704  神を畏れ悪を避けるために必要な道

1  「神を畏れる」ということは、得体の知れない恐れや恐怖心を持つことではなく、回避することでも距離をおくことでもなく、偶像化や迷信でもありません。それは敬慕、尊敬、信頼、理解、思いやり、従順、献身、愛であり、無条件で不平のない崇拝、報い、そして帰服です。神に関する本物の認識がなければ、人間に本物の敬慕、本物の信頼、本物の理解、本物の思いやりや従順は存在せず、ただ恐怖と不安、懐疑、誤解、回避、逃避があるばかりです。

2  神に関する本物の認識なくして、人間に本物の献身や報いはあり得ません。神に関する本物の認識なくして、人間に本物の崇拝や帰服はあり得ず、ただ盲目的な偶像化と迷信があるのみです。神に関する本物の認識がなければ、人類は神の道に沿って行動することも、神を畏れることも、悪を避けることも到底できません。逆に、人間が関与するあらゆる活動や行為は、反抗と反逆、神についての中傷的な非難や悪意的な裁き、そして真理や神の言葉の真意に反した悪行に満ちることになるでしょう。

3  ひとたび神を本当に信頼すると、人は本当に神に従い、神を頼るようになります。本当に神を信頼し頼って初めて、人は本物の理解と認識を得ることができます。神に対する真の理解にともなって、神への真の思いやりが生じます。神に対する本物の思いやりがあって初めて、人間は本当に服従できるようになり、神に対する本物の服従があって初めて、人は本当に献身することができます。神への本物の献身があって初めて、人は無条件に不満なく報いることができます。

4  本物の信頼と依存、本物の理解と思いやり、本物の服従、本物の献身と報いがあって初めて、人は真に神の性質と本質とを知り、創造主の身分を知ることができます。創造主を真に知って初めて、自らのうちに本物の崇拝と帰服とを目覚めさせることができます。創造主に対する真の崇拝と帰服があって初めて、人は真にその悪の道を捨てること、つまり悪を避けることができるようになるのです。これが「神を畏れ、悪を避ける」ことの過程であり、また神を畏れ、悪を避けるということの全容でもあります。これは神を畏れ悪を避けることを成し遂げるために、越えなければならない道なのです。

『神を知ることについて』「序文」(『言葉』第2巻)より編集

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