序文

終わりの日の神の働きを証しする全能神教会制作の映画の継続的な上映は、神の選民の間に大反響を引き起こし、様々な宗教・宗派を揺るがしました。現在これらの映画を見て、全能神の働きと言葉を求め考察している人々がたくさんいます。人類は神の言葉を通して、すでに目覚めつつあります― 神の言葉は全人類を導き、すべてのことを成し遂げるでしょう。そして、それは実現する過程にあります。これは、映画を通して神と神の働きを証しをすることが成功し実を結んだ十分な証拠です。神の選民がより早く真理を理解し、現実の中へ入り、神を崇め、神を証しし、神の出現を切望するすべての人々が真の道をよりよく考察できるように、全能神教会の編集チームは、真理に関する鍵となる質問と解答をこれらの映画からまとめて、「神の国の福音に関する典型的な質問と解答」と題した本を編集しました。この本に抜粋されているこれらの典型的な解答はみな、神の選民が持つ真理の経験と理解が元になっています。それらは聖霊の啓きと照らしから生じたものであり、完全に真理と一致するものであると言えます。この本は、真の道を模索し考察する人々が抱える問題や観念を解決できるだけでなく、神の選民が真理を備え、神の働きを証しするための素晴らしい参考資料でもあります。これらの典型的な解答は、人々が真理を追求し理解するのに大いに役立ちますが、もちろんこれは、私たちが真理を完全に理解しているという意味ではありません。結局のところ、私たちの経験はまだ浅過ぎ、私たちの真理の理解は限られています。真理の前では、私たちはみな永遠に幼児であり、私たちが交わりの中で分かち合う理解は、真理と一致しているとしか言えません。それを真理と呼ぶことは絶対にできません。また、それを神の言葉と同一視することは決してできません。神のすべての選民がこの本に正しく接することが私たちの願いです。

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質問 1:聖書は神様の業の証しであり、人類に驚くべき利益をもたらしました。聖書を読むと、神様は全ての創造主であり神様の驚異的で偉大な行い、そしてその全能性が理解できます。聖書は神様の言葉の記録であり、神様についての人の証言ではあるものの、ではなぜ人は聖書を読むことによって永遠の命を得ることができないのだろうか? なぜ永遠の命の道については書かれていないのでしょう?

回答:聖書を読むと、神様は全ての創造主であり、私達は神様の驚くべき行いに気づき始めます。これは聖書が神様の最初の2段階の御働きを証しするものだからです。律法の時代と恵みの時代の神様の御言葉と御働き、そして人の証しの記録だからです。ですから、聖書は私達の信仰にはとても重要なのです。…

質問 8:宗教界では2千年間も、聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、全て神が発せられた御言葉であると信じてきました。つまり聖書は主を代弁するものだと。聖書が神様の霊感と神様の御言葉を受けて書かれたものであるという事を否定する者は間違いなく宗教界から非難され異端視されるでしょう。違いますか?

回答:宗教界では多くの人が聖書は、すべて神様の霊感を受けて書かれたもので、書いてあることは全て神様の御言葉であると信じています。これは明らかに間違った思い込みです。聖書に記されている書簡や使徒たちの経験や証言は、その著者が明らかになっています。聖書は時代を超え異なる人々によって書…

質問:主イエスは「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」(ヨハネによる福音書 10:27)とおっしゃいました。主はお戻りになり、御言葉を発して羊を呼び集めていらっしゃいます。私たちが主の到来をお迎えする上で大事なのは、主の御声を聞こうと探求することです。しかし一番の問題は、主の御声をどうやって聴くのか知らないことです。神様の御声と人の声との区別もできないので、間違いなく主の御声だとわかるにはどうしたら良いのですか。

回答:神様の声をどうやって聴くのか? 人としての資質の高さや経験の長さは関係ありません。主イエスの信仰で御言葉を聴いたときどう感じますか? 主の御言葉について経験も知識もないのに、それを聴いた瞬間それは真理で権威と力があることがわかるでしょう。その感覚というのは経験からくるもので…

質問 1:あなたは、主イエスが中国に再臨され、その働きをなされている、と証しをされていますが、これは主イエスが聖書の中で預言していますので、私は本当だと思います。「いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書 24:27)。でも私たちは、主が終わりの日に再臨され、私たちを天の国に連れて行ってくださるか、少なくとも、雲まで引き上げられて空中で神様に会えるものと思っています。パウロも聖書の中で言っています。「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ人への第一の手紙 4:17)。しかしなぜ主は、聖書に記されているように来られないのですか? 終わりの日の全能神の裁きの働きは私たちが天国に連れて行かれることと何の関係があるのですか?

回答:沢山の人が、主が再臨されたときに、信者を大空に持ち上げてお会いになると信じています。でもそれは主ではなく、パウロの言葉によるものです。私たちには、パウロの言葉が人間の考えなのか、聖霊の啓きから来たものなのか知るすべはありません。これは主イエスが再臨について言われたことです。…

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