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唯一の神自身 6

神の聖さ(3)

前回の交わりの主題は何でしたか。(神の聖さでした。)神の聖さは神自身のどの側面に関連しますか。神の本質に関連するものですか。(はい。)それではこの交わりにおいて神の本質に関連する主題は何ですか。神の聖さですか。(はい。)神の聖さは、神独特の本質です。前回に分かち合った主題は何でしたか。(サタンの邪悪さを見極めることでした。)サタンの邪悪さに関し、前回は何を分かち合いましたか。思い出せますか。(サタンが人間を堕落させる方法です。サタンは、知識、科学、伝統文化、迷信、社会動向を利用して人間を堕落させます。)それが前回話し合った主題でした。サタンは、知識、科学、迷信、伝統文化、社会動向を利用して人間を堕落させます。これらがサタンが人間を堕落させる方法です。合わせて幾つの方法がありますか。(五つあります。)そのうちサタンが最も多用する方法であり、人間を最も深刻に堕落させるものは何だと思いますか。(伝統文化です。)伝統文化であると思う兄弟姉妹がいますが、他にもありますか。(知識です。)あなたがたは、高度な知識があるようですね。他にありますか。(知識です。)前の人の意見と同じですね。伝統文化と回答した兄弟姉妹に尋ねますが、そう思う理由は何ですか。それについて何か理解していますか。説明してもらえますか。(サタンの哲学と孔孟の教えがわたしたちの思考に深く浸透しているので、それらがわたしたちを極めて深刻に堕落させると感じます。)知識と回答した人に尋ねますが、その理由を説明できますか。理由を話してください。(知識が人間に神を礼拝させることは、有り得ません。知識は神の存在と、神の支配を否定します。つまり、サタンは幼少時からわたしたちに勉強するように、学習と知識の取得によってのみ、将来や命運が保証されると教えます。このようにして人間を堕落させます。)サタンは知識を用いて、あなたの将来と命運を支配し、それではサタンが人間を意のままに服従させることになります。サタンが人間を最も深刻に堕落させるのは、このような方法だとあなたは考えています。つまり、あなたがたのうち大部分が、サタンは知識により人間を最も深刻に堕落させると考えているようですが、他にも何かありますか。たとえば、科学や社会動向は、どうですか。これらに賛成する人はいますか。(はい。)今日は、サタンが人間を堕落させる五つの方法について再度あなたがたに伝え、それが終わってから、サタンは正確に人間のどの側面を最も深刻に堕落させるかを確認するためあなたがたに幾つか質問します。

サタンが人間を堕落させる五つの側面は、サタンが人間を堕落させる五つの方法です。そのうち最初のものは知識なので、まず知識を話し合いの主題として取り上げましょう。サタンは知識を餌として用います。注意して聴くように。知識は餌の一種に過ぎません。人間は「学習に励み、日々向上」し、知識を武器のように身に付け、知識を科学の扉を開くのに用いるよう誘惑されます。つまり、身に付ける知識が多ければ多いほど、より多くの物事を理解するようになるのです。サタンは、人間にこのようなことを言います。また、サタンは人間に、知識を身に付けるとともに、高尚な理想を育み、大志と理想を持つよう命じます。人間に知られることなく、サタンはこのようなメッセージを数多く送り、無意識のうちにそれが正しい、あるいは有益であると人間に感じさせます。人間は、知らぬ間にそうした道を歩み、知らぬ間に自分自身の理想と大志に導かれて進んでゆきます。人間は、サタンに与えられた知識、偉人や有名人の考えから徐々に気付かぬうちに学びます。また人間は、英雄とみなされる人々の行動から学び続けます。あなたがたは、こうした英雄の行動によりサタンが人間に唱道する事柄やサタンが人間に吹き込もうとしている事柄の一部を知っているかもしれません。サタンが人間に吹き込む事柄は何でしょうか。人間は愛国心に溢れ、自国に忠誠であり、勇敢でなければならない。歴史や英雄の伝記から人間は何を学びますか。それは、人に対して忠義心を持つこと、あるいは友達のために尽くすことです。こうしたサタンの知識の中で、人間は無意識のうちに多くの良からぬ物事を学びます。サタンが人間のために用意した種は、知らぬ間に未熟な人間の心に植え付けられ、その種は、人間に偉大な人物になる必要がある、有名になる必要がある、英雄になる必要がある、愛国心を持つ必要がある、家族を愛する人間になる必要がある、友人のためならば何でもする、忠義感を持つ人間になる必要があると感じさせます。サタンに魅惑された人間は、サタンが人間に用意した道を知らず知らず進んでゆきます。その道を歩んでゆくうちに、人間はサタンによる生活の規則を受け入れることを強要されます。人間は、自分で全く気付かぬうちに独自の生活規則を作り出しますが、それはサタンが人間に強制的に吹き込んだ生活規則に過ぎません。この学習過程において、サタンは、物語や伝記など、サタンの餌を人間に少しずつ食べさせることのできる全ての手段を用いて、サタンの物事を人間に吹き込むと同時に、人間に独自の目標を目指し、独自の人生の目標や生活規則、人生の進路を決めさせます。こうして学習過程のなかで、ある者は文学を好み、ある者は経済を好み、ある者は天文学や地理に興味を持つようになります。さらに、政治を好む者、また物理や、化学、はては神学を好む者もいます。これらは全て知識の一部です。あなたがたは、全員これまでにそうした知識に接する機会があったので、それがどのようなものかを知っています。こうした知識に関しては、誰もがそのうち特定のものについて、際限なく語ることが出来ます。したがって、こうした知識が人間の心にどの程度深く入り込んでいるかは明白です。これは、こうした知識が人間の思考において占めている位置や、人間に及ぼしている影響の深さを示しています。人が知識のある側面を好むようになり、それを深く愛するようになると、無意識のうちに理想が生まれます。ある者は小説家を目指し、ある者は文学者を目指し、ある者は政治家として身を立てることを目指し、ある者は経済活動に関与して実業家となることを目指します。また英雄や、偉人、有名人になろうとする人々もいます。どのような人間となることを目指すかを問わず、人々の目標は、知識を習得する方法により、自分自身の目的のために使用すること、自分自身の願望や理想を実現することです。それがどれほど聞こえが良くても、つまり、自分の夢を実現したい、人生を無駄にしたくない、あるいは出世したいなどは、高尚な理想と大志を育んでいるものの、本質的には何が目的ですか。あなたがたは、このことについて考えたことがありますか。サタンはなぜこんな事をしたいのでしょうか。サタンがこんな事を人間に吹き込む目的は何でしょうか。あなたがたの心は、この問題について明瞭に理解しなければなりません。

それでは、サタンが知識を用いて人間を堕落させる方法について話しましょう。わたしたちは、サタンは知識を用いて人間に何をしたいのか、人間にどのような道を歩ませたいのかをまず知らなくてはなりません。(神を拒むことです。)まさしく神を拒ませたいのです。知識を習得した人間に見られる効果、知識を習得することの結末、それはまさに神の拒絶です。それでは、サタンの邪悪な動機は何か。あなたがたは明確に理解していないのではありませんか。人間が知識を習得する過程において、サタンは、それが物語の説明であったり、ただ一つの知識を与えることであったり、人間に自分の欲を満たし理想を実現させるようなことであったりと、あらゆる手段を用います。サタンがあなたを導きたい道について、正確に理解していますか。人間は知識を習得することは自然であり、何も悪いことが無いと考えています。おだやかな言い方をすれば、高尚な理想を育むことや、大志を抱くことは、向上心があると言うことであり、それは人生において正しい道のはずである。人間が自らの理想を実現したり、人生において出世できたりするとしたら、そのように生きる方が素晴らしいのではないか。そのようにして自分の祖先に栄誉をもたらすのみならず、おそらく歴史に自分の名を残すことは、良いことではないか。こうしたことは、世俗的な人々から見れば、良いことであり、適切で前向きなことです。しかし、サタンは邪悪な動機をもって、人間をそのような道へと導き、それで良しとするかというと、無論そのようなことはありません。実際には、人間の理想が如何に高尚であったとしても、また人間の願望が如何に現実的であり、適切であったとしても、人間が成し遂げたい事、求める事は、二つの言葉と不可分な関連性がある。その二つの言葉は、人間それぞれの生涯にとって極めて重要であり、サタンが人間に吹き込みたいことです。その二つの言葉とは、何でしょうか。そのひとつは「名声」で、もうひとつは「利得」。二つの言葉とは、名声と利得です。サタンは極めて温和な方法、人間の観念に極めてうまく適合する方法を用います。その方法には、全く過激さが無いのです。人間は、無意識のうちにサタンの生き方や生活の規則を受け入れるようになり、人生の目標や方向性を決定し、またそうすることにより無意識のうちに人生の理想を持つようになります。そうした人生の理想は、どれほど高尚な響きがあったとしても、名声や利得と複雑に関連している建前に過ぎません。偉人や有名人のみならず、全ての人々が人生において従う全ての事柄は、「名声」と「利得」のふたつだけに関連するものです。そうではないですか。人間は、名声と利得を手に入れれば、それを利用して高い地位や莫大な富を堪能し、人生を楽しむことができると考えます。名声と利得を手に入れれば、それを悦楽の追求と不徳な肉の快楽に利用できると考える。人間は、自分が求める名声と利得のために、無意識ではあるが率先して、自分の心身や所有する全ての物事、将来、運命をすべてサタンに引き渡します。人間はこの引き渡しにあたり、実に一瞬たりとも躊躇することが無く、それを奪回する必要性を省みることも一切ありません。このようにして人間がいったんサタンを頼りにし、サタンに忠義を尽くしたなら、人間は自分自身を支配していることができるでしょうか。無論できません。こうした人間は完全にサタンに支配されます。彼らはすっかり泥沼に沈み込んだのであり、そこから抜け出すことは一切不可能です。ひとたび名声と利得の泥沼に陥いると、人間は明るいもの、義なるもの、美しく良いものを求めなくなります。これは、人間に対する名声と利得の魅力が強すぎるため、それが人間にとって人生を通して終わり無く永遠に追求するべきものとなってしまうからです。これが真実ではないですか。「知識の習得とは読書することや知らない事を幾つか習得することで、時勢や世の中に遅れを取らないようにするためである。知識を習得するのは、ただ生活の糧を得るため、自らの将来のため、必需品のためである」と言う人もいます。それでは必需品や食糧の問題を解決するためだけに、十年におよぶ辛い学習を行う人間がいるでしょうか。(いません。)そんな人は一切いません。それでは、辛い学習を長年にわたり続けるのは何故ですか。それは、名声と利得のためです。名声と利得がはるか前方に待っており人を呼んでいるため、自らの勤勉と辛苦と努力をもってその道を進むほか無く、それによって名声と利得を得られるものと信じているのです。自らの将来の道のため、将来の快楽と生活向上のために辛苦を味わう必要があるのです。そんな知識とは、いったい何なのか、わたしに教えてくれませんか。知識とは、人々が知識を習得する過程で、サタンが人々に教えた生活の規則ではないでしょうか。サタンにより人間に吹き込まれた、人生の高尚な理想ではないでしょうか。たとえば、偉人の考えや、有名人の操守さ、英雄の気概、武侠小説の侠客や剣術家の俠骨や親切心を考えてみましょう。(その通りです。)これらは世代を超えて影響を及ぼし、各世代の人々はそうした思想を受け入れて、そのために生活し、永遠にそれを求めるよう仕向けられます。これがサタンが知識を用いて人間を堕落させる方法であり、手段です。サタンが人々をこの道へと導いた後、人々が神を礼拝することはまだ出来ますか。(出来ません。)サタンにより人間に吹き込まれた知識や思想は、神を礼拝することに何か関連していますか。真理に属する何かがありますか。(ありません。)神を畏れ、悪を避けることに関する何かが含まれていますか。(含まれていません。)あなたがたの話しぶりは少し確信が無いようですが、まあいいでしょう。「名声」と「利得」がサタンが人間を邪悪な道へと誘惑するのに用いる二つの重要な語句だと理解しているかぎり、それで十分です。

ここでもう一度簡単に確認します。サタンが人間を虜にし、支配するために使用するものは何ですか。(名声と利得です。)サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために努力し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てる全ての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけます。足かせは人間の身体に付けられ、人間はそれを外す力も勇気もありません。したがって人間は、無意識のうちに足かせをかけられた状態で極度の困難の中を歩んでゆきます。この名声と利得のために、人間は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。人間はこのようにして世代を追うごとにサタンの名声と利得により破壊されてゆきます。サタンの行動を検討すると、サタンの邪悪な動機は、極悪非道ではないでしょうか。(その通りです。)多分あなたがたはいまだに名声と利得なくして生活はあり得ないと考えているので、サタンの邪悪な動機を理解することが出来ないかも知れません。あなたがたは、人間が名声と利得を捨て去ったら、将来が見えなくなり、目標を見失い、将来が暗く陰鬱になってしまうと考えています。しかしゆっくりと、名声と利得はサタンが人間を束縛するために用いる非常に重い足かせであると、やがて分かるようになるでしょう。そのことを理解する時まで、あなたはサタンの支配と、サタンがあなたを束縛するためにもたらす足かせを徹底的に反抗するでしょう。サタンがあなたに吹き込んだ物事の全てを捨て去ることを望むようになる時が来れば、きっぱりサタンと訣別し、サタンがあなたにもたらしたもの全てを心から嫌悪するようになるでしょう。この時になって初めて、あなたは神への真の愛と思慕をもつでしょう。

サタンが人間を堕落させるために知識を使用する方法について述べたので、次にサタンが人間を堕落させるために科学を使用する方法について分かち合いましょう。まず、サタンは科学という名のもとに、人間の好奇心や、科学を探究し、神秘を調査する欲望[a]を満たします。またサタンは、科学の名のもとに、人間の物質的必要性と、生活の質を継続的に向上させる要求を満たします。したがって、サタンは科学という名のもとに、科学を手段として用いて人間を堕落させるのです。サタンが科学を用いて堕落させるのは、人間の思想や精神だけでしょうか。わたしたちに見え、わたしたちが接する人間や出来事、物事のうち、サタンが科学を用いて堕落させるのは他に何があるでしょうか。(自然環境です。)その通り。あなた方はこのためかなり被害を受け、深く影響を受けているようですね。科学や科学による発見や結論を用いて人間を欺くほか、サタンは科学を神が人間に与えた生きる環境を無残に破壊し、濫用する手段としても用いています。サタンはこれにおいては、人間が科学の調査研究を実施すれば人間の生存環境は向上し続け、人間の生活水準も継続的に改善し、さらには、科学の発展は、増え続ける日常生活における物質的要求や人間の生活の質を継続的に改善させる要求を満たすために行なわれるという口実に基づいています。こうした理由が無ければ、なぜ科学を進展させるのか。これが、サタンの科学発展の理論的根拠です。けれど、科学は人間に何をもたらしましたか。人間を取り巻く身近な環境は、どのようなもので構成されていますか。人間が呼吸する空気は汚染されていませんか。人間が飲む水は、今でも本当に純粋ですか。(いいえ。)では、わたしたちが食べる食糧のうち、大部分は自然のものですか。(違います。)それでは、それは何ですか。それは、肥料や遺伝子組み換えにより栽培され、様々な科学的手法による変異が生み出されているので、人間が食べる野菜や果実でさえ、もはや天然ではありません。食用の自然な卵一個見つけるのさえ探し出すのは困難です。その卵も、サタンのいわゆる科学により加工され、かつてのような味はしません。全体像を見ると、大気全体が破壊され、汚染されており、山や湖、森林、河川、海洋その他地上や地下にあるもの全てが、いわゆる科学的進歩により破壊されています。つまり、神が人間に与えた生態系、環境全体が、いわゆる科学により破壊、崩壊されているのです。生活の質に関しては、要求を達成し、欲望と肉体の両方を満たしている人々が多数いますが、人間が生活する環境は、科学によりもたらされた「成果」により根本から破壊され、荒廃しています。屋外や自宅内でさえ汚染されていない空気を呼吸する権利を喪失しています。これは人類にとって、悲しみではありませんか。このような空間で生活することに、何かしら幸福なことがあるでしょうか。人間はこの空間で生活していますが、そもそも当初、この生活空間は人間のために神が創ったものでした。人間が飲む水、呼吸する大気、食べる食糧、植物、樹木や海洋など、この生活環境は、すべて神が人間に与えたものであり、天然であり、神が定めた自然の法則に従う営みを行なっています。仮に科学が存在しなかったならば、神の道に従って、神が人間に与えたとおりに、人間は幸福で、あらゆる物事を最も自然な状態で享受していたでしょう。しかし現在、サタンによりすべて破壊され、損なわれ、人間の生活環境は最も自然な状態では無くなってしまいました。それなのにこの結果を招いた原因や、こうした結果に至った経緯を認識できる者はおらず、さらにサタンにより吹き込まれた思想を用いて科学を理解し、科学の道へと進んでいる。これは極めて忌み嫌うべき哀れなことではないでしょうか。サタンが人間の存在する空間と生活環境を占領し、人間をこのように堕落させ、また人間もこのような状態を継続している今日、地上の人間を神の手により消滅させる必要がありますか。神の手が人間を破壊する必要がありますか。(ありません。)人間がこのような発展を継続するのであれば、どのような方向へ進むでしょうか。(破滅の方向です。)人間は、どのようにして破滅するのでしょうか。名声と利得に対する貪欲な追求に加え、人間は科学的探求や徹底した研究を継続しており、自らの物質的欲求や肉の欲を絶え間なく満たしていますが、人間の結末はどのようなものになるのでしょうか。第一に、生態系の均衡が失われ、それに伴い人間の身体はそうした環境により汚染され、害を受けるとともに、様々な感染症や伝染病は随所に蔓延しています。これは、もはや人間には制御できない状況です。そうではありませんか(そうです。)それを理解した上で、人間が神に付き従わず、こうして常にサタンに付き従い、知識により継続的に自らを豊かにし、科学により絶え間なく人間の生活の将来を探求し、このような方法によっていき続けたなら、人類の自然な結末がどうなるかを認識することができますか。自然な結末は、どうなるでしょうか。(破滅です。)そう、破滅です。一歩ずつ破滅へと向かっているのです。一度に一歩ずつ破滅へと向かっているのです。科学とは、人間が物事を判断する際に五里霧中となり、いくら目を凝らしても明瞭に見ることが出来ず、いくら努力しても理解できなくなるようにするために、サタンが人間のために作った秘薬のようなもののようです。しかし、サタンは依然として科学の名のもとに人間の欲望を刺激し、機先を制して人間を意のままに服従させ、地獄と死へと導こうとしています。そうではありませんか。(はい。)これが二番目の方法です。

では三番目の方法とは。それはサタンが伝統文化を用いて人間を堕落させることです。伝統文化と迷信には、多くの類似点がありますが、具体的な伝説や暗示、典拠などがあるのは、伝統文化のみです。サタンは民間伝承や歴史書にある物語を数多く作り上げて、人間に伝統文化や迷信の登場人物などを深く印象付けています。例としては、中国の八仙過海、西遊記、玉皇大帝、ナーザの大暴れ、封神演義など。これらの例は、人間の心に深く根ざしていませんか。あなたがたのうちには詳細をすべて把握していない人もいるでしょうが、あらすじは知っており、そうした内容の概要が心や頭に残って忘れることが出来ないのです。これらの例は、サタンがはるか昔に人間向けに作り、サタンの様々な思想や伝説を異なる時期に何度となく流布してきたものです。こうした事柄は人間に直接的な危害を加え、人間の魂を蝕み、人々に次々と呪文をかけます。つまり、こうした伝統文化、伝説、迷信から生まれた事柄を受け入れ、こうした事柄が頭の中で確立された存在となり、心から離れなくなった時点で、それは呪文のようなものとなり、そうした文化、思想、伝説に捕らわれ、影響されるようになるのです。こうした事柄は、生活や人生観、物事の判断力に影響を与えます。とりわけ、人生における真の道の追求に影響を与えるので、これはまさしく呪文です。その呪文を捨て去ろうとしても捨てられず、切っても切り捨てられず、打っても打ち倒すことが出来ない。そうではないですか。(その通りです。)さらに、人間が無意識のうちにこの種の呪文にかかった場合、人間は知らぬうちにサタンを信仰するようになり、心の中にサタンの像を育てます。つまり、サタンを偶像、崇拝対象として、過度の場合は神としみなします。こうした物事は人間の心に無意識のうちに存在し、人間の発言や行動を支配します。さらに、あなたはこうした物語や伝説を虚偽とみなしますが、そのうちその存在を無意識のうちに認め、そこから実在の人物を作り出し、実在する物事に変えていきます。あなたは、無意識の領域で、これらの思想や物事の存在を受け入れるのです。また、あなたは無意識のうちに悪魔、サタンそして偶像を自宅や心に受け入れるのです。これはまさしく呪文です。あなたがたも、そう感じませんか。(感じます。)あなたがたのうちに、香を焚いて仏陀を崇拝したことのある人はいますか。(はい。)それでは、香を焚いて仏陀を崇拝した目的は何でしたか。(平安を祈ることでした。)今、考えてみれば、サタンに対して平安を祈るのは愚かなことではありませんか。サタンは平安を与えますか。(与えません。)当時のあなたがたは無知だったのですか。(無知でした。)そのようなやり方は不合理であり、無知でうぶなことですね。サタンは人間を堕落させることのみを考えているので、平安を与えることはありえず、束の間の休息を与えるのみです。しかし、あなたはサタンに忠誠を誓わねばならず、約束やその誓いを破った場合、それがいかにあなたを苦しめることになるかを思い知るでしょう。あなたに誓わせることにより、サタンは実はあなたを支配したいのです。あなたがたが平安を祈った時、平安を得ましたか。(いいえ。)平安を得なかったし、逆に不幸や終わりの無い災難やたくさんの悲惨な出来事が、まさに際限の無い辛苦の大海原のごとく起こりました。サタンの領域に平安は無い、というのが真実です。これは、封建的な迷信と伝統文化が人類に与えた悪影響の結果です。

最後の問題は、サタンが社会動向を利用して人間を堕落させることです。この社会動向には様々なものがあります。「それは衣服のことですか。最新ファッションや化粧品、ヘアスタイルやグルメに関することですか」などと言う人がいます。社会動向とは、そうした物事に関することですか。それらも社会動向の一部ですが、ここでそうした物事については取り上げません。ここでは、社会動向が人間にもたらす考えや、社会動向が世間における人間の行動にどう影響するか、そして社会動向が人間にもたらす人生の目標や人生観についてのみ話し合います。社会動向は、人間の精神状態を支配し、影響を与えることがあるので、極めて重要です。こうした社会動向には、それぞれに人間を継続的に退化させ、良心、人間性、理知を失わせ、人間の倫理や人格をますます低下させる邪悪な影響があり、それゆえ現在、大部分の人々に誠実さや人間性、良心、さらには理知さえ欠如している状態にまで達しているとさえ言えるほどです。それでは、そのような社会動向とは何なのでしょうか。それは裸眼では見ることが不可能です。社会動向が席巻すると、その創出者となるのはごく僅かな人たちです。その人たちは、ある種の行動を始めたり、ある種の考え方や物の見方を受け入れたりして始めます。しかし大部分の人々は、無意識のうちに、そうした社会動向に継続的に汚染され、捕らわれ、魅惑され、やがてそれを知らず知らずのうちに、無意識のうちに受け入れるようになり、それに呑み込まれて支配されるようになります。こうした社会動向で、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの区別が出来ない人間は、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、価値観を次々と進んで受け入れてしまいます。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが教えることや、サタンにより「授けられた」生活の道を受け入れます。彼らには強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏しているのです。それでは、そんな社会動向とは一体何でしょうか。あなたがたが理解できるように簡単な例を選びました。例えば、過去の人々は老人も若者も騙すことなく、また買い手を問わず同じ価格で商品を販売する形で、商業を営んでいました。ここに一抹の良心と人間性が感じられませんか。人間がこうした信条に従って商業を営んでいた頃、それは人間にはある程度の良心や人間性があったと言うことを示しています。しかし、人間が要求する金額が増加を続けるにつれて、人間は知らぬ間に金銭や利得、快楽をますます愛するようになりました。その結果、人間は金銭を一層重要であると考えるようになりましたか。人間が金銭を一層重要視するとき、人間は知らぬ間に自分自身の評判や名声、信望や人格を無視するようになるのです。そうではりませんか。商業を営むと、他の人々が様々な方法や手段により人々を騙して裕福になるのを見ます。稼いで得た金銭は不正手段による利得ですが、人々はますます裕福になってゆきます。こうした人々は、あなたと同じ商業を営んでいますが、彼らの家族全体はあなた以上に人生を楽しんでいるので、あなたは気分が悪くなり、「自分も同じように出来ないのは何故だろう。あの人たちのように稼げないのは何故だろう。もっと稼ぐ方法を考えて、商業を繁栄させる必要がある」などとつぶやくのです。そしてあなたは、そのことを熟考します。老人や若者を騙すこと無く、誰にでも同じ金額で販売するという、金銭を得る通常の方法に従えば、取得した金銭は良心によるものですが、すぐに裕福になることは出来ません。しかし、利益を得る衝動に駆られると、考えが徐々に変化してゆきます。この変化の過程において、行動原則も変化し始めます。誰かを初めて欺く時、誰かを騙す時、あなたは自分に対する条件を付け、「人を騙すのはこれが最後、二度としない。人を騙すことはできない。人を騙すと、その報いを受けて災難が降りかかるだけ。だから人を騙すのは、これで最後にして、二度としない」などと言うのです。初めて人を騙す時、あなたの心は躊躇があります。これが人間の良心の機能です。ためらいと自分自身に対する非難のために、誰かを騙すと不自然に感じられるのです。しかし、誰かを騙すことに成功すると、以前よりも多くの金銭を持っていることに気付き、その方法が極めて利益性の高いものとなり得ると考えます。心に鈍い痛みがあるものの、あなたは自分の「成功」を祝い、自分自身に対して多少満足した気分になります。そこで初めてあなたは、自分の振る舞いと欺瞞行為を是認します。ひとたび人間がこの不正行為により汚されると、賭博に手を出してギャンブラーになってしまう人と同様です。無意識のうちに、自分の不正行為を是認し、容認します。無意識のうちに、不正は正当な商業行為であるとみなし、生存と生活のための最も便利な手段であると見なし、不正により迅速に裕福になることができると考えます。この過程の最初の時点では、人間はそんな行為を受け入れることは出来ず、その行為や方法を侮蔑しますが、ひとたびそれを直接に経験し自分自身で試すと、心は次第に変わり始めます。この変化は何でしょうか。それは、この動向を是認すること、この社会的動向により自分の内に浸透した考え方を是認することです。気付かぬうちに、あなたは商業で不正を行わなかったなら、損失が生まれ、何かを失うと感じるようになります。気付かぬうちに、不正が自分の魂となり、大きな柱となり、また自分の人生において不可欠な法則の一種となります。人間がこの行動と考え方を受け入れた後、人間の心は変化するでしょうか。あなたの心が変化してしまったら、人格も変化してしまっているのでしょうか。あなたの人間性は変化してしまっているのでしょうか。(変化してしまっています。)あなたの良心は、変化してしまっていますか。(はい。)心から思考まで、人の全体が質的な変化を遂げ、最終的に内側から外側に変わってしまいます。この変化により、あなたは神から次第に遠ざかって行き、次第にサタンに服従し、サタンに似てくるようになるのです。

これらの社会的動向は、あなたがたにとって今では分かりやすいものです。簡単で、人々にとって身近でよく見られる一般的な例を挙げました。これらの社会的動向は、人間に大きな影響を及ぼしますか。(はい。)これらの社会的動向は、人間に深刻な悪影響を及ぼしますか。(はい。)人々にとって、極めて深刻な悪影響です。サタンは、こうした社会的動向を次々と用いて、人間の何を堕落させますか。(良心、理知、人間性、倫理です。)他には。(人間の人生観です。)社会的動向は人間の漸進的退廃をもたらしますか。(はい。)サタンはこうした社会的動向を用いて、少しずつ人間を誘惑して悪の巣窟へと誘い、社会的動向に捕らわれた人間は、気付かぬうちに金銭や物欲、邪悪と暴力を擁護するようになります。ひとたびこうした物事が人間の心に入ると、人間はどうなりますか。人間は邪悪なサタンと化すのです。それは、人間の心のどのような心理的傾向に起因しますか。人間は何を擁護しますか。人間は邪悪と暴力を好むようになるのです。人間は美や善を嫌い、またそれ以上に平和を嫌います。人間は通常の人間性による質素な生活を送ろうとせず、高い地位や大きな富を得ることを望み、肉の享楽に耽溺し、自分の肉を際限も制約もなく満足させるために努力を惜しまず、すなわち自分の求めるあらゆる事を行います。それならば、人間がこうした動向に没頭した場合、取得した知識はあなたが自由になるのに役立ちますか。あなたが知る伝統文化や迷信は、この窮地を投げ捨てるのに役立ちますか。人間が把握している伝統的な倫理や儀式は、人間が自制する上で役立ちますか。例として、『三字経』を考えてみましょう。三字経は、人間がこうした社会動向の泥沼[b]から抜け出す上で、役立つことがありえますか。(ありえません。)このように、人間はますます邪悪で、傲慢で、尊大で、自己中心的で悪意に満ちてゆきます。人間同士の愛情も家族同士の愛情も無くなり、親戚や友人同士の理解も無くなり、人間関係は暴力に満ちたものとなっています。誰もが暴力的方法を使用して、他の人間のそばで生活することを望み、自分自身の生活を確保するために、暴力を使います。地位や利益を得るためにも暴力を用い、また暴力や邪悪な方法を用いてしたい放題です。このような人類は恐ろしいものではないですか。(その通りです。)今わたしが述べた事を聞いて、サタンが堕落させたこのような人々や世界、環境の中で暮らすのは恐ろしいと思いませんか。(思います。)それでは、あなたがたは自分達が哀れだと感じたことはあるでしょうか。今、少々そのように感じているはずです。(はい。)あなたがたの口調からすると、あなたがたは「サタンは実に様々な方法で人間を堕落させている。サタンはあらゆる機会を捉え、あらゆる所に存在する。それでも人間は救われることができるだろうか」と考えているようです。それでも人間は救われることができるでしょうか。人間は自分自身を救うことができるでしょうか。(できません。)玉皇大帝は人間を救うことができるでしょうか。孔子は人間を救うことができるでしょうか。觀世音菩薩は人間を救うことができるでしょう。(できません。)それでは、誰に人間を救うことができますか。(神様です。)しかし、一部の人々は心の中に疑問を抱いて、「サタンは人間を極めて激しく害しているので、わたしたちには生きていく希望も自信もない。人間は皆堕落のただ中で生活し、いずれにしても誰もが神を拒否している。今や、人間の心は落ち込めるところまで落ちてしまった。サタンが人間を堕落させている間、神はどこにいるのか。神は何をしているのか。神が人間のために何をしているとしても、人間にはそれを感じることができない」と思います。一部の人々はどうしても意気消沈し、ある程度落胆します。あなたがたにとって、この気持ちは極めて深いものです。なぜなら、わたしがずっと述べていることは、皆に徐々に理解させ、希望が無いことをますます強く感じさせ、神に見捨てられたとますます強く感じさせるためだからです。しかし、心配は無用です。今日の主題「サタンの邪悪さ」は、わたしたちの真の主題ではありません。とは言え、神の聖なる本質を議論するためには、まずサタンがどう人間を堕落させるのかやサタンの邪悪さについて議論し、人間が現在置かれている状況を明確にする必要があります。これらの事を議論する目的のひとつは、人間がサタンの邪悪さを理解することであり、もうひとつは、真の聖さとは何かを一層深く理解出来るようにすることです。

わたしがここまで話した事は、前回よりもはるかに詳細なものですか。(はい。)それでは、あなたがたの認識は深まりましたか。(はい。)多くの人が今、神の聖さとは、正確には何なのかについて述べて欲しいと望んでいることは承知していますが、わたしが神の聖さについて述べる時、わたしはまず神の行なう業について話します。その後で神の聖さとは正確には何なのかをあなたがたに尋ねますので、注意して聞いてください。わたしは、あなたがたに直接述べず、あなたがたに自分で理解してもらいたいので、そのための余地を与えます。このやり方をどう思いますか。(良いと思います。)それでは注意して聞いてください。

サタンが人間を堕落させるとき、あるいは留まることを知らない危害を加えるとき、神は何もせず傍観することも、神の選民を無視したり、見て見ぬふりをしたりすることもありません。サタンが行うことは、神にとって全て明瞭であり、神はその全てを理解しています。サタンが何をしても、サタンがどのような動向を引き起こしたとしても、神はサタンが何をしようとしているかを知っており、神はその選民を見捨てることは無いのです。神は、その代わりに、誰の気を引くこともなく、秘密裏に、静かに、必要なことすべてを行います。神が誰かに対して働き始める時、誰かを選ぶ時、神はそれを誰にも告げず、またサタンに告げることも無ければ、それを誇示することが無いのは、なおさらです。神は静かに、そして自然に必要なことを行うのみです。まず、神はあなたの家族を選びます。家族の背景はどのようなものか、あなたの両親や祖先は誰かといった事柄は、既に神により決定されています。つまり、そうした事柄は神が取り急ぎ決めたことではなく、遠い過去に始まった業です。神があなたの家族を選ぶと、神はあなたが生まれる日を選びます。今、神はあなたが産声を上げてこの世に生まれて来るのを、あなたの誕生を見、あなたが最初の言葉を口にするのを見、あなたが躓きながら歩くことを覚えるのを見ています。あなたは最初の一歩を踏み出し、その後もう一歩を踏み出し、今では走ったり、跳んだり、話をしたり、自分の感情を表現できます。こうして人間が成長するにつれて、サタンの眼差しは獲物を睨む虎のように、人間ひとりひとりに注がれています。しかし神は働く時、人間や出来事、物事、場所、時間の制限を受けることが一切無く、神が行うべきこと、行なわなくてはならないことを行います。成長過程において、人が自分が好まない物事や疾病、挫折に遭遇することがあります。しかし、その道を進む時、あなたのいのちと将来は、完全に神の慈しみのもとにあります。神は、人生全体にわたってあなたの傍らにあり、あなたを守り、見守るという真の保証をあなたに与えます。あなたは、それを知らずに育ちます。あなたは新たな物事に接し、この世の中と人間を知るようになります。あなたにとってすべてが新鮮です。あなたは自分のことや、好きなことをするのを好みます。あなたは自分の人間性と生活環境の中で生活し、神の存在については一切の認識をもちません。それでも神はあなたが成長し、前進してゆく過程のすべてを見ています。あなたが知識を習得したり、科学を学習したりしている時でさえ、神はあなたの側から一歩も離れることが無いのです。あなたは、他の人々と全く同様に、世界を知り、世界と接触するなかで、あなた自身の理想を確立し、趣味を持ち、興味の対象を持ち、高尚な大志を抱くようになります。あなたは、自分の将来について頻繁に思索し、自分の将来がどうなるかを思い描きます。しかし、その過程で何があったとしても、神は全てをはっきりと見ています。あなたは自分の過去について忘れたかもしれませんが、神以上にあなたを深く理解している者はありません。あなたは神の見守る中で生活し、成長し、成熟します。この間、神の最も重要事項は、誰も気付くことができず、誰も知らないことです。神がそれについて、あなたに伝えることは当然ありません。その最も重要な事とは何でしょうか。知っていますか。(人々を神の前に来させることです。)それでは、人々を神の前に来させるため、神は何をするのでしょうか。神は人々をいつ神の前に来させますか。知っていますか。それは神の主要事項ですか。それは神の行なう最も重要なことですか。それは、神がある人間を救うという保証であると言えます。つまり、神はその人を救うことを望むので、神はそれを行う必要があり、その務めは人間にとっても神にとっても極めて重要なのです。知っていますか。あなたがたは、このことについて実感や概念が全く無いようなので、わたしが話します。あなたが生まれた時から現在に至るまで、神はあなたに対して多くの働きを行なってきましたが、神が行ったことを全て詳しく伝えることはありません。神はあなたに知らせることはなく、あなたに伝えませんでした。しかし、人間にとって、神の行いは全て重要です。神にとって、それは行うべき事です。神の心中には、神がなすべきことで、それらよりも遙かに重要なことがあります。何でしょうか。それは、人間が生まれてから現在に至るまで、神は人間ひとりひとりの安全を保証する必要があるということです。これを聞いても、あなたがたは完全に理解できないと感じ、「その安全とは、それほど重要なものなのか」と言うかも知れません。「安全」という言葉の文字通りの意味は何ですか。あなたがたは、それを平安である、災害や災難に遭遇することが無いことである、良い生活を送ることである、普通に生活することであるなどと理解しているでしょう。しかし、安全とはそれほど単純なものではないということを、あなたがたの心中で知らなければなりません。それでは、わたしがこのように話している、神が行うべきこととは一体何でしょうか。安全は、神にとって何を意味するのでしょうか。本当にあなたがたの安全の保証のことでしょうか。ちょうど現在のように。いいえ。それでは、神が行なうことは何でしょうか。この安全とは、あなたがサタンにより食い尽くされない、ということなのです。これは重要ですか。あなたはサタンに食い尽くされていませんが、そうであれば、これはあなたの安全に関連するでしょうか。これはあなた個人の安全に関わり、それよりも重要な事はありません。サタンにより食い尽くされたなら、あなたの魂も肉も、もはや神に属しません。神はあなたをもはや救いません。神はそうした魂や人々を見捨てるのです。ですから、神が行うべき最も重要なことは、あなたの安全、あなたがサタンに食い尽くされないことを保証することだと言うのです。これは極めて重要ではありませんか。それでは、あなたがたはなぜ回答できないのですか。あなたがたは、神の大いなる優しさを感じることができないようですね。

神は、人間の安全を保証すること、サタンに食い尽くされないことを保証すること以外にも、さらなることを行います。神は、誰かを選んで救う準備のために、数多くの働きを行います。まず、あなたはどのような性格か、どのような家庭に生まれるか、両親は誰か、兄弟姉妹は何名いるか、家庭の状況と経済的地位はどのようなものか、あなたの家庭状況はどうかなどは、神があなたのために、苦心して用意しました。あなたがたは、神の選民の大部分が、どのような家庭に生まれているかを知っています。名門の家庭でしょうか。そんな家も数件あるかも知れません。全くないとは断言できませんが、極めて少ないです。百万長者、あるいは億万長者など極めて裕福な家庭でしょうか。その種の家庭はまずほぼありません。それでは、神がそれらの人々のために用意するのは、どのような家庭でしょうか。(普通の家庭です。)それでは、普通の家庭とは、どのようなものですか。専ら労働者の家庭です。労働者は賃金に依存して生活し、基本的な必需品を購入することができます。労働者家庭は何があってもあなたを飢えさせることはありませんが、物質的必要性を全て満たすことは期待できません。また農家の家庭もあります。農家は作物の栽培に食糧を依存し、食糧として穀物があるので何があっても飢えることは無いですが、良い衣服はありません。また、事業や小規模商業を営む家庭や、両親が知能労働者である家庭などがあり、それらもまた普通の家庭と見なせます。また両親が事務職に従事する場合や、下級公務員である場合もあり、それらも名門とは見なすことはできません。多くの人々は普通の家庭に生まれ、それもまたすべて神が用意したことです。つまり、あなたの生活する環境は、あなたが想像するような資産家の家庭ではなく、神があなたのために決めた家庭であり、大部分の人々が、こうした家庭の制約範囲内で生活します。ここでは、例外は取り上げません。それでは、社会的地位はどうですか。ほとんどの場合、両親の経済状況は平均的であり、社会的地位は高くありません。彼らにとっては、職があるだけで十分です。長官はいるでしょうか。それでは総裁はいますか。(いません。)地位が高かったとしても、小企業の経営者や下位管理職にとどまり、社会的地位は中間で、経済状態は平均的です。もう一つの要素は家庭の生活環境です。まず、自分の子どもに影響を与えて易断や運勢判断などの道へ進ませる両親は極めて少ないか全くいません。大部分の両親は極めて普通であり、あなたがたに似ています。神は人間を選択すると同時に人間のためにこうした環境を用意しますが、それは神が人間を救う働きに大いに有益です。外面的には、神は人間のために何ら劇的なことをしていないように見えますが、神は全てを秘密裏かつ謙虚に、そして静かに行うからです。しかし実際には、神がすることは全て人間の救いのための基盤を築き、将来の道を用意し、救いに必要な全ての条件を用意するためのものです。神は、各人に指定された時間になると即時に人々を神の前に戻します。あなたが神の声を聞く時が来ると、それはあなたが神の前に行く時です。その時、ある者は既に人の親となり、ある者はまだ誰かの子のままです。換言すると、既に結婚して子をもうけた人もいれば、独身のままで自分の家庭を持っていない人もいます。しかし、人々の状況を問わず、神はあなたが選ばれる時期、神の福音と言葉があなたに届く時期を、既に決定しています。神は、あなたが神の言葉を聞くことができるよう、既に状況を設定し、あなたに福音をもたらす特定の人物や状況を決定しています。神は、あなたが知らないうちに神の前に来て神の家に戻るよう、必要とされる全ての条件を既に用意しています。また、あなたは知らないうちに神に付き従い、神があなたのために段階ごとに用意した、段階的な働きに入っていきます。神がこの時人間のために物事をおこなうのにはどのような方法があるのでしょうか。まず、神が最低限度として行うのは、人間が享受する慈悲と保護です。神は、人間が神の存在と神による業をそこに見出せるように、様々な人々や出来事、物事を用意します。たとえば、家族が病を患っているために神を信仰する人がいて、「家族が病気だが、いったいどうしたらよいのか」と言ったとします。誰かが「主イエスを信じよ」と言い、それゆえに神を信仰するようになります。その信仰は状況が原因となって生まれました。それでは、この状況を用意したのは、誰ですか。(神様です。)この病により、若い者も年老いた者も全員が信者である家庭が存在する一方で、信仰する者としない者がいる家庭も存在します。外見上は疾病のために神を信じるようになったけれど、実はその疾病は神の前へと行くように、あなたに与えられた条件であり、すなわちそれは神の優しさです。ある人々は、家庭生活が困難で平安を見出すことができないために、誰かが福音を伝える機会が訪れ、その誰かが「あなたの家庭には困難がある。主イエスを信じよ。主イエスを信じれば、平安が訪れる」と言います。その後、無意識のうちに、この人は極めて自然な状況下で神を信じるようになります。これは一種の条件ではありませんか。(その通りです。)それでは、その人の家庭に平安がないというのは、神がその人に与えた恵みではないですか。(その通りです。)それ以外の理由で神を信じるようになる人々もいます。信仰には様々な理由や在り方がありますが、神を信じるようになった理由がどのようなものであれ、実際には、それは全て神が用意し、導いたものなのです。最初、神は様々な方法であなたを選び、あなたを神の家に連れてきます。これが神があらゆる人に与える恵みです。

今は終わりの日における神の働きの時となり、神はもはや最初のように恵みと祝福を人間に与えるのみではなく、また人間をなだめることもありません。この働きの間に、人間は経験した神の働きのあらゆる側面から何を認識したでしょうか。人間は、神の愛と神の裁きと刑罰を認識したのです。この時、神は人間にさらに施し、支援し、啓き、導き、人間は次第に神の意図と語られる言葉、そして神が人間に与える真理を理解するようになります。人間が弱く、落胆し、よりどころとするものを失った時、神は言葉により人間を慰め、忠告し、励ますので、霊的背丈の小さな人間は次第に自分の力を見出し、前向きに立ち上がることができ、神と協力することを望むようになります。しかし、人間が神に従わなかったり、神に抵抗した場合、あるいは自分自身の堕落を表した場合、神は容赦なくそうした人々を懲らしめ鍛錬します。しかし、人間の愚かさ、無知さ、弱さ、未熟さに対し、神は寛容と忍耐を示します。このように、神が人間に対して行う全ての働きにより、人間は次第に成熟し、神の意図や真理の一部を知り、肯定的な物事や否定的な物事、邪悪とは何か、闇とは何かを知るようになります。神は人間を常に懲らしめ、鍛錬するとは限らず、また常に寛容と忍耐を示すとは限りません。むしろ、神は各人に対し、異なる方法で、様々な段階において、人間の様々な霊的背丈や能力に応じて施すのです。神は、人間に対して多くのことを行い、大きな代償をはらいます。人間はその代償や業を認識することは無いものの、神のすることはすべて人間ひとりひとりに対して実際に行われています。神の愛は実際します。神の恵みにより、人間は災害を次々と回避する一方で、人間の弱さには、神は何度となく寛容を示します。神の裁きと刑罰により、人間は人類の堕落とサタンのような本質を次第に認識するようになります。神が与える物事、神が人間の目を開くこと、そして神による導きにより、人間は、真理の本質、人間に必要な物事、自分が進むべき道、人生の目的、自分の人生の価値と意味、将来へと進む方法をますます知ることができるようになります。こうした神の業は、神の唯一の元来の目的と不可分です。それでは、その目的とは何でしょうか。あなたがたは知っていますか。神がそのような方法で人間に対する働きを行うのは、何故でしょうか。神はどのような結果を実現しようとしているのでしょうか。言い換えれば、神は人間に何を見、人間から何を得たいのでしょうか。神は、人間の心が蘇ることを見たいのです。神がこのようにして人間に対して働きを行うのは、継続的に人間の心を目覚めさせ、霊を目覚めさせ、人間がどこから来たのか、人間を導き、支え、また人間に与え、人間の存在を現在まで維持しているのは誰かを認識させるためであり、創造主は誰であるか、誰を礼拝すべきか、人間はどのような道を歩むべきか、人間はどのようにして神の前に来るべきかを人間に認識させるためです。こうした方法が用いられるのは、人間が神の心を知り、理解し、神の人間を救う働きの背後にある大いなる慈しみと思いを理解するように、人間の心を次第に蘇らせるためです。人間の心が蘇ると、人間は退廃し堕落した性質の生活を送ることを望まなくなり、その代わりに神が満足する真理を求めることを望むようになります。人間の心が目覚めると、人間はサタンと完全に訣別できるようになり、サタンによる危害を受けなくなり、サタンにより支配されることも騙されることも無くなります。その代わりに、人間は神の働きと言葉に積極的に協力して神の心を満足させることができ、神を畏れ、悪を避けることができるようになります。これが神の働きの元来の目的です。

サタンの邪悪について話し合ったときは、人間の生活は極めて不幸であり、人間の生活は不運を極めていると皆に感じさせました。しかし、神の聖さと神の人間に対する働きについて話した今では、あなたがたはどのように感じますか。(非常に幸福です。)神の行なう全てや、人間に対して神が慎重に用意する物事が全て完璧であることが分かりました。神が行なうことには誤りがありません。つまり、非の打ち所がなく、誰の修正も、助言も、変更も必要ないのです。個々の人間のために神が行なうことには、疑問の余地が無く、神はあらゆる者の手を引いて導き、あなたを常に見守り、あなたの傍らを決して離れません。このような環境と背景の元で人間が成長するとすれば、実際のところ人間は神の手の中で成長すると言えるのではないですか。(はい。)それでは、あなたがたは依然として喪失感を抱いていますか。(いいえ。)落胆している人はいますか。(いません。)神は人類を見捨てたと感じる人はいますか。(いません。)それでは、神は一体どのような働きを行いましたか。(神は人間を守られます。)神の働きの背後にある大いなる心と慈しみには、疑問の余地がありません。さらに、神がこの働きを行なう間、神は、神があなたのために負う代償をあなたが知り、それゆえ神に対して深謝するようにと、何らの条件や要求事項もあなたがたのうちの誰にも出したりすることはしなかった。神はかつてそのようなことをしたことがありますか。(ありません。)基本的に、長い人生の中では、誰もが数多くの危険な状況や誘惑に遭遇します。これは、あなたの傍らには、常にサタンが存在し、あなたを見据えているからです。サタンは、あなたが災害に見舞われたり、災難が降りかかったり、何事もうまくいかなかったりすることを喜び、また、あなたがサタンの罠にかかることを喜びます。しかるに神は、常にあなたを守り、次々起こる逆境や災難からあなたを守ります。これが、平安や喜び、祝福、身体の安全など、人間が持つものは、実際のところ全てが神の支配下にあり、神が各人の人生と運命を導き、決定する、とわたしが言う理由です。しかし、一部の人々が言うように、神は自分の地位について仰々しい概念を持っており、「わたしは最も偉大な存在であり、わたしがあなたがたを支配している。あなたがたは全員わたしに慈悲を請わなければならず、わたしに従わない者は死をもって罰とする」などと言うのでしょうか。神はかつて、このように人間を脅迫したことがありますか。(ありません。)神は、これまでに「人類は堕落しているので、わたしが人間をどのように好き勝手に扱ってもどうでもよい。人間に対して周到な用意を行う必要は無い」などと言ったことがありますか。神はこのように考えるでしょうか。(いいえ。)神がそのように行動したことがありますか。(ありません。)それとは反対に、神による人間それぞれに対する処遇はまじめで責任感があり、あなたが自分自身に対するよりも責任感に溢れています。そうではないですか。神は無益に言葉を述べることも、尊大に振る舞うことも、人々を欺くこともありません。その逆で、神は誠実かつ静かに、自身が行うべきことを行います。それらの業は人間に祝福、平安、喜びをもたらし、人間を平安かつ幸福のうちに神の前へと来させ、神の家へと連れて行き、人間が神の前に行き神の救いを受けるために必要な、正しい理知、思考、判断、心構えを人間に与えます。それならば、神はその働きにおいて他意があったことがありますか。(いいえ。)かつて神が人間に対して親切を装い、少々の愛想のよい言葉で慰めた後に裏切ったことがありますか。(ありません。)かつて神が、あることを述べ、それと一致しないことを行ったことがありますか。(いいえ。)かつて神が、これをしてあげよう、あれをするのを助けてあげようと空虚な約束をし、豪語した上で消え去ったことがありますか。(ありません。)神には、狡猾さや偽りがありません。神は信実で、神のすることはすべて真実です。神は、人間が信頼し、自分の人生などの全てを託すことのできる唯一の存在です。神には狡猾さが無いのであれば、神は最も真摯な存在であると言えますか。(はい。)当然言えます。今このような言葉で神を叙述すると、言葉が無力であり、人間的でありすぎるものの、人間の言語の制約があるため、どうすることもできません。ここで神を真摯であるとするのは僅かに不適ですが、当座はこの語を用います。神は信実かつ真摯です。それでは、こうした側面について話すことは、何を意味しますか。神と人間の相違点や、神とサタンの相違点ですか。そう言うこともできます。なぜなら人間は、サタンの堕落した性質を全く神に見出すことができないからです。そう言って間違いないですか。これにアーメンと言って貰えますか。(アーメン!)サタンの邪悪さが神において明らかにされることを見る事は決してありません。神が行ない明示する事柄は全て人間にとって有益であり、役立つものであり、人間に施すために行われ、いのちに満ちあふれ、人間に対して進むべき道と方向性を与えます。神は堕落しておらず、さらに神のすること全てを検討すると、神は聖なる存在であると言えますか。(はい。)神には人類の堕落が一切不在であり、堕落した人類の性質やサタンの本質と僅かにでも類似していたり同一であったりするようなものは一切無い。この観点から、神は聖なる存在であると言うことができます。神が堕落を示すことはありません。神自身が聖であることは、その働きにおける本質の明示により十分確認することができます。このことが理解できますか。では神の聖なる本質を今、知るために、しばらく次の二つの側面について検討しましょう。①神には堕落した性質が全く無い、②人間に対する神の働きの本質により、人間は神自身の本質を理解することができ、この本質は完全に肯定的であること。一つひとつの神の働きが人間にもたらすものは、全て肯定的であり、まず、神は人間が誠実であることを要求します。これは肯定的ではないでしょうか。神は人間に知恵を与えます。これは肯定的ではないですか。神は人間が善と悪を見分けることができるようにします。これは肯定的ではないですか。神は人生の意味と価値を人間に理解させます。これは肯定的ではないですか。神は人間に人々、出来事、物事の本質を真理に従って理解させます。これは肯定的ではないですか。(はい、そうです。)これら全ての結果として、人間はサタンに騙されたり、危害を加えられたり、支配されたりすることが無くなります。つまり、人間はサタンの堕落から完全に解放され、したがって神を畏れ悪を避ける道を徐々に歩むことができます。あなたがたはこの道をどの程度歩いてきましたか。言いにくいのではないでしょうか。しかし、少なくともあなたがたには、サタンが人間を堕落させる方法や、何が邪悪であり、何が否定的な物事かに関して初歩的な知識がありますか。(はい。)その初歩的な知識により、あなたがたは少なくとも正しい道を歩んでいます。そう言えますか。(はい。)

神の聖さについての話はこれで終わりにしますが、これまで聞いたり学んだりしたことから、神の聖さが何であるかを述べることができる人はいますか。わたしの言う神の聖さとは、何を指しますか。暫く考えてください。神の真実性は、神の聖さですか。神の誠実さは、神の聖さですか。神の無私さは、神の聖さですか。神の謙虚さは、神の聖さですか。神の人間への愛は、神の聖さですか。神は人間に真理といのちを無償で与えます。これは神の聖さですか。(はい。)神が顕すことは、全て唯一無二であり、堕落した人間には存在せず、それを見出すこともできません。サタンが人間を堕落させる過程や、サタンの堕落した性質やサタンの本質や本性では全く見ることができないものです。神のもつもの、神であるものは、すべて唯一無二であり、そうした本質を持つのは、神自身のみです。ここまでの話を踏まえ、あなたがたのうち、これほど聖なる人間を知っている人はいますか。(いません。)あなたがたが人類で崇拝する有名人や偉人、偶像のうち、これほど聖なる存在はいますか。(いません。)それでは、神の聖さは唯一無二であると言うことができますが、神はそれを真理とともに名前においても具現していますか。(はい。)その通りです。これらに加えて、実際面もあります。今、わたしが述べている聖さと、あなたがたが以前考え、理解、想像していた聖さには、差がありますか。(はい。)どの程度の差ですか。(とても大きいです。)とても大きいとはどれくらい大きいのですか。人間が聖さを議論する場合、あなたがたの言葉で説明すると、しばしばそれは何を意味するものであろうか。(何らかの外見的振る舞いのことです。)振る舞いや何かを描写するために、人間は聖なる何かと言います。ではその「聖なる」という叙述は、理論ですか。それはただ清潔できれいで、人間にとって見かけや響きが良いもので、聖さの実際的な内容が無い物です。これは理論です。さらに、人間が考える「聖さ」の実際面は何を指していますか。それはおもに人間の想像や判断によるものですか。たとえば、仏教徒には修行中、座して寝ている時に死ぬ人がいます。こうした死者は聖なる存在となり、天国へと飛び立ったと言う人がいます。これも想像の一種です。また、天国から舞い降りる妖精が聖なる存在であると考える人がいます。実際には、人間の「聖なる」という言葉の概念は、従来から基本的に実際的な内容の無いうつろな想像と理論であり、また聖さの本質とは無関係のものです。聖さの本質は真の愛ですが、それ以上に真理や義、光の本質なのです。「聖なる」という言葉は、神に用いられた時のみ適切であり、創造物のうちで聖なると呼ぶに相応しいものは存在しません。人間はこれを理解しなければなりません。これからは、神にのみ「聖なる」という言葉を使います。これは妥当なことですか。(はい、そうです。)

ここで、人間を堕落させるためにサタンが用いる手段について、もう一度話し合いましょう。あなたがた一人ひとりが体験できる、神が人間に対して働く様々な方法については話したところなので、詳細には触れません。しかし、人間を堕落させるためにサタンが用いる手段については、不明瞭である、少なくても詳細が不足しているとあなたがたは心中で感じているでしょう。これについてわたしがもう一度話すことは、あなたがたにとって有益ですか。(はい。)あなたがたは理解したいですか。(はい。)あなたがたのうちには「またサタンの話をするのは何故か。サタンの話となると怒ってしまう。その名前を聞くとまた居心地が悪くなる」と思う人がいるでしょう。どれほど居心地が悪くなっても、あなたがたは事実に直面し、これらのことを理解できるように分かりやすく説明してもらわなくてはなりません。そうしなければ、あなたがたはサタンの影響から本当に脱出することはできません。

サタンが人間を堕落させる五つの方法については、既に話し合いました。これら五つの方法の中にサタンが用いる手段があります。サタンが人間を堕落させる方法は、ある種の隠れ蓑であり、そこに隠された手段が極めて狡猾で、サタンはそれらの手段を用いて目的を達成しようとします。その手段とは何でしょうか。要約してください。(騙し、誘惑し、脅迫することです。)列挙するほど、正確になってゆきます。あなたがたはサタンから深刻な危害を受け、この問題について強く思うところがあるようです。(サタンは甘い言葉や嘘を用い、影響を与え、惑わし、強制的に占拠します。)強制的に占拠することは、極めて強い印象を与えます。人間はサタンの強制的な占拠を恐れています。他には。(暴力により人間を傷つけ、脅迫と誘惑の両方を用い、嘘をつきます。)嘘はサタンの行動の内容であり、サタンはあなたを騙すために嘘をつきます。嘘の特性は何ですか。嘘と騙すことは同じではないですか。嘘をつくのは実は、あなたを騙すことが目的です。はっきり言いなさい。その他に知っていることを全て言ってください。(誘導し、危害を加え、盲目にして惑わします。)騙すことについては、あなたがたの大部分が同じように感じているのではありませんか。(へつらうようなお世辞を言い、人間を支配し、虜にし、恐怖に陥れ、人間の神への信仰を阻みます。)あなたがたの言っていることは良く分かりますし、全て同様に該当します。あなたがたは、皆これについて何かしら知っています。ここで要約しましょう。

人間を堕落させるためにサタンが用いる手段は、おもに六つある。

第一の手段は支配と威圧です。つまり、サタンはあなたの心を支配するために、あらゆることを行ないます。「威圧」とは何ですか。(強要することです。)サタンは、脅迫して従わなかった場合の結末を考慮させ、強制的に言うことを聞かせようとします。あなたは恐れて、逆らうような真似はせず、サタンに服従します。

第二の手段は騙しとごまかしです。「騙しとごまかし」には何が伴いますか。サタンはでっち上げた伝説や嘘で人を騙して人にサタンを信じさせます。サタンは人間が神に造られたとは決して言いませんが、人間は神に造られたのではないとも直接的に言いません。サタンは「神」という言葉を全く用いず、あなたを惑わすために言い換えの言葉を用いるので、あなたは神の存在については基本的に何も知りません。このごまかしには当然、これ以外にも様々な側面があります。

第三の手段は強制的な教化です。強制的な教化がありますか。(はい。)何についての強制的教化ですか。強制的な教化は、人間自身の選択により行なわれますか。人間の同意のもとで行われますか。(いいえ。)人間が同意しなくても無関係です。あなたの無意識のうちに行われ、サタンの思想や生活法則、本質があなたに吹き込まれます。

第四の手段は脅迫と誘惑です。つまり、サタンは、あなたにサタンを受け入れさせ、あなたをサタンに付き従わせ、サタンのために行動させるために、様々な手段を用います。サタンは、目標達成のために必要とあらば、手段を選びません。サタンはあなたに僅かに恩恵を施すことがあるが、あなたを誘惑して罪を犯させます。あなたがサタンに従わなかった場合、サタンはあなたを苦しめ、あなたに罰を与え、あなたを攻撃して罠にかけるために様々な手段を用います。

第五の手段は惑わしと麻痺です。「惑わしと麻痺」とは、サタンが、人間を騙すことが本当の目的なのに、あたかもサタンが人間の肉や生活、将来を考慮しているように考えられるよう、人間の考え方と合致するような甘い言葉や思想をでっち上げることです。サタンはそうして人間を麻痺させるので、人間は善悪の判断がつかなくなり、人間は知らないうちに騙され、サタンに支配されてしまうのです。

第六の手段は、心身の破壊です。サタンは人間の何を破壊しますか。(精神など人間のすべてです。)サタンは人間の精神を破壊し、あなたを無力にして反抗させないようにします。つまり、あなたの心は、自分の意思に反してとてもゆっくりサタンへ向いてゆきます。サタンは、これらの考えや文化などを用いて、これらの事柄を日常的に人間に吹き込み、人間に影響を及ぼし、教化し、極めてゆっくりと人間の意志を滅ぼし、もはや善人になりたくないと考えさせ、人間が義と呼ぶものを堅持する意志をくじきます。知らないうちに、人間は流れに逆らって上流へと進む意志の力を失い、下流に流されていきます。「破壊」とは、サタンが人間を苦しめるあまり、人間でも幽霊でも無いほどの状態にした上で、その機会に人間を食い尽くすことです。

サタンが人間を堕落させるこれらの手段は、どれもが人間を無力にして反抗できない状態に陥れることが可能です。どれもが人間にとって致命的なものです。つまり、サタンの行動とサタンが用いる手段は、すべてあなたを堕落させ、人間をサタンの支配下に陥れ、あなたを罪悪の泥沼に陥れてることができます。以上が、サタンが人間を堕落させるために用いる手段です。

サタンは邪悪であると言えるが、それを確認するためには、サタンによる人間の堕落の結末と、それがどのような性質と本質を人間にもたらすかを検討する必要があります。これについては皆ある程度知っているので、発言してください。サタンが人間を堕落させると、人間はどのような性質を表しますか。(傲慢さ、横柄さ、身勝手さ、卑劣さ、不正と狡猾さ、陰湿さ、悪意、そして人間性の欠如です。)全体として、人間性が欠如していると言えるのではないでしょうか。他の兄弟姉妹も発言させてください。(傲慢、不正直、悪意、身勝手、貪欲、浅薄、偽り。)ある側面の性質により明示されることではなく、その性質の本質が何なのかを言ってください。(ひとたび人間がサタンに堕落させられると、通常その人間は傲慢で独善的、思い上がってうぬぼれが強く、貪欲で利己的になります。こうした性質が最も深刻です。)(人間がサタンに堕落させられた後、人間は物質的にも精神的にも悪徳な行動を取ります。そして神に対して敵意を持ち、神を拒否し、神に反抗し、人間がもつべき良心と理知を失います。)あなたがたが言ったことは、細部の相違点を除いてすべて基本的には同じことです。詳細にもっと関心を持っている人もいるようです。概括すると、最も多く挙げられたのは「傲慢さ」という語です。傲慢さや不正直、悪意や利己的なども挙げられましたが、あなたがたは皆同じことを見落としました。良心のない人たちは、理知を失い人間性が欠如していますが、あなたがたのうち誰も挙げなかった同じくらい重要なことがまだあります。それは何ですか。(裏切りです。)その通りです。誰も「裏切り」を挙げませんでした。サタンに堕落させられた人間全員に存在する、こうした性質による究極的な結末は、神への裏切りです。神がどのような言葉を人間に述べても、どのような働きを人間に行なっても、堕落した人間は、真理であると分かっている事柄を認めません。つまり、神をもはや認めず、神を裏切るのです。これがサタンによる人間の堕落の結末です。それは人間の堕落した性質すべてに共通することです。人間が習得する知識、知っている科学、人間が理解している迷信や伝統文化、社会動向など、サタンが人間を堕落させるのに用いる方法の中に、何が義であり、何が不義であるかを判断するために人間が使用できるものがありますか。そこから判断基準を得ることができますか。(いいえ。)人間が何が聖なるもので何が邪悪かを判断する上で役立ちそうなものがありますか。(ありません。)人間に役立つ判断基準や基礎はそこにはありません。人々は「聖なる」という言葉を知っていても、聖なるものが何であるかを実際に知る者はいません。こうしたサタンが人間にもたらす物事により、人間は真理を知ることができますか。それにより、人間は人間性をますます向上させつつ生きることができますか。それにより、人間は神をますます礼拝できるような生活を送れるようになりますか。(なりません。)それにより人間が神を礼拝することや、真理を理解することや、聖さと邪悪が何であるのかを知ることが可能となることが無いことは明らかです。それとは反対に、人間は一層堕落し、神から遠ざかって行きます。これが、サタンは邪悪であると言われる理由です。サタンの邪悪な性質を数多く解剖して、サタンの本質や、サタンの実質に関するあなたがたの認識において、サタンに聖さの要素を見出しましたか。(いいえ。)それは確かです。それでは、あなたがたはサタンの本質に、神との類似点を見出しましたか。(いいえ。)サタンの表出には、神との類似点がありますか。(いいえ。)それでは、あなたがたに尋ねます。神の聖さとは、あなたがたの言葉で言うと、正確には何ですか。まず、神の聖さは何と関連して語られますか。神の本質に関連して語られますか。それとも、神の性質の一部に関連してですか。(神の聖さは、神の本質に関連して語られます。)わたしたちは、所望の話題について明確な足がかりを得なければなりません。神の聖さは、神の本質に関連して語られます。まず、神の本質の引き立て役として、サタンの邪悪さを用いましたが、神の中に何らかのサタンの本質を見出しましたか。人間の本質をひとつでも見出したか。誰か、回答してください。(神様の聖さは唯一無二のものであり、信実であり、真摯であり、神様には堕落したご性質はありません。神様は完全に肯定的で、神様が人間に与えられる物事も、すべて肯定的である。)(神様の本質は全て肯定的で、神様が明示されることは全て人間の救いと、人間が正常な人間らしさを生かし出すためです。それは、神様が人間を真に保護するため、人間が正常な人間性を生かし出す実現するためです。)正常な人間性を生かし出す実現するためだけですか。(人間が本当に真理を知るためです。神様の聖さは、神様の人間に対する真の愛と救いです。)(神様の本質が明示することは全て肯定的である。神の真実性、信実さ、無私さ、謙虚さ、そして神の人間に対する愛は、全て神の聖なる本質を表出しています。)(神は傲慢でも利己的でもなく、裏切ることもなく、この面でも神様の聖なる本質が明示されています。)なるほど。他に追加することはありますか。(神様には、サタンの堕落した性質の形跡が全くありません。サタンであるものは完全に否定的なものである一方、神様のもつものはすべてが肯定的です。神様は常に人間のすぐ傍らにいらっしゃることがわたし達にはわかります。幼時期から成熟した現在に至るまで、とくに道を見失った時、神様は常に共にいて人間を見守られ、安全に保たれました。神様には偽りや誤魔化しがありません。神様は明瞭かつ分かりやすく御言葉を述べられ、それもまた神様の真の本質です。)よろしい。(神様の御業には、他意も、豪語も、空虚な約束も、偽りも無く、サタンの堕落した性質は一切見られません。人間が信じることが出来るのは神様のみであり、神様の御働きは信実で真摯です。神様の御働きからは、神様が人間に誠実であるように、知恵を得るように、善悪を見分けることができるように、そして様々な人々、出来事、物事に対して分別を持つように、と言われているのが分かります。そこに神様の聖さが見えます。)。それで全てですか。(はい。)自分の回答に満足していますか。あなたがたは心で本当にどの程度、神に関して理解していますか。神の聖さをどの程度理解していますか。あなたがたは、それぞれ心の中にある程度の知覚的理解を持っていることは知っています。なぜなら全員が自分に対する神の働きを感じることができ、また程度の差があるものの、全員が多くの物事を神から得ているからです。神から恵みや祝福を受け、啓きと光を受け、神の裁きと刑罰を得ているので、神の本質に関して、ある程度の簡単な認識があるでしょう。

本日話し合っている神の聖さは、大部分の人々にとって奇妙に感じられるかもしれませんが、どのように感じるかにかかわらず、この話題を始めたので、あなたがたは、今後道を進んでいくにつれて一層深い理解を得るでしょう。自分自身の経験のなかで、徐々に感じ、理解するようになる必要があります。現在、神の本質に関するあなたがたの知覚的理解には、学び、確認し、実感し、経験するための長い時間が必要です。やがて心から神の聖さが、神の完璧な本質であり、神の無私な愛であり、神が人間に与える物事のすべてが無私であることを知り、神の聖さは汚れ無く、非難の余地が無いことを知るでしょう。神の本質は、神が自身の身分を誇示するために用いるただの言葉ではなく、むしろ神は神の本質を用いて、静かに、真摯に個々の人間を取り扱うのです。つまり、神の本質は空虚なものでも、理論的なものでも、教義上のものでも無く、ましてやある種の知識などでは無いのです。神の本質は人間のための教育の一種ではなく、神自身の行ないの真の顕示であり、神がもつもの、神であるものの本質の顕示です。人間はこの本質を知り、理解しなければなりません。なぜなら、神が行なうこと、神が言う言葉は全て偉大な価値があり、一人ひとりの人間にとって極めて重要であるからです。あなたが神の聖さを理解した時、あなたは神を真に信仰することができ、神の聖さを理解した時、「唯一の神自身」という言葉の真意を本当に理解できます。あなたは他の道を歩むことも可能であると想像することはもはや無く、神があなたのために用意した全てを裏切ろうとはもはや思わなくなります。神の本質は聖なるものなので、あなたは神によってのみいのちに通じる明るい正しい道を歩むことができ、神によってのみ人生の意味を知ることができ、神によってのみ真の人生を送ることができ、真理を獲得し、知ることができ、神によってのみ真理からいのちを得ることができます。人間が悪を避けるのを助け、サタンの危害と支配から人間を救うことができるのは神だけです。神以外に、これ以上苦しまないよう、辛苦の海からあなたを救い出すことができる人や物はありません。このことは、神の本質により決まっています。無私にあなたを救うのは神自身のみであり、あなたの将来や運命、人生に究極的に責任を負うのは神のみであり、神はあなたのためにあらゆる物事を手配します。これは、被造物や非被造物のいずれも成し得ないことです。被造物や非被造物に、このような神の本質を持つものは存在しないので、あなたを救い、導く能力のある人や物は存在しません。これが人間にとっての神の本質の重要性です。あなたがたは、わたしがたった今語ったこれらの言葉が原理的に多少役立つであろうと感じるかも知れません。しかし、あなたが真理を求め、真理を愛しているのであれば、今後わたしの言葉はあなたの運命を変えるのみならず、人生の正しい道へとあなたを導くでしょう。あなたがたは、このことを理解していますね。(はい。)それでは、あなたがたは神の本質を認識することに、今では多少の関心がありますか。(はい。)関心を持つことは良いことです。それでは、神の聖さを認識することに関する本日の話題をここで締めくくります。

本日の集会の最初にあなたがたがしたことでわたしを驚かせたことについて話します。あなたがたの中にはありがたく思っていたり、感謝の気持ちを抱いていたりして、その思いを身体的に表現したかったかも知れません。それは咎められることではなく、正しくも誤ってもいません。しかし、あなたがたに理解して欲しいことがあります。それは何でしょうか。まず、あなたがたが、たった今したことについて質問します。それは礼拝のためにひれ伏したのですか、ひざまずいたのですか。誰か答えられますか。(ひれ伏していたと思います。)あなたがたがひれ伏していたと思っているということですが、その意味は何ですか。(礼拝です。)それでは、ひざまずいて礼拝することとは何でしょうか。これまであなたがたとこのことについて話し合ったことはありませんが、今日はこのことを話す必要があると感じます。あなたがたは普段の集会でひれ伏しますか。(いいえ。)祈るときにはひれ伏しますか。(はい。)条件が許す場合、祈る度にひれ伏しますか。(はい。)それは素晴らしい。しかし、ここでわたしがあなたがたに理解してもらいたいことは何でしょうか。それは、ひざまずくことが神に認められる二種類の人間についてです。聖書を参照したり、霊的人物の行動を参照したりする必要はありません。わたしが今ここで、ある真実を述べます。まず、ひれ伏して礼拝することと、ひざまずいて礼拝することは同じではありません。ひれ伏す者がひざまずくのを神が受け入れるのは何故ですか。それは、神が誰かを呼び、神からの任務を受け入れるよう命ずるのですから、その人は神の前でひれ伏します。これが第一の種類の人間です。第二の種類は、神を畏れ、悪を避ける人間がひざまずいて礼拝することです。この二種類の人間があるだけです。あなたがたはどちらの種類に属していますか。答えられますか。多少気持ちが傷つく人もいるかも知れませんが、これは事実の真相です。祈りを捧げる際に人々がひざまずくことについては、何も言うことがありません。それは適切であり、然るべきものでしょう。なぜなら、人々が祈る時大抵は、神に対して自分の心を開き、神と対面して、何かを求めて祈っているからです。それは神との心と心の意思疎通、意志交換です。単なる形式として行なうなら、そうあるべきではありません。本日のあなたがたの行動について咎めるつもりはありません。あなたがたがこの原則を理解できるように、明確にしたいだけなことはわかりますね。(はい。)それならば、そうした行動を続けないで欲しい。それでは、人間が神の前でひれ伏し、ひざまずく機会はあるでしょうか。今後、機会は必ずあるでしょう。遅かれ速かれ、その時が来ますが、それは今ではありません。わかりますか。(はい。)このように伝えると、悲しくなりますか。(いいえ。)よろしい。こうした言葉はあなたがたの動機付けや激励となり、あなたがたは現在における人間と神との窮状や、人間と神との関係がどのようなものであるかを心で理解することができるかもしれません。最近、わたし達はずいぶん話し合い、交流していますが、神に関する人間の認識は、未だに十分と言うには程遠いです。人間が神を認識するために進むべき道のりは、まだ先が長いです。わたしの意図は、あなたがたに早急にそうさせることでも、そうした意欲や感情を示させることでもありません。あなたがたが本日取った行動は、おそらくあなたがたの真の気持ちを示し表現するもので、わたしはそれを感じました。そうしたわけで、あなたがたがそうしている最中、わたしは立ち上がって、あなたがたの幸いを願う気持ちを表したかったのです。なぜなら、わたしはあなたがた全員の幸いを願っているからです。わたしは、あらゆる言動において、あなたがたがあらゆることを正しく理解して正しい見方ができるように、あなたがたを助け、導くことに最善を尽くしています。このことは理解できますね。(はい。)それは良かったです。人々は、神の様々な性質、神がもつもの、神であるものの側面、また神の働きについてはある程度理解しているものの、この理解の大部分が、表面的な読書、原理の理解、あるいは単にそれらについて考えることに留まっています。人間に最も不足しているのは、実経験から得られる真の理解と見解です。神は、人間の心を目覚めさせるために様々な方法を用いているものの、人間の心がついに目覚めるまでの道のりは、まだ先が長いです。わたしは、神に取り残され、無視され、見捨てられたように誰かが感じるのを見たくありません。わたしは、あなたがた全員が真理と神への理解を追求し、揺るがぬ意志で、不安や負担なく、勇気を持って前進することを望んでいます。あなたがこれまでどのような悪いことを行なったとしても、どれほど大きく道を外れたとしても、どれほど過ちを犯したとしても、そうしたことを神を知ろうとする追求における負担や重荷としてはなりません。絶えず前進しなさい。それが何時起ころうと、人間の救いである神の心は決して変わりません。これが神の本質のなかで最も貴い部分です。これで、少し気持ちが楽になりましたか。(はい。)あなたがたが万事において、そしてわたしが語った言葉に関して、正しく取り組めることを願っています。それでは、これでこの会を終わりましょう。皆、ごきげんよう。(ごきげんよう。)

脚注:

a.原文は「人間による科学の追究と奥義の探索を満足させる」。

b.原文では「の泥沼」が省略されている。

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