488 神の言葉の現実の中に入るには
1 神のために自分自身を真に費やす人は、自身の全存在を神の前に並べる。そうした人は神が発するすべての言葉に心から従い、神の言葉を実践することができる。また神の言葉を自分の存在の基礎とし、どの部分を実践すべきなのか突き止めるべく、神の言葉の中を真剣に探し求めることができる。これが真に神の前で生きる人である。あなたの行なうことが自分のいのちに有益であり、またいのちの性質が変わるよう、神の言葉を飲み食いすることを通じて内面的な要求や不十分な点を満たすことができるなら、それは神の旨を満たすだろう。
2 神の要求に応じて行動し、肉ではなく神の旨を満足させるなら、それは神の言葉の現実に入ったということである。神の言葉の現実へと入ることについてさらに現実的に語れば、それは自分の本分を尽くして神の要求を満たせることを意味する。この種の実践的な行動だけが、神の言葉の現実に入ることと呼べる。この現実に入れるなら、あなたは真理を自分のものにする。これが現実に入る端緒である。まずはその訓練を行ない、その後初めてさらに深い現実へと入ることができる。
『神の出現と働き』「神の実際性に絶対的に服従できる者は真に神を愛する者である」(『言葉』第1巻)より編集