491 知識は現実に取って代われない
1 なぜほとんどの人は、多大な労力を費やして神の言葉を読んでいながら、その後にもただ認識を得るだけで、現実の道について何も言うことができないのだろうか。認識を得れば、そのまま真理を得ることになると思っているのか。あなたは砂浜の砂粒ほど膨大な数の認識を語ることができるが、そのどれにも現実の道は含まれていない。あなたはその話で人々を欺こうとしているのではないか。理論が高尚で現実性が欠如していればいるほど、人々を現実に導くことはできなくなり、理論が高尚であればあるほど、あなたは神に背き反抗するようになる。最も高尚な理論を貴重な宝のように扱うのはやめなさい。そうした理論は悪質であり、何の役にも立たない。一部の人々は最も高尚な理論を語れるかもしれないが、そこには何の現実も含まれていない。彼らはそれを自分で経験しておらず、そのため実践の道を一切持っていないからだ。そのような人は他者を正しい道に導くことができず、道に迷わせるだけだ。
2 あなたは最低限として、人々の現在の問題を解決し、彼らに入りを成し遂げさせることができなければならない。それだけが献身と見なされるのであり、そうして初めてあなたは神のために働く資格を得ることになる。尊大で非現実的な言葉ばかり語ったり、多くの不適切な実践で人々を縛って自分に従わせたりしてはならない。そのようにしても何の効果もなく、彼らをますます困惑させるだけだ。そのようにしていると、数多くの教義が生み出され、それが原因で人々はあなたを嫌悪するようになるだろう。これは人間の欠点であり、極めて恥ずかしいことだ。だから、もっと実際に存在する問題について語りなさい。他人の経験を自分自身の財産として扱ったり、それを他人に見せびらかしたりしてはならない。一人一人が自分自身の解決策を探し出さねばならないのだ。それが、各人が実践するべきことなのである。
『神の出現と働き』「もっと現実に集中しなさい」(『言葉』第1巻)より編集