地位という束縛からの解放

2022年4月12日

フランス 董恩

2019年、私は教会指導者になりました。何でも自分のやり方を貫き、本分に無責任で、適切な人員配置もできずに教会の生活に大きな影響を与えてしまい、深く後悔しました。そこで教会の働きをしっかりやろうと決意したんです。当時2人の班長の配置換えが必要でしたが、適任の後任者を見つけらなくて、気持ちは焦るばかりでした。「誰も代わりを見つけられなかったら、指導者に実践的な働きができないと思われて、私が代わりに交代させらるかも」。その時、張姉妹が頭に浮かびました。素質もよく、本分でも成果を挙げ、班長にはぴったりの人材です。後任の目星がついて、ほっと一安心でした。いい候補を選ぶことができて、これからの自分の仕事も楽になると思いました。

でもちょうどその時、他の教会の指導者の李姉妹から電話があって、教会に新しい信者が多く来たのに、水を灌ぐ人が足りないので、張姉妹に来てもらって、水を灌ぐ役割を担ってほしいと言われたんです。でもその時私は、絶対に譲りたくないと思ってしまいました。「張姉妹が異動したら、こちらの教会はどうなるの? 他の班長候補が見つからなければ、働きをこなすことができずに、私が交代させられるわ」。黙ったままでいると、李姉妹が言いました。「そちらの教会はベテランの信者が多いし、信仰心も厚いでしょう。張姉妹が異動しても、別の人を訓練すれば、働きには影響がないわ」と。そんなふうに言われて、反抗心が芽生えました。「軽々しく言うけど、人を育てるのは簡単じゃない」と思った。李姉妹の教会が困っているのはわかっていましたが、堕落した性質に支配されていた私は、彼女が何を言おうが、絶対に首を縦にふらず、自分勝手で、自分の教会のことしか考えない李姉妹に腹を立てました。私が折れようとしないので、李姉妹は諦めました。電話を切って後、落ち着かない気持ちのまま、「絶対に妥協しないし、誰に頼まれても張姉妹は渡さない」と決めました。次の日、私の指導者とこの問題を話し合いました。私の教会も人手が足りず、難しい状況にあるということを延々と説明し、反論の余地を与えないよう、自分たちの問題について語り続けました。そしてついに指導者も何も言えず、この話を引っ込めました。張姉妹を手放さずにすみ、私はとても満足でした。その夜、執事たちと張姉妹の昇格について話し合いました。李姉妹が困っていることや、指導者から張姉妹の異動を打診されたことは黙っていました。私が背景をすべて説明しなかったので、全員が張姉妹の昇格に同意しました。喜んだものつかの間、指導者が話があると言って突然教会にやってきたんです。働きの需要にしたがって、張姉妹の異動が決定したと伝えられました。全員がそれに賛同したので、私だけ、反対はできません。でもとても不満でした。自分の右腕を奪われたような気がしました。それから数日は、事の顛末を思い返すたびに腹が立って、本分にも身が入らず、夜も眠ることができずに寝がえりばかりうっては、この事について考えました。そして神に祈ったんです。「神よ、私は自分の地位を守るために張姉妹を手放したくなくて、そればかり考えてしまいます。神よ、この状況から抜け出せるようお導きください。自分を解放し、自己を認識できるようお助け下さい」。

祈った後、この御言葉を読みました。「あなたは滅多に真理を実践せず、しばしば真理に背を向けて、利己的で下劣な堕落したサタン的性質の中で生きています。自分の威信、評判、地位、利益を探し求め、真理を得ていません。それゆえあなたの苦しみは大きく、不安は数多く、多数の足かせをはめられているのです(『終わりの日のキリスト講話集』の「いのちの入りは自分の本分を尽くす経験から始まらなければならない」)。「人類のなんと残酷なことか。共謀と陰謀、お互いからのひったくり合い、名声や富の奪い合い、殺し合い……一体いつ終わるのか。神が語った何十万語もの言葉にもかかわらず、誰一人として目覚めてはいない。人々は自分の家族、息子や娘、職業、将来の見通し、地位、虚飾、金のために、また食べるもの、着るもの、肉体のために行動する。しかし一体、真に神のために行動している者はいるのか。神のために行動している者でさえ、神を知っている者は非常に少ない。自身の利害のために行動しない人はどれほどいるのか。自身の地位を守るために他人を抑圧したり排斥したりしない人はどれほどいるのか(『神の出現と働き』「悪人は必ず罰を受ける」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉に心を貫かれたようでした。サタンにより堕落し、名誉や富のためにいがみあう人類の醜さが暴かれましたが、それはまさに私のことでした。今回自分がしたことを振り返ると、指導者としての地位を守りたいばかりに、神の家全体の働きを考えず、張姉妹を失えば、教会の働きに支障が出て、自分の地位が危うくなることを恐れた。だから指導者との話し合いでも、断る理由を並べてたてて、自分が主導権を握って、張姉妹の本分を決めてしまった。李姉妹と指導者を騙そうとしたし、執事たちにも本当のことを言わなかった。自分の名誉や地位を守るために、一生懸命知恵を絞った。自分勝手で卑劣で不誠実でした。その時、自然界の野獣のことを思いました。縄張りや食べ物をめぐって戦い、殺し合い、強いものだけが頂点に立てる。人をめぐって争い、地位を守ろうとした私は、人間らしさのない野獣になったも同然。本当に恐ろしいことをしたと思いました。重荷を背負い、教会の働きのことを考えているように見せて、心の奥底では自分の地位のことしか考えていなかったんです。この御言葉のとおりです。「自身の利害のために行動しない人はどれほどいるのか。自身の地位を守るために他人を抑圧したり排斥したりしない人はどれほどいるのか」。ずっと張姉妹を支配しようとし、手放そうとしなかった。自分の教会のメンバーなのだから、彼女の本分を決めるのは自分だと考えた。我を通し、誰にも干渉させなかった。信じられないくらい傲慢で、人間らしさも理知もなかった! その時、自分が福音をしていた時のことを思い出したんです。終わりの日の神の働きを多くの信者が受け入れているのを見た牧師は、自分の地位が危うくなると考え、信者が真の道を調べることを阻止しました。福音を広める者を攻撃するだけでなく、信者は自分の羊だから、誰にも横取りさせない、などと言うのです! その時に気づきました。私の行動は、その牧師の行動と実質的には同じだと。自分の地位や、暮らしを守るために兄弟姉妹を自分の手中におさめ、異動することを許さず、神の小羊を独占し、彼らをめぐって神と争おうとした。そう思うと、とてつもなく怖くなり、恐ろしさに震えながら神の前で祈りました。「神よ、間違っていました。あなたに抵抗しました。悔い改めます」。

間もなくして、神は再び私を試そうとしました。他の教会の指導者からメールがあって、文書の編集作業に大至急助けがいること、私たちの教会の陳姉妹が編集が得意で、真面目に本分を尽くすと聞いたので、陳姉妹にその役目を任せたいと書かれていました。私はわかっていました。陳姉妹はこの本分に適任だということを。でも陳姉妹は私たちの教会の福音担当者として活躍していて、陳姉妹が異動してしまったら、福音がうまくいかなくなってしまうかもしれない。実践的な働きができず、私が取り扱いを受けることになったら、私は今の地位を失うかもしれない。他の人を探してもらおう。そう思いメールを無視しました。でもふと考えたんです。「張姉妹の時もそう、自分の地位を守りたいばかりに異動を拒んだわ。今回は邪魔するわけにはいかない」。でもやっぱりとても辛くて、迷った。「誰かの役割を変える必要があるたびに、どうしてここまで抵抗するのかしら。自分たちの働きへの影響や地位を失うことを心配してばかり。一体どうすれば名声や地位にとらわれずにすむの」と思った。そして静かに神に祈り、私が地位を縛られる本質を理解し、肉に背き、真理を実践できるよう導いてほしいとお願いしました。

デボーションで、この御言葉を読みました。「反キリストの振る舞いの本質は、地位を獲得し、人々を説き伏せて自分に従わせ、敬わせるという目標を達成すべく、常に様々な手段や方法を用いているということなのです。心の奥で人間を巡って故意に神と争っているわけではないかもしれません。けれども、一つ確かなことがあります。つまり、たとえ人間を巡って神と争っていなくても、やはり人のあいだで地位と権力を持ちたがっているということです。自分が地位を巡って神と張り合っていることに気づき、自分を抑える日が来たとしても、なお別の手段を使って教会での地位を獲得しようとし、他者の承認と同意を勝ち取ることで正当性を得られると信じています。つまり反キリストのなすことはすべて、一見すると忠実に本分を尽くしていることで成り立っているように見え、彼らが神への真の追随者であるかのように見えますが、人を支配し、人々のあいだで地位と権力を得るという彼らの野心は決して変わらないのです。神が何を言おうと、何を行なおうと、そして人々に何を求めようと、彼らは神の言葉や要求に沿う形で義務を果たしたり、本分を尽くしたりせず、神の発する言葉と真理を理解しても、権力や地位の追求を諦めたりもしません。最初から最後まで、彼らは自分の野心に食い尽くされ、言動と思考を支配および指示され、自分が歩む道を決定されます。これが反キリストの典型です。ここで強調されているのはどういったことですか。中には『反キリストは人々を獲得するために神と争い、神を認識しない人ではないでしょうか』と問う人もいます。反キリストは神を認識し、神の存在を真に認めて信じており、進んで神に従い、真理を追い求めるかもしれませんが、決して変わらないことが一つあります。権力や地位への野望を絶対に捨てず、自分の置かれた環境や自分に対する神の態度によって、地位や権力への追及を諦めることもない、ということです。それが反キリストの特徴です。いかに多くの苦しみを味わおうと、いかに多くの真理を理解しようと、いかに多くの真理の現実に入っていようと、またこれらの外面的な現象を超えて、神の知識をどれほど有していようと、彼らは地位と権力への野心や追求を抑えることも捨てることも決してなく、まさにそれが彼らの本性と実質を決定しているのです。神がそのような人たちに反キリストのレッテルを貼っても、少しも間違ってはいません。それはまさに彼らの本性と実質によって決まっているのです(『反キリストを暴く』)。神は反キリストの本性と特徴として、権力や地位を重要視し、生きがいにしていると暴露しています。名声、富、地位への欲望が、あらゆる言動の源、そして動機になっていて、神の羊を自分のものとし、神に反抗し、悔い改めることを拒否し、最終的には暴露され淘汰される。この御言葉を深く考え、恐ろしい気持ちになりました。確かに私は地位を重要視していた。最初は、地位を守るために張姉妹の異動を拒否した。そして今回、自分の地位のために再び異動を拒もうとしている。自分の地位のことしか頭になく、神の旨を考えることもなく、神の家の働きを気にすることもなく、地位を守ることばかりにとらわれ、神の家の働きをおろそかにし、人をめぐって神と張り合うことさえした。畏敬の念などありませんでした。神を信じるのではなく、地位や権力を信じることは、反キリストの本性と同じでは? 陳姉妹は編集が得意だし、喜んで作業にあたることはよくわかっていた。でも自分の地位を守るために、彼女の意見を聞くことも、特技を活かした本分を与えることもせず、まるで彼女の主のように、他の教会への異動を認めなかった。教会は自分の縄張りで、私の承諾なしには誰も異動できないと考えた。反キリストのように、皆を籠に閉じ込めて支配しようとした。自分の地位を確実なものにするために、素質があり能力の高い兄弟姉妹を自分の教会に囲い込み、まるで自分の財産かのように、支配しようとしました。自分の地位のために皆に苦労を追わせようとしました。このような野心は神に嫌われ、呪を受けるに値します。神を長年信仰してきたのに本当に大事なものが見えておらず、名声と地位に強く縛られ、反キリストの道を歩んでいました。その時、ある反キリストのことを思い出したんです。その人はいつも地位と名声を求め、指導者になると、自分の地位を固めるために、人を自分の支配下におき、独立国家を作ろうとしました。真理を受け入れず、独裁者のように振る舞いました。神の家の働きを乱し、ついには暴露され、淘汰されました。名声や地位を追い求めることは反キリストへの道であり、行きつく先は地獄です! 神が何度も私を暴露する状況を生み、自分がサタン的な本性をもち、誤った道にいることがわかったので、手遅れになる前に道を正せました。私に対する裁きである以上に、神の偉大な愛と救いでした! 神が背負った苦しみを考えると、譲歩する気持ちが芽生え、反抗心を感じなくなりました。神の采配はすべて私が必要としているものなのだから、心から悔い改め、従順な気持ちで状況を受け入れようと思いました。

その後、この御言葉を読みました。「本分とは何でしょうか。本分は自分で経営するものではありません。それはあなた自身の職業でも働きでもなく、神の働きです。神の働きはあなたの協力を必要としており、そこからあなたの本分が生じるのです。神の働きのうち人間が協力しなければならない部分こそ、その人の本分です。本分は神の働きの一部であり、あなたの職業でも、家庭のことでも、生活に関する個人的なことでもありません。あなたの本分が外部のことか内部のことかにかかわらず、それは神の家の働きであり、神の経営(救いの)計画の一部を成すとともに、神があなたに託した務めでもあります。あなたの個人的な仕事ではないのです(『終わりの日のキリスト講話集』の「真理原則を探し求めることでのみ、本分をよく尽くすことができる」)。「どのような本分を受け取っても、神が要求するとおりに尽くすべきです。たとえば、ある教会の指導者に選ばれたとすれば、その教会を率いることが本分です。ひとたびその働きを本分として受け入れたら、何をすべきでしょうか。まず、指導者としての働きを達成することだけが本分を尽くすことであると知らなければなりません。外の世界で役人として仕えているのではないのです。指導者になった以上、自分を役人と考えるのは的外れです。しかし同時に、『わたしは教会の指導者に選ばれたので、偉ぶってはならず、他の誰よりもへりくだらなければならない。みんなをわたしよりも上級で大事な人としなければ』と言うなら、その考え方も間違っています。真理を理解していなければ、どれほど自分を装っても何の意味もなく、正しい理解以外は何の役にも立ちません。まずは、指導者としての本分の重要性を理解しなければなりません。一つの教会には数十名も信徒がいることがあるので、その人たちをどうやって神の前へと導き、その大半に真理を理解させ、真理の現実に入らせるかを考えなければなりません。さらに、弱く消極的な人については、弱く消極的でいることをやめ、本分を尽くせるよう、潤し支えることにもっと時間を費やす必要もあります。本分を尽くせる人たちについては、真理を理解して現実に入り、原則通りに行動し、正しく本分を尽くして更なる効果を上げられるよう導かなければなりません。また、数年前から神を信じていながらも人間性が邪悪で、いつも教会の働きに干渉して邪魔をする人もいますが、そうした人は必要に応じて取り扱うか追放するかして、原則が命じる通りにふさわしい処理と采配をしなければなりません。さらに、何にもまして重要なことがあります。教会には比較的良好な人間性と若干の素質を持ち、働きの特定の側面を担える人もいます。このような人はみな、ただちに育成しなければなりません。彼らが潜在能力を発揮するのには訓練が必要だからであり、何の訓練も受けないと、何一つ立派にこなすことができないからです。……すべての人を最大限活用し、各人の能力を最大限生かして、それぞれができること、その素質、年齢、神を信じてきた期間に合わせて、適した本分を割り当てる必要があります。それぞれのタイプに合わせた個別の計画を立て、人によって計画を変えることで、彼らが神の家で自分の本分を尽くし、役割を最大限果たせるようにしなければなりません(『終わりの日のキリスト講話集』)。神の御言葉が明らかにしたのは、本分は個人的な営みではなく、神から与えられ、神の求めに応じて取り組むべきものだということです。人を育てることは、神が指導者に求めること。神は働きのために有能な人材を揃えた。だから指導者である私は、神の求めと原則に沿って本分を尽くさなければ。才能がある人を見つけたら、その人を育て、推薦し、全員をそれぞれにふさわしい場所に配置することで1人ひとりが特技を発揮しながら本分を尽くして、福音の働きを広めるために、より効果的に動くことができる。これこそが神の旨に沿い、兄弟姉妹が求めることです。神の旨を理解した私は、他の教会の指導者に、陳姉妹の異動を承諾すると伝えました。このように実践すると、心が軽くなった気がしました。そして、神の祝福が訪れたのです。思ってもみなかったことですが、その年の11月、福音の働きにより、前の月の3倍の信者を新しく獲得しました。これが神の働きによるものだとわかり、神への感謝と称賛が止まりませんでした。

かつては、名声や利益をめぐる争いや、名声や地位への渇望という堕落を憎むことはなかった。みんながサタンにより堕落させられ、このような性質をもち、数日では変わることなんかできない。そう思うと、真理を求め問題を解決する気になれなかった。でも神の御言葉の裁きと刑罰を受け、ついに地位や名誉を追うことの本質を見極めることができました。地位や名誉を追うことは神に抵抗すること。それを心から嫌悪し、真理を追い、悔い改め、変わろうと思えたんです。私がいま肉に背き、ある程度真理を実践できているのは、すべて神の働きのおかげです。全能神に感謝します!

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