ジョイのストーリー

2022年12月15日

今日のストーリーの主人公はジョイ。フィリピン在住の姉妹です。以前、彼女は感情で人に接し、相手が愛想よく接すれば、自分も親切にしていました。人を区別できず、原則がなかったのです。やがてある経験をして、彼女は理解しました。人と仲良く付き合い、人を見る原則が、間違っていると。特別な経験、特別な事情のおかげで、神の御言葉を基に人や物事を見て、原則をもって人に接する必要があるとわかったのです。大学生のジョイにはエマというクラスメートがいて、2人は大の仲良しでした。困難に見舞われるたび、ジョイはエマの助けを求め、友情を大事にしていました。

2021年2月、エマはジョイを全能神教会の集会に誘います。ジョイは全能神の御言葉を読み、交わりを聞くことで、全能神は主イエスの再来だと判断し、終わりの日の神の働きを喜んで受け入れました。数ヵ月後、ジョイは教会の潤し役の執事に選ばれますが。

そんなある日、エマが神を疑って教会を攻撃する誤謬や、指導者と執事への偏見を広めていることに、集会で突然気づきます。エマの言葉は不満と皮肉で一杯でした。さらに、それらは自分の考えではなくみんなの思いなので、指導者が集会を開き、その疑問に答えるべきだと言うのです。エマの空論と誤謬を聞いて、ジョイはショックを受けると同時に、不安にもなりました。集会グループのメンバーは全員、終わりの日の神の働きを受け入れたばかりの兄弟姉妹だったからです。グループにそんなメッセージを送ると混乱を引き起こし、基礎が浅く識別力のない人が躓くかもしれない。エマがなぜそんなことをするのか、ジョイにはわかりませんでした。自分の疑問に答えてもらいたければ、指導者に直接疑問を送ればいいのに。なぜ新人の間にそれを広めたのだろう? ジョイは途方に暮れました。間もなく、ジョイが恐れたように、エマの発言で教会に混乱と騒ぎが巻き起こり、それに影響された兄弟姉妹は、指導者や執事に偏見を抱き、矛盾を感じるようになりました。グループリーダーの1人がジョイに、「エマが言ったことは本当なの?」と訊きます。この状況に、ジョイはさらに不安を感じます。そこですぐエマに会い、いったいどうなっているのか、なぜあんなことを言うのかと尋ねました。「あなたが広めてる噂だけど、そのせいで教会は大騒ぎよ。指導者と働き手に偏見を持つ人もいる。エマ、なぜあんなことを言うの? どこから出た言葉なの?」「そんなこと、わたしは言ってない。指導者が集会を開いて疑問に答えてくれればいいの」。「じゃあ、指導者に直接送って、一緒に交わればいいじゃない。エマ、本当にあなたが考えた発言じゃないの?」「もちろんよ! 神の働きに観念なんか抱いてないもの」。「じゃあ、その疑問を口にしたのは誰なの? エマ、この噂の出所を教えて」。発言についてエマに訊いても、ジョイは答えを得られませんでした。何を訊いても、エマは答えようとしないのです。ジョイはこの件を指導者に報告しました。すると指導者もこの疑問の出所を突き止め、根源をすぐ解決したいと言うのです。しかしエマの口は固く、話そうとしません。その後の調査で、他の兄弟姉妹も疑問を言っていないことがわかりました。神の働きに観念を抱いていたのは、エマ自身だったのです。ネットから噂を集め、それを疑問の形にしたのですが、エマは認めようとしません。真相を知った指導者はすぐに集会を開き、エマの誤謬に逐一反論したので、兄弟姉妹はエマの発言を見抜くことができました。しかしエマ自身は自分の行為を認識せず、悔い改めません。

この一件のあと、指導者はジョイに尋ねました。「エマが正しい人じゃないとわかったらどうする? 真理の原則に沿って接することができる?」と。こう問われたジョイは、答えに窮してしまいました。その後、ジョイは指導者と一緒に御言葉の一節を読み、心が明るくなりました。エマへの接し方と、初歩的な方向がわかったからです。「神の言葉は、人がどのような原則で他人に接することを求めていますか。神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎め。これが順守すべき原則です。真理を追い求め、神の旨に従える人を神は愛します。それはまた、わたしたちが愛するべき人でもあります。神の旨に従えない人、神を憎み神に反抗する人は、神に嫌われますし、わたしたちも彼らを嫌うべきです。これが、神が人間に求めることです。……恵みの時代、主イエスは『わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか』『天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである』(マタイによる福音書 12:48、50)と言いました。この発言は恵みの時代にすでに存在していましたが、神は現在、『神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎め』というさらに明快な言葉を発しています。この言葉は急所を突いていますが、人はしばしばその真の意味を理解できません(『終わりの日のキリスト講話集』「自分の誤った考えを認識することでのみ真に変化できる」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉を聞いて、ジョイは神の御旨を少し理解しました。原則に沿って人と接するよう、神は求めています。御言葉に「神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎め」とある通りです。原則のどんな問題でも、また相手が誰でも、「神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎め」という御言葉を基に人と接しなければなりません。エマはわざと誤謬を広め、神についての観念と誤解、神の働きについての困惑を人に植え付けました。そのせいで教会生活が乱されましたが、それは本質的に悪事です。神は悪人を憎むので、人は神の側に立ち、悪人を拒んで悪事をやめさせ、集会を開いて御言葉を読むみんなの邪魔をさせてはなりません。これがわかったジョイは指導者に言いました。「エマが悪事をしている事実は受け入れがたいですが、ともかく事実です。もう邪魔も、押さえこまれもしません。神が授けた原則に沿って彼女と接します。教会が彼女を隔離するなら、わたしも彼女への感情を捨て、神を責めることはしません」。指導者はジョイに言いました。「たった今、兄弟姉妹がエマに惑わされるのを防ぐため、教会はエマを自主隔離させる決定を下した」と。エマの状況に、ジョイは不安でしたが、心では気づいていました。エマはサタンのしもべとして行動し、教会生活を乱した。指導者の采配は、兄弟姉妹が誤謬に惑わされるのを防ぐため。ジョイは何も言いませんでした。でも数日後、エマが再び連絡してきたのです……「ジョイ、自主隔離されてしまったわ! 指導者はわたしを集会グループから外してないけど、みんなと集まることを許さない。置き去りにされた気分よ」。「あなたは集会グループで誤謬や噂を広め、間違ったことをした。自分を反省しないと。悔い改めれば、集会に戻れるわよ」。「指導者に集会グループから外されないか不安なの。でも外すなら外すでいいわ。別のアカウントで他の地域から全能神教会に加入するから。どうせここじゃ邪魔者だもの!」「偽の身元で加入するつもり? 兄弟姉妹を騙すことになるわ」。「だから何?」エマの言葉にジョイは驚きます。悔い改める意志はないようです。そのうえ、偽のアカウントを作って教会に潜り込み、乱して邪魔する。サタンのしもべでなければ何でしょう? またエマの言葉は、誠実な人でないことを示しました。兄弟姉妹と教会を惑わそうとしているのです。そのとき、ジョイは潤し役の執事の責任を思い出しました。「問題が見つかったらすぐ、真理を求めて解決せねばならない。重大な問題は、教会指導者との交わりで解決すること。真実を隠してはならない」(『真理を実践する170の原則』)。潤し役の執事として、真理の原則を堅持し、妨害と惑わしから兄弟姉妹を守らなければと考えた彼女は、指導者にそれを伝えます。「エマが偽アカウントを作ろうとしてるの?」「チャットのスクリーンショットを送るので、見てください」。「こんな風に教会を乱し続けるエマは、きっと追放になる。でもわたしの友だちだし、福音を伝えてくれた。もし……」「姉妹、彼女を集会グループに残しておけると思いますか? そうすれば、偽アカウントを申請して他の教会を乱すことはない」。「悪事や妨害をしなければ、残してもいいでしょう。でも今は、自分の悪事や妨害を理解してない。まだ嘘をついて騙し、別の教会に忍び込もうとしてる。悔い改めてない証拠。悪人の本質があるなら、悔い改めて変わり、悪事をやめることはないはず」。指導者の言葉で、ジョイはやっと思い出します。自分はエマを教会に留めようと、感情で動いていたのだと。エマには自己認識がなく、いつか悪事をなし、教会を乱すでしょう。エマに再び嘆願しても、そうした言葉に原則はありません。

その後、指導者が調査を行い、エマに観念があり、真理を求めて問題を解決しないことを突き止めました。むしろ、わざと神を攻撃し、善悪を取り違えて誤謬を広め、兄弟姉妹を惑わし、神の働きについて観念を抱かせました。また集会で、グループリーダーは本分にふさわしくないとたびたび言い、彼らを消極的にして、本分の成果に影響を与えました。エマの行為は教会に深刻な妨害をもたらしましたが、悔い改めず、まさに悪人でした。結局、教会は除名の原則に沿ってエマを追放し、ジョイももうエマをかばいませんでした。しかし次に起きた出来事が、ジョイを苦痛に陥れたのです。

「どうしてチャットのスクリーンショットを他人に送ったの? もうあなたとは話さない。ジョイ、あなたがそんなことをするなんて。もう信頼なんかできない。ひどいことをしてくれたわね!」ジョイは何度も泣き、エマとの友情が終わりつつあるのを感じました。そしてエマと過ごした日々を振り返りました。困難があれば、エマは一緒に解決策を考えてくれたし、自分の思いを何度も伝え合った……でも今、エマにどう顔向けすればいいかわからず、どうしても心を落ち着けることができない。集会を主催しても、それに集中できない有様。彼女はひたすら自分を責めました。「わたしは本当にひどいことをしたの? 偽アカウントを手に入れて協会を乱すのを止めるもっといい方法があるはず……」自分の決断が正しかったかどうか、ジョイは疑問に感じ始め、動揺していました。自分のアカウントを停止し、兄弟姉妹を避けてすべてから逃げたい気分でしたが、自分の本分を捨てて問題を避けるわけにはいかず、積極的に解決策を求めるべきだとわかっていました。そこで、自分の状態を指導者に伝えたところ、神の御言葉の一節が送られてきました。「必ず肯定的な側面から入り、消極的ではなく積極的にならねばならない。どのような状況においても、誰にも何事にも動揺してはならず、誰の言葉にも影響されてはならない。安定した性質を持たねばならないのだ。人々が何と言おうとも、真理だとわかっていることをすぐに実践しなさい。誰と向き合っているときも、わたしの言葉が常に心の中で働いていなければならない。ゆるぎなくわたしを証しし、わたしの重荷に配慮できなければならない。自分の考えを持たないまま、無闇に他人に同意するのではなく、真理と合致しない事柄には立ち上がって反対する勇気を持たねばならない。何かが間違いだとはっきりわかっていながら、それを暴く勇気に欠けているなら、あなたは真理を実行する人ではない。あなたは何か言いたいと思っていながら、それをはっきり口にせず、遠回しな言い方をして話題を変える。つまり、サタンがあなたの内にいてあなたを抑え、無意味なことを話すばかりで最後までやり抜くことをできなくしている。あなたはいまだ心に恐れを抱いているが、それは、あなたの心が依然サタンの思考に満たされているからのではないのか(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十二章」〔『言葉』第1巻〕)。「御言葉はとても明快。神の家の働きや兄弟姉妹に害を及ぼす物事を見つけたり、サタンの妨害があったりしたら、立ち上がって勇気を持ち、それを暴いて止め、教会の働きを守らなければ。それこそが真理を実践する人。何かおかしいとわかっていても、感情に縛られ、人間関係が壊れるのを恐れて真理の原則に従えないなら、サタンの側に立ち、神の御旨に反してる。あなたは友人が誤謬を広めてるのを見つけ、彼女を暴いて止め、兄弟姉妹を害から守った。あなたは正しい選択をしたんだし、自分を責めたり悲しんだりしなくていいの」。「わたしの背丈はまだ小さく、見抜く力がありません。原則に沿って行動しても、エマに文句を言われ、責められると、動揺して自分が間違ってるんじゃないかと思いました。今は自分の選択と実践が正しかったとわかってます。教会の働きや兄弟姉妹のいのちが関わっていたら、原則をもってしっかり立つ。正誤を見分け、感情に縛られないようにしないと」。

神の御旨がわかったジョイは、心を静めて本分に専念しました。でも、話はそこで終わりません。エマが突然メッセージを送ってきたのです。「わたしはグループから外された。あなた嬉しい? 全部あなたのおかげよ」。皮肉と嘲りの言葉でした。ジョイはしばらく、どう返信すればいいかわからず、その瞬間、友情が終わったことを悟り、深い悲しみを感じました。そして思いました。「私たちは仲良しだったし、福音を伝えてくれたのは彼女。でも今、わたしは彼女の問題を指導者に報告した。彼女を裏切ったんじゃない? どう思われるだろう? どうすべきなの? 彼女に謝るべき? わたしは信頼を壊した。友情を大事にしなかったってこと? 自分は本当に正しいことをしたの?」困惑と苦痛に陥ったジョイは、御言葉の一節を読みました。「わたしに完全に従うことができない行為は裏切りである。わたしに忠実であることができない行為は裏切りである。わたしを欺き、嘘でわたしを騙すことは裏切りである。多くの観念を抱き、至る所でそれらを広めることは裏切りである。わたしの証しと利益を護れないことは裏切りである。心の中ではわたしから遠く離れていながら、作り笑いを浮かべるのは裏切りである。こうした行為はすべて裏切りであり、あなたがたはこれまでいつもこうした行為が可能だったし、これらはあなたがたの間で当たり前のこととなっている。あなたがたの誰一人として、これを問題だと考える者はいないが、わたしはそうは考えない。わたしは自分に対する誰かの裏切りを些細なこととして扱うことはできず、無視することもできない(『神の出現と働き』「極めて深刻な問題――裏切り(1)」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んだあと、ジョイは啓きを得て、こう思いました。「そうよ。わたしはいつも、友人を裏切ったかどうかを考えてる。自分の意見と振る舞いが真理に沿っているか、それとも神を裏切ってるかを考えないのはなぜ? 友人の感情ばかり気にして、神の態度を無視してはだめ。神の御言葉はとても明快。『わたしの証しと利益を護れないことは裏切りである』」さらにこう考えました。「エマは神の働きについての観念を広め、兄弟姉妹を惑わし、教会生活を乱した。しかも偽アカウントを作って人を騙そうとした。どれもサタンの行為だし、教会の働きを壊してしまう。エマの側に立って真理を実践しなければ、サタンの側に立って神を裏切るのと同じ!」ジョイは御言葉のことも考えました。「何があろうとわたしに忠誠を尽くし、勇敢に前進しなさい。わたしはあなたの力の岩である。だからわたしに拠り頼みなさい(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十章」〔『言葉』第1巻〕)。真摯に神に祈り、神にすがるべきだと感じたのです。神は自分を導いて正誤をわからせ、人を見極めることを教え、この件で原則と立場を失わないようにしてくださる。

その後、ジョイは思いました。「エマが間違いを犯してるのを見たわたしは、それを指導者に報告した。明らかに教会の働きを守ってる。エマに申し訳ないといつも感じるのはなぜ?」その疑問に、この御言葉が答えてくれました。神の御言葉にこうあります。「神との正常な関係がなければ、他の人たちとの人間関係を維持するために何をしようと、どれほど努力しようと、どれほどの労力を費やそうと、それはやはり人間の処世哲学に属するものになる。あなたは人々から賞讃されるよう、人間の観点と哲学を通じて、人々の間における自らの地位を維持しているが、神の言葉に従う形で人々との正常な関係を築いてはいない。人々との関係に重点を置かず、神との正常な関係を維持していれば、そして自分の心を進んで神に捧げ、神に従うことを学ぼうとしていれば、すべての人との関係は自然と正常なものになるだろう。……正常な人間関係というものは、神に心を捧げることを基盤として成り立つのであり、人間の努力によって築かれるものではない。心に神がなければ、人々の対人関係は単なる肉の関係である。そうした関係は正常なものではなく、自身を情欲に明け渡すことであり、神が嫌悪し忌み嫌う関係である(『神の出現と働き』「神との正常な関係を築くことは極めて重要である」〔『言葉』第1巻〕)。「何かをしたり言ったりするときには、常に心を正して義にかなうように行動し、感情に流されたり、自分の意志に従って行動したりしないようにしなさい。これが、神の信徒が自らを律するべき原則である(『神の出現と働き』「あなたと神との関係はどのようなものか」〔『言葉』第1巻〕)。ジョイは神の御言葉で理解しました。自分が人との関係を気にしすぎ、必死にそれを守ろうとしたことを。神との正常な関係を無視し、肉の感情の中で生きていたのです。事実、人との関係を守ることは、ひとえに自分の利益、イメージ、地位を守るため。肉の必要に由来しています。また、感情や個人の意志に汚されていて、真理の原則と符合しません。さらにジョイは気づきました。エマの件で心が揺らぎ、立場を持たなかったのは、感情に縛られ、正しいことを行なえなかったから。友情を守り、人の心の中のイメージと地位を守ることしか考えず、結果として感情の罠にはまり、真理の原則で人と接することができず、教会の働きを考慮できなかった。本分を諦め、兄弟姉妹から離れ、神を裏切ろうとしたほどです。そのとき初めて、感情は利己的なもので、サタンは感情を用いて人を操り、真理と神を裏切らせるのだと気づきました。さらに、エマが福音を伝えて集会に招いてくれたのも、実は神の主権と采配だったと気づきました。神はエマを使ってジョイを御前に導いたのだから、ジョイが感謝すべきは神で、エマではありません。ひとたびそれがわかったジョイは、大いに安心して苦痛がずっと減りました。

その後の集会で、ジョイは数名の姉妹と御言葉の朗読動画を見て、エマの本性をはっきり知ることができました。神の御言葉にこうあります。「兄弟姉妹のうち消極性をいつも発散している人は、サタンの僕であり、教会を乱す。そのような人は、いつか追放され、淘汰されなければならない。神への信仰において、人間に神を敬い畏れる心と神に従順な心がなければ、神のために働くことができないだけでなく、反対に神の働きを阻害し、神に反抗する者となる。神を信じながら、神に従うことも神を敬い畏れることもせず、代わりに神に反抗することは、信者にとって最大の恥辱である。信者の言動が常に未信者と同じく粗略で節操がなければ、そのような信者は未信者にも増して邪悪であり、典型的な悪魔である。教会内で毒々しい邪悪な言葉を放ち、兄弟姉妹の間で噂を広め、不和を助長し、派閥を組む者たちは、教会から追放されるべきであった。しかし、現在は神の働きの別の時代であるため、そのような人は制限を受ける。なぜなら、彼らは確実に淘汰されるからである。サタンにより堕落させられた者はみな性質が堕落している。性質が堕落しているだけの人がいる一方で、そうではない人もいる。そのような人は堕落した性質をもっているだけでなく、本性もまた悪意を極めているのである。彼らの言動が堕落したサタン的性質を示すのみならず、彼ら自身が真の悪魔サタンである。彼らのふるまいは神の働きを妨害し、混乱させ、兄弟姉妹のいのちへの入りを阻害し、正常な教会生活を破壊する。彼らのような羊の皮を被った狼は、遅かれ早かれ一掃されなければならない。こうしたサタンの僕に対しては、手厳しい態度、拒絶の態度で臨む必要がある。そのようにすることだけが神に味方することであり、そのようにできない人は、サタンとともに泥の中で転げ回っているのである(『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」〔『言葉』第1巻〕)。この一節は神の警告。これでわかった。真理を実践せず、噂を広めて不和の種を蒔く人は、神に逆らい抵抗する人。そうした人は神の選民じゃなく、サタンのしもべにして悪人。何をしても神に敵対するし、教会の規定に従えば、そうした人は追放すべき。神に感謝! 今、心は明るく、見抜く力を得た。エマの振る舞いを考えると、悪人なのは間違いない。ジョイは「本質に沿って人を扱う原則」の一節を思い出しました。「本質的に悪人、悪霊、反キリスト、不信者であると判断された場合、その人は教会の定めに従い、除名および追放されねばならない。頻繁に誤った見方を示し、神に観念を抱いて用心する不実な人は、不信者と見なされ、除名および淘汰されねばならない」(『真理を実践する170の原則』)。原則によれば、悪人は教会から追放し、教会が乱されるのを防ぎ、集会や本分でみんなが邪魔されないようにしなければなりません。ジョイはさらに理解しました。悪人による教会の妨害を神が許すのは、選民が真理を理解し、人を見抜き、御言葉に沿って人と接するようにするため。同時に、わたしたちは自分の本当の背丈を知り、真理を実践して教会の働きを守れるようになります。それに気づいたジョイは神への感謝で一杯でした。神の加護と御言葉の導きがなければ、いまだ感情に縛られ、悪人をかばい、エマに騙されていたでしょう。これは危険なことです! ひとたびそれに気づいたジョイは、もはや悩まされず、大きな解放感を覚えました。

その後、エマが何度か接触してきましたが、ジョイは影響されることも、乱されることもありませんでした。この経験を経て、ジョイは神に深く感謝しました。彼女が真理を理解し、見抜く力を持ち、感情の束縛から自由になったのは神のおかげだったのです。また、真理が人にとって何より大事なのもわかりました。真理を基に人や物事を見て初めて、原則を持つことができ、サタンに騙され利用されることがなくなるのです。神に感謝!

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