165 誠実な人になろうと志す
以前、主に対する私の信仰はただ、深遠な聖書の理論を理解したいがためだった。
私たちに誠実な人であれという主の要求を実践したり始めたりしようとは、気にもとめなかった。
神を欺いたり神に抵抗したりするようなことをしたが、それでも私は麻痺して無感覚だった。
たびたび祈り讃美するのはただ祝福を引き出したいがためだった。
神を愛すると誓ったのに、試練が降りかかると誤解し不平を言った。
主のために頑張って働いたのは、冠や見返りを得るためだけだった。
謙虚で忍耐強いふりをしたが、私の心は傲慢と欺瞞に満ちていた。
聖書の知識をたくさん理解していたが、私はまだ罪に縛られていた。
私はパリサイ人の道を歩きながら天国に引き上げられることを猛烈に願っていた。
今になって、私は神の言葉による裁きと刑罰を受けて初めて自分の過ちに気づいた。
自分の不正と欺瞞を、自分には人間性の欠片もないことを、はっきりと知った。
私は理論にばかり気を取られ、真理を実践せず、我が道を行った。
神の裁きと清めにより、私は正直な人の似姿を生きられる。
神の言葉の一つ一つが真理であり、何より私にとって人間の在り方の土台なのだ。
真理に依って振る舞うのが尊厳のある人生であり、私の霊は落ち着き安らかになる。
神の本質は信実であり、神は誠実な者を好み嘘つきを嫌う。
誠実な者だけが真理を愛し、神に最も祝福されるのだ。
誠実な者は神を愛し神に従い、誠実な者だけが天国に入れるのだ。