、これらの指導者はどうなりましたか。パリサイ人、偽の羊飼い、反キリスト、人々が真の道を受け入れるのを妨げる躓きの石となったのではありませんか」(「真理を追求することだけが、神を真に信じることである」『キリストの言葉の記録』)

荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか」(「神を知らない人はすべて神に反対する人である」『言葉は肉において現れる』)

神様に奉仕しながら神様に逆らい人を欺く牧師や長老達の正体を明らかにしました。教会の牧師や長老は聖書の文脈から句を抜き出しよく誤った解釈をします。自分の観念と想像を頼りに聖書の知識と神学理論を説明するのです。自分をひけらかし地位を築き人に自分を崇拝させ従うようにさせます。でも神様を褒め称えたり主に証しをすることはなく、人を自分の支配下に置こうとします。こんなに多くの人が牧師や長老など聖書を説明できる人を崇拝するのになぜ主を偉大にできる人はいないのでしょう? どう思いますか? 特に終わりの日に全能神が裁きの働きをされていても、人は真理を学び求めようとはしません。神様にお祈りしないで、牧師や長老のところへ行き命令に従うだけです。彼らは主を信仰していますかそれとも牧師ですか? これについては自分を振り返ってみるべきです。主イエスはとっくの昔に、宗教界に巣くうパリサイ人が神様に反発していることを曝露しているのに、終わりの日の教会の牧師や長老をなぜ私たちは見抜けないのか? 彼らを崇拝し従う人はまだ沢山います。彼らは無意識に神様に逆らう道を歩み始め、パリサイ人のように神様に軽蔑され憎まれるでしょう。なぜそんなことに? 牧師や長老に騙された結果ではないですか? 真理を愛し神様の出現を待ち焦がれている多くの人が教会の牧師や長老が持つ反キリストの本性を見抜いています。その人達はみんな宗教を去り全能神の終わりの日の裁きの働きを受け入れたので、子羊の婚宴に招かれるでしょう。教会の牧師や長老をまだ崇拝し従う者は神様の御働きにより見捨てられるでしょう。大災害が降りかかろうとしています。全能神の終わりの日の裁きの御働きを探し求め受け入れなければ、みんなこの災害で被害を被り泣き叫び歯軋りして苦しむことでしょう。

映画『呪縛を解く』より引用

前へ: 質問 2:牧師や長老たちは主に聖別され任命されたのだということを信じるべきです。この人達はみんな主に仕えているのです。牧師や長老に従うことは主に従うことになるのです。牧師や長老に逆らい非難すれば主に逆らうことになります。牧師や長老だけが聖書を良く理解し解釈ができます。この人達だけが私達を導けるのです。つまり、牧師や長老の言うことは聖書に従い、聖書が土台になっているので、それを守り従うべきです。牧師や長老が聖書に従うことをすれば、それを受け入れ従うべきです何が悪いのですか?

次へ: 質問 4:教会の牧師は聖書に精通していて知識も豊富です。教会で聖書を解釈しほめそやすので、神様を知っているのだと思っていました。ではなぜ終わりの日の受肉された神様の働きが宗教界の牧師達に激しく非難され反対されるのですか? 教会の牧師や指導者のほとんどが非難するのなら真の道ではないはずです!

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質問 2:私は神を見たことがないし、神のどのように働いたり世界を支配しているのかも見たことがない。私には神を認識して受け入れるのは難しい。私の長年の宗教研究からは宗教的信仰は精神的な栄養に過ぎないと思います。人類の精神的空洞を埋めるものです神を信じる人たちも最終的には皆死にますね。そして死んだ人のうちだれが天国に行って誰が地獄に落ちたのかなんて誰も知らないのです。全ての宗教的信仰は非常に曖昧で非現実的です。科学が発達し人類が進歩するにつれ、宗教的信仰なんてものは捨てられ消えていくでしょう。我々はまだ科学は信じなければなりません。科学こそが真理であり現実です。これはだれも否定できません。科学はまだ神を否定していませんが、神の存在を証明もしていません。もし科学が神の存在を証明し、神がすべてを支配していることも証明出来たら神を信じることはできます。我々共産主義者は科学を信じるのです。科学を信じ発展させることによってのみ人間社会は進歩するのです。科学は人間社会の問題を沢山解決することが出来ます。神を信じることによって人は何を得られますか? 一時的な精神的な安心以外に何の役に立つのですか。実際的な問題には何の役にも立ちませんよね。従って科学を信じたほうが神を信じるよりずっと現実的です。私たちは科学を信じなくてはなりません。

回答:無神論は何よりも科学を重んじます。科学を真理や信仰のように扱うほどです。科学がもし真理ならば何故多くの科学的理論が確立されても、すぐにまた反論され無効にされるのですか? これは科学が真理などではないことの裏付けではありませんか。科学は人間社会の最も現実的な問題を解決できます…

質問:主イエスは「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」(ヨハネによる福音書 10:27)とおっしゃいました。主はお戻りになり、御言葉を発して羊を呼び集めていらっしゃいます。私たちが主の到来をお迎えする上で大事なのは、主の御声を聞こうと探求することです。しかし一番の問題は、主の御声をどうやって聴くのか知らないことです。神様の御声と人の声との区別もできないので、間違いなく主の御声だとわかるにはどうしたら良いのですか。

神の声は心と霊で聞く必要があり、心が同じなら分かり合えます。神の言葉は真理であり、力と権威があるので、心と霊があれば分かります。全能神の言葉を少し読んだだけで、多くの人が神の声であると確信できます。神は受肉のたびにその段階の働きをします。神の指示で特定の言葉を少し伝えるだけの預言者とは全く違います。

質問 1:主イエスの御名と道に忠実であり、偽キリストたちや偽預言者を相手にせず、目を覚まして待てば、主は来られる時にかならず啓示をくださる。主の御声を聴かなくても引き上げていただける。主イエスはこう言われた「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう」(マタイによる福音書 24:23-24)。あなたたちは偽キリストたちや偽預言者たちの欺きを認めないのか? だから我々は、主の到来を証しする者は全て、間違いなく偽者だと信じているのだ。吟味するまでもない。主は来られるときには、啓示をくださるし、私たちを見捨てるはずはない。これが正しい信仰実践だと思う皆はどう思うかな?

回答:主イエスは確かに、終わりの日の偽キリストと偽預言者のことを預言されました。これは事実です。しかし、ご自身の再臨も何度か明確に預言されました。私たちはそう信じてますね? 多くの人は主イエスの再臨の預言に関しては偽キリストや偽預言者を警戒することに集中し花婿の到来を迎えることや…

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