590  神を畏敬する者だけが試練においても証しできる

1  神に対するヨブの畏れと従順は人類の模範となるものであり、彼の完全さと正しさは人間がもつべき人間性の頂点でした。彼は神を見ることこそありませんでしたが、神は実在すると認識しており、そのために神を畏れました。そして神への畏れのために、神に従うことができました。自分がもつすべてのものについて、ヨブはそれらを神の意のままにさせましたが、一言も不満を漏らさず、神の前にひれ伏し、たとえいまの瞬間に神が自分の肉体を取り上げても、不満など言わずに喜んで受け入れると言ったのです。ヨブのすべての行ないは、彼の完全で正しい人間性によるものでした。

2  つまり、彼の純粋さ、正直さ、優しさの結果として、神の存在に対するヨブの認識と経験は揺らぐことがなかったのです。そしてこの土台の上に、神による導きと、万物において自分が目にした神の業に沿って、自分にすべきことを課し、神の前での考え方、振る舞い、行ない、そして行動の原則を標準化したのです。やがて時間とともに、ヨブの経験は、神に対する現実的かつ実質的な畏れをヨブの中に生じさせ、悪を避けるようにさせました。これが、ヨブが堅く保持する完全さの根源となっているものです。

3  ヨブは正直で、汚れのない、優しい人間性をもっており、神を畏れ、神に従い、悪を避けることを実際に経験しており、それと同時に「ヤーウェが与え、ヤーウェが取られたのだ」という認識をもっていました。ひとえにこれらのことにより、ヨブはサタンによるかくもひどい攻撃を受けながらも、しっかり立って証しをすることができました。またひとえにそのおかげで、神の試練が降りかかった際も神を失望させず、神に満足ゆく答えを返すことができたのです。

『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」(『言葉』第2巻)より編集

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