苦難と試練は神様からの祝福だ

中国山東省 王 剛

私は農夫です。私の家族は貧しいので、お金を稼ぐ単発の仕事を見つけるために私はいつも至る所を旅しなければなりませんでした。自分の肉体労働によって良い生活を送ることができると思っていました。しかし、現実には、私のような農民工には法的権利が何も保証されていないことが分かりました。私の給料は何の理由もなく天引きされていました。再三再四私は騙され、他人に付け込まれていました。一年間の重労働の後、私は受け取るはずのものを受け取っていませんでした。私はこの世が本当に暗いと感じていました。人間は動物のように互いを扱い、強者は弱者を食い物にします。互いに争い、つかみ合いの喧嘩をして、私にはこのように生きる足場がありませんでした。極端な痛みと絶望の中で、そして私が生活に対して自信を失っていた時、私の友人が全能神の終わりの福音を私に伝えてくれました。それ以来、私は兄弟姉妹と一緒に集会し、祈り、賛美歌を歌って神様を褒め称え、真理について語り合っていました。私はとても幸せで解放されたと感じました。全能神教会では、私は兄弟姉妹がお互いを出し抜いたり、社会的な区別をしようとしたりしないことが分かりました。兄弟姉妹たちはすべて純粋に心を開き、お互いに良い関係にありました。困難にぶつかったら、誰もが愛を持って助け合っていました。堕落した性質を捨て、人間らしく生きて救いを得るために、誰もがそこにいて真理を熱心に求めました。このような生活により私は幸福を体験し、人生の意義と価値を理解することができました。神様の前にきて真理を求めることによってのみ、真の幸福を得られることがわかりました。私のようにまだ暗闇の中にいる多くの人々が神様の前に来て、神様の救いを受けて光を再び見ることができるようにしようと決心しました。その結果、私は福音を伝え、神への証を立てるグループに加わりました。しかし予期しないことに、私は福音を伝道しているという理由で中国共産党政府により逮捕され、拷問や残酷な扱いを受け、投獄されるという極端な残虐行為を受けました。

2008年の冬の午後、2人の姉妹と私が伝道相手に終わりの日の神様の働きを証ししていた時、私たちは悪い人によって通報されました。戸籍調査と言う理由で、6人の警察官が伝道相手の家に突入しました。扉から入ってくると「動くな」と叫びました。警察官のうち2人は気が狂ったように私に飛び掛りました。そのうちの1人が胸の上の衣服をつかみ、もう1人が私の腕をつかんで、私の後ろで腕を力いっぱい締め上げました。そして、「何をしているのか。出身はどこか。名前は何か」と憎々しげに尋ねました。私はこれに答える代わりに「あなたがたは何をしているのですか。あなたがたは何のために私を逮捕しているのですか」と尋ね返しました。私がこれを言うのを聞くやいなや、2人は激怒し、攻撃的に言いました。「理由は関係ない、おまえは我々が探していた人物だ。我々と一緒に来い!」その後、警察は私と2人の姉妹をパトカーに押し込みました。

公安局に着いた後、警官が私を小部屋に閉じ込めました。警官は私に床をうずくまるように命じ、4人の人々が私を見張るようにしました。長時間しゃがんでいたので、私は大変に疲れ、がまんできなくなりました。立ち上がろうとした瞬間、警官が小走りにやってきて、私の頭を抑え、立ち上がれないようにしました。午後4時頃、警察は私の身から一枚の御言葉の紙を見つけました。彼は私を指しながら私に言いました。「王剛、長い間お前を捕まえようとしているんだ、やっとお前を捕まえた。お前は大物だ。」間もなく、私は隣の部屋で拷問されている人の身の毛がよだつ叫び声を聞きました。その瞬間、私は非常に恐くなりました。次に警官がどんな拷問と残虐な扱いを私に使おうとしているのか、私には分かりません。私は切羽詰まって心の中で神に祈り始めました。「ああ全能神よ、私は今非常に恐れています。私に信仰と力をお与えになり、私を毅然と勇敢にされ、私が神への証を立てられるように願います。もし拷問や残虐な扱いに耐えられないなら、舌を噛んで自殺しても、私はユダのように神様を裏切りません。」祈った後、私は心から少し力が湧いてきて、それほど恐れなくなりました。

その夜7時過ぎ、警察は私の両手を背中で手錠をかけ、私を押さえて上の階の拷問室に入れました。拷問室に入ると、警察は、私を床に押し倒しました。拷問室にはロープ、木製の棒、警棒、鋼鉄製の鞭などのあらゆる種類の拷問器具が配置されていました。それらはごちゃごちゃに棚に置かれていました。ひとりの警官が電気警棒を手に持ち、激しくビュッ、パンと音をたてながら、私を脅しました。「おまえたちの教会には何人いるんだ。おまえたちの会合場所はどこだ。責任者は誰だ。福音を伝道しているのは地域に何人いるんだ。言え。さもなければ、報いを受けることになる」私は青光りを帯びた電気警棒と拷問器具でいっぱいの部屋を見て、緊張や恐れを感じずにはいられませんでした。この拷問を乗り越えることができるかどうかがわからず、心の中で絶えずに神様を呼び求めました。私が黙っているのを見て、警察は怒りました。電気警棒で私の胸の左側を突きました。彼は私に1分ほどショックを与えました。私はすぐに体の血が沸騰したように感じました。頭から足へ耐え難い痛みが走り、叫びながら床を転げ回りました。それでも、彼らはまだ私を許そうとはせず、突然私を引きずりよせて、警棒を使って私の顎を指しながら叫びました。「話せ。白状することがないとでも言うのか。」こうした悪魔の狂気の責めに直面し、責めに耐えられず、ただ神を裏切るかもしれないと恐れました。私は心の中で、切に神様に祈り続けました。この時、私は神様の言葉を思い浮かべました。「権力を持っている者たちは、外側から見ると悪質に見えるかもしれないが、恐れることはない。それは、あなたがたの信仰があまりに僅かだからである。あなたがたの信仰が成長する限り、難しいことは何もない」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」「第十五章」)。神様の言葉は私に再び信仰と力を与えて下さりました。私の目の前の邪悪な警官が狂っていて抑えがきかなくても、警官たちは神様の手によって采配されていると認識しました。神様の許可がなしに、彼らは私の命を奪うことができません。私が信仰を持ち、神様に頼り、警官たちに屈しなければ、警官たちは必然的に屈辱に落ちるでしょう。こう考えると、私は体のすべての力を奮い起こし、大声で聞きました。「あなたがたはなぜ私をここに連れてきたのですか。あなたがたはなぜ電気警棒で私を感電死させようとしているのですか。私がどんなの罪を犯したのですか。」邪悪な警官は突然ヘッドライトにはいった鹿のようになり、良心の呵責に打ちひしがれ、吃って何も答えられませんでした。そして、警官たちはしょんぼりとして出て行きました。サタンのジレンマの屈辱的な状況を見て、私は目頭が熱くなりました。この苦境で、私は本当に全能神の御言葉の力と権威を経験しました。神の御言葉を実践し、神様への信仰を持っていれば、神様の業を見ることができます。5、6分後、2人の警察が入ってきました。今回、彼らは違う手段を使いました。1人の痩せた警察は親切な態度で私に言いました。「貴方は協力しないとはね。聞かれたら、答えて。あなたが答えれば、私たちはあなたを釈放することができるのよ。」私は何も言いませんでした。そして、警察は一枚の紙を取り出して、私にサインさせました。私は、「労働教養改造」と紙に書いてあるのを見て、サインを拒否しました。1人の警察は、突然私の左耳にビンタを食らわしました。私は倒れそうでした。そのビンタは私の耳をガンガンさせ、しばらく経ってからやっと正気に戻りました。その後、彼らはまた私に手錠をかけ、小部屋に閉じ込めました。

小部屋に戻った後、私は傷だらけで痛みに耐え難いものでした。私の心は悲しみと脱力感が生ぜずにはいられませんでした。なぜ信者はこのように苦しまなければならないのでしょうか。人々に救い主が既に来られていることを伝え、人々が真理を求め救われるようにするという善意で福音を伝えたことで、私は予期せずこの迫害を受けました。これについて考えると、私は悔しくて辛いとさらに感じました。苦痛の中で私は神様に祈りました。「神様よ、私は身丈があまりにも小さくて、弱くなっていますが、神様に寄り頼って証に立てることを願っています。私を導いてください。」その後、私はある御言葉賛美歌を思い浮かべました。「落胆してはならない。弱ってはならない。わたしはあなたに明らかにする。神の国への道は平坦ではない。何事もそう簡単ではないのだ。あなたはたやすく祝福を得たいのであろうか。今日、だれもが苦しい試練に直面しなければならない。そうでなければ、あなた方のわたしに対する愛の心がさらに強いものとなることはなく、わたしに真実の愛を抱くこともないであろう。たとえそれが些細な状況であっても、誰もがそれを通らねばならない。ただそれぞれ度合いが違うというだけのことである。その状況はわたしからの祝福のひとつなのだ。わたしの祝福を求めてわたしの前に頻繁に跪く者がどれだけいるだろうか。あなた方はいつでも、少しの幸運な言葉がわたしからの祝福であると感じるが、苦しみがわたしからの祝福の一部だとは感じない」(「小羊に従って新しい歌を歌おう・試練の苦しみは神からの祝福」により)そうです!この迫害と患難に臨んだのは、神様が私の信仰と愛を完全にするためです。この環境が神様からの祝福で、私は神様に不満をこぼすべきではないです。今日、私が逮捕されて苦しめられているが、この間、神様はずっと御言葉を用いて私を導いていました。これこそは神様からの愛です。私は心の中で、この賛美歌を歌っていました。歌えば歌うほど、力が湧いてきて、私は心の中で神様に志を立てました。「神様よ、警察にどう苦しめられても、私はあなたを裏切らずに証に立て、最後の最後まであなたに従うことを願います。」

刑務所で警察は私にあらゆる種類の拷問方法を使い続け、私をめった打ちにするよう頻繁に囚人たちを煽り立てました。身も凍るような冬の寒さの中、警察は、バケツ何杯もの冷たい水を私に浴びせかけるよう囚人たちに指示し、私に冷たいシャワーに入るよう強要しました。私は頭からつま先まで寒さで震えていました。動悸、冷や汗をかき、心臓の痛みで背中も痛んでいました。ここでは、囚人たちは政府のために金を稼ぐ機械であり、法的権利はありませんでした。搾取されるのを堪え、奴隷のように利用される他に囚人たちには選択肢がありませんでした。刑務所は一日中、死者への餞として共に焼かれる紙幣を模した紙を印刷させました。最初は1日に1,000枚の紙を印刷しなければならないというルールを定め、それが1日に1,800枚、最後に3,000枚に増えました。これは経験豊富な人でも完了できない量で、私のような不慣れな者にはもちろん完了できませんでした。実際、刑務所は故意に私が完了できないようにしたので、刑務所には私を苦しめ、ぼろぼろにする言い訳ができました。ノルマを満たすことができない限り、邪悪な警官は5キロ以上の足かせを私の両足につけ、手足を手錠で縛りました。私ができたことは、そこに座って、頭を下げて腰をひねることだけでした。それ以外は、私は動くことができませんでした。さらに、こうした非人間的で冷酷な警官は私の基本的な必需品を聞いたり、気にかけたりしませんでした。トイレが監房にあったにもかかわらず、私は歩いて行き使うことができませんでした。私は監房の仲間たちに、私を持ち上げてトイレに座らせてほしいと懇願することができるだけでした。もし仲間たちが少しましな囚人であれば、私を引き上げてくれました。誰も私を助けてくれない場合は、私は我慢する以外に選択肢がありませんでした。最も苦しい時は食事時間でした。私の手と足は一緒に手錠をかけられていたからです。私は全力で頭を下げ、手足を上げることができることしかできませんでした。これが私の口に饅頭を入れることができる唯一の方法でした。私は一口食べるごとにたくさん力を費やしました。手錠が私の手と足にこすれて激しい痛みを引き起こしました。時間が経つと、私の手首と足首には黒く、てかてかした固いたこができました。縛られて、食べられないことがよくありました。まれに囚人たちは私に2つの小さな饅頭をくれました。ほとんどの場合囚人たちは私の分を食べ、私が得たものは空腹でした。飲みものを口にすることはさらに少ないです。もともと囚人には一日に2茶碗の水が与えられていましたが、私は縛られて身動きが取れなかったので、水を飲めることはまれでした。非人間的な苦しみは言い表せないほどでした。私はこの苦しみを4回、合計10日経験しました。それでも、警察は、私に夜勤をさせました。長期間腹いっぱい食べられないから、私は時々動悸、嘔吐、胸がふさがりひどく飢えていました。飢えが耐え難くなるたびに、私は、サタンが主イエスを試みたときに、主が語った言葉を思い浮かべました:「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイによる福音書4:4)私の心は少し解放されました。私は、サタンの迫害の中で、この御言葉を経験できるように願いました。私は神に穏やかに祈り、神の言葉を理解しようとしました。気付かないうちに、それほどの苦痛や飢えを感じなくなっていました。ある日、1人の囚人は言いました。「以前にもこのように手錠をかけられて餓死した若い人がいました。あなたは何日も何も食べていないようですが、あなたはまだ元気一杯です。」彼の言葉を聞き、私は心の中で神様に感謝を捧げました。これは御言葉にあるいのちの力が私を支えているのです。私は、神の御言葉こそは真理、道、そしていのちであり、確かに私が生存するために頼りにすべき基盤であることを真に体験することできました。神様への私の信仰は知らず知らずに増加しました。この苦しみの環境で、私は「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」という真理の現実を真に経験することができました。これは本当に神様が私にお与えになったいのちの最も貴重な宝で、同時に私だけへの贈り物です。何よりも、食べ物や服を心配する必要がない環境でこれを得ることはできなかったでしょう。今日、私の苦しみには大きな意味と価値がありました!このような迫害と暴力を経験し、私は心から中国共産党をさらに憎みました。私は神様を信仰するだけで、逮捕され、あらゆる酷刑と暴力を振るわれ、非人道的な虐待を受けました。それは邪悪すぎます!以前読んだ御言葉を思い出しました。「淵のおもては混沌として暗く、庶民は苦悩のため天に向かって叫び、地に向かって苦痛を訴えている。いつになったら人間は堂々としていられるのか。人間はやせ細り、衰えている。どうしてこの残忍な暴君のような悪魔に対抗できようか。なぜできるだけ早く自らのいのちを神に捧げないのか。なぜいまだに躊躇しているのか。いつになったら人間は神の働きを完了できるのか。何の目的もなくそのようにいじめられ抑圧され、人間の生涯は結局無駄となる。なぜそれほど急いでやって来て、急いで去ってゆくのか。なぜ何か貴重な物を残しておいて神に捧げないのか。数千年におよぶ憎しみを忘れてしまったのか」(言葉は肉において現れる・働きと入ること (8))により)。今回の経験を通して、私は、共産党の本質は神様と真理に敵対するということが、はっきりわかりました。私は、神様への証を立てる決心がさらに固まりました。

1ヵ月後、中国共産党政府警察は「社会の秩序を乱し、法の執行を破壊する」とでっち上げの罪で私を起訴しました。私は1年間の労働改造を宣告されました。労働収容所に入った後、毎日労働するよう警察に強要されました。私が工場で袋を数えている時、100袋数え上げ、それからそれらを結びつけました。いつも意図的に囚人たちが来て、私が数えたものから1つまたはいくつかの袋を取り、私が正しく数えなかったと言い、それをいいことに私を殴り、蹴りました。殴り終えそうなところ、隊長がやって来て、何が起こっているのか偽善的に私に尋ね、囚人たちは私が十分に袋を数えていないという偽証を伝えました。それから、私は隊長からの厳しい批判の嵐に耐えなければなりませんでした。私は苦痛と辛さを感じたとき、御言葉賛美歌をうたいながら作業していました。「あなたがたは終わりの日に神への証しをしなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで歩まなければならず、最後の一息になってもなお神に対して忠実であり続け、神に身を委ねなければならない。これだけが真に神を愛するということであり、またこれだけが鳴り響くような強い証しなのである」(「小羊に従って新しい歌を歌おう・あなたの苦しみがどんなに大きくても神を愛することを求めよ」により)賛美歌を歌うと、私は心が動かされ、励まされ、つい涙を流しました。私は、どんな苦しみを受けても、神様への証を立てると言う志を立てました。その時、もう1人の私と同年の兄弟が、一緒に労働収容所に入っていました。昼間は作業するから、私たちが話しすることができないが、夜になると、私たちは、以前覚えた御言葉や賛美歌を各自思い出して書き出しました。それらを互いに共有しました。しばらく経って、私たちは一緒に作業するようになったから、小さい声で語り合い、助け合い、互いに励ましました。それで、私はそれほどの苦痛を感じなくなりました。

さらに、刑務官たちは「行動規範」を覚えるように命じました。私がそれを覚えなければ、私はいつも殴られました。刑務官たちはまた、私に共産党を称賛する歌を歌わせました。私が歌っていない、または唇が動いていないと知ると、夜になってから私は必ず叩きのめされました。刑務官たちはまた、私に床をモップがけさせ、私を罰しました。もし私が彼らの期待通りにモップがけをしなければ、私は激しく殴られました。一度、何人かの囚人たちが突然私を殴り蹴り始めました。殴ってから囚人たちは私に尋ねました:「若造、殴られている理由を知ってるか。おまえは所長がやってきた時に立ち上がって挨拶しなかったからだ。」殴られるたびに私は腹を立てましたが、何も言おうとはしませんでした。私はただ泣き、静かに神に祈り、この無法で不合理な場所により生じた私の心にある恨みと怒りについて神に話しました。ここに理性はなく、暴力だけがありました。ここには人々はおらず、狂気の悪魔と蠍しかいませんでした!私はこの苦しみの中で生きるひどい痛みとプレッシャーを感じました。私は1分も長く滞在したくありませんでした。私が弱さと苦しみに落ちるたびに、私は全能神の御言葉を思い浮かべました:「あなたがたは、自分に与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、あなたがたのために結ばれた約束を求めたことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の抑圧を打ち破るだろう。あなたがたは、闇のただ中にあっても、あなたがたを導く光を絶対に見失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利する。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の大衆の中で立ち上がり、わたしの勝利を証しするであろう。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、決意を固くし、揺らぐことがないだろう。あなたがたの耐え忍ぶ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙にわたしの栄光を輝かせるだろう」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」「第十九章」)。神様の言葉が私を励ましてくれました。神が私にしてくださったことが恩寵や祝福、あるいは試練と精練であったかにかかわらず、これらはすべて私に施し、私を救うためであり、私に真理を授け、真理を私のいのちにするためです。神様は私へのこの迫害と苦難を許しました。それは私の肉に大きな苦しみをもたらしましたが、私は、赤い大きな竜が神様に抵抗し、神様を憎む邪悪な本質をはっきり見ることができました。それによって、赤い大きな竜を憎んで裏切り、徹底的にサタンの支配から逃れて、完全に心を神様に帰し、最終的に勝利者として神様に作られます。さらに、神様が私と共におられることを私は真に経験できるようになりました。私のいのちの糧、私の足元を照らす明かり、私の道へと続く光となる神の言葉を私が真に享受し、この暗い地獄の穴の中で一歩一歩私を導くために、それは起きました。これは私が苦しみの過程で享受し得た神の愛と保護です。この時、私がとても盲目的で利己的であり、貪欲であることを理解することができました。神を信じる中で、私は神の恩寵と祝福を享受しているだけで、真理といのちを少しも求めていませんでした。私の肉が少しでも苦しめば、私は絶えず弱音を吐いていました。私はただ神の御心を認識せず、神の働きを理解しようとしませんでした。私はいつも私に起きた悲しみと痛みを神様に感じさせました。私には本当に良心がありませんでした!悔恨と自己非難を感じながら、私は静かに神に祈りました:「おお全能神よ、私は神が為されるすべては私を救い、私を得るためであることを認識しています。私は、自分がとても反抗的で、盲目で、いつも神を誤解し、神の心に配慮していませんでした。おお神よ、今日あなたの言葉は私の麻痺した心と霊を覚醒させ、神の心を理解させました。私はもはや自らの欲望と要求を持とうと思いません。私は神の采配に服従するのみです。あらゆる苦難に遭わねばならないとしても、私はやはりサタンの迫害を乗り越えて、神に対するはっきりとした証を立てるでしょう。」祈った後、私は神の善意を理解し、神が私に経験させた環境はどれも私への神の非常に大きな愛と救いであると知りました。それゆえ、私はもはや委縮したり、神を誤解したりすることはもうないでしょう。状況は変わりませんでしたが、私の心は本当に喜びと満足でいっぱいでした。全能神への信仰のために苦難や迫害を経験することができたことは名誉と誇りであり、それは堕落した人間である私にとって特別な贈り物でした。それは私にとって神の特別な祝福と恩寵でした。

刑務所で1年の苦難を経験した後、私の霊的背丈はとても小さく、私はたくさんの真理に欠けていると理解しています。全能神はこの他にはない環境を通して私の欠点を真に補われ、私を成長させました。この逆境の中で、神はいのちの最も貴重な富を私に得させ、過去に理解しなかった多くの真理を理解させ、悪魔であるサタンの醜い姿と神への抵抗の反動的な本質を理解させました。堕落した人間である私への全能神の大きな救いと慈悲を心から経験し、全能神の御言葉にある権威といのちの力は私に光をもたらし、私のいのちとなり、私がサタンに打ち勝つよう、死の影の谷から粘り強く歩み出るよう私を導き得ると感じました。神様に感謝を捧げます!

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