第五十五章
いわゆる正常な人間性は、人々が想像するほど超自然的なものではない。むしろ、それはすべての人、出来事、および物体の束縛、そして環境から生じる迫害を超越することができる。どんな場所や状況でもわたしに近づき、わたしと交わることができるのである。あなたがた人間はいつもわたしの意図を誤解する。わたしが、あなたがたは正常な人間性を生きるべきだと言うと、あなたがたは自制し、自分の肉を抑制するが、霊の中で慎重に探し求めることに一切注意を払わない。上辺の見かけだけに集中し、わたしがあなたの中で生じさせた啓示と感動を無視している。あなたは何と不注意なことか。あまりにも不注意である。わたしがあなたに託したことを完成させるのを、何らかの偉業と見なしているということか。あなたは愚かだ。あなたは深く根を下ろすことに注意を払っていない。「木の葉ではなく、木の根になりなさい」──本当にこれがあなたの座右の銘なのか。思慮のない者よ。不注意な者よ。あなたは、自分がささやかな利益を得たと思うや否や満足する。あなたはわたしの旨を少しも気にかけない。これからは注意を払い、受動的になってはならない。否定的になってはならない。あなたが仕える時は、わたしにもっと頻繁に近づき、わたしともっと交わりなさい。これがあなたの唯一の脱出の道である。わたしはあなたがすでに自分自身を否定し、自分の欠点について知り、また自分の弱点を認識していることに気づいている。しかし、単に知るだけでは十分ではない。あなたはわたしと協力しなければならない。そして、ひとたびわたしの意図を理解したら、それらをすぐに実行しなさい。これがわたしの重荷への配慮を示す最良の方法であり、服従する最良の方法である。
あなたがわたしをどのように扱おうと、わたしはあなたとすべての聖徒たちにおいてわたしの旨を遂行したいと望む。そしてわたしは、それが妨げられずに全土で成し遂げられることを願う。このことに十分留意しなさい。これはわたしの行政命令に関することである。あなたはほんの少しも恐れていないのか。あなたは自分の行動やふるまいを思い、恐れに震えていないのか。すべての聖徒たちの間に、わたしの意図を感じ取れる者はほとんどいない。あなたはわたしの旨を真に気遣う人として際立ちたくはないのか。あなたは気づいているか。現在におけるわたしの差し迫った意図は、わたしの旨を絶対的に気遣うことができる一群の人々を探し出すことである。あなたはその一人になりたくはないか。あなたはわたしのために自らを費やし、わたしに自らを捧げたいとは思わないのか。あなたは最小限の代価すら払おうとせず、ごくわずかな労力さえも捧げようとしない。もしこのようなことが続くなら、わたしの苦心の努力はあなたがたに無駄に費やされたことになる。わたしがそれを指摘した今、あなたはこの問題の深刻さをまだ理解していないのか。
「心からわたしのために尽くす者よ、わたしは必ずあなたを大いに祝福する」。これが分かるか。わたしはこれを何度もあなたに告げたが、あなたはまだ多くの疑念を持ち、家族の状況と外部の環境を恐れている。あなたは何が自分のためになるのか、本当に分かっていない。わたしは正直で、単純で、率直な人たちだけを用いる。あなたは喜んで、そして進んでわたしに用いられてきた――それなのに、なぜまだそんなに心配しているのか。わたしの言葉はあなたに何の効果もないということなのか。わたしは、あなたを用いていると言ったが、あなたはそれに揺るぎない自信を持つことができない。あなたは、わたしがあなたを見捨てることを恐れ、常に疑っている。あなたの観念はとても頑なである。わたしがあなたを用いていると言えば、あなたを用いているという意味なのだ。どうしてあなたはいつもそんなに疑い深いのか。わたしはいまだ十分明瞭に語っていないのか。わたしが言った言葉はすべて真実である。偽りの言葉は一つもない。わが子よ!わたしを信頼しなさい。わたしに尽くしなさい。そうすれば、わたしは必ずあなたに尽くそう。