信仰:力の源

2022年12月15日

去年の夏だ。インターネットで調べていたら、兄弟姉妹がたくさんの真理を交わってくれた。例えば、主が再来する方法、神の御声を聞いて主を迎える方法、真のキリストと偽キリストの見分け方、神の6千年計画、真理のさまざまな側面など。全能神の御言葉もたくさん読んだ。2か月ほど調べてみて、全能神とは再来した主イエスだと確信した。感激して、全能神の終わりの日の働きを受け入れたよ。主の再来の吉報を家族に早く知らせ、彼らを神の御前に連れていきたかった。だけど、家族に福音を伝える前に、大隊長に呼び戻されたんだ。

だから後日、電話で伝えたんだ。主を迎える方法について話し出したときに、妻から「東方閃電を信じてるの?」と聞かれた。牧師が言ったそうだ。東方閃電の信者は家族を見捨てる、僕も信仰を手放すべきだと。それを聞いて、つらくて腹が立った。だから言った。「バカを言うな。牧師の言葉を、どうしてうのみにできる? 彼の言葉に何か根拠があるのか? 僕は4か月以上、全能神を信じてきた。君を見捨てたことがあるか? 家族をほったらかしにしてるか? 共産党は血眼になって信者を逮捕し、迫害し、多くの信者の家族を崩壊させてる。どうして彼らは事実を曲げ、信者が家族を求めてないと言えるのか。彼らの言葉はウソだ。彼らの風説やウソを絶対に聞いちゃいけない」それから、こう伝えた。「理知ある人物なら、主の再来に関する事柄を調べ、全能神の御言葉が神の御声か確認するはずだ。『ローマ人への手紙』第10章17節に、こうある。『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである』主イエスはおっしゃった。『わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る(ヨハネによる福音書 10:27)。神の羊は神の御声を聞く。僕たちも、主の再来に関するあらゆることを調べ、神の御声に耳を傾けなければ。神の御言葉は真理だ。力強く、権威がある。人が考えつく言葉ではない。全能神が主イエスの再来だと僕が判断したのは、彼の御言葉が真理であり、神の御声だと分かったからだ」全く聞く耳を持たなかった。電話を切るしかなかったよ。数週間後、また妻に電話したけど、電源を切られてしまった。でも夜の集会の時間になると、今度は妻が何度も電話を掛けてきたんだ。集会の最中も落ち着かないし、神の御言葉からも啓きを得られない。どうすればいいか分からず、この状況を切り抜けられるようお導きくださいと、神に祈った。その後、こう思った。この状況への神の御旨が分からなくても、信仰を持たなければならない。惑わされずに、集会に集中しなければ。すると、少し気持ちが落ち着いた。

だがある日、妻が突然電話を掛けてきて、こう言った。「あなたが東方閃電の説教を聞くために携帯電話を買ったから、娘が病気になったのに、治療費を払えない。信仰のせいで、あなたは娘をないがしろにしてる」妻がそう言ったのは、ただ僕に全能神を信じてほしくないからだ。必要ならお金は借りればいいし、子どもが体調を崩すのはよくあること。娘の病気に、僕が信者かどうかは関係ない。僕も娘のことを思ってるのに、どうして妻は誤解するのか。子どもの病気を口実に、僕を信仰から遠ざけようとするのを見て、本当につらかったよ。僕が何か言う前に、妻はこう続けた。「あなたがどうしても信仰を続けるなら、家族でいられなくなるかも」。僕は胸が張り裂けそうになった。まだ小さな子どもがいるのに、離婚したいのだろうか。ひどくつらくなって、何も言わずに電話を切った。だが、その後も妻の言葉が気になって、神を責めずにいられなくなった。こう思った。なぜ神は、家族の和を、娘の健康を守ってくださらなかったのか。

しばらくは、集会でも神の御前で自分を落ち着けられず、交わりにも啓きがなかった。そこで、神の御前にひざまずき、言ったんだ。「神よ、僕の背丈は小さいです。妻の言葉に落ち込み、弱気になっています。どうか僕のそばで、御旨を理解できるようお導きください」。その晩、全能神の御言葉の一節を読んだ。「人が試練を受けている際に弱くなったり、自分の中で消極性が生じたり、神の旨や自分の実践の道が明らかでなくなったりするのは普通のことである。だがいずれにせよ、あなたはヨブのように神の働きを信じなければならず、神を否定してはならない。ヨブは弱く、自分が生まれた日を呪ったにもかかわらず、人生におけるすべての物事がヤーウェによって授けられること、そしてそのすべてを奪うのもまたヤーウェであることを否定しなかった。いかにして試されようとも、ヨブはこの信念を堅持した。あなたが自分の経験の中で、神の言葉を通じてどのような精錬を受けようとも、神が人類に求めるのは、要するに神への信仰と愛である。神がこのようにして働きを行なうことで完全にするのは、人々の信仰と愛、そして志である。神は人々を完全にする働きを行なうが、人はそれを見ることも、それに触れることもできない。こうした状況において、あなたの信仰が必要とされるのである。肉眼で見えない何かがあるときに、人々の信仰が必要とされる。また、あなたが自分の観念を捨てられないとき、あなたの信仰が必要とされる。神の働きについてよく理解できないとき、あなたに求められるのは信仰をもつこと、そして揺るぎなく立って証しをすることである。ヨブがこのような状態に達したとき、神がヨブの前に現われ、ヨブに対して語った。つまり、あなたが神を見られるのは自分の信仰の中からだけであり、あなたに信仰があるとき、神はあなたを完全にするのである。信仰がなければ、神はそれを行なうことができない(『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んで分かった。天国への道は必ずしも順風満帆ではない。さまざまな苦難や試練があるし、嫌なこともたくさん起こる。でも、それを乗り越えてこそ、自分の信仰が本物か、神への証しをできるかが明らかになる。妻から全能神への信仰を反対された当初は、妻に対して証しを続けられる信仰があった。だけど、妻から離婚を切り出され、子どもが病気になると、僕は文句を言い始めた。家族の和が守られないことも、子どもの病気も、神のせいにした。僕の信仰は本物ではなかったんだ。いくつか悪いことがあったからと神を責めるなんて、そんな証しがあるだろうか。不思議に思ったよ。なぜ家族に何か起こった瞬間に、神への信仰を失ったのか。なぜ神を責めずにいられなかったのか。

神の御言葉の一節を読んだら、信仰に対する間違った考え方が少し分かったんだ。全能神は言われます。「あなたは現在、わたしが語る言葉を信じず、わたしの言葉を気にかけない。この働きが広まる日が来て、あなたがその全体を目にするとき、あなたは後悔し、唖然とするだろう。祝福はあるが、あなたはそれを享受することを知らない。また真理はあるが、あなたはそれを追い求めない。あなたは、自分自身を侮辱しているのではないか。現在、神の働きの次なる段階はまだ始まっていないが、あなたに対する要求や、あなたが生きるよう求められていることに、例外的なものは一切ない。働きと真理は非常に数多くあるが、あなたがそれらを知る価値などないのではないか神の刑罰と裁きは、あなたの霊を目覚めさせることができないのか。神の刑罰と裁きは、あなたに自分を憎ませることができないのか。あなたはサタンの支配下で、平安と悦楽、そして少しばかりの肉の享楽を持ちながら暮らすことに満足しているのか。あなたはあらゆる人の中で最も卑しい者ではないのか。救いをその目で見ておきながら、それを得ようと追求しない者以上に愚かな者はいない。そのような者は、肉を貪り食い、サタンを堪能する人々である。神に対する自分の信仰が、どんな困難や患難も、あるいはわずかな苦難も招かないことを、あなたは望む。そうした無価値なものを常に追い求め、いのちの価値を一切認めず、自分の途方もない考えを真理よりも優先している。あなたには何の価値もない。……あなたが追い求めているのは、神を信じた後に平安を得られるようになること――つまり、自分の子が病気にかからないこと、夫がよい職に就くこと、息子がよい妻を見つけること、娘がしっかりした夫を見つけること、牛や馬がうまく土地を耕すこと、一年間、作物に適した気候となることなどである。これが、あなたの求めることである。あなたの追求は、ただ快適に暮らすためであり、自分の家族に事故が起こらないこと、風が自分に当たらないこと、顔に砂がかからないこと、一家の作物が洪水に遭わないこと、自分が災害を受けないこと、神に抱かれて生きること、居心地のよい住処で生活することである。常に肉を求める、あなたのような臆病者には、心や霊があるだろうか。あなたは獣ではなかろうか。わたしは何も見返りを求めずに、真の道を与えるが、あなたは追い求めない。あなたは神を信じる者の一人なのか。わたしは真の人生をあなたに授けるが、あなたは追い求めない。あなたは豚や犬と何が違うのか。豚は人生も、清められることも追求せず、人生とは何かを理解しない。毎日、食べたいだけ食べた後、ただ寝るだけである。わたしは、あなたに真の道を与えたが、あなたは依然それを得ていない。つまり手ぶらである。このような生活、つまり豚の生活を続けることを、あなたは望んでいるのか。このような人々が生きていることの意味は何か。あなたの生活は軽蔑すべきもの、恥ずべきものであり、あなたは汚れと放蕩の中で暮らし、何の目標も目指していない。あなたの人生は、最も下劣ではなかろうか。あなたは、厚かましくも神を見上げるのか。このような経験を続けるならば、得る物は何もないのではないか。真の道はあなたに与えられているが、最終的にあなたがそれを得られるかどうかは、あなた自身の追求によって決まる(『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」〔『言葉』第1巻〕)。この御言葉に答えがあった。僕の信仰の目標と視点は間違ってた。真理を得るためではなく、家族が健康で安全で、気楽に暮らせるための信仰だった。神に抱かれ、神の恵みを享受して生きたかっただけ。神の祝福があるときは、神に従う信仰があったのに、家庭に問題が生じ、子どもが病気になると、「家族を守ってくれない」と文句を言い、神を責めた。僕には信仰がなかったんだ。自分に起きたことを不当だとさえ思ってた。自分の信仰は神から祝福されるべきで、そういった事態に遭遇すべきではないと。僕の信仰は、もっぱら祝福を受けることが前提になっていたために、試練に耐えられなかったんだ。神を信じあがめることは、当然で自然なこと。子どもの親孝行と同じで、神と取り引きしてはいけない。なのに僕はいつも、神から何か得よう、神の恵みと祝福を得ようとしてた。良心も理知もなかった。神がおっしゃる、心も霊もない人間だった。そんな僕が、どうして御旨に沿えるだろうか。そのとき、これらの困難は、神の承認によって起きたのだと分かった。困難を経験して、信仰に対する間違った視点が浮き彫りになったことで、神の御言葉を通して自省し自己認識を深め、誤った考えを改め、神への真の信仰を得られた。それが神の清めであり、救いだったんだ。御旨を理解することで、信仰を得られた。すると、家族の和や祝福を求める気持ちがなくなった。集会には、然るべきときに出なければ。そして神の御前で決意を固めたよ。この先どんなことがあっても、真理を追求し続けると。

その後、全能神の別の御言葉を読んだ。「『信仰』というこの言葉は何を指すのか。信仰とは、見ることも触れることもできないものがあるとき、神の働きが人間の観念にそぐわないとき、また、それが人間の手に届かないときに、人間がもつべき真の信念であり、誠実な心である。これこそが、わたしの言う信仰である。苦難や精錬のとき、人は信仰を必要とする。そして信仰の後には精錬が続く。精錬と信仰は切り離せないのである。神がどのように働きを行なおうと、また自分の環境がどのようなものであろうと、あなたはいのちと真理を追い求め、神の働きに関する認識を求め、神の業を理解し、真理にしたがって行動することができる。そうすることが真の信仰をもつということであり、あなたが神への信仰を失っていないことを示している。あなたが精錬を通じて真理を追求することにしがみつき、神を真に愛し、神への疑念を募らせない場合にのみ、そして神が何をしようとも真理を実践して神を満足させ、神の旨を深く求め、神の旨に気を配ることができる場合にのみ、あなたは神に対する真の信仰をもつことができる(『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉から、物事がうまくいくときも、いかないときも、神を疑ったり、責めたりしてはいけない。御旨を求め、神の側に立ち、御言葉どおりに行動し、どんなに苦しくても神を満たさなければ。それこそが真の信仰だ。そのことを理解すると、実践の道と、神に従う信仰が得られた。

後日、母に電話を掛け、妻の様子を尋ねた。母の話では、妻は何日も、我が家のことはほったらかしで、妻の実家で過ごしてて、全く別人のようだとのこと。それ以外にも、僕は間違った道を歩んでる、僕の信仰は主イエスへの裏切りだと、牧師が言ったとのことだった。僕を教会に戻せ、東方閃電への信仰を捨てさせろとも言ってたそうだ。それを聞いて、とても腹が立ち、なぜ聖職者がそんなウソをつくのか考えた。人々を惑わす風説を彼らが流すせいで、妻は僕の全能神への信仰に反対した。このままではいけない。彼らに何を言われても、聞く耳は持てない。僕は考えた末、母に言った。「お母さん、聖職者の言葉を聞いてはいけない。全能神は数多くの真理を発してきた。それらは神の御声だ。全能神は再来した主イエスなんだ。全能神と主イエスは同じ神。だから全能神への信仰は裏切りではない。小羊の足跡をたどり、主を迎えられる」。それを聞いた母は、何も答えなかった。

それから僕は妻に電話を掛けた。驚いたことに、妻は怒って言った。「なぜ電話してきたの? 私たちのことは、どうでもいいんでしょ? 今すぐ、どちらか選んで。東方閃電か、私たち家族か。私のことは構わないけど、子どものことは考えて。まだ生後8か月なのよ」。本当につらかった。理解できなかったよ。僕は全能神の御言葉を集め、読んでただけ。正しい道を歩んでた。家族が要らないとか、娘がどうでもいいとか言ったことはない。なぜ妻は、そんな選択を迫るのだろう。こう思った。妻は全能神への信仰について知らないし、僕が何を言っても聞かないだろうと。でも信仰を捨てるわけにはいかない。僕はもう、全能神が再来した主イエスだと確信してた。妻が何を言っても、全能神に従い続ける。僕が返事せずにいると、妻は電話を切ってしまった。妻の言葉に心が乱れたけど、前のように神を責めるわけにはいかない。信仰を持ち、神にすがって乗り切るしかなかった。そんなとき、神の御言葉の賛美歌を聴いたんだ。『あなたは真理のために全てを捨てるべきだ』だ。「あなたは真理のために苦難を受け、真理に自分を捧げ、真理のために恥辱を忍ばねばならず、またより多くの真理を得るために、さらに多くの苦難を受けなければならない。これこそがあなたのなすべきことである。あなたは平穏な家庭生活のために真理を投げ捨ててはならず、一時的な享楽のために、自分の一生の尊厳や人格を失ってはならない。あなたは、美しく素晴らしいすべてのこと、またいっそう有意義な人生の道を追求すべきである。このような俗悪な生活を送り、何の目的も追い求めないのであれば、あなたは人生を無駄にしているのではないか。そのような人生から何が得られるのか。あなたは、真理のために肉の享楽をすべて捨て去るべきであり、わずかばかりの享楽のためにすべての真理を投げ捨ててはならない。このような人には品位も尊厳もなく、その存在には何の意味もない(『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。神の御言葉は、信仰を強めてくれた。信者として、真理を追求することが唯一意味のある生き方。家庭の問題や肉における困難のために信仰を失うわけにいかない。信仰を失い、神をあがめない人生には、意味も価値もない。家族が足かせになっていはいけない。家族も娘の健康もすべて神の手中にあるのだから、神に委ね、その采配に従わなければ。僕は、できる限り真理を追求し、本分を尽くす必要があった。

その後、身分証明書の更新で、帰宅することになったんだ。福音を伝える、いい機会だと思い、心待ちにしてた。でも不安もあった。妻と母は僕の信仰に反対してるし、地域の人たちも僕の信仰を知ってる。もし、地元の聖職者が帰宅を知ったら、絶対に干渉してくるだろう。何が起こるか分からない。そこで神に祈った。「神よ。今回の帰宅で、家族に福音を伝えたいのですが、家族からは猛反発され、聖職者からも邪魔されてます。交わりを聞いてくれるか心配です。神よ、あなたにすがりたいのです。家族をあなたの手に委ねます。どうか僕と共にいて、道を開いてください」

そして、別の御言葉の賛美歌を聞いた。「人や物事に遭遇する度、神の言葉が現われ、神の旨にしたがって行動するよう導きます。神の言葉にあるすべてのことをしなさい。そうすればあなたの一つ一つの行動において、神があなたの前進を導きます。あなたは道に迷うことがなく、新たな啓きをさらに得て新たな光の中で生きられます。どうしようかと人間の観念で思い悩んではなりません。神の言葉の導きに従い、澄んだ心をもち、神の前で静まり、さらに熟考すべきです。理解できないことを解決しようとして気を揉んではいけません。それらの事はもっと神の前に持ってきて、真心を捧げなさい。自分にとって神は全能だと信じなさい。神を強く切望し、飽くことなく求めつつ、サタンの言い訳、意図、策略を拒否しなければなりません。絶望してはいけません。弱気になってはいけません。一心に求め、一心に待ちなさい。神と積極的に協力し、内なる障害を取り除きなさい(『小羊に従って新しい歌を歌おう』「神の言葉に従えば道に迷うことはない」)。この賛美歌を聴いて、この帰宅に神の御旨があると分かった。信仰が薄いせいで、御旨を理解できてなかっただけ。この事態を切り抜けるには、神にすがるしかない。「自分にとって神は全能だと信じなさい」という歌詞が心に強く残った。御言葉は信仰を与えてくれた。こう思ったよ。日々何があっても、神の許しがあってのこと。神を心からすがって仰ぐ限り、神は御言葉どおりに導いてくださるはず。

帰宅した当初、妻は僕を無視してた。だがそれは、牧師の影響にすぎない。神の終わりの日の働きについて、妻に話す必要があった。そうすれば、妻は真理を知り、牧師に惑わされずに済む。そこで神に祈り、お導きを求めた。そして妻に、心を込めて根気よく伝えた。「君と僕の母は、全能神の終わりの日の働きを調べ、彼の御言葉を読むべきだ。そうすれば、それが神の御声であり、人々に向けられた神の御言葉であり、全能神が主イエスの再来だと分かる。調べようとも、神の御声を聞こうともせず、聖職者が流す風説やウソに耳を傾けておいて、どうして主を迎えられるだろうか。主イエスはかつて、おっしゃった。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう(マタイによる福音書 7:7)。主は誠実なお方。心から求める限り、僕たちは神の御声を聞き、主の再来を迎えられる」。意外な反応だったよ。反対したり言い争ったりせずに、ただ黙って聞いてた。神のお導きだと思い、心から神に感謝した。おかげで神の働きを伝え続ける自信を持てた。

翌日、妻と母の2人に福音を伝えた。「なぜ僕が全能神の終わりの日の働きを受け入れたか分かる? 全能神の御言葉を読んで、それがすべて真理で、神の御声だと分かり、全能神が主イエスの再来だと確信したからだ。終わりの日、全能神は何百万もの御言葉を発され、6千年の経営計画と聖書のあらゆる奥義を明らかにされた。また、人類が今日までどう発展し、サタンがどう僕たちを堕落させたか、神が人類を救うためにどう段階的に働き、どう僕たちの結末と終着点をお決めになるか、どんな人が完全に救われて天国に入り、どんな人が懲罰されるか、全能神は、そのすべてを教えてくださった。ほかにも、人間がサタンに堕落させられる過程の真相、僕たちが神に抵抗する根源を教えてくださった。さらには、僕たちの罪が完全に清められる道も示してくださった。一言一句が真理なんだ。力強く、権威がある。全能神はこれらの御言葉を、僕たちを清めて変えるため、サタンの力から僕たちを完全に救うために発された」。ここで2人に言った。「真理を発して人を救えるのは誰だと思う? 神だけだ! 人間は真理を持ってない。キリストだけが道であり、真理であり、いのちだ」。そして、こう続けた。「全能神の御言葉をじっくり読んでみて。それらが真理であり、神の御声であり、全能神が主イエスの再来であると分かるはず。主が戻られたという証しを聞いたのに調べもせず、牧師が言ったからと不用意に非難してたら、主を迎えるチャンスを失ってしまう。残念すぎるよ」。母は、こう言った。「確かにそうね。神が人類をお創りになったのだから、人ではなく、神の言うことを聞かなきゃ」。その言葉に僕は大喜びして、全能神に感謝した。母はこう続けたよ。「以前、家族のためのお祈りを牧師に頼んだら、こう言われたの。『あなたの息子は聖職者である我々の言うことを聞かず、我々の許可を得ずに全能神に従ってる。我々を完全に度外視してるのだから、家族の問題に関しては我々に助けを求めず、自分で解決しなさい』と」。それを聞いて、とても腹が立ち、母に言った。「聖職者である以上、信者を先導して主の再来の知らせを調べるべきだ。それを拒むばかりか、信者を脅して、主を迎えさせないようにするなんて。彼らの本当の動機は何だ? 人々をしっかり手中に収めようとしてるだけでは? 主イエスはパリサイ人をこう呪われた。『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。主イエスが現れて働かれたとき、パリサイ人たちは激しく反抗し、非難した。ユダヤ人をしっかり手中に収めるためだ。ついには主イエスを磔刑にし、神から呪われ、懲罰された。今日の聖職者もパリサイ人と変わらない。求めて調べることを拒むだけでなく、信者を真の道から遠ざけてる。神の敵のような振る舞いだ! 最終的には呪われ、懲罰されるだろう」。

それから2人に、主を迎えるには神の御声を聞く必要があり、それが賢い乙女になって主を迎える唯一の方法だと証しをした。そして、こう促した。「全能神の最後の日の働きをよく調べて、彼の御言葉をじっくり読み、本当に神の御声かどうか確かめてほしい。2人が聖職者に惑わされ、支配されるのは嫌だ。見定める力を持ってほしい」。僕の言葉に、母はこう言った。「そうね。私はいつも聖職者の話を聞いて、あなたが間違った道を歩むのを恐れてた。だから、あなたを全能神の信仰から遠ざけようとしたの。でも、あなたの交わりは聖書に基づいてる。聖職者が説く話は事実ではないのね。私も調べてみる」。妻は、ずっとそばで聞き入ってた。その後、全能神の御言葉をたくさん読み聞かせて、神に従うのと人に従うのとの違い、今、神が肉において最後の裁きの働きを行っている理由、神の終わりの日の働きの意義について交わった。そうして数回の交わりを経て、2人は全能神の終わりの日の働きを受け入れてくれた。2人が神の御前に出るのを見て、感激し、心から神に感謝したよ。すべては神の愛だ。

その後、妻は心を開いてくれた。そしてこう言った。「私があなたに猛反発して、離婚をにおわせすらしたのは、牧師の言うことを聞いてたから。教会に行くたびに、あなたが間違った道にいるから引き戻しなさいと牧師から言われたの。牧師の言葉が正しかったらと心配になって、あなたに反論ばかりして、あなたの言うことを全く聞かなかった。でも今回、全能神の御言葉を読んだり、あなたの交わりを聞いたりして、自分の心配が全く的外れだったと分かったわ」。妻は続けた。「神の新しい働きに対する自分の態度を振り返ると、本当に怖くなる。私は神に抵抗し、主の再来を迎える機会を失うところだったのね」。それから僕に、こう謝った。「あんなふうに接するべきじゃなかった。本当にごめんなさい」。「ごめんなさい」という妻の言葉を聞いて、本当に感動した。目に涙が浮かぶほどだったよ。神に心から感謝した。

でも、この経験の中で、人類を救おうとする神の努力が感じられた。こういった困難は、神の許しの下で起こる。僕たちの堕落や欠点を暴き、神への信仰を完全にするためだ。時には苦しみ、弱気になり、悩むこともあるが、神は決して僕のそばを離れず、いつも御言葉で導いてくださる。おかげで、信仰への間違った考え方に気づき、真理をいくつか学び、神への信仰が強まるんだ。すべて神のお導きだ! 神に感謝を!

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