338 神への忠誠の表現はどこに
1 あなたがたは何年もの間わたしに従ってきたものの、忠実の片鱗さえわたしに示したことはない。そのかわりに、自分が愛する人々や自分の気に入るものの周りを回ってきただけである。そうするあまりに、いつでも、どこへ行こうとも、あなたがたはこれらを心に留め、見捨てたことはない。あなたがたが自分の愛する何か一つのことに夢中になったり情熱的になったりするのは、必ずわたしに従っているときや、さらにはわたしの言葉に耳を傾けているときである。それゆえ、わたしがあなたがたに求める忠実を、あなたがたは「愛玩物」に忠実であり、それを可愛がるために代わりに使っている、とわたしは言うのである。あなたがたはわたしのために犠牲の一つや二つ払うかもしれないが、それはあなたがたのすべてを表しておらず、あなたがたが本当に忠実なのはわたしであると示してもいない。
2 あなたがたは自分が情熱を感じる活動に関わる。息子や娘に忠実な人もいれば、夫や妻、富や仕事、上司、地位、女性に忠実な人もいる。自分が忠実なことについては、うんざり感じたり悩まされたりすることは決してない。それどころか、そういうものをさらに大量に、さらに高品質のものを所有することにますます熱心になり、決してあきらめない。わたしとわたしの言葉は、あなたがたの情熱の対象の後ろに押しやられる。それらは最下位に置かれるより他にない。この最下位をこれから発見し、忠実になるもののために空けておく人さえいる。そのような人の心の中にわたしの形跡がわずかでもあったことはない。
『神の出現と働き』「あなたは誰に忠実なのか」(『言葉』第1巻)より編集