166 二千年に及ぶ切望
1 神の受肉はあらゆる宗教や各界に衝撃波を送り、宗教界の本来の秩序を「混乱に陥れ」、神の出現を待ち望むすべての人の心を揺るがした。慕わない者がいるだろうか。神に会うのを待ち焦がれない者がいるだろうか。神は長年にわたり自ら人間のもとにいるが、人間はまだそれに気づかない。現在、神自身が現われ、大衆に自らの身分を示した。それが人間の心に喜びをもたらさないことが、どうしてあり得ようか。神はかつて喜びや悲しみを人間と共にし、現在は人間と再会して、過ぎ去った日々の話を人間と分かち合っている。
2 神がユダヤから去った後、人々は神の消息をまったく掴めなくなった。彼らは神との再会を待ち望んでいるが、今日すでに神と再会し、再び神と共にあることをほとんど知らない。このことが過去の思いを呼び起こさないことがどうしてあり得ようか。二千年前の今日、ユダヤ人の末裔シモン・バルヨナは救い主イエスを目の当たりにし、同じ食卓で食事をとり、長年にわたって付き従った後、主に対していっそう深い愛慕を抱いた。シモンは心の底から深く主イエスを愛した。神は長年にわたり自ら人間のもとにいるが、人間はまだそれに気づかない。現在、神自身が現われ、大衆に自らの身分を示した。それが人間の心に喜びをもたらさないことが、どうしてあり得ようか。神はかつて喜びや悲しみを人間と共にし、現在は人間と再会して、過ぎ去った日々の話を人間と分かち合っている。
『神の出現と働き』「働きと入ること(10)」(『言葉』第1巻)より編集