437  安息の中にある生活

1  安息の中の生活とは、戦いも汚れも、継続する不義もない生活である。言い換えれば、そのような生活には、神に敵対するいかなる勢力の侵入もないだけでなく、サタンによる妨害もサタンの堕落も存在しない。万物がおのおのその種類のものに従い、造物主を礼拝する。天上も地上も平穏になる。これが、人類が安息に入った生活である。神が安息の中に入った時、地上にはもうどんな不義も継続せず、もういかなる敵対勢力の侵入もなくなる。人類も新しい領域の中に入る。すなわち、彼らはもはやサタンに堕落させられた人類ではなく、サタンに堕落させられた後救われた人類である。

2  人類の安息の日々は、神にとっての安息の日々でもある。神は人類が安息の中に入ることができないため、安息を失ったのである。つまり、神は本来、安息に入ることができなかったのではない。安息の中に入ることは、あらゆる事物の活動が止まることを意味するのでもなければ、あらゆる事物の発展が止まることを意味しているのでもない。また、神がもう働くことをやめる、あるいは人がもう生活することをやめることを意味しているのでもない。安息に入ったことのしるしは、以下のようなものである――サタンが滅ぼされている、サタンに同調する悪人たちがみな懲罰を受けて一掃されている、そして神に敵対するすべての勢力が存在しない。

3  神が安息の中に入ることは、神がもう人類を救うという働きをしないことを意味している。人類が安息の中に入ることは、全人類がみな神の光の中と神の祝福の下に生きることを意味する。もはやサタンの堕落がなく、不義な事も起こらない。人類はみな地上で正常に生活し、神の加護のもとで生きるようになるだろう。神と人が共に安息に入るということは、人類が救われたこと、サタンは滅ぼされたこと、人における神の働きが全部終わったことを意味する。神はもはや人の中で働き続けず、人ももうサタンの支配下に生きることはなくなる。それゆえに、神はもう忙しく働かず、人はもう忙しく駆け回らない。神と人は同時に安息の中に入るようになる。

『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」(『言葉』第1巻)より編集

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